百貨店の美容部員から年収4,000万”バリキャリ”に。外資営業職でクビ寸前から「OL 毒女ちゃん」へ

2026年3月18日

スタジオパーソルでは、「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、外資系企業の営業職、「OL毒女ちゃん」として登録者数18万人超えのYouTuber、美容会社の経営者という三つの肩書きを持つ東堂さん。年収は4,000万超えとバリキャリな人生を送られていますが、社会人としてのスタートは、地方百貨店の美容部員でした。

お金もキャリアもない、人生の未来図も描けない。何度も苦い想いをして、数々の窮地を乗り越えてきた東堂さんがたどり着いたのは、“自分らしくはたらくためには、周囲と自分は切り分けて、すべて「自分起点」で考えて判断するという価値観でした。

スタートは地方百貨店の美容部員。それでも絶望感はなかった

──現在は外資系の営業職、YouTuber、経営者として年収は4,000万円に上ると伺いました。しかし、キャリアのスタートは百貨店の美容部員だったとか。

そうなんです。大学卒業後、最初に就いた職が、百貨店の美容部員でした。12万円と聞くと驚かれるかもしれませんが、当時の私は22歳で社会に出たばかりで、地方の販売職の相場が分からなくて。周囲もほとんどが実家暮らしだったこともあり、そこまで大きな違和感もなく「こんなものなんだろう」と思っていました。無知って怖いですよね。

──そこから、2社目は求人広告の会社で、営業としてはたらかれています。美容部員から営業へとキャリアチェンジしたのはなぜだったのでしょうか?

当時の給与金額に絶望感はなかったものの、タクシーではメーターが気になるし、金額を確認してからじゃないと買い物はできないし、「もっと稼げる仕事に就きたい」とは思っていて。

周囲が営業としてはたらいている人が多かったこともあり、漠然と営業に興味を持ちはじめて。販売と営業の仕事の違いすら分からないまま、未経験でも応募可能なところの面接を受けて転職しました。

ただ実は、入社前は「自分には営業なんてできるのかな」と不安でいっぱいでした。私は昔からかなり人見知りで、一人で何かをするのも、人前で発表するのも、とてもできるような人間ではなかったんです。親からも「営業職は向いていないから絶対に辞めなさい」と言われていたくらいで。

これといった資格もない私が、未経験で新しい環境にいきなり飛び込んだ。でも、実際にやってみたら、思っている以上にできたんですね。そんな窮地に立たされた状況だと、人は本質を発揮できるんだと痛感しました。

周りから「できない」「向いていない」と言われ続けると、自分でもできないという先入観を持ってしまい、可能性の幅を狭めてしまう。でも、自分ができることや向いていることなんて、自分でやってみないと分からないんだと、営業の仕事を通して学びました。

「ここで変わらなかったら終わる」何度も窮地を乗り越えた先に見つけた、自分の機嫌は自分にしか取れない

──その後も複数回の転職を経て、現職である外資系企業の営業を選ばれたきっかけを教えてください。

きっかけはかなり個人的な経験で、22歳のころにお付き合いしていた人が製薬会社の営業だったんです。

当時の製薬会社の営業の給与は、今とは比べものにならないくらい羽振りが良くて。手取り12万円だった私にとっては、まったく別次元の仕事でした。1日数万円の売り上げ目標だった私に対して、彼は年間で何億円もの売り上げを扱っていて、仕事の規模感にも圧倒的な差がありました。

そんなことから、最初は製薬会社の営業を中心に求人を見ていたんですが、それも薬学部卒業者や資格保持者であることが前提で、私は応募条件からはじかれてしまって。

何かないかと転職サイトを見ているときに、たまたまおすすめででてきたのが、メーカーの求人でした。大手企業が多く、待遇も悪くない。しかも、特別な資格がなくても挑戦できる。

そこではじめて、「メーカーの営業」という選択肢が現実的に見えてきて、「ここなら、自分もチャレンジできるかもしれない」と感じ、外資系企業に入社しました。

──理想の企業への転職をかなえるために、意識していたことはありますか?

「自分が売れる営業である」と相手に想像してもらうことです。それまでの営業経験でも成果はある程度出せていたので、どうすれば売れるのか、どう伝えれば相手が納得するのかのポイントは押さえられていました。

だから面接では、実績や経歴を並べるというよりも、「自分ならこう売る」「こういう場面でこう考える」などと、“売り方”を理解していて、数字が出せる営業だと思ってもらえることが、一番大事だと考えていたんです。

意識していたことのほかに、入社できたのは「もうここで人生を立て直さないと終わる」「ここしかない」という覚悟が伝わった部分もあったのかもしれません。手取り12万円の契約社員の時期を経て、人に言うのが憚られるような失敗もたくさんしてきて、お金がなくて本当に厳しい生活をしていました。

きれいごとを言っていられる状態ではなくて、その必死さや覚悟が、結果的に「肝が据わっている」「ガッツがある」と受け取られた部分もあったのかもしれません。

──晴れて外資系企業に入社したものの、成果が出ず苦しんだ時期があったとのことですが、どんな悩みを抱えていたのでしょうか?

一番悩んでいたのは、人間関係です。これまでの営業は、自分が直接お客さまと関わるポジションで、自分が売って契約できれば成立する仕事でした。でも私が在籍していた外資系企業では、最終的に商品を購入するお客さまへ直接販売するのではなく、代理店を通して販売する仕組みでした。私はお客さまというより、その代理店の担当者とうまく折衝する必要があったんですね。

代理店からすると、私が提案した自社商品を受け入れることで、ほかの既存メーカーとの契約を終了しなければならない仕組みになっている。私はそのことに気付くのが遅く、代理店との関係が悪くなりお客さまとも会えなくなり……最初の2年間は営業成績がまったく伸びませんでした。

──そんな苦しい2年間をすごして、その壁をどのように乗り越えたのでしょうか?

営業成績が3年未達だと解雇の可能性が高