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レシピは文学作品。小説家の夢をあきらめた青年が、もう一つの夢であった料理研究家になるまで
料理初心者にも優しいレシピを開発している「ジョーさん。」は、独立後2年で5冊のレシピ本を出版し、Twitterのフォロワーは30万人と多くのファンに愛される料理研究家です。新卒で入社したメーカーでの勤務を経て、レシピ開発・コンテンツ制作の企業へ入社。3年間の「修行」を経て料理研究家への道を歩み始めました。
彼は大学時代、社会人時代にそれぞれ大きな挫折を味わったと話します。そこからどのようにして、料理研究家になったのか。お話を伺いました。
はじめての料理は、母への思いが詰まった「トンカツ」
ジョーさん。が、はじめて「料理」に触れたのは小学3年生の時。仕事に追われながら毎日のご飯を用意するお母さんを支えたいという思いからでした。最初は炊飯器のスイッチを押す係からスタート。お米の研ぎ方を覚え、包丁を持つようになり、少しずつ「お手伝い」を増やしていったといいます。
そんな彼がはじめて一から料理をつくったのは、お手伝いをはじめて1年後のことでした。夜遅くに帰ってくる母のため、トンカツを1人でつくり、帰りを待ちました。
「どうやって作ったのかは覚えてないんですけどね、普段あまり愛情表現をしないお母さんが喜んでくれて、ひしと抱きしめてくれたことは忘れません。そこから一緒に台所に立つことも増えていきましたね」
中学生になると、インスタントラーメンに好きな具を入れたり、冷凍食品にアレンジを加えるなど手軽な「味変」レシピに挑戦。お母さんが使う予定だった食材を使ってしまい怒られることもありました。「共同生活のあるあるですよね」と、ジョーさん。は笑います。
「家庭料理」はいかに手間をかけずに、効率的に作るかが肝。しかし、それだけでは満足がいかず「レストランのような凝った料理を作りたい」という思いが膨らんでいったジョーさん。は、インターネットでレシピを検索しては、新たな料理に挑戦。当時は麻婆豆腐の研究に熱を注いでいたと言います。同時に、レシピを通じて自分の腕前が成長していく楽しさに夢中になりました。
「レシピって『説明書』ではなく『教科書』なんです。そこから料理を覚えることができるから面白いんですよね。たとえば油にニンニクを加えて火にかけると香りが立つとか、ほかの料理にも役立つ知識が身につく。冷凍食品など、出来合いのものを調理するだけでは見えない世界が広がっていたんです」
小説では食べていけない。20歳で味わった絶望
東京の大学へ進学したジョーさん。は、もう1つのライフワークである小説の執筆に打ち込みます。幼少期から文学好きで、大学ではドイツ文学を専攻。学業のかたわら、自身の作品を書き上げるために机に向かう毎日を過ごしていました。
そして大学2年、20歳の時に出版社との縁に恵まれ、小説が出版されることが決まりました。幼少期からの夢だった小説家デビュー。しかし、そこで厳しい現実が突きつけられます。
「1冊書いて、小説家の世界がいかに難しいのかを実感しましたね。筆1本で生きようとしても、自分1人の生活費を稼ぐことすらままならない。夢を追うのは素晴らしいことですが、いつか家庭を持ちたいという気持ちが強かった僕にはその選択はできませんでした。
それに、僕は青年期の感性に頼って作品を書いていたんです。この先歳を重ねていったら今のように書けなくなるだろうという不安もありました。そこで小説家はあきらめましたね」
20歳にして小説家になるという1つの夢を叶え、そしてあきらめたジョーさん。は、周囲の友人と同様に就職活動に取り組み、とある光学系のメーカーへと就職。そこで待ち受けていたのは、さらに厳しい現実でした。
サラリーマンをドロップアウト。そして、料理の道へ
ジョーさん。が入社直後に配属された直属の上司は気性が荒く、怒鳴ることは日常茶飯事。時には手をあげられることもあったといいます。当時はパワーハラスメントがまだ社会問題として認知され始める前。ジョーさん。はそんな上司の態度を「正しいもの」として受け止めていました。しかし、そんな社会人生活を3年ほど続けたある日、プツンと糸が切れてしまいます。
「ある朝、どうしても起き上がれなくなってしまって。天井を見ながら、もうサラリーマンとしてはやっていけないんだなと思いましたね。昔、父が『日本はものづくりを頑張らないといけない』『ものづくりはいい仕事だ』って話してくれたんですよ。僕がメーカーを志望したのも、どこかその言葉が頭に残っていたからでした。父の言葉を信じてやるだけやってみたけど、ダメだった。開き直って別の生き方をする決心がつきましたね」
それから数カ月間、ジョーさん。は気力が湧かずに無職の期間を過ごしました。その後派遣社員として1年間はたらいたジョーさん。は、意を決してもう1つの夢であった料理研究家を目指すことに。高校卒業時も、就職活動時も頭の片隅に「料理研究家」になりたいという思いはあったものの、なれるはずはないとフタをしていたのです。
そんな彼に転機が訪れたのは、料理研究家になるための情報収集を始めて間もなくのことでした。インターネット掲示板で情報を検索していると、料理研究家の投稿が目に入りました。彼は東京のレシピ開発・コンテンツ制作会社を経営していて、その会社では中途採用の募集がされていたのです。今までは「芸能人のようなもの」と思っていた夢が急に現実のものに。ジョーさん。がすぐに応募したことはいうまでもありません。
料理研究家は「料理だけ」をしているのではない
晴れて入社した会社でジョーさんが担当したのは料理研究家のアシスタント兼ディレクターでした。雑誌、広告、ウェブメディアなどに掲載するレシピやコンテンツの制作を行うにあたり、スケジュールやクオリティをコントロールする役割です。
作業工程は、大きく分けると開発、執筆、撮影の3つ。そのすべてを自社内で行っていました。これは料理研究家への道を最短距離で進みたいジョーさん。にとっては願ってもないことでした。
料理研究家には料理のほかに3つのスキルが必要だとジョーさん。は話します。
1つめは企画力。料理研究家のクライアントは広告代理店、メディア企業、食品メーカーなどさまざまですが、いずれの仕事においても魅力的なレシピを開発し、企画に落とし込む手腕が求められます。
2つめはビジュアルの表現力。写真や映像とともに伝えることで、レシピがより魅力的に写ります。
3つめは文章力。開発したレシピが再現可能なように書くことはもちろん、ターゲットに合わせた表現に書き分ける力が必要です。
例えばクライアントの食品メーカーが新たな客層に自社製品を訴求したいとき、ターゲットに「刺さる」レシピを考えることができなければなりません。彼らがどんな生活を送っているのか、どんな表現なら作ってみようと思ってもらえるのか。写真や文章のトーンを考え、ディレクションしなければなりません。
「レシピ投稿サイトがあることからもわかるように、レシピって誰でも考えられるし、書けるんです。写真だってスマホで誰でも撮ることができますよね。それをメディアや読者に合わせるのが技術なんです。そうした技術は現場で学んでいきました」
業務終了後には会社に所蔵されている資料を読み漁り、レシピの勉強。ときにはレシピ本の献立をまるまる再現するといった「修行」をすることも。
元々料理が好きで、文章を書くことも得意。光学系メーカーではたらいていたこともあり、カメラにも親しんでいたジョーさん。は、2年足らずで1人ですべての工程を担当できるまでになりました。そして、それはそのまま現在のジョーさん。の仕事の基礎となっています。
「レシピを読むことは、文学を読むことに似ている」
ジョーさん。が独立を決めたのはのちに「師匠」となる元・同僚、河瀬璃菜さんの影響でした。入社後は2年間ともにはたらいたのち、彼女は一足先に独立。1年後、その背中を追うようにジョーさんも独立を決意しました。
フリーランスになってからすぐに取り組んだのが、SNSへの投稿です。仕事の合間に自分で料理のレシピを掲載。Twitterでは半年で10,000人以上のフォロワーを獲得し「投稿するたびにバズる」ほど注目を浴びることになります。
「最初はウェブサイトを立ち上げて、そこに訪れてもらうためと思っていたのですが、SNSは宣伝のためではなく、そこにいい情報があって、そこで完結していないといけないとわかったんですよ。それから試行錯誤しながら自分なりに文章の型を考えていきました」
料理が作れて、レシピが書けて、写真も撮れる。ジョーさんの元には、クライアントからの依頼が次々と舞い込み、順調に仕事は拡大していきました。
やがて出版社からレシピを書籍化したいというオファーが次々に舞い込むように。すべてを引き受けきれずに一部のみを引き受けるも、2年で5冊を出版。ジョーさん。はレシピも文学作品だと話します。
「レシピは人によって何に重点を置くのか、どんな表現をするのかが全く違うんですよ。そして、そこに、書き手のバックボーンが表れます。文章の背景にその人の生き様が刻まれているというのは、小説にも通じると思っています」
例えば、フレンチのレシピ本では、調味料の量はグラム(g)で表記されることが多い。フレンチのシェフは自分が手を動かさずにチームで調理をするため、正確に味を再現するためにこのような「ブレのない」表記をするのです。
一方、日本の家庭料理のレシピは「大さじ1」のような表記が一般的です。ジョーさん。が尊敬する料理研究家、栗原はるみさんのレシピは特にその「遊び」が大きいと言います。味の許容範囲が広くとも、しっかりそのレシピの味になるように設計されています。
レシピの背景には、その国の文化や、執筆者の姿勢があらわれます。レシピの違いからそれを読み解いていくというのは、かつて小説家を目指していたジョーさん。ならではの目線かもしれません。
台所から「家族像」を変えていく
2022年、ジョーさん。が独立してから5年が経過しました。彼が料理研究家として一貫して目指してきたのは「台所に立ったことがない人のためのレシピ」。包丁もまだまともに握ったことがない、家には鍋が1つしかない。そんな人でも料理が楽しめるレシピをジョーさん。は考え続けています。なぜなのでしょうか?
「大学時代に男性の友人の家に泊まってよく料理を作っていたんです。その時に、『一人暮らしの家だと一口コンロなんだ』とか『料理のここがめんどくさいんだ』ということがわかったんですね。僕のレシピの原点はそこにあります。
ひとり暮らしのうちから料理に親しんでいれば、きっと家族を持っても作るはず。僕の実家のように『台所に立つのはお母さんの役割』という家庭は多いですが、男性にも台所に立って欲しい。レシピを通じて、日本の『よくある家族像』を変えていけたらと思っています」
母を思ってトンカツを揚げた少年は料理研究家となり、日本の「台所事情」を変えるために今日もレシピ開発に取り組んでいます。
(文:高橋直貴 写真:小池大介)
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