人生が一変した転職と出産。思い出の産婦人科へ──【運転手さん、思い出の場所まで(1)】

2022年12月15日

異業種から転職してきたタクシー運転手さんにインタビューを行う連載「運転手さん、思い出の場所まで」。運転手さんの思い出の場所までタクシーを走らせながら、これまでのキャリアと、仕事のやりがいや苦労などを伺います。

第1回の運転手は国際自動車東雲営業所の山本晃さん(39)。前職は飲食店で勤務をしていたのですが、コロナ禍を機にタクシー運転手に。現在乗車歴は1年半だそうですが、元来車好きとあって道に詳しく、運転もベテランのような安定感です。

そんな彼の思い出の場所は、東京都葛飾区にある「五の橋産婦人科」。お子さんが生まれ「人生が一変した」と話す山本さんの思い出の地まで、出発です。

愛する我が子が生まれた思い出の産婦人科まで

──こんにちは。今日はよろしくお願いします。

本日はご予約ありがとうございます。今日は私の思い出の場所までの運転ということでよろしいですね? それでは、どうぞご乗車ください。

シートベルトはよろしいですか?それでは出発します。

国際自動車東雲営業所から「五の橋産婦人科」まで向かいます。

本日は貸切でご予約いただいていますので、メーターは回りません。途中で立ち寄りたい場所がありましたらおっしゃってくださいね。

コロナ禍をきっかけにタクシー運転手へ

──山本さんはタクシー運転手の前は何をされていたんですか?

飲食業界ではたらいていたんです。居酒屋チェーンの店長のあとイタリアンの店でホールをやってました。

転職のきっかけは、コロナです。前年まで売上はよかったんですけど、そこからはもう数字でいうと3分の1。スタッフは全員解雇になりました。アルバイトとしてほかのお店で再びはたらく道もありましたが、結婚もしてマンションも買っているので、転職活動を始めたんです。

それで、いつかやってみたいと思っていたタクシーの運転手になろうと、国際自動車を受けました。自分でも車を持ってますし、車の運転がすごく好きなんですよね。

飲食もタクシー運転手も、居心地のいい空間を提供する仕事

──運転のどんなところが楽しいと感じますか?

道路からたくさんの情報を取り込んで適切な判断をしていくことですかね。この道は絶対右車線の方が早いだろうとか、そういう予測と結果がガチっとハマったときはおもしろいですね。

──飲食とタクシーはまったく別の業界ですよね。仕事において共通するところはありますか?

飲食業界の前はゲームセンターではたらいていたんですが、その時の経験が私の仕事の根本になってまして。ゲーム機や景品はどこの店舗も同じ。では、お客さまがどうやって店を選ぶのかというと「ソフトサービスと従業員の質」だと教わったんです。タクシーだって「移動手段」としてはどこの会社もそう変わらない。共通点はそこかもしれません。

飲食も同じです。料理が上手でスタッフの接客が下手なお店と、普通の料理だけど接客がいいお店だと、自分だったら後者を選ぶと思うんですよね。 

──山本さんは接客や人と話すことが好きなんですか?

いえ、基本的に自分からしゃべることはありませんね。陰キャなので(笑)。それに、タクシーという閉じられた空間では、自分の一人の時間を過ごしたい方も少なくないんです。ただ、おしゃべり好きそうな方には自分の話を少しずつしていくこともあります。一番重要なのは居心地がいい空間の提供なので、お客さまによって判断しています。

タクシー運転手はRPGゲームのようにお客さまを探す

──いつも決まって走るルートというのはあるんですか?

