スタバでも採用された「最強のカゴ」。老舗工具箱屋が、アウトドア愛好家から支持を集めるまで

2023年11月22日

アウトドアや釣りを趣味とする人たちから、「超頑丈」「縦積み収納できる」と注目を集める収納バスケットがあります。2019年に発売されたアウトドアブランド「Starke-R(スタークアール)」のシリーズです。

「Starke-R」のバスケット(左)とボックス(右)

同シリーズは、素材として超高耐衝撃性ポリプロピレンを採用し、取っ手を内側に倒せる特殊構造でバスケット同士の積み重ねが可能。耐荷重は460kg近くあり、ひっくり返して踏み台にできたり、専用の天板を使えば椅子やテーブルに使えたりと、キャンプやバーベキューを楽しむアウトドア愛好家に大人気の商品です。

手掛けたのは、創業136年の工具箱屋「リングスター」の唐金祐太さん。同社の後継者である彼に「Starke-R」の誕生秘話を聞きました。

唐金祐太さん

年間30万個売れるバスケット

100年以上の歳月をかけ、工具箱を作り続けてきたリングスターは、時代の流れによって木製、鉄製、そして樹脂製と素材を変え、工具を必要とする大工などの職人の現場で長年愛用される製品を生み出してきました。

リングスターが手掛ける工具箱

遡ること2008年、唐金祐太さんの父親であり、5代目の社長である吉弘さんは、リングスターの主力商品で、「Starke-R」の元となった「スーパーバスケット」を開発します。

きっかけは今から約30年前、吉弘さんがアメリカの展示会を視察した時、珍しいプラスチック製のツールボックスに出会ったことからでした。当時、日本にもプラスチックの収納ボックスは存在していましたが、工具の重さでハンドルが抜けてしまったり、割れてしまったりとデメリットがありました。けれど、アメリカではプラスチックが主流で、軽くて頑丈なツールボックスがあることに吉弘さんは驚いたそう。

リングスターのバスケットやツールボックス

そこで、壊れないプラスチック製の新商品づくりに動き出します。奈良県に自社工場を新設したり、車のバンパーと同じプラスチック素材を活用したりと試行錯誤の末、蓋つきの「スーパーボックス」が完成。同商品は耐久性のあるツールボックスとして、リングスターの看板商品になりました。その後、2008年にカゴ型の「スーパーバスケット」を誕生させたのです。

実はバスケットを開発する当初、社内では「工具箱屋なのに、うちがやるべき製品ではないのでは?」と、あまりいい反応が得られなかったそうです。ですが、吉弘さんは以前から職人たちにヒアリングして、取り出しやすくて便利なバスケットを求めていると把握していたことから、「ニーズがある!」と確信し、プロジェクトを進めることを決意しました。

その後、大手のホームセンターが導入を決めたことで職人の間で話題に。全国のお店から取り扱い希望の連絡が続々と届き、製造が追いつかないほど人気を集めます。現在、スーパーバスケットは、年間30万個以上売れるヒット商品となりました。

スーパーバスケットが市場に売り出された当時、祐太さんは会社に入ったばかりでしたが、父親からよく開発の背景を聞いていたそうです。

市場に出回っていなかったものに目をつけ、それを改良して世に出し、流通させたのがすごいなって。当時から父に『こういうのを作らなあかんぞ!』って言われていました(笑)」

今でこそ後継者として切磋琢磨する祐太さんですが、「最初から継ぐ覚悟があったわけではなかったんです」と照れ笑いを浮かべます。会社でさまざまな経験をし、転機が訪れたことで、父親に負けないほど情熱を注ぐようになったと言います。いったいどんな道のりを歩み、「Starke-R」を誕生させたのでしょうか――。

お寺で過ごした幼少期

1988年、祐太さんは大阪城近くの大阪市城東区で生まれました。自宅近くにリングスターの本社があったため、物心つくころから家業を身近に感じていたと言います。

ただ、両親が仕事で忙しかったことから、幼少時代はお寺を営む母方の祖父母に預けられることが多かったそう。祖父母からは「困っている人を助けなさい」と言われて育ちました。

