電通辞め月収2,400万を稼いだ私が「お金持ち=人格者ではない」と気づいた26歳の絶望

2025年8月27日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」するために、さまざまなコンテンツをお届けしています。

アメフト選手として慶應義塾高校、慶應義塾大学、日本代表U19でそれぞれキャプテンを務め、新卒で株式会社電通へ入社。コピーライターとして、コカ・コーラゼロの「常識をくつがえせ。」など有名なコピーを生み出した芦名勇舗さん。その後、電通を退社し、転職した先のプルデンシャル生命保険の営業では、25歳で最年少営業所長に就任。月収2,400万円を達成します。

しかし、その翌年には米国に渡り、28歳で舞台劇『blood』でハリウッド俳優デビュー。現在は、エナジーコーチングの『Serotonix』や絶対に混まないサウナ『SAUNA XX』、通い放題のパーソナルジム『BVEATS』など、ウェルネス領域で複数の事業を手掛けています。

なぜ彼は未経験の分野に果敢に挑戦を続け、新しいキャリアを切り開いてきたのでしょうか。今回は多彩なキャリアを選択してきた軌跡について、芦名さんに話を伺いました。

“学生の延長”を理由に電通に入社するも、わずか1年で転職。

──芦名さんが最初のキャリアに電通を選ばれた理由を教えてください。

一番学生の感覚に近く、はたらけると思ったからです。高校からずっとアメフトしかやっていなかったので、大学3年生になって就活がやってきて突然「仕事を探す」ことに違和感がありました。当時は多くの学生が就活をしていたので、周囲に合わせながらぼくもいやいや始めましたね。
特にやりたい仕事もなかったので、とりあえず大手と呼ばれる企業の面接を受けて、最終的には3社から内定をいただきました。その中の1社に電通があり、たまたま社員の方とお会いする機会があったんです。その方が賢くて、人間味があって。飲み会が楽しそうなことを聞き、会社の雰囲気がぼくに合っていると思い、入社を決めました。

──電通のコピーライターとしてはたらいてみていかがでしたか?

まず、クリエーティブ局に配属されるより前に「電通人」としての美学を叩き込まれる研修があるのですが、それがとても良かったです。飲み会のビジネスマナーや2次会への動線確保、プレゼンの仕方などを厳しく叩き込まれました。

コピーライターとしては、クリエーティブ局に配属されてすぐに応募した大会でセミグランプリを受賞しました。それからすぐにビッグクライアントのチームに複数入れてもらい、自分が書いたコピーが企業のコピーになるという素敵な体験をさせてもらいましたね。

──そこから、あこがれる人も多いであろう電通のコピーライターを1年半で辞められたのはなぜですか?

楽しさもある一方で、徐々にはたらく環境に違和感を覚えていったからです。当時の電通の給与は「年次」と「残業時間」によって影響されると感じていました。そのため、成果を出そうとする意思よりも、残業時間を増やそうというはたらく上で本質的ではない意思を自分の中で優先していることを感じ、自己嫌悪に陥っていました。

ちょうどそんなときにプルデンシャル生命保険からお声がけをいただきました。保険に興味があったわけではありませんでしたが、年次を待たずに実力で勝負できるという環境に何よりわくわくして転職したのがその頃でしたね。

お金持ち=人格者じゃない。月収2,400万円を手放したきっかけは友人の一言。

──プルデンシャル生命保険に入社されたのは23歳。未経験で営業に挑戦されてみていかがでしたか。

当時のプルデンシャル生命では、新卒採用をしておらず社員は中途入社のみ。この若さで中途入社した人はほかにいなかったと思います。はじめての営業は楽しいよりも、支店で1番売れている先輩に負けたくないという気持ちが強かったですね。「あの人が数字を出せるのだから自分が負けるわけない!」と、社内で1位を目指すよりも、誰かを追い越すことが原動力になっていました。

未経験の営業を攻略すべく、最初は支店で1番成果を出している人を真似するところから始めましたね。先輩の商談をすべて録音して、繰り返し聴いて、声色や話しかけるタイミング、一言一句すべてを完璧にコピーする。その結果、少しずつ契約が取れるようになっていきました。

──25歳で会社最年少の営業所長に就任されています。その成功を導いたのは、どんなことを意識されていたのでしょうか?

