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小説家をあきらめた青年が「本の読める店」を立ち上げ、3店舗の経営者となるまで
会話もなく、ただ本を読む「fuzkueらしい」風景
東京の初台にある「fuzkue(フヅクエ)」は「本の読める店」というコンセプトを掲げている、カフェのようなお店です。私語、パソコンの使用、勉強、仕事、執筆、動画視聴、ゲーム、居眠り禁止。お客さんが心地よく本を読むことに特化した空間になっています。
この一風変わったお店には、どんなお客さんが来るのでしょう?2014年にこのお店を開いた店主、阿久津 隆さんに「印象に残っているお客さんは?」と尋ねると、少し考えたあと、「いろいろ思い浮かぶ場面はあるんですが、どれもお客さんが本を読んでいる姿なんです」と微笑み、「つい最近の話なんですけどね……」と続けます。
その日、いつものようにお店のキッチンカウンター近くに置いた椅子に腰かけていた阿久津さんは、一人のお客さんのことが気になっていました。阿久津さんの席からは、そのお客さんが食い入るように読みふけっている本の表紙が見えていました。
その本とは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。SF小説の大作です。そのページがどんどん巻末に近づいているのが分かりました。時刻は、閉店間際。でも、このタイミングで、閉店を告げるのは忍びない。店主として、そして同じ読書好きとして、読了まで何も言わずに付き合おうか……と悩んでいたら、そのお客さんがもう一冊、本を持っていることに気が付きました。それも、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。そこで、ハッとしました。
「ああ、上巻を読んでいたのか!」
実はこの作品は、上下巻で構成されているのです。自分のちょっとした勘違いをおかしく感じつつ、閉店時間に店を出たお客さんを見送りました。この間、二人の間には特筆すべきやりとりはなく、ただ静かな時間が流れていました。それこそが、阿久津さんにとっての「fuzkueらしい風景」なのだといいます。
映画にのめり込み、小説家を目指した大学時代
阿久津さんは1985年に栃木県で生まれ、埼玉県の大宮市で育ちました。本を好きになったきっかけは物心つく前から両親が寝る前に読み聞かせをしてくれたこと。中学生になると、自宅の本棚にある親の本を手に取るようになりました。吉本ばななを気に入って、彼女の作品を一通り読破。高校生になると、ブームが村上春樹に移ります。
「高校1年次の国語の先生が変な人だったんです。村上春樹の『風の歌を聴け』を一学期かけて読むという授業を受けて、村上春樹が好きになりました」
大学では、映画鑑賞と創作にも情熱を傾けました。慶應義塾大学の藤沢校舎(神奈川県)に通っていたのですが、自宅から新宿までの定期を買い、都内でたくさんの映画を観て感想をブログにまとめていました。大学2年生になると文芸評論家の福田和也氏のゼミに入り、自ら小説を書くように。新人賞に応募して、二次審査を通過したこともあるといいます。
そのうちに、「小説家になりたい」と思い福田氏に相談したところ、「一度、会社員を経験しておいた方がいい。小説のネタにもなる」と助言を受けました。そして、いずれ小説家になるという前提で「とりあえずはたらくか」と就職活動を始め、内定を得た生命保険会社ではたらくことにしました。
おもしろくなかった会社員を辞め、カフェ開業へ
2008年夏、阿久津さんは岡山市にいました。3カ月の研修を終えて配属されたのが、岡山支社。縁もゆかりもない土地で「何一つおもしろくなかった」会社員生活を送ります。
「保険の代理店営業をしていました。でも、僕自身は生命保険は不要だと思っていたし、いいと思えないものを人にすすめることができなかったんですよ。駐車場に車を停めて、よく昼寝していましたね。営業成績の悪い人が参加する研修にも呼ばれていました(笑)」
会社に居場所がなかった阿久津さんですが、岡山には「ずっとここにいてもいいかも」と思うほど、愛着を抱いていました。それは、よく通っていたカフェで友人ができて、その輪が広がり、仕事以外の時間が充実していたからです。
「地元の美容師とか大工とか、それまで接点のなかった人たちと知り合ったりして、コミュニティに自分が加わっていく感覚があったんですよね。そういう体験をしたことがなかったから、大人って楽しい!と素朴に感じていました」
ここでの出会いが、阿久津さんを予想外の未来へ導きます。2011年3月、いよいよ会社員生活に耐えきれなくなった阿久津さんは、2週間ほど出社拒否。今後について話し合うため、人事部との面接が予定されていたのが、3月12日。
ところが前日に東日本大震災が起きて、この面接が流れてしまいます。「ほかの部署に異動させてもらおう」と思っていた阿久津さんは、どうしたものかと途方に暮れたと同時に、震災という大きな出来事を前にし、後悔のない生き方をしたいと痛切に感じました。
その少しあと、行きつけのカフェのスタッフであり、当時付き合っていた彼女から誘いを受けます。