地元の高校に入学するとロックにハマり、友人とバンドを結成。べ―スを担当し、学業そっちのけで練習に明け暮れます。ライブハウスで演奏するようになってからは、「メジャーデビューしたい!」と思うほど没頭しました。

ただ、幼いころから父に「いつか継いでほしい」と言われていたこともあり、高校卒業後も続けていたバンド活動を辞め、21歳となった2009年にリングスターに入社します。

『自分がやるんだ』と覚悟した28歳

入社してまもなく、父から「作る現場のことを知らんと胸張って売れん。どっかで綻びが出るんや!」と言われ、奈良県の工場長を務める叔父のもと、6年ほど製造現場で経験を積みます。その後、物流の部門で1年半ほど商品の出荷作業を担当。「いかに安全に運び、送料を抑えられるか」を実践で学ぶ日々でした。

奈良工場にて、発送を待つバスケットやツールボックス

これらの下積みで、祐太さんの視野はぐんと広がりました。ただ、そのころも会社の跡継ぎという意識はなく、「できる人がやればいいかな」と考えていたそう。気持ちに変化が起きたのは2017年、営業部門に異動になった28歳のころでした。

「大阪産業局が運営する経営塾に参加する機会があって。そこにはぼくより比較的年上の方が集まっていて、一生懸命事業に取り組んでいる人ばかりでした。彼らと仲良くなるうちに、切磋琢磨する気持ちが芽生えたんです。その人たちとの出会いで、『誰かがやればいい』じゃなく、『自分がやるんだ』という覚悟ができました」

ただ、最初のうちは空回りが続きました。経営塾で活躍する人の話を聞き、「自分の会社は遅れているのでは?」と焦りを感じたことから、父親や社員たちに対して「もっとこうすべき」と、業務内容の改善を訴えます。けれど反応はイマイチ。そのやりとりを繰り返す中で、祐太さんは少しずつ「自分はここで何をすべきか?」を考えるようになります。

「ただ変えようとしても誰もついてきてくれないんだ。この会社にとって最適な進め方を理解して、長年がんばってきた先人に敬意を持って、できることをしよう」

こうして祐太さんは、自分が会社のためにできることを模索するようになります。

ひたすらキャンプ場に、スーパーバスケットを並べた

そもそも工具箱は収納道具。大工などの特別な仕事の現場だけでなく、日常の生活でも欠かせません。いつもの場所にほしいものが収まっていることで、ものを探す手間を省き、日々の生産性も上がります。

「だからこそ、今まで収納に興味をもっていなかった業界に自社商品を売り込むべきだ」

そう考えた祐太さんは、さまざまな市場の調査を始めます。

2018年夏のある日、経営塾で一緒だった仲間からキャンプに誘われ、妻と子どもたちを連れて出かけることに。そこで知り合った数人のキャンパーに「普段、どんな物を使って道具を運んでいるの?」と聞いてみました。すると、100円ショップやホームセンターで売られているような布の袋や、簡単な収納ケースを使っている人ばかりだったのです。

左右非対称のハンドルを内側に倒すことで、スタッキングが可能に

「すぐにものを出し入れできるバスケットの方が便利なはずなのに、これといった収納グッズがない。この業界は絶対いける!」

そう思った祐太さんは、アウトドアブランドを立ち上げる企画書を作り、すぐに社内でプレゼンしました。しかし、代表の吉弘さんから反対されてしまいます。

「指摘されたのは、『ホームセンターで1,000円程度の値段で売られているスーパーバスケットを、どうやってキャンプ用品として売るのか?』ということでした。アウトドアの市場は定価で販売することが一般的です。ですが、ホームセンターでは定価なんて関係ありません。お店で割引されてしまう商品と、どう差別化するのかと問われました」

吉弘さんから「本当にやりたいのなら、根拠のある企画を作るように」と諭され、祐太さんは営業の仕事と並行し、さらに詳しく調べるように。まず、どのような商品にニーズがあるのかを調べようと、頻繁にキャンプ場へ出掛けるようになりました。

