就活迷子だった大学4年生の私が、未経験で米国ボストンの保育士になった話。

2024年7月30日

「外国ではたらく」と聞くと、どこか夢のような話に聞こえるかもしれません。しかし、大学4年生でそれを実現した女性がいます。現在25歳の保育士・山本萌さん(以下、Moeさん)です。

Moeさんは日本で育ち、日本の大学に通っていましたが、ある出来事を機に「アメリカではたらこう」と思い立ちます。さらに未経験で「保育士」を志し、アメリカ東海岸にあるボストン市の保育園ではたらき始めました。現在、ベビーシッターと日本語・英語講師の副業も兼業するMoeさんの毎日を発信したTikTokは、フォロワー8万人を超えます。

なぜMoeさんは、アメリカで保育士になろうと考えたのでしょうか?その理由や現地で直面した思いもよらぬ壁について伺いました。

就活をしようにも、やりたいことが分からなかった

——Moeさんは今、アメリカでどのようにはたらいているのですか。

「ボストン・チルドレンズ・ホスピタル」という小児病院に併設されている、主に医師や看護師が子どもを預けるための保育園で保育士としてはたらいています。フルタイム勤務なので、一日あたり8時間を週に5日。副業でベビーシッターとオンライン日本語・英語講師をしているので、保育士の仕事を終えた後にベビーシッターを3〜4時間、オンライン日本語・英語講師を30分〜1時間やる日もあります。

——なぜ、仕事を3つ兼業しようと思われたんですか?

ボストンのあるマサチューセッツ州は、ニューヨークと同じくらい家賃や物価が高いんです。私は今シェアハウスに5人で住んでいますが、それでも一人あたりの家賃は月15〜16万円。一人暮らしをするとなると、月30万円以上はかかります。

現在、3つの仕事を合計して月4,000ドル(日本円で60万円)以上の収入がありますが、そのぶん物価も高いので、余裕のある暮らしや貯金をしようと思うと、仕事を兼業せざるを得ないのが正直なところです。

周りには「はたらきすぎだよ」と言われますが(笑)、忙しくしているのが好きなので苦ではありません。むしろ、子どもたちに元気をもらえるので、落ち込んだ時こそベビーシッターの仕事を入れたりします。

——Moeさんはもともと、日本の4年制大学に通われていたそうですね。なぜ、新卒でアメリカではたらくことになったのですか?

大学3年生の時、周りが積極的に就職活動をしていて、「やばい、私は何もしていない」と焦ったんですね。でもいざ始めようとしても、やりたいことが見つからないし、何から手を付けたらいいのかも分からない。

同じ時期、文学部で英語を学んでいたこともあって、アイルランドへ短期留学をしました。その時、留学先で仲良くなったメキシコ人の女の子から、昔アメリカで受けたメキシコ人移民差別の話を聞いて……。その内容があまりにひどく、ショックで言葉が出なかったんですね。

私は日本人であり物心がついたころからは日本で育ちましたが、私が産まれた時、父がニューヨークに駐在していたので、3歳まで家族でアメリカで過ごしました。そのこともあり、「アメリカと縁のある私だからこそ、現地で辛い思いをしている移民の人たちに何かできることがあるのでは?」と思ったんです。

その時点で、自分の中で「日本で就職する」という選択肢は消え、「アメリカで何かがしたい!」と思い始めました。

——なぜ文学部にいらしたのに、選んだ仕事が「保育士」だったのでしょう?

英語を勉強してはいましたが、具体的にやりたいことが定まっていたわけではないんです。

でも、大学を卒業して仕事がメインの生活になるのなら、好きなことを仕事にしたいと思いました。じゃあ、私が好きなことってなんだろう?と、アイルランドから帰国後に改めて考えた時に、「子どもが好き」なことを思い出して。18歳の時に姪っ子ができてから、赤ちゃんや小さい子どもがすごく可愛く思えるようになったんです。

子どもが好き。アメリカではたらきたい。「アメリカで保育士になろう!」という思考一色になりました。

——いきなり一人で海外へ行き現地ではたらくのは、不安ではありませんでしたか?

もちろん不安でした。だからこそ、「アジア人女性が一人で生活しても比較的安全な、治安の良い町にある、日本人が運営する保育園」に絞って就職先を探しました。

大学3年生の冬、インターネットで洗い出した10件以上の園に「保育士としてはたらかせてください」とメールを送り、一件だけ「うちではたらきながら保育士の資格を取るなら採用します」と返信をくれたのが、ボストンで一件目に就職した日英バイリンガル保育園だったんです。

「日英バイリンガル保育園」とは、日本語と英語の2カ国語で保育をする園のこと。Moeさんは、日英バイリンガル保育園を経て、2022年7月からボストン・チルドレンズ・ホスピタルの保育園ではたらいている

2021年5月、まだ大学4年生でしたが、「人手が足りないから早めに来てほしい」とのことで渡米しました。この時、まだ保育士資格はない状態でしたが、実務をこなしながら約半年で(マサチューセッツ州が定める)保育士資格を取得しました。日本の大学もオンラインで卒業し、アメリカで社会人1年目を迎えたんです。