普段は、まず東雲営業所の近くにあるタワーマンションが集合しているエリアに向かいますね。7時半から8時ぐらいに出勤される方がよく利用されます。

そこから、銀座方面に向かうお客さまを探します。銀座に向かう途中、豊洲から大きな橋があるのですが、お客さまを乗せずに渡ると時間がムダになってしまうので。見つかるまでは、この辺りを3~4周ゆっくりうろうろしてます。

「妙にゆっくり走っているタクシーを見かけたら、お客さまを探していると思ってください」

──RPGゲームみたいですね。

そうですね。私もお客さまの顔を結構覚えているので「あの人が手を挙げたらミッドタウンまでだろうな」とか予測できますよ。

この仕事を始めて驚いたことは、毎日タクシーを利用する方が一定数いるんことです。毎日同じところから乗って3000円ぐらいの同じところで降りていく。そういうお客さまはとてもありがたいんですよ。売り上げの予測を立てやすいので。

今の方。あの横断歩道に立っている男性はよくご乗車いただくお客さまなんですよ。こちらを覗き込んで「貸し切りか……」という顔をされましたよね。あ、ほら、やっぱり信号を渡らないですよね。タクシーを待っている方はああやって横断歩道付近で探すんですよ。この仕事を始めて、お客さまとそうじゃない人が見分けられるようになりました。

短時間乗車のお客さまがありがたい理由

隅田川を渡り、都心へ向かういつものルート

普段は、豊洲方面から橋を渡って千代田区に向かいます。四ツ谷駅と市ヶ谷駅に挟まれた辺りは「番町街」って呼ばれるところなんですけど、昔この辺りで仕事をしてたことがあるんです。お金を持ってる方が多くて、いいエリアなんですよ。大病院に向かう高齢の方や、大手町に出勤される方が多いですね。皆さん心にも余裕があるのか、運転していて怒られたことがないです(笑)。

──お客さまはどれぐらいの距離を乗られる方が多いんですか?

大体2〜3キロぐらいが多いですね。金額にすると1,500円から2,000円ほどでしょうか。

──やはり、長距離のお客さまが乗ってくるとうれしいですか?

嬉しいですけど、そればかりは運なので。期待はしていないですね。それよりも私は短時間の乗車の方が嬉しいですね。

よくお客さまから「短くてごめんね」って言っていただきますが、私はそう思わないんです。だって、1分乗せて420円という場合だってあるわけですから。こんな効率の良いことってないですよ。嫌がる運転手がいるとしたら、そのことに気付けてないんでしょうね。

──ちなみに今までで一番長距離のお客さまって?

北海道の母が東京に来て、「箱根まで行きたい」と。箱根ほどの距離なら普通は電車で行くと思うんですが売上に貢献したいって乗車してくれたんです。東京から箱根までは高速代込みで3万3000円ほどでしたね。

──すごく素敵なお母さんじゃないですか。

身内なんで、こうやって話すのはちょっと恥ずかしいですけどね。でも嬉しかったです。妻と子どもも一緒に箱根に向かったので、仕事ですけど、家族旅行みたいでした。帰りは私が1人でタクシーで都内に戻ってきて。次は一緒に温泉入れたらいいなと思いますね。

──いつもどんなところで休憩しているんですか?

ちょっと向かってみましょうか。ぼくは休憩の時間も場所もいつも決めているんですよ。青山墓地の横にタクシーが停められる道路があるんです。そこで休んでいる人は多いですね。

──そんな場所があるんですね。お願いします。

つきました。

──ものすごい数のタクシーが停まっていますね。

この道路はタクシーのみ、駐車が許可されているんです。

タクシー以外駐車禁止の標識が。 

──こんな標識はじめて見ました。

都内では珍しいですからね。東京はコンビニも駐車場がないですし、気軽に休憩できるところが少ないんですよ。だから僕は、休憩するのはいつもここと決めています。

実は連続して運転していいのは6時間って法律で決まっているんですよね、なので朝一から6時間走って貯金をつくり、お昼ごろにここに来ますね。

──休憩中は何をするんですか?

子どもの写真や動画を見て、のんびりしていますね。顔見ると早く帰りたいなと思いますよ、やっぱり(笑)。

人生の重要な局面に出会う仕事

──仕事のやりがいってどういうときに感じるんですか?

