介護士から64歳で「ユーチュー婆(ばあ)」に。きっかけは推し活。

2025年6月30日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を聞いたのは、シニアインフルエンサーとして人気で「はたらくWell-being AWARDS 2025」受賞などマルチなはたらき方で活動するきょうこばぁばさんです。8.5万人ものフォロワーがいるInstagramの投稿では、毎日手料理と晩酌の様子をアップしているほか、YouTubeではファストファッションを華麗に着こなす様子を披露し、11万人超の登録者を楽しませています。

「シニア世代の生活を楽しくする」をコンセプトに、発信を続けるきょうこばぁばさん。そのエネルギッシュで前向きな姿勢には、世代を超えた幅広いファンからあこがれの視線が向けられています。

15年にわたって同じ職場で介護士をしていた彼女が、なぜシニアインフルエンサーへと転身したのでしょうか。きょうこばぁばさんのはたらく価値観の変化と、インフルエンサー活動のやりがいを語ってもらいました。

自分の「好き」をお裾分けしているうちにいつのまにか「インフルエンサー」に。

——グレーヘアがとてもお似合いのきょうこばぁばさん。失礼ですが、ご年齢をお聞きしてもいいでしょうか。

ありがとうございます!私らしいグレーヘアはとってもお気に入りなので、褒めていただけてとてもうれしいです。1956年生まれ、今年でいよいよ60代もラストの69歳になります。

——きょうこばぁばさんにとって、インフルエンサーの仕事はどのようなものですか?

InstagramでもYouTubeでも多くの方が応援してくださっていて、本当にありがたいですよね。自分の「楽しい」という感覚に素直に従って活動していて、その結果たくさんの方とつながることができている今の状況に感謝しています。

ただ私は、インフルエンサーを仕事として捉えていません。YouTubeの撮影にしてもInstagramの発信にしても、「はたらいている」実感はあまりなくて。あくまで自分の楽しさを追求する中でできることを一つずつ積み重ねていたら、今の場所にたどり着いていた……。そんな感覚が近いかな。「今日はこんなことができて楽しかった」「充実していた」と思える毎日を過ごし、それを発信してきた先に、今の活動があると捉えています。

自身の「好き」を発信しているYouTube

——自己表現や習慣のようなものでしょうか。

そうそう!私にとって仕事とは、「頑張ってはたらき、お金をいただくこと」だと思っています。もちろんきょうこばぁばとしての活動でお金をいただくことはありますが、私は「インフルエンサーとして稼ごう」とはあまり思っていなくて。どちらかと言えば、自分の好きなものや楽しかったことを、私目線でフォロワーの皆さんにお裾分けしている感覚です。

娘からもよく「お母さん、インフルエンサーって何?」と聞かれるのですが、「なんだろうね」と一緒に頭を抱えていて(笑)。私の活動を端的に表せる言葉として「インフルエンサー」を使っているだけで、もっと良い言葉がないかと日々模索しています。

——では、きょうこばぁばさんは「インフルエンサー」をどのような活動だと捉えているのでしょうか?

広い意味で「人に良い影響を与えられる人」ですね。私の発信を見た方から、「きょうこさんのお料理美味しそうだから真似してみました」「こんなに可愛いコーディネート、私も着てみたい!」と言っていただけることが、うれしいことによくあるんですよ。こうした自己表現が、誰かの行動の後押しになったり、生活に彩りを与えられたりする。これが「インフルエンサー」の活動なんだと思っています。そういえば、「グランフルエンサー」って知っていますか?

——グランフルエンサー……?初めて聞きました。

SNSで発信を行うシニアたちを、海外ではグランフルエンサーと呼ぶみたいで!「インフルエンサー」と「グランドファザー・グランドマザー」を掛け合わせた造語らしいです。私もグランフルエンサーと名乗ろうかしら、と(笑)。

インターネットに目覚めたきっかけは、40代から始めた「推し活」

——スマホやSNSなどに積極的に触れているシニア世代は少ないように思いますが、きょうこばぁばさんは抵抗はなかったのでしょうか?

まったくありませんでしたね。40代のころから好きなアーティストの推し活のためにインターネットで発信していたからです。オリジナルのファンサイトを作って日記を書いたり、他のファンの方々と交流してお友達になりライブ会場でオフ会をしたり、インターネットならではの「つながる楽しさ」を昔から感じていたんです。

その流れでmixiやアメーバブログなどのSNSを利用するようになり、2013年ごろに自然とInstagramに移行しました。趣味の一環として、料理の投稿を続けていたところ、ありがたいことに4〜5年でフォロワーが3万人を超えて!

おいしそうな料理が並ぶきょうこばぁばさんのInstagram。最近はリールにも挑戦中!

——趣味で楽しんでいたら、いつのまにかファンがついていたんですね。

そうなんです。当時はまだ、「インフルエンサー」という言葉もない時代でしたが。

YouTubeの活動も、Instagramの投稿を見た方から声をかけてもらって始めました。30代男性で「森田」と名乗るディレクターから突然「一緒にシニア向けYouTubeをやってくれませんか?」とDMが届いて。こんなおばあさんに会いたいだなんて、怪しいですよね(笑)。

なんだか怖くて最初は断っていたものの、それから何度も連絡があって……あまりの熱意に負けて一度会ってみることにしたんです。すると、私と共通した熱い想いがあることを知ったのです。

——「共通した熱い想い」ですか?