私は良くも悪くも、考えることが苦手。でも今アメリカで保育士としてはたくことができているのは、この時、「深く考えずに行動した」ことが大きいと思っています。

園児がぶち当たる壁を「自分のせい」と責めた日

——渡米した時点で、英語は流暢に話せたのでしょうか。

そんなことありません。実は、留学経験が2〜3度あることや、学校の英語の成績が良かったことで、「自分は英語が得意だ」と思い込んでいました。でも、実際に保育士としてはたらき始めると、ネイティブの保護者が話すスピードにまったくついていけず、何を言っているのか全然理解できない。

そこで、かなり落ち込んだのを覚えています。

——お仕事柄、保護者と意思疎通ができないのは辛いですよね。

でも日英バイリンガル保育園に勤めて半年弱のころ、「上手く話せなくてもいい。伝わることが大事だ」と思える出来事があったんです。

当時私のクラスに一人、チャイルドセラピスト(幼児心理学の国家資格を持つ専門家)のサポートが必要なネイティブのアメリカ人の子どもがいました。

故に保護者の方とも話し合う機会が多かったのですが、当時私は「英語を間違えたくない」と感じていて、保護者ともその子とも、上手くコミュニケーションを取ることができなくて。

「私にもっと英語力があれば、この子はこんなに困らなかったんじゃないか?」「私が先生だから、この子は困難にぶち当たっているのでは?」とすごく自分を責めていました。

その子はもちろん、私も辛い日々を過ごしていた時期、保護者の方に自分の思いを正直に伝えてみたんです。「私の英語力が足りないせいかもしれません。ごめんなさい」と。

そうしたら保護者の方が、「何よりうれしいのは、あなたがそこまでこの子を想ってくれているということ。愛情に言語の壁はない。だからまったく気にしないで。何か思うことがあったら、どんな形でもいいから私たちに話してね」と言ってくれて。

その時、「現地の人は、日本人の私が英語を間違えたところで何も気にしないんだ」と気付きました。今は、たとえ文法がぐちゃぐちゃでも、単語のつなぎ合わせになってしまっていても、相手に伝わるまで話し続けるようにしています。

“結果がすべて”の世界。アメリカではたらく日々は刺激的

——そのほかに、異国ではたらくからこその辛い経験はありましたか?

2022年7月、英語力をもっと鍛えられる環境へ行こうと、あえて、ネイティブの人しかほぼ利用しないボストン・チルドレンズ・ホスピタルの保育園に転職した時のことです。

上司に、皆と同じ仕事をしているのに私だけが毎回怒鳴られたり、挨拶をしても無視されたり、仕事内容について意見を伝えたら「I don’t understand(何を言っているのか分からない)」と聞いてもらえなかったり……ということがありました。

アメリカは「人種のサラダボウル」と呼ばれていますが、日本人が「イエロー」とからかわれたり、現地の人と異なる扱いを受けたりするのは私の生活の中では日常的でした。そうでない人もたくさんいますが、英語が流暢でないと、「この子には何を言っても大丈夫」と思われてしまうことも。

とても辛かったのですが、アメリカに来てから何度も同じようなことがあったので、「しょうがないや」と諦めている自分がいました。でも、約10人の保育士の同僚が、「もう見ていられない。Moe、人種差別を見過ごしちゃだめだよ。声を上げなくちゃ」と、運営会社へ連絡してくれたんです。

今、同僚たちとは、月曜から金曜まで一緒にはたらいているのに週末も一緒に遊ぶほど仲良しです。

——さまざまな辛いことがある中、なぜ、アメリカではたらき続けようと思えるのでしょうか。

最初の1〜2年間はがむしゃらに走り続けていて、「日本に帰りたい」と思うことはほとんどありませんでしたが、生活に慣れてきた時、「やっぱり日本に住んだほうがいいのかもしれない」と真剣に考えたことがありました。日本なら、人種差別もなく、心のストレスを抱えることもないって。

でも、「Moeがいなかったら、この子はこんな風に育っていなかった」と伝えてくれる保護者の方。ベビーシッターの訪問先で、「本当は毎週末Moeに来てほしいんだよ。でも無理しないで!」と言ってくれる家族。血のつながっていない私に家族のように接してくれる友人家族。そして保育士の同僚たち……こうした大切な人たちの存在が、「まだボストンで頑張りたい」と思える原動力になっています。

それとアメリカでは、会社のためではなく、“自分のため”にはたらく人が多いんです。自分が習得したいスキルや、なりたいビジョンが先にあって、会社はあくまでもそれを実現するための通過点。皆が皆そうではありませんが、そうした考えの人が多いので、私もどんどんチャレンジしたくなります。

最近は自分に自信がつき、20ドル(約3,000円)で受けていたベビーシッターの時給を30ドル(約4,700円) 以上に上げたという

——渡米前に抱いた、「現地で辛い思いをしている移民に何かがしたい」という思いは、今実現していますか?

私が今保育園で受け持つのは、2歳以下の子どもたちです。

その子たちに日々「どんな肌の色や目の色をして、どんな言語を話していても、私たちは皆同じ人間。それぞれが尊重されるべき美しい人なんだよ」と、一人ひとりの目を見て伝えたり、絵本やアクティビティを通して宗教や文化の違いを一緒に学んだりしています。それは、彼らが互いを認め合える大人になる第一歩。

直接移民の方々を助ける活動はまだ実現していませんが、未来を担う子どもたちに、「あなたは価値のある素敵な人間だよ」と繰り返し伝えることが、将来、移民の方々を助けることにつながると信じています。

(文:原 由希奈 写真提供:山本萌さん)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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