信頼づくりかもしれません。保険の営業ではお客さまに新たなお客さまを紹介していただくケースも多いです。会ってから信頼を積み上げていく前提ではなく、“会う前”から信頼していただく。そのために、自分がどのような価値観ではたらいているのか、なぜ今この仕事をしているのかをSNSで発信していました。1日に2,000人がみてくれる日もあり、一気にぼくのことを知ってもらうことができました。信頼を得ることができれば、お願いを聞いていただけます。「どなたかご紹介いただけませんか?」言った瞬間にお客様は「この人への紹介なら大丈夫」となるか、「この人に誰か紹介するのは不安」となるか、それを決めるのが信頼なのです。

その結果、営業成績は全国で2位になり、プルデンシャルに入社して1年半、25歳で会社最年少の営業所長に就任しました。

保険営業のはじめ1カ月間は、人生の通信簿と呼ばれているんです。最初は自分の友人や知り合いに営業をする機会も多いため、会社の先輩からは「数字を見れば、過去の自分がどれだけ周囲から信頼されているかが分かるからな」と言われていたので必死でした。

もちろん保険の話というだけで会ってくれない友人もいましたし、保険の話だろうが「芦名が言うなら聞くだけ聞いてみる」という友人もいました。それもあって、保険の話をするときに必ず相手に伝えていたのは、「話を聞いてみて1ミリでも違うと思ったら契約しないで欲しい。心から契約したいというときだけ、契約して欲しい」という約束でした。お会いしてくれた友人や先輩後輩がいてくれたからこそ、それに感謝することができて、1つのアポイントを真剣にこなすことができました。

──当時“月収”は2,400万円だったと聞きました。そんな圧倒的に高収入であった営業職を26歳で辞められたのはなぜでしょうか?

お金持ちが必ずしも人格者ではないという事実を知ったからです。それまでずっと人格者になればお金持ちになれると思っていたんですが、実際に自分がお金を稼ぐようになり、ほかの富裕層の方と出会ってみると、必ずしもそんなことはなくて……。店員さんに対して横暴な態度を取ったり、机を蹴飛ばしたりする姿を見たときは、「こんな人でもお金を稼げるのか」と大きなショックを受けました。同時に、ぼくはそういった“偉そうな大人”には勝ちたいと。

このまま営業としてはたらいてお金を稼ぐ将来は、もう自分が目指す世界ではない。何よりもスケールが小さいと思うようになって。ただ、当時はほかにこれといってやりたいこともなかったんです。

そんなときに、アメリカでチアガールを目指そうとしている友達から「アッシュもアメリカにおいでよ!」と誘われました。直感的に「めちゃめちゃありだな」と感じたんです。なぜならぼくは、「選ばれる力がある」と自己分析をしていて、これはアメリカでも活かせるんじゃないかと。

──選ばれる力、ですか……?

ほかの誰にも負けない唯一の自分の強みだと自覚していたのが、「選ばれる力」だったんです。全国のトップ営業担当者が転職して集まるようなプルデンシャル生命では、ぼくより売れてる先輩なんてたくさんいます。だけど芦名が一番有名になってしまうんです。アメフトでも僕より上手い選手は何名かいました。でも雑誌の表紙になるのも、主将に選ばれるのもぼくだったんです。

この「選ばれる」ということに僕はこれまで一切努力をしていないんです。努力していないのに認められる力ということは、その領域で世界で戦えるんじゃないか。そう思ってアメリカのハリウッドに渡り、俳優に挑戦してみました。

英語が話せない中ハリウッド俳優へ。

──ハリウッド俳優になるために、まず何からはじめたのでしょうか。

まずは1カ月間下見に行こうと、アメリカ行きのチケットを購入しました。あとは「ハリウッド俳優を目指します!誰か知り合いはいませんか?」と知人に聞いて回りましたね。

その中でたまたま、ハリウッドで劇団をやっている座長さんに会うことができたんです。ロサンゼルスに到着して7日目。彼から「今度アメリカであるオーディションを受けてみろ」と言われて、その翌週にはオーディションを受けに行っていました。

──すべての展開が早すぎます……!そこで実際にオーデションに合格し、2016年に晴れて俳優デビューを果たされたと。

そうですね。オーディションでは丸暗記した台本を披露したんです。というのも、いざアメリカに渡ると、英語がまったく聞き取れず、自分が想像以上に喋れなかったんですね。ぼくのルームメイトだったアフリカ系アメリカ人に台本を読んでもらい、営業時代と同じように完全にコピーできるまで台本をひたすら覚えて、本番に臨みました。

その結果、演劇・映画界の巨匠と呼ばれるロバート・アラン・アッカーマン監督に認められ、なんと合格。監督は、ぼくがはじめてのオーディションなのにアフリカ訛りの英語を話すものだから、かなり驚いていましたね(笑)。

──実際に俳優としての活動はどうでしたか?

