開成卒なのに黒服5年。私が“退職代行”を発明した理由「仕事って楽しくないもの」

2025年12月18日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

後発の退職代行サービスに業界1位を奪われた“元祖”退職代行『EXIT』の元代表・岡崎雄一郎さん。開成中学校・高校からアメリカ留学という華々しい経歴の一方で、大学中退後は解体工や歌舞伎町のキャバクラの黒服を経験した“型破り”な人生を歩んできました。

現在はEXITの代表を退任し、寝坊すると課金される目覚ましアプリ『メザミー』を運営する岡崎さんにこれまでの歩みを聞いてみると、そこには「人生を軽やかに生きるヒント」が隠されていました。

海外留学も解体工も黒服も「面白そうだから」で決めてきた

――岡崎さんは「東大合格者数1位」と言われる開成中学校・高校からアメリカへ留学、大学中退後には解体工や歌舞伎町の黒服を経験されて、その後、日本初の退職代行事業を立ち上げました。かなり”型破り”なキャリアに見えるのですが……。

たしかにそう見えるかもしれませんね。ただ、実際はあまり深く考えずに行動しているだけなんですよ。今日もはたらく皆さんのためになるお話ができるかどうか……。「なんとなく面白そうだから」で人生を決めてきた人間ですから。

――ぜひその原点から聞かせてください!アメリカ留学はどのような経緯だったのでしょうか?

まさに、面白そうだったからです(笑)。当時は成績が特別いいわけではなかったので、東大を受験するつもりもありませんでした。本当に「なんとなく楽しそうだから海外行ってみるか」くらいの軽い気持ちでしたね。

でも、留学中にボクシングにハマって授業をサボるようになってしまって。結局、落第してしまいました。明確な理由のない海外留学だったので勉強して挽回しようという気も起きず、「仕方ないな」と帰国しました。

――帰国後は建設現場の作業員としてはたらかれたそうですが、多くの人が想像する“開成卒業後の進路”とはギャップがあるかと思います。そこに違和感や迷いはありませんでしたか?

それはまったくなかったですね。高校時代の友人は大企業に入っていましたが、とくに劣等感はなく「まぁこんなもんだろ」って感じでした。むしろ一般企業ではたらくイメージができなかったんですよね。

だから「体を動かす仕事なら退屈しないだろう」と、派遣で現場仕事のアルバイトから始めて、その延長で解体工や型枠大工の仕事を始めました。ただ、現場仕事は朝が早くてきつかったんです。それで「朝が無理なら夜にはたらけばいいじゃん」とシンプルに考えて、歌舞伎町で黒服の仕事を5年ほど続けました。

一方で「自分は現場仕事を一生やるわけじゃない。いつかビジネスを立ち上げよう、そのほうが面白そうだ」とも漠然と考えていました。

軽い気持ちで「退職代行」を始めてみたらまさかの大バズり「世の中、面白いな」

――退職代行サービスを始めたきっかけを教えてください。

黒服としてはたらきながら、小学校の同級生で現在のEXIT株式会社の代表でもある新野とよくビジネスのアイデアを出し合っていました。その中で彼がいつも「会社を辞めたいけど辞めづらい」と愚痴をこぼしていたんです。彼の悩みは自分にはまったく理解できなかったんですが、ほかに特別なアイデアもなかったので、「面白そうだし試しにやってみるか」という軽い気持ちで退職代行サービスを始めました。

――岡崎さんらしい動機ですね。前例のないサービスを始めるに当たって、ビジネスとして成り立つのか、法的に問題ないのか、といった不安はありませんでしたか?

それもありませんでしたね。「会社なんて本人が行かなければ最終的には辞められるだろう」と簡単に考えていたんですが、実際に法律を確認すると労働者の立場は圧倒的に有利。ただし本人の代わりに交渉するのは弁護士の独占業務だと分かったので、「契約の話や交渉はせず、依頼者が会社に行けないことだけ伝える」という方法で始めることにしました。

それに、ビジネスとしてのリスクも低かったんです。最初はGoogle広告に月数万円かけただけで、仮に失敗しても失うのはわずかな時間と労力、それに数万円程度です。当時は歌舞伎町ではたらきながらの副業だったので、生活に困ることもありませんでした。

――最初の依頼が来たときはどんな心境でしたか?

うれしかったですし、率直に驚きました。自分でも呆れるほど未熟なサイトでしたし、料金設定も5〜10万円(※)と大きく幅があったし、振込先口座は会社名義ではなく個人名義。それでも依頼してくださる方がいて、世の中には実際に退職で困っている人がいるんだと実感しました。

(※)現在は2万円で退職代行を請け負っているそう

ただ、実際に業務を始めるとなかなか大変で。まずは依頼者の退職先に退職代行というサービス自体を理解してもらうのに苦労しました。ほかにも、企業側に自分の身元を信用してもらうために、運転免許証のコピーを送っていましたね。

――すぐに事業として成り立つようになったのでしょうか?

いえ、そんなことはありません。開始から3カ月間の依頼数は月に1〜2件程度で、決してこれだけで生計を立てられるような状況ではありませんでした。そんな中、2018年7月にXで「出社せずに辞められるなんてすごすぎる」と、急に「退職代行」がバズり始めて。その結果、依頼が爆発的に増え、すぐにスタッフを雇わざるを得ない状況になったんです。こうしてEXIT株式会社が生まれました。

後発の退職代行サービスに“完敗”。「悔しいけど、当然の結果」

――EXIT株式会社を設立されて退職代行サービスの先駆者として注目を集めましたが、その後はいかがでしたか?