「スーパーバスケットは数種類のサイズ展開をしていたので、テントの前にあざといぐらい全部並べて、人の目に留まるようにしていましたね(笑)。キャンパーから『それ、どこで売ってるの?』と声を掛けられて、販売しているオンラインショップを紹介したら、その場でネット注文してくださる方もいました。車から重い荷物を両手で抱えて何度も運んでいる人を見かけて、『うちの頑丈なカゴなら片手持ちができて楽なはず。やっぱり、アウトドアを楽しむ人たちに価値の高いものを提供できる』と確信しました」

また、祐太さんは、仕事の合間にアウトドアの専門店を巡りました。その中で和歌山県発祥のアウトドアショップ「Orange(オレンジ)」のマネージャーが親身に話を聞いてくれ、最近の売れ筋や求められているカゴのサイズ感などについて、たびたびアドバイスをくれるようになりました。

こうして商品設計を進め、幾度も社内プレゼンを重ねていくうちに、少しずつ話がまとまるように。父が懸念していたスーパーバスケットとの差別化を図るため、強度をさらに高め、キャンパー心をくすぐる色味や素材を選定。レザーのハンドルを考案するなど、アウトドアならではの体験価値を高められるよう注力しました。

レザーのハンドル

2年の歳月をかけ、アウトドアブランドが誕生

一つ、自社ブランドを立ち上げるにあたって、祐太さんは心に決めたことがありました。それは、既存の取引先に卸さず、新たにアウトとドアに特化した販売先を開拓することです。

ホームセンターは、エブリデー・ロープライス戦略(毎日の安さを売りにする価格戦略)の業界です。リングスターの従来の製品はホームセンターに卸しており、売り上げの6割を占めていました。そのため商品の価格は、業界の影響を受けざるを得ない状態が続いていたのです。

「新しい事業を展開するなら、値崩れを起こさないところで勝負しないと……」

そうして祐太さんはアウトドアブランドとしてしっかり商品の説明ができ、定価で売ってくれるお店だけに卸すことにしたのです。

この選択ができたのは「会長だった祖父や、父のおかげです」と祐太さんは語ります。

「先代たちが『倒れない経営』をしていたからこそ、長期的な戦略を打てました。もし会社が一瞬で黒字化しなあかん状態だったとしたら、やっぱり大量に販売してくれる場所に卸したと思います。経営に余裕があったからこそ、じっくり勝負をかけられたんです」

また、通常新たな製品を生産する際は、金型から作る必要があり、通常ならば数千万円の初期投資がかかりますが、スーパーバスケットの金型から生産することで、限りなく予算を抑えられたことも開発の後押しになりました。「職人が培ってきた高い技術があったからこそ、安心して取り組めました」と祐太さんは言います。

工場にて、リングスターの工具箱を作る職人

アウトドアブランドを立ち上げるために奔走する傍ら、個人名でSNSをスタートし、より多くの方に自社製品を知ってもらえるようコツコツと投稿するように。すると、スターバックス社から声がかかり、2019年8月、リングスターのバスケットが「スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京」に並びました。「陳列される初日に東京へ行って観に行ったほど、うれしかったですね」と祐太さん。

2019年12月、2年の歳月をかけた祐太さんの地道な取り組みが認められ、アウトドアブランド「Starke-R」をローンチ。名前の由来は、ドイツ語で「Starke/強さ」の意味から商品の頑丈さを表したそう。「社名のリングスターにも星が入っているので、『Star』を表記できるのがいいと思って。『R』は会社名の頭文字です」と祐太さんは笑顔で語ります。

同年、アウトドアブランドとして専門店や消費者に周知してもらうため、当時はまだ取り組む企業が少なかったクラウドファンディングにも挑戦。3回の開催で約3,000人の支援を得て合計2,500万円を集めました。最終的に目標金額比2800%を達成します。

「地道にSNSを通してだったり、人に直接会ったりして『応援してください!』とお願いしました。クラウドファンディングは会社では初めてのDtoCで、手探りで戸惑うこともありましたね。初回は梱包作業を1人で行っていたので、めちゃめちゃ大変でした。でも購入してくれた皆さんからの応援コメントがあたたかくて……。それを見て、何度も泣きました」