演技でいうとアメリカと日本、明らかな違いがあることを実感しました。日本だと現実にはない少し誇張した演技があったりしますよね。でも、アメリカで評価される演技は、カメラがまわっていることを意識せず、いかに自然体であるか。一つひとつの立ち振る舞いやジェスチャーなど、ワークショップを通じて片っ端から訂正されました。

こうしてほかにもいろいろと新しい経験はできたわけですが、俳優としてトップに上り詰めるには演技力だけを極めても限界があることをすごく痛感して。やはり俳優業もビジネスなので、ぼくみたいな外国人をキャスティングする理由は、母国の興行収入を取るため。結局は集客力が求められるんですよね。もともとは“偉そうな大人”に勝てる自分の領域を強化するためにアメリカに来たのに、このままではかえって遠回りではないかと考え、28歳の時に日本へ帰国しました。

その後は、やはり自分の強みである影響力を活かしてビジネスがしたいと考え、2016年に「芦名表参道株式会社」を設立。現在は「世界から不幸をなくす」という考えのもと、事業領域を決めずに、起業やコンサルティングを行っています。具体的には、2018年には通い放題のパーソナルジム『BVEATS』、2021年にサウナ付ラグジュアリージム『GYM&SAUNA』、2023年に絶対に混まないサウナ『SAUNA XX』、2024年にエナジーコーチング『Serotonix』を創業しました。

打席に立ち続ければ仕事の道は開ける。はたらくとは幸せになること

──数多くのことに挑戦された芦名さんから、やりたいことがあってもなかなか踏み出せない人にかけたい言葉はありますか?

まずは打席に立つことですね!そして、事前準備に時間をかけることはやめましょう。スポーツも仕事も準備が大変で、それが嫌になって動けない人が多いと感じます。何もせずに動かないよりは、バッターボックスに立って三振して「もっとこういう練習が必要なのか」とうまくいかなかった原因を考えることに時間を使うほうがずっといい。

あとは、今あなたがやりたいと思っていることが、本当にわくわくするものなのかをあらためて考えてほしいです。たくさんの選択肢がある中で、他人がやっているから、評価されるからという理由で始めても続きません。今、自分が「わくわくすること」に正直になって、いち早く打席に立ってほしいですね。

──最後に、スタジオパーソル読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

そもそも、人がはたらくことの根本は「幸せになりたい」だと思うんですよ。幸せになるために人はいろいろなものを探して、経験して、情報を得ますよね。そして、その幸せって自分の中から湧き上がるもので、言葉で説明できるものではないと思うんです。だから理論ではなく、まずは感情でやりたいことを優先するのも良いのではないでしょうか。ぼくもこれまでずっと「給料がいいから」「安定しているから」という理由ではなく、「なんかかっこいい」と自分のわくわくを何よりも大事にしながら進む道を選択してきました。

こうしてぼくの経歴を振り返ると常にフィールドを変えているように見えますが、これは将来を考えたときにより大きなビションが描けて、自分がわくわくするほうを選んでいるだけのことなんです。

人間の感情は面白いもので、ポジティブとネガティブしかありません。つまり、ポジティブな要素が増えるほど脳は幸せで満たされる。 だから、もっと自分の感情に素直になって、わくわくを選び続けて幸せを増やしていくことが、きっと楽しくはたらくことにも活きてくるのではないでしょうか。

(「スタジオパーソル」編集部/文・写真:朝海弘子 編集:いしかわゆき、おのまり)

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ライター朝海弘子
1990年生まれ、福岡出身。都内で会社員として働くかたわら、キャリアにまつわる取材記事やコラムを執筆。クラフトビールとパンが好き。

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