「一緒にカフェやらない?」
それまで一度も話題にあがったことがない、唐突な展開。しかし、直感的に「これだ!」と感じた阿久津さんは、首を縦に振りました。
「一人でいる人」を応援したい
急ピッチで準備を進め、2011年5月に退職し、翌月にカフェを開きました。ともにはたらく彼女はカフェでの経験が長かったことに加え、阿久津さんも学生時代に飲食店でアルバイトを経験していたため、お店は滞りなくオープン。間もなくして人気店になりました。
阿久津さんは「自分たちで作ったものを提供して、その対価をもらう」というやり取りが「分かりやすくて、すごくヘルシー」だと感じ、晴れやかな気分でした。小説を書くことを辞めたのも、このころだったそうです。
「劇作家の岡田利規さんが書いた小説『私たちに許された特別な時間の終わり』を読んだときに、自分が書くよりおもしろく、読みたいものを書いてくれる人がすでにいるんだったら、自分が書く必要なんてないんじゃないかって思っちゃったんですよね。完全に行き詰まりの言い訳ですが(笑)」
その頃、阿久津さんはカフェで一人の時間を過ごすお客さんを大切にするようになりました。社会の中には一人で安心して過ごせる場所が少ないと感じていたことに加え、小説を書いていた阿久津さん自身がそうだったように、一人でいる人は「ストラグル(奮闘)している人」だと考えていたのです。
やがて、大勢で来店して騒ぐ人たちを見ると、一人で来ているお客さんの気持ちを想像して苛立つように。地域の飲食店の会合でも、町を盛り上げるために「みんなで協力しあって」と言われると、「なれ合いじゃなく、個々の店が魅力的になることでこそ魅力的な町ができていくんじゃないのか」と心の中で毒づきました。
紆余曲折あり、2014年6月、阿久津さんは岡山を離れる決断をします。
「美しい人」が集う店づくり
阿久津さんの頭の中にあったのは、「一人で過ごす人を応援するカフェ」。岡山で2店舗目を出そうと妄想していた時から、考えていたコンセプトです。
「2階で、窓が多く、カウンターを置ける」という条件で物件を探し、最初に内見した初台の物件に決めました。学生時代に何度か、初台にある東京オペラシティに観劇に来た程度で、まったく馴染みのない町でした。
「隣り駅が新宿だから映画館にすぐ行けるなとか、友だちの家までチャリで行けるなとか、自分が生活する場所という観点で決めました」
飲食店の開業は二度目で、慣れたもの。岡山時代の貯金をはたき、足りない分は両親に借りて、東京に出てきてから4カ月後の10月に「fuzkue」を開きます。参考にしたのは、高円寺にある私語禁止のカフェ「アール座読書館」。岡山にいた時に一度訪ねたことがあり、「一人の時間を守るには、私語を禁じればいいのか」と衝撃と感銘を受け、その方式を採用しました。
阿久津さんは当初、本を読む人と仕事や勉強をする人は共存できると考えていました。しかし、営業を続けているうちに本を読むという行為は想像以上に繊細で、ほかのお客さんの動作や物音に影響を受けやすいと分かってきました。そこで阿久津さんは「どっちを選ぶかと聞かれれば、本を読む人でしょう」と大胆に舵を切ります。
「まず、僕が読書好きで、ゆっくり本を読める場所を求めていました。もう1つ、この店で本を読んでいる人の姿を見て、美しいと思ったんです。その美しい人たちに集ってほしかった」
「本を読む人」を守るためには、何をすべきか。町中のカフェや飲食店で雑音に邪魔されて読書に集中できない人のために、阿久津さんは一切妥協しないことを決め、ルールを細かく定め、ルールブックをつくりました。ペンの使用範囲やイヤホンの音漏れ、写真撮影についてなども注意書きに記されています。何か気付くたびにルールが追加、あるいは改定され、現在45ページに及ぶそう。
fuzkueの価値はお店で過ごす時間。「変動席料制」導入へ
「やりたいと思ったことは試してみないと気持ち悪い」という阿久津さんは開業時、すべての会計を「言い値」にしました。支払金額をお客さんに委ねたのです。
結果的にこの「言い値方式」は、半年で中止。お客さんの支払う代金が少なかったから、ではありません。実のところ、阿久津さんが想定していた金額より多く払う人もいたそうです。平均すると想定内の収支に収まったのだそうです。それでも辞めることになったのは、お客さんに心理的な負担をかけていると分かったから。
「お店のことを考えてたくさん支払ってくれた人ほど、あの金額で大丈夫だったのかなって思うんですよ。これは続けちゃいけない仕組みだと思いました」
その後も試行錯誤を重ね、やがて現在の「変動席料制」を導入することに。何も飲食したくなければ、席料だけで滞在できます。その場合は1,500円。700円のコーヒーを一杯注文すると、席料が900円になり、支払いは1,600円になります。コーヒーを2杯飲むと席料は300円になって、1,700円。1000円の定食を頼むと席料は900円で、計1,900円。
ほかにもさまざまな組み合わせがありますが、どのパターンも2,000円前後に収まるように設定されています。この「変動席料制」は、どういう発想から生まれたのでしょうか?