その後、大手メディアから取材やさまざまな企業とのコラボレーションの依頼がどんどん舞い込みました。「Starke-R」シリーズは初年度で5,400万円を売り上げます。そして、同シリーズからリングスターのほかの商品の売り上げを伸ばす流れも生まれたのです。

「Starke-R」シリーズ

対馬の海洋プラスチック問題に一手

現在、祐太さんは海洋プラスチックを減らすための取り組みにも力を注いでいます。

きっかけは2022年9月某日、知人からの誘いを受け、長崎県対馬市を巡るスタディツアーに参加したことからでした。

九州と朝鮮半島の間に位置する自然豊かな対馬市ですが、島の形状や潮流の影響で大量の漂流物が打ち寄せられる「海ごみの防波堤」とも言われています。このツアーは、対馬市と「株式会社ヤマップ」が海洋ごみ問題に向き合うために他企業に向けて開催したプロジェクトでした。現場では発砲スチロールが雪のように舞い続け、祐太さんは絶句したと言います。

祐太さんが撮影した対馬の様子

「プラスチックを扱うぼくらは、耐久消費財(長期の使用に耐えられるもの)として世の中に貢献できればと考えています。なので、最初は『参加しても何もできないかも』と思ったんです。でも、いざ見渡す限りの海洋ごみを目の当たりにして、『ホンマなんとかしないと。子どもが生きる未来に残していかれへん』って。『それを一部の人だけが取り組んでいる状況もあかんな』って思ったんです」

ツアー後、製品に使えそうなポリエチレン製の青タンクを持ち帰り、その足で奈良工場の工場長である叔父に「これを使った製品を作れないだろうか?」と相談を持ち掛けました。

祐太さんが持つのは「対馬オーシャンプラスチックボックス」

以前、父も再生材を使った工具箱を開発したことがあったそうです。しかし、異なる素材を混ぜたことで成形不良を起こしたり、割れるなどの耐久性に問題があったりと難航した経験がありました。

それでも、祐太さんは諦めることなく、何度も現場でやり取りを重ねました。そして粉砕した海洋プラスチック10%を配合するなら、従来の製品の強度で製品を作ることが可能だと分かると、2022年12月、再生プラスチックを使った製品の成型に成功。翌年2月から予約販売がスタートしました。

短期間で製作できたものの、高額なコストがかかることも課題として残りました。その理由は、対馬市が海洋プラスチックを回収し、洗浄、粉砕。リサイクル企業によって船で輸送し、工場で加工するなどと、数多くの工程を経て作っているからです。

バスケット1個につき100円、ボックスで200円を対馬市へ寄付している

それでも「プラスチックメーカーのぼくらだからこそ、やるべきだと思う」と祐太さんは静かに語ります。

「プラスチックの特性を理解して、ちゃんと捨てれば問題はないのに、今はプラスチックそのものが悪者になっている風潮がありますよね。『今あるものとどう向き合っていくか?』と、もっと原因療法的なことに取り組むべきだと思うんです。対馬を綺麗にするのはもちろんだけれど、最終的には漂流物が流れない世界にしなきゃいけません」

「自分がやるんだ」と心に決めてから、祐太さんは「迷いがなくなった」と話します。

「Starke-Rに取り組んで、プラスチックメーカーとしての役割に気が付くことができました。たとえば、医療現場のように、器具の整理整頓が必要なのにまだ特定の収納グッズが定まっていないという業界もあるので、うちの商品を選んでもらえるようにしたいですね。そこで生まれた利益を地球に、子どもたちが生きる未来に還元したいと思っています」

祐太さんがこのような気持ちではたらくのは、幼少時代の、お寺で祖父母から教わった教えが根付いているからなのかもしれません。「仕事は、困っている人を助けるためにあるんです」と語る彼は、今日もその思いを胸に奮闘しています。

(文・写真:池田アユリ 画像提供:唐金祐太さん)

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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
インタビューライターとして年間100人のペースでインタビュー取材を行う。社交ダンスの講師としても活動。誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。2021年10月より横浜から奈良に移住。4人姉妹の長女。
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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
インタビューライターとして年間100人のペースでインタビュー取材を行う。社交ダンスの講師としても活動。誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。2021年10月より横浜から奈良に移住。4人姉妹の長女。
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