「高齢者が活き活きと暮らせる世の中にしたい」という想いです。私は、15年ほど介護士としてはたらいており、実は森田も理学療法士として医療・介護現場ではたらいた経験があったようで。

介護の現場にいるとシニアの方から「私が遊びに行けるのはデイサービスくらい。あとは家でテレビを見て過ごすくらいしかない」という話をよく聞くんですよね。楽しいことは世の中にたくさんあるはずなのに、そうした情報は若者にしか届けられていない。高齢者が人生を楽しむための情報が世の中に少なかったんです。こうした課題感を抱いていたところ、「きょうこばぁばさんから、シニア世代の楽しい情報発信をしてほしい」と森田に誘ってもらい、YouTubeでの情報発信を始めました。

64歳で「ユーチューばあ」として活動をスタート

今は私が自宅で撮影を行って、編集は全面的に森田に任せながら、二人三脚でYouTubeのコンテンツ作りに励んでいます。

無一文になり、「明日のご飯に困るほど困窮」。どん底から抜け出すために選んだのは介護士の道

——きょうこばぁばさんが活躍される姿は、年下世代のあこがれでもあるように感じます。

今となっては「きょうこばぁばさんみたいに楽しく暮らしたい!」と言ってもらえることもありますが、実は生活にとても苦労した時期もあって……。もう20年以上も前ですが、夫の事業が立ち行かなくなり、娘2人を抱えた4人家族で無一文になってしまった経験があります。一時は、明日のご飯に困るほど困窮したことも。今思い返すと人生のどん底にいましたね。

それまで外ではたらいた経験はありませんでしたが、背に腹は代えられません。「私が頑張る番だわ!」と一念発起し、近所のスーパーに就職しました。ところが、すべてが初めてのことばかりで、何をやっても失敗続き。同僚のスタッフに毎日迷惑をかけていました。「明日は頑張ろう」と思うのに、次の日も同じミスをして挽回できず、自分が嫌になった時期もありましたね。

——きょうこばぁばさんにも、自分が嫌になったご経験があるのですね。

あの時は一日一日を生きるのに必死で、とても辛かったです。

ちょうどそのころ、たまたま同僚から介護士の仕事について教えてもらい、手に職をつけたいと民間の介護施設に転職することにしました。ハードワークでしたが、介護福祉士の資格を取得し、結果的に同じ職場で15年も継続してはたらきました。

——15年も続けられたのはなぜでしょうか?

正直なところ、当時は「生きていくための仕事」という認識が強かったです。ただ、利用者さんからの「ありがとう」「あなたのおかげよ」といったうれしい言葉を糧に仕事を頑張っていました。今振り返ると、とても尊い仕事だったなと感じます。人生を“引きの構図”で見た時に、「あの時期を経験してよかった」と今は素直に思えています。

もし機会があれば、また介護の仕事に携わってみたいです。もう体力的に厳しいので、交流ボランティアなどになるかもしれませんが(笑)。

失敗続きの仕事で育んだ“生きる自信”とともに、「人生120年時代」に向けて。

——あらためて、インフルエンサーのやりがいについて教えてください。

挑戦しがいがあるところです。SNSはコントロールが難しくて、私と森田が一生懸命考えた企画でも、なかなか視聴者さんに届かないこともあります。だからこそメディアを研究して、試行錯誤を重ねる過程が本当に楽しいんです!こうして作り上げた、心を込めた投稿を見たフォロワーさんから「真似してみました」「私もきょうこばぁばさんと同じお店に行ってみますね!」と言ってもらえることに、心から喜びを感じます。

特に、私と同じシニア世代の方からの反応には、勇気と活力をもらえますね。「シニアの方の生活を楽しくする」世界に近づいていると思うと、さらにワクワクして自然と力が湧いてくるような気分になります。

——今後の目標はありますか?

引き続き、シニア世代のちょっとした挑戦や楽しい生活に貢献できたらうれしいですね。日本は今後も高齢化が続いていくと言われています。今は「人生100年時代」なんて言われていますが、いずれ「人生120年時代」がやってくるかもしれません。

最近はコロナの影響もあり、SNSを使うシニアの方が増えてきました。しかし、シニア世代に向けた情報発信はまだまだ足りないのが実情です。お金をかけなくても生活を豊かにするヒントを自分自身が実際に楽しむ様子を通して発信することで、シニア世代の方の生活をよりよくしていきたいです。今はファストファッションもありますし、手ごろなスーパーだって身近にある。時間がたっぷりあるシニア世代は、少しの工夫で人生がもっと楽しくなる可能性があると思っています。

——最後に、スタジオパーソル読者の「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

辛い瞬間もくじけずに前を向いて進んできた経験が、今の私の自信になっています。あんなに大変な時だって、乗り越えられたから、ちょっとやそっとのことではへこたれない、と。過去の自分の努力が、今の自信を作ってくれている。年齢を重ねたからこそ、自分を認めて、褒めてあげられるようになったのかもしれません。

それに、情報発信は私自身の生活にもハリを与えてくれているんですよ。身なりに気を付けてファッションを楽しんだり、仕事で知り合う若者と話してトレンドをつかんだりと、毎日刺激をもらっている実感があります。シニア世代になると、つい慣れ親しんだ行動を繰り返してしまう人が多いでしょう。私もそうですが、苦手なものはなるべく避けて通りたいと思ってしまいます。

でも苦手だと思っていたことも今試してみると、意外とあっさりできるものなんです。これだけ長く生きているのだから、できることや価値観は若いころと変わって当然ですよね。いきなり大きなことに挑むのではなく、小さな挑戦にちょっとだけ踏み出してみる。それを繰り返しているうちに自然と少しずつ、自分をアップデートできるはずです。

(「スタジオパーソル」編集部/文:田邉なつほ  編集:いしかわゆき、水元琴美)

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ライター田邉なつほ
新卒で建築業界の営業に従事し、ライターに転身。介護・福祉業界の採用支援をサポートするスタートアップ企業で業務委託ライターを勤め、編集プロダクションで編集者も経験。現在は取材記事の執筆、メディア運営、コンテンツ制作に携わる。

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