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常連さんと走り回った4年間。何度も訪れたお墓へ──【運転手さん、思い出の場所まで(3)】
タクシー運転手さんにインタビューを行う連載「運転手さん、思い出の場所まで」。運転手さんの思い出の場所までタクシーを走らせながら、これまでのキャリアと、仕事のやりがいや苦労などを伺います。
第3回の運転手は京西交通株式会社、三鷹営業所の谷山三朗さん(68)。役者を目指して上京し、結婚を機にタクシードライバーになりました。その後、一度は警備員の仕事に転職するもドライバーに復帰。計33年間東京を走ってきたベテランドライバーです。
谷山さんが思い出の地として案内してくれたのは、西武新宿線・田無駅の近くにあるお墓でした。忘れがたいお客さんとの出会い。そのお客さんを乗せて走った4年間を振り返りながら、目的地へ向かいます。
常連さんと巡った、東京のあっちこっち
──こんにちは。今日はお願いします。
はい。本日はどちらに向かいましょう。
──今日は、運転手さんの思い出の場所まで連れていってもらいたいんですよ。
そうだなあ。場所かあ。
──はい。
1人ね、忘れられないお客さんがいるんですよ。たまたま出会って、よく一緒にあっちこっち行って。
タクシーは渋谷駅を出発し、田無へと向かいます
──常連さんになったんですね。
そう。85歳ぐらいのおばあちゃん。旦那さんが眠ってるお墓に行って一緒に掃除をしたり、思い出の場所についていって。旦那さんにゆかりのある場所について行って、話をよく聞いていたんです。
──そんなことがあるんですね。
もう4年ぐらい前のことになりますね。ドライバーを33年やっていますが、そんなお客さんはほかにいませんよ。それでね、よく一緒に行ったお墓が田無にあるんです。思い出の場所といえるかはわかんないけど、この仕事をやっていて一番心に残ってるのはその人のことだなあ。
──ありがとうございます。それでは、田無のお墓までお願いします。
朝ドラや『探偵物語』に出演した役者時代
──谷山さんはタクシーのドライバーになる前はどんなお仕事をされてたんですか?
高校を出てすぐに「東京を知りたい」と思って鹿児島から出てきてね、結局は千葉の市川にある工場に就職したんです。でも、1年経たずに会社を辞めて、自分で部屋を借りて住むようになりましたね。永福町。
なんで永福町かっていったらフォークソングが好きだったんです。(吉田)拓郎さんとか高田渡さんとかが活躍してた時代。吉祥寺に「ぐゎらん堂」っていう小っちゃいライブハウスがあって、そこに通うのに都合がよかったのが、電車で2駅隣の永福町だったんです。
──吉祥寺ではよく遊んでいらっしゃったんですか?
ぼくは、吉祥寺くらいしか行かなかったです。青春の町ですよ。学生運動が落ち着いて、町では「神田川」とか、そういう恋の歌が流れていた頃ですね。
──工場でのお仕事を辞めたと言っていましたが、その後は?
役者になりました。大竹しのぶさんも所属している事務所兼養成所みたいなところに友達がいて、そこを受けたのがスタートです。そこから三宅裕司さんの東京新喜劇の旗揚げに1回だけ出させてもらって。70年代後半ですね。一番面白かったときじゃないですかね。世の中も変わっていくときで。
──すごい。
でね、それで同じ養成所にいたのが、今のうちの女房です。女房の親のところに結婚の挨拶に行く時に、とにかく許しを得なきゃいけないわけですから、定職についたほうがいいだろうということでタクシーを始めたんです。30歳ぐらいのころですね。
──ということは、役者は10年以上続けられていたんですね。
『雲のじゅうたん』という朝ドラなんかも出たりしましたね。松田優作さんの『探偵物語』の1話に出て、タイトルにも名前が出ましたよ。あと、東北かどこかで売られたキャンディーのコマーシャルもやったことあるんですよ。
所属したのが事務所兼養成所みたいなところですから、そこにはいろんな人がいるんですね。ある日同じ養成所のシナリオライターの卵に「ちょっとさ、バイクのシーンが必要なんだよな」って頼まれまして。それがピンク映画で、そこからピンク映画にも何作か出演しましたね。
いやあ、あのときは面白かったですよ。夏にね、「監督、海行きませんか?」とか言うと、もう次の週には海で撮るシナリオができてるんです。俺の青春時代ですよ。
──タクシー運転手になって、役者は諦めたんですか?
