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他人の「ありがとう」を信じられない、人間不信な私のはたらく原動力
スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、「仕事のやりがい」について疑問を感じ、はたらく原動力について見つめ直した記事をご紹介します。
あさぶろさんは「感謝の言葉に仕事のやりがいを感じる」という言葉を疑っていたそうです。人間不信のあさぶろさんは、お客さまから感謝されても恐縮する気持ちが強く、はたらく原動力にできませんでした。そこでやりがいについて自問自答し、自分が大切にしている仕事の軸を捉えたエピソードを、noteに投稿しました。
※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「誰のために仕事をするの?という話。」から抜粋したものです。
感謝の言葉をもらっても、やりがいにできなかった
みなさんは、何に「仕事のやりがい」を感じますか?
よくあるのが「お客様から頂く感謝の言葉」というもの。
スタンダードでなじみのある答えですが、あさぶろさんは
本当に、みんなそう思っているのかな?
「誰のために仕事をするの?という話。」より
と疑問を感じたそうです。
というのも、あさぶろさんはそう思わなかったから。
「お客様からの感謝」は、たしかに嬉しいんですけど、私はそれが怖いと言いますか。私は「いえ、あの、やめてください、そんなに言うのは・・」という気分になってしまうんです。恐縮、です。
「誰のために仕事をするの?という話。」より
これは自信や職種、仕事内容の問題ではなく、自分の心の問題だと考えていたのだとか。
人間不信だと自称するあさぶろさんは
「今はこんなに優しくしてくれるけれど、いつこの人は私のことを裏切るのか分からない・・」
「誰のために仕事をするの?という話。」より
と不安になってしまうそうです。
仕事で関わった人から感謝を伝えられることもありますが、うれしさを感じる半面で自分を戒める気持ちが強まり、逆に落ち込んでしまうと言います。
現在はエンジニアですが、かつて営業の仕事をしていた経験もあるそうで、大きな契約を結んでくれたお客様から
「あなただからこの契約をして、お願いした」
「誰のために仕事をするの?という話。」より
と言われた時も、うれしさより申し訳なさをより強く感じてしまったとのこと。
感謝の言葉をやりがいにできなかったあさぶろさんは、営業職を続けずにエンジニア職を選び、
「自分にとっての仕事のやりがいは、お客様からの感謝ではない」
と考えるようになりました。
おそらく、これはあさぶろさんに限ったことではないでしょう。
だれしもが感謝の言葉を仕事のやりがいにできるとは限りません。
他人の「ありがとう」が怖かった、人間不信な私のやりがい
あさぶろさんは、なぜ感謝の言葉がやりがいにならないのでしょうか?
自問自答して突き当たったのは、恐怖という感情だそうです。
お客さんが、自分のことを「期待していた通りの奴でなかった」と、いつ気付いてしまうのか、いつ自分の化けの皮が剥がれるか、というその恐怖。だから誰かが私のことを評価を高くしてくれればしてくれるほど、いつかそれが崩れる日が来てしまうかもしれないという恐怖があるのです。とても私には「他者の評価」をやりがいにはできないと思ってしまいました。人間不信の根が深いとこうなってしまうのかもしれません。
「誰のために仕事をするの?という話。」より
感謝の言葉はポジティブなイメージがありますが、確かに他者からの評価でもあります。
感謝の言葉を原動力にすることは、仕事で他者からの評価を求めることにもつながるのでしょう。
あさぶろさんは、なぜはたらくか、何のためにはたらくか、何を原動力にはたらくかを追求した結果、「自分のため」と気づきました。
「自分がこの仕事を楽しいと思うから」
「誰のために仕事をするの?という話。」より
「自分がこの仕事で解決できる問題があるから」
「自分がこの仕事をすることで自分を変えられるから」
これらがあさぶろさんのはたらく原動力になっていることであり、やりがいを感じるポイントでした。
そこに、他者はいなかったのです。
あさぶろさんは「仕事は他者といっしょに行うもの」と理解しつつも、
ただ、根っこの部分は、「自分」です。
「誰のために仕事をするの?という話。」より
自分がどう思うか。自分の評価が一番大事。
と述べます。
そして仕事のやりがいについては、こう結論付けました。
ごめんなさい、そんなものは無いです。無いと言いますか、あったとしてもそれは別に人様に言えるようなことではないですし、そもそも、他人にそれを伝えるつもりもなければ、それを理解してもらおうとも思っていません。自分が良ければいいので、それって実はどうでもいいことです。
そして何より、そんなことを考える暇があったら、楽しく仕事します。
「誰のために仕事をするの?という話。」より
上司や同僚、お客さまなど他人の評価を気にしてしまう人が多い中、あさぶろさんが「自分のため」「自分が良ければいい」と言い切れるのには、ある理由がありました。
自分を守るのは自分。自分のためだけにはたらいてもいい
その理由は、かつて仕事で自分の心身が疲れてしまった経験があるから。
仕事で潰れてしまった経験がある私としては、やっぱり仕事なんかに、そして他人なんかに自分自身を捧げて苦しめるなんてことは、もう二度としたくないのです。家族とかには自分を喜んで捧げますけど、仕事面ではやっぱり無理なんです。
だから、仕事においては、最後は自分で自分を守るしかない、自分のために働く、と。
「誰のために仕事をするの?という話。」より
貢献意欲が高いと、「仕事」や「他人」など自分以外の存在を優先しやすくなってしまうのかもしれません。
無理しない範囲なら問題ありませんが、重労働などで心や体が疲弊すると、自分そのものが崩れてしまうことがあります。
こうした経験を持つあさぶろさんは、
経験上、仕事において最後に自分を守れるのは、やっぱり自分しか居ない
「誰のために仕事をするの?という話。」より
と言い切ります。
周りの支えに救われる人もいますが、環境に恵まれない人もいます。
たとえ手を差し伸べてもらっても、仕事を優先してうまく頼れない人もいます。
そういった意味で、やはり「最後に自分を守れるのは自分」なのかもしれません。
自分の人生を生きているわけですから、まずは自分を大切にするのが大事です。
人から感謝される「誰かのための行動」を最優先する必要はないのでしょう。
「仕事のやりがいは何ですか?」と聞かれて困った時や、他人の評価が気になり苦しくなった時は、あさぶろさんの「仕事は自分のため」という言葉を思い返してみてはいかがでしょうか。
【ご紹介した記事】 誰のために仕事をするの?という話。 【プロフィール】 あさぶろ 三十代、後半戦。おっさんです。だからこそ更新。ジャンルは問わず、思い浮かんだことを新鮮なうちに言葉にします。おっさんの思考を産地直送でお届け。 |
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