EXITがバズった後、模倣するサービスがたくさん出てきましたが、しばらくの間は業界の中でも圧倒的なポジションを保っていたと思います。その状況が大きく変わったのは、ある後発の退職代行サービスが登場してからです。彼らはSNS発信やYouTube活動を積極的に展開し、退職代行というサービス自体の認知度を飛躍的に高めました。

完全に抜かれたと実感したのは、彼らのYouTubeが大きく話題になった2022年か2023年のころです。といっても、その競合が台頭した時点で、すでにEXITはほかの競合企業と横並びの状況になっていました。サービス開始から1年ほどは確かに「退職代行といえばEXIT」と言える状況でしたが、それ以降は業界トップと断言できる状況ではなくなっていたんです。だから、後発に負けたというより、彼らが出てきたときには既に拮抗状態だったというのが正確ですね。

――そんな状況を当時はどう受け止めていましたか?

悔しかったですよ。ただ、それ以上に「追い越されて当然だった」という気持ちのほうが強かったんです。なぜなら、彼らは退職代行業界で他社がやっていないレベルでSNS発信に本腰を入れていたから。彼らが話題になったときも「そりゃそうだよな」と感じました。ちゃんとやっているな、って。

一方の自分たちはというと、情報発信も事業運営も、真剣味が足りなかった。「面白いから」という理由だけで突き進んだことが甘さにつながったと思っています。反省点は多かったです。

――その中で2024年にEXITの代表を退任されたのはなぜでしょうか?

特に大きな理由があったわけではありません。これまでの話で分かると思いますけど、自分、けっこう適当じゃないですか。だから退職代行についても「そろそろ手放してもいいか」という気持ちがずっとあったんです。事業を立て直すモチベーションも、もう自分にはあまりなくて。「こんな中途半端な状態で代表を務めていても仕方がない」と割り切って退任を決断しました。

そして今は、寝坊すると課金される目覚ましアプリ『メザミー』を運営しています。早起きが苦手で、目覚ましやアラーム機能では解決しなかったので「じゃあつくるか」と。「面白そう」という理由で行動しがちなのは今も変わりませんね(笑)。

「仕事が楽しくない」と悩んでいる人へ

――アメリカ留学から大学中退、現場仕事への転身、退職代行の立ち上げ、そして代表退任まで、はたから見ると大胆にも見える決断を潔く下されているように感じます。岡崎さんは迷うことはないんでしょうか?

いや、もちろんありますよ!ただ、迷ったときはシンプルに考えるようにしています。自分ができること・できないこと、やりたいこと・やりたくないことを整理して、リスクとリターンをなんとなく考慮した上で、「じゃあこっちにしよう」とスパっと決める。

もちろん、うまくいくかどうか、100%の確信を持てることなんてありませんけどね。それでも、決断を先延ばしにして後悔するほうが嫌なんです。

――つまり、悩んで立ち止まっているより動くほうがいい、と。

そうですね。悩んでも仕方がないし、実際に行動してみないと結果は分からない。人にアドバイスを求めても正反対のことを言う人は必ずいるので、最終的には自分で決断するしかないんです。それなら最初から直感で決めてしまったほうがいい。極端な話、コインを投げて決めても構わないくらいだと思っています。それを正しい選択だと思い込んでやるしかないのかなと。

多くの人は「悩んでいる」と言いながら、実際には心の奥で既に答えが出ているケースが多いんですよね。それなら、最初に感じた直感を信じて選択してしまえばいいと思っています。

――最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

答えになっているか分かりませんが、仕事って基本的に楽しくないものだと思うんです。だって、ゲームをしているほうが楽しいし、お酒を飲んでいるほうが楽しいじゃないですか。だから「仕事が楽しくない」という悩みを聞いても、「そりゃそうでしょ」と思ってしまうんですよね。

でも、そうやって割り切ることで、むしろ自由でいられると思いませんか。世の中には仕方のないことばかりがあふれているし、そこに文句を言っても何も変わらない。でも、割り切って行動してしまえば、結果はどうあれ自分で選んだ道なので「まあしょうがないか」って思えるんですよ。それがまさしく、自分らしく生きるということなんだと思います。

(「スタジオパーソル」編集部/文:間宮まさかず 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:岡崎雄一郎さん)

※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。

2

あなたにおすすめの記事

同じ特集の記事

  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

人気記事

片瀬那奈さん、40歳で女優から会社員になった現在。「今の仕事が天職」の理由。
生成AIに月8万課金、23歳で月収100万。始まりは大学4年のChatGPT“宿題代行”。
与田祐希「ずっと、向いてないと思ってた」8年の乃木坂46舞台裏を告白。島育ちの少女がセンターに、そして卒業。
月7万で生活、10分で引越し完了。「モノもお金もいらない」Z世代の幸福感とは。職業「ミニマリスト」しぶさんに聞いた。
『香水』瑛人。逗子「海の家」ではたらく現在。紅白出場後「ちょっと虚しかった」
  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

人気記事

片瀬那奈さん、40歳で女優から会社員になった現在。「今の仕事が天職」の理由。
生成AIに月8万課金、23歳で月収100万。始まりは大学4年のChatGPT“宿題代行”。
与田祐希「ずっと、向いてないと思ってた」8年の乃木坂46舞台裏を告白。島育ちの少女がセンターに、そして卒業。
月7万で生活、10分で引越し完了。「モノもお金もいらない」Z世代の幸福感とは。職業「ミニマリスト」しぶさんに聞いた。
『香水』瑛人。逗子「海の家」ではたらく現在。紅白出場後「ちょっと虚しかった」
  • バナー

  • バナー