29歳で国家公務員から兼業写真家になった私が、後悔していること。

2024年5月14日

スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、国家公務員から29歳で転職した1年後の本音を語った記事をご紹介します。

ライフワークである写真撮影に注力するため、国家公務員を辞めて兼業写真家になった高埜志保さんは、多くの人から「もったいない!」と言われたそうです。転職後は写真撮影をする時間を取れるようになったものの、100点満点の生活ではないと語ります。なぜそう思ったのか、転職後のリアルをnoteに投稿しました。

※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」から抜粋したものです。

残業月100時間の激務から脱却し、兼業写真家へ

高埜志保さんは28歳で転職活動を始め、29歳で国家公務員を退職しました。
理由は「他律的な業務が多く、持続可能な働き方ではないと感じてしまったため」「趣味の写真と仕事を両立するのが難しくなってしまったため」の2つで、転職するなら30歳までにと考えて踏み切ったそうです。

激務により残業時間は月100時間に及び、体調不良に。
趣味でありライフワークだった写真の作品撮りに費やす時間も取れなくなったうえに、国家公務員は法律により兼業が禁止されているため、せっかくの撮影依頼にも応えられない生活が苦しくなってしまったそうです。

仕事自体にはやりがいを感じていたため、本当に辞めても良いのか約2年間は悩んでいたように思います。
それでも、この先30代、40代、50代になっても国家公務員として働き続けている自分の姿が想像できず、それならできるだけ早く動いた方が良いだろうと国家公務員を退職することを決断しました。

「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」より

28歳で転職活動をスタートしますが、条件に合う求人が少ないうえに、自身の市場価値がないことに向き合う日々で、やはり苦しさを感じました。
求めていた条件は「兼業可」「正社員雇用」「フルリモート可」というもの。業界最大手の企業から内定をもらうも、兼業不可だったので辞退します。

また「国家公務員として働いても専門性が身につかない」「特殊な環境で得られた技能は役所の外では通用しない」といった声もあり、思うようにいかない面接も多々あったそうです。
そこで自分が転職先となる企業に何を求めるかではなく、転職先となる企業が自分に何を求めるかに目を向けることにしました。

「逆に自分は企業にとってどんな採用メリットがあるのか?」「初めのうちは自分という存在が企業にとっては負債になりかねないのに、新卒よりも高い給与を払ってもらう価値があるのか?」という視点で、自己分析と業界研究を進めていきました。
そして、当初望んでいたいくつかの条件を捨てるなどの妥協を経て、結果的にここだ!と思える条件の職場に内定をいただき、転職活動を終えることができました。

「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」より

こうして無事転職活動を乗り越えた高埜志保さんは、残業時間が前職の約5分の1の企業ではたらけるようになりました。
何よりもうれしかったのは「夫といっしょに夕食を食べられること」でした。休日は写真に全力で打ち込め、ゆとりを持って作品撮りを楽しめることにも幸せを感じたと語ります。
国家公務員時代は兼業ができずあきらめた写真展も無事開くことができ、高埜志保さんの個性を尊重した撮影依頼が舞い込んできました。

古民家宿るうふ アンバサダーとして坂之家に宿泊して撮影した写真

ただ、それでも「一片の後悔もないとは言い切れない」と言う高埜志保さん。
なぜそう感じているのでしょうか。

仕事依頼が順調に舞い込んでも、100点満点にはならない

すべてが順調なように思えますが、高埜志保さんはこう続けます。

ここまで文章を読んでくださった方々は、私は最善の選択をしたことを誇っており、現状に満足しているのだろうと思ってくださったかもしれません。
しかし残念ながら、今の環境が100点満点だと言うことは噓になります。

「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」より

そう思うのは「国家公務員ではなくなった自分」を認識した時。
国家公務員時代に文部科学省で取り組んでいた仕事のスケールはとても大きく、やりがいを感じていました。
だからこそ、当時取り組んでいた施策のニュースを聞いた時や元同期や後輩が活躍している様子をSNSで見た時に「ドロップアウトした自分」を自覚し、ささくれだった気持ちになるそうです。

私には入省当時から、国家公務員として成し遂げたい夢があったのですが、ついに希望の部署には配属されないまま辞めることになりました。
志半ばでその貴重な職を自ら手放し、引き換えに得たものとは一体何だろうと、しばし物思いに沈むこともあります。

「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」より

また、時間の余裕も十分にあるわけではありません。
国家公務員時代よりはゆとりがありますが、当然ながら繁忙期には残業があり、平日の夜に撮影や執筆の仕事をするのは簡単ではありませんでした。
写真の仕事は休日にしか受けられず、スケジュールの都合でやりたい仕事を断ることもありました。

「フルタイムで働きながら、写真の仕事よりも作品撮りを優先する」という選択をしたからだと自覚しながらも「こんなはずではなかった」と落胆してしまう自分がいると語ります。
それでも、高埜志保さんは「写真一本でやっていけばいいじゃないか」という提案には首を振ります。

私は写真を本業にするつもりはありません。
私は小さな頃から、先の見通しが立たない状況下に置かれることが非常に苦痛で、大人になってからも、できるだけ安定した環境で静かに暮らしたいという希望を持ち続けてきました。
決まった時期にほぼ決まった額の給与が支払われ、完全な保証はないまでもこの先も同じ職場に勤めることができるという安心感は、日々の心の安定を根幹から支えてくれています。

「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」より

フリーランスの写真家で苦労している知り合いも多く、またがむしゃらなはたらき方をして体を壊してしまったり、そのせいで写真そのものを嫌いになってしまったりするリスクを思うと、写真一本で食べていく気にはならないそうです。

GOOPASSさんのウェブメディア MARSHにてSIGMA 50mm F2 DG DN | Contemporary レビュー

「人生は予測不可能なことばかりで、欲しいものすべてを手に入れることは不可能だと痛感した」と語る高埜志保さん。
「国家公務員を退職し、兼業が可能な職場に転職したこと」は当時の高埜志保さんにとって最良の選択でしたが、理想どおりのはたらき方を実現できたわけではありません。
でも、その選択を受け入れています。

兼業に従事する時間の不足については、もう少し情報収集を行えば良かったと反省しているのですが、それを夜中まで働きながら転職活動をしていた自分に求めるのは酷な気もしますし、あの頃の自分にとってはできることを精一杯やりきったのではないかと思います。
心も身体もボロボロの中、一歩踏み出す決意をしたあの時の自分に、「私を助けてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいです。

「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」より

高埜志保さんはその時その時でベストを尽くし、自分で進む道を選択してきました。
だから理想と現実が違っていても、折り合いをつけながら前向きに生きています。
すべてが思い通りにはいかないからこそ、自分でどうしたいか考えてその場でベストを尽くすことが、最良のキャリアを歩む唯一の方法なのかもしれません。

<ご紹介した記事>
「国家公務員を退職し、兼業写真家になって丸一年が経ちました。」

【プロフィール】
高埜 志保
季節のうつろいや物語性を感じさせる表現を目指して、休日に写真を撮っています。

(文:秋カヲリ)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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