そうです。食うに困らないだけのギャラはいただいてましたが、思うような役は巡ってきませんでしたし、才能がなさそうだってことは感じてましたので。、引きずったって仕方がないなって思いましたね。
──ある意味、結婚が良いきっかけになったともいえそうですね。そもそも、谷山さんはなんで役者になりたかったんですか?
役者にはショーケンとか松田優作とか個性的な人が多かったから、そういうのを目指したんですよ。けど、やってみたらやっぱり俺はついていけないっていうね。でももし昔に戻れるとしたら、その頃に戻りたいですね。ライブハウスで歌っていたりもして、一番自分のやりたいことをやっていたときですから。……今思い返してみると、ピンク映画に出始めたことも役者を辞めようと思うきっかけの1つだったのかもしれないですね。
──え、それはどういうことですか?
ピンク映画の新人賞にノミネートされて。社長が現場に来て「そこで頑張ってよ」って言われたんですよ。評価してもらえたことはうれしかったけど、このまま続けても松田優作みたいにはなれないよって、現実を突きつけられたような気分になってね。
でもね、日本映画のいろんなところで活躍している人も、昔はピンク映画やっていたんですよね。当時の自分には頑張れって言ってやりたいですね。続ければもっと違う世界が見えたかもしれないよって。
──でも、それは今だから分かることですもんね。
そうですね。だから、俺は幸せ者だと思います。特別苦労せずに、芝居で食っていくことができていましたから。
タクシー運転手は楽しいけれど、少しだけ寂しい仕事
──役者を辞めてからはずっとタクシーの運転手ですか?
最初に勤めたタクシー会社で、座りっぱなしの仕事だから腰を痛めてしまって、2年ぐらいガードマンをやっていました。列車見張りっていう仕事があってね。線路内の作業員に「列車来たよ」って知らせる仕事です。
──またタクシーの仕事に戻られたってことは、腰は良くなったんですか?
そうです。子どもたちが大学に行く歳になってお金がかかるから、また頑張らなきゃって。
──仕事を始めた頃と、タクシーの仕事も変わってきているんじゃないですか。
いや、全部変わりましたよ。昔は1件1件どこからどこまで走ったって記録簿に書いていましたから。ナビもないから無線が入ったら一生懸命地図で探したりして。
最近、近くでもわざわざ住所を言ってくれるお客さんが多いんです。不思議に思って聞いてみたら「場所を言っても分かんない運転手さんが多いから」って。ナビがあれば、道を覚えなくてもできちゃいますから。僕が始めた頃はお客さんに道を聞いて覚えなさいという時代でしたから、よくお客さんとお話したもんですよ。
──仕事が辛いと感じた時はありましたか?
若いときに、一度だけ。タクシーの中でいろんな話をしていると、つい親身になって聞いちゃうんですね。でも、乗車賃をいただいて「ありがとうございました」って言ったらもう終わりなんです。それがちょっと、あぁ、寂しいな。辛いなと思いましたよ。
でもなんだかんだ続けていますから。周りの環境に恵まれてるんですよ、きっと。うちの会社、長く勤める人が多いんですよ。20年うちではたらいて80歳になった人がいて、今月辞めちゃうんですけど本当に元気ですよ。
──谷山さんは何歳まで乗るおつもりなんですか?