「普通のオーダー制にした時に、これだけ長く過ごしてくれる人たちが多いということは、客単価を上げないことには成り立たないと分かりました。じゃあ、そのために何が必要かと考えたんです。気兼ねのない長居こそがうちが提供するべき価値であるならば、飲食の注文に左右されずに全員から同じくらいの料金をいただいちゃおうと考えました。それによって、『本当は飲みたいわけではないけどもう1時間いさせてもらうために』みたいな注文をしてもらわなくていいようにしたかったんです」
営業時間拡大。パソコン使用NG。2017年の2大改革
開業当初は、お客さんが少ない日が続いたそうです。そして、そんなfuzkueの最初の2年間を支えたのは「定食 川越」という名で営業をしていた、ランチタイムの売り上げだったのです。川越とは当時のスタッフの名前だそう。
しかし、2017年2月阿久津さんは決断を下します。「同じ労力を割くなら」と腹をくくり、収入の30%以上を占めていた定食屋の営業を辞めて、終日fuzkueの看板で営業することにしたのです。ふたを開けてみると昼間にも意外なほどにお客さんが訪れました。
同年7月には、先述した理由でパソコンの使用を制限して、読書に特化する姿勢を鮮明にします。これによって一時的に売り上げが低迷。当時のブログに「パソコンの方を取り込めればこんなことにはならなかったのに!」と記しているように、よほど危機的状況だったのでしょう。
しかし、結果的に2017年に断行した2大改革、終日営業とコンセプトの先鋭化は功を奏しました。読書好きの心を掴み、メディアにも取り上げられることが増え、売り上げが伸び始めたのです。
本との出会いという幸福な「事故」を創出する
阿久津さんの果敢な実験は、終わりません。経営が安定してきた2020年春、下北沢にある商業施設「Bonus Track」内に、2店舗目をオープン。初台店と違って複数のテナントが入り、不特定多数のお客さんが訪れる場所。まるで雰囲気の違うエリアに出店を決めた理由は「まるで想像できなかったから、いいチャレンジになると思って」とのこと。
下北沢店ではテイクアウト営業もしており、読書をしたくて訪れた人たち以外とも接することになりました。そこで、テイクアウトの注文を受けてから提供するまでの間、番号札ではなく、文庫本を手渡すことに。すると、その文庫を自然と読み始めるお客さんが出てきました。その様子を見て、阿久津さんは新たな手応えを感じたそうです。
「読書の時間が不意に生じているのって、けっこうすごいことだなって。そういった読書との幸福な事故を創出することは、文化の種蒔きになり得るんじゃないかと思っています」
「ほかに存在しない場所」を増やしていく
fuzkueを支持する読書好きは、着実に増えています。2021年6月には、初めてのフランチャイズとして、西荻窪に3店舗目をオープン。阿久津さんは、経営者として、そして一人の読書好きとして、その広がりを喜んでいます。
「たまに、店内で本を読みながらすすり泣きしているお客さんがいるんです。たぶん、周りの人たちも気づいてると思うんすよね。あ、泣いているなって。この店では、そこに居合わせた全員が、あの人は今、感動しているんだなって共感したり、ちょっと喜んだりしていると思うんです。そういう姿を見ると、『こんな場所ほかには存在しないよな』とうれしくなりますね」
阿久津さんの目標は、fuzkueをもっと増やすこと。日本中の読書好きが、それを待っています。
(文:川内イオ 写真:下屋敷和文)
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