本当にタクシーを必要としてる方がいらっしゃるんですよね。ご高齢の方や深夜に陣痛が始まった妊婦さんですとか。まさに、私の妻も陣痛が始まってタクシーを利用しましたね。そういった重要な時に頼っていただいて、なおかつ「すっごい助かった、ありがとう」って言われた時は、ああ、必要とされている仕事なんだな、とやりがいを感じます。

──タクシーに乗る方は移動が困難だったり、急いでいたりと何かしらの理由がありますもんね。

昨年、千葉で大きな地震があった翌日に朝から錦糸町駅で予約が入ったんですよ。その方は千葉県の東金まで行ってほしいとおっしゃるんです。

聞くと大学の先生で、キャンパスのある東金に行くまでの電車が全部止まっちゃってると。 でも生徒さんは待っているから絶対遅れられないということで乗車してくださって。あのときも役に立てたなと実感しましたね。

ちなみに私の運転手人生の中で一番売り上げがあったのもその日で、朝イチで東金行って錦糸町へ帰ってきてから、今度は杉並区へ。そこから赤羽、巣鴨の白山通りからお台場へ行って、そのビルの1階にいた人が高田馬場と…。

──よく覚えていますね。

半日でいつもの一日分の売上があったんです。そんなこと滅多にないんで覚えていますよ(笑)。うまく行きすぎて怖くなっちゃって、妻に「怖いんだけど」とLINEしたのを覚えています。売上に浮かれて事故や違反しちゃうって人が実際にいるので。その日は、ほんとに慎重に走りましたよ。

恩師に言われた「その子に誇れるお父さんになってください」

──思い出の場所は産婦人科とおっしゃっていましたね。 

私の子どもが産まれた産婦人科です。タクシー運転手になってからの人生は、もう子ども漬けなんですよ。それまでは仕事漬けだったので、子どもを持つことなんて想像もできませんでした。転職と一緒に人生が変わった感じですね。

国際自動車は入社後2カ月間の研修があるんです。私の研修が始まってすぐに妻の妊娠がわかりまして。

──転職と、奥さんの妊娠が同じ時期に。

そうなんです。私は母子家庭で育ったので父親像が分からなくてすごく不安だったんです。自分に父親ができるのかなとか、子どもはちゃんと元気に生まれてきてくれるのかなとか、いろいろ考えちゃって、妊娠がわかった当日は寝られなかったんですよね。 

そうしたら、翌日の研修を見事に寝坊しちゃいまして(笑)。

怒られるかなーと思って出社し、廊下で研修のコーチに会って事情を話すと「大丈夫だよ、赤ちゃんは絶対元気に生まれるから」って、怒るどころか励ましてくれたんですよね。「山本さん、今度お父さんになるんだからしっかりと仕事を覚えて、その子に誇れるお父さんになってください」って。その言葉がすごくありがたくて。それからコーチのファンになりましたね。研修時は本当に怖いんですが(笑)。

そんなことがあって、入社してすぐ「この会社はちゃんと話を聞いてくれる会社なんだな」って感じましたね。

「いつものコース」を案内してもらい、いざ目的地の産婦人科へ

仕事を「頑張らない」と決めたとき

──タクシー運転手の仕事ってすごい長時間勤務ですよね。転職と同時に家庭も忙しくなって、大変ではないですか?

私は朝の7時30分に営業所を出発して深夜1時までの勤務が多いですね。一般的には長時間労働かもしれませんが、前職の勤務時間はもっと長かったので私にとってはすごく楽なんです(笑)。週3日勤務なので、子どもとずっといる時間が週に4日もある。今が一番充実してますね。

私は景気の影響をもろに受けるところではたらいてきたんですよ。ゲームセンターはリーマンショックと東日本大震災でガタンと落ちたのを機に辞めていて、飲食はコロナでドカンと下がってクビになった。

飲食店ではたらいていたときは「早く昇進して本部の椅子に座りたい」って思っていたけれど、それが全部ダメになって、仕事するために生きてるのか、生きるために仕事してるのかわかんなくなってしまって。一生懸命やってきたんですが、報われなかったんですよね。

──そうだったんですね。

なので私は国際自動車の採用面接のときに、「もうこの会社で昔ほど頑張るつもりはありません」、と伝えたんです。でも、「そういう人にとっては、国際自動車は合ってるかもしれないですね」と雇ってくれて(笑)。「売上取って帰ってこい」って言われないですからね。良い会社に巡り会えたなと思います。

もちろん雇ってもらってる以上、会社に利益を収めるのが社員の義務だと思ってますので。それは「頑張り」じゃなくて「当たり前」のこと。でも、売上に縛られすぎて、休みなくはたらくことはしない。そういう線引きをしたんです。

──仕事と、生活と、はたらき方も変わったんですね。

今までは、そういうバランスの取り方ができなかったんです。どこかで、身を削ってはたらかないのはずるいなって思ってたんでしょうね。でも、子ども生まれたからなのか、そんな気持ちはなくなりましたね。少しは成長できたのかもしれません。

あ、目的地の五の橋産婦人科が見えてきましたよ。

山本さんの思い出の場所「五の橋産婦人科」

我が子の誕生を見届けた「五の橋産婦人科」

──着きましたね。山本さんは出産には立会われたんですか?

はい。予定日の前後は休みをとってたんですが、数日早く陣痛が来てしまったんです。それで、勤務後の深夜に立ち会うことになりました。

仕事中に妻から「陣痛来たからこれから病院行きます」というメッセージがきたところから始まって、「なん時に上がれる?」「なん時に来れる?」と、だんだん切羽詰まったメッセージになってきて。

本当はもう少し赤ちゃんが出てくる直前で向かう予定だったんですが、早めに病院に行きました。あまりに痛みがひどすぎて一人じゃ耐えられなかったみたいです。

勤務後の立会いだったため30時間以上まともに寝むれなかった山本さん

その日はたまたま早出していたので0時に営業所に戻り、洗車を終わらせて、午前1時にこの場所に着いたんです。

それから生まれるまでは妻の横にいたのですが、朝の5時から起きてるんで眠くて眠くてしょうがない。妻もへとへとだから寝て、私も寝て、「イタタタタタタタタ!」という声で起きて腰をさすって……生まれるまでの9時間はその繰り返しでしたね。でも分娩室に入ってからは早かったんですよ。40分で赤ちゃんが出てきました。

──勤務時間と被らなくてよかったですね。

そうですね。そもそも、私が立ち会えたこと自体幸運なことだったんですよ。

というのも、たまたまコロナの感染拡大が落ち着いていた時期だったので一時的に立会いが許されていたんです。出産時とその後の1時間だけですが、子どもの顔を見ることができました。コロナ禍で立ち会いできなかった人が多い中、幸せだねって2人で言い合って。

──お子さんが生まれてから、生活は変わりましたか?

子どものタイムスケジュール通りの生活になりましたね。生まれてすぐは3時間に1回のミルクをあげて、何時になったらお風呂に入れて、とか。それまでは休みの日はゲームだけやってるような生活だったんですよ。やることできて、変わりました。でも、好きでやってるから全然疲れないし、あの不思議な生き物を見てるのがすごい楽しいですね。

元々子どもは好きだったんですけど、「そんな親バカになると思わなかった」って母には言われました。「あんた子煩悩だったのね」って(笑)。

──仕事から子育ての話までありがとうございました。僕たちはここで失礼しますね。

こちらこそ、ご乗車ありがとうございました。

またのご乗車をお待ちしてます。それでは。

思い出のドライブデータ

乗車地:国際自動車東雲営業所(東京都江東区)
経由地:銀座〜番町街〜南青山〜亀戸

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