75歳まではやりたいなと思ってますよ。
──あと7年。
すぐですよ。今ね、何が趣味かっていったら、バイクに乗ることなんですよ。65歳の頃にちょっとしたお金があったもんですから中古のハーレーを買ったんですよ。若い人とバイクの話をして、どっか行ったりできますからね。そういう仲間がいるっていうのはいいですよね。70歳でバイクは降りて、今度はギターを始めるつもりなんです。
──人生、謳歌してますね。
楽しいことばっかりですよ。俺だけいいのかなってぐらい。
お客さんと一緒に訪れた「田無のお墓」
──ここが、その……。
はい。お墓ですね。あっちの方にあるんですよ。
──場所までしっかり覚えているんですね。
何度も来ましたからね。忘れませんよ。
ああ、あったあった。
──お客さんとは、どんなふうに出会ったんですか?
最初は本当にたまたまですね。道端で拾ってもらって、お墓参りに行こうとしているおばあちゃんを乗せたんです。後日、無線が入ったのでお客さんを迎えにいくと、目的地が同じお墓で。そこで「あれ?この前乗せましたね」と、同じおばあちゃんだったことに気付いたんです。それからですね、定期的にお乗せするようになったのは。
──それ以降は谷山さんに直接連絡が来るんですか?
そうです。たとえば朝の10時頃に「今日行きたいんだけど」って電話が来るんですよ。「飯食ってからでいいですよね?」って、こっちで時間を指定して迎えに行くような感じでしたね。このお墓にもよく来ましたし、旦那さんのゆかりの場所にも行きました。
──その方が、谷山さんにお願いしようと思ったのって……。
いやあ、たまたまだと思いますよ。前にもね、同じように親しくしている運転手さんがいたらしいんですけど、そんなに長く付き合いにはならなかったって言ってましたね。
──谷山さんはどれぐらいのお付き合いだったんですか?
結構長かったですよ。彼女からの連絡がなくなるまで、4年ぐらいは一緒にあっちこっち行きましたからね。あそこの花が綺麗だから行こうかとか。気を紛らわせたかったのかもしれないですね。
あんまりにも頻繁に呼ばれるもんだから、こっちが心配してしまいましたよ。タクシーだって安くないじゃないですか。
──そうですよね。
息子さんがいたので、使わずに残してやればいいじゃないですかっていう話もしたことありますよ。
──なんで連絡が来なくなったんですか?
それがね。
──急にパタッと?
ですね。やっぱりね、そういうふうなお節介なことをね、やたら言っちゃったのかもしれない。
だって本当にすごいんですよ。毎回1万円ぐらい乗っちゃうわけですよ。ある日、借金をしてでも乗りたいみたいなことを言い出したから、それはやめた方がいいと思いますよって言ったんです。そうしたら、連絡が途切れちゃいましたね。
──なるほど。
いつもね、向こうから電話をくれてましたから、俺からかけることもしていなくて。悪いことしたなと思うんですけど。
──悪いこと、ですか?
やっぱりね、心苦しいもんですよ。何度も顔を合わせていますから。僕も休みの日にどっか連れてってあげればよかったのかなと思いましたけど、こちらもそんな時間はありませんでしたから。
でもね、なんだかんだいい思い出なんです。面白かったですよ。私はこんなに美人だったのよ、みたいな感じで、昔の若いときの写真を見せてくれたり。
お嬢さんだったんでしょうね。ある日、和服で来たんです。どうしたのって聞いたら、いや、なんかそういう気分だから、って。愚痴も聞きましたし、あんまり人に話さないようなことも話してくれるようになったから、一緒に笑ったり泣いたりしましたよ。
──不思議な関係ですね。
普通のお客さんとは違う。僕も話していて楽しかったし、その時間が心地良かったんですよね。そういう人と出会うことはもうないと思いますよ。
──今どうされているかっていうのは?
分かんない。彼女がよく言っていたお弁当屋さんとかパーマ屋さんとか知ってますから、聞けばわかるんですけど、なんとなく聞きたくないんですよね。でもね、どうしてるかはわからないけれど、元気な姿の記憶が俺の中には残っているんですよ。
いやあ、いろんな話しちゃいましたね。
──いえ、こんな素敵なお話をありがとうございました。
戻りましょうか。
──はい、お願いします。
思い出のドライブデータ
乗車地:東京都渋谷区
経由地:表参道〜吉祥寺
目的地:田無駅近辺の墓地(東京都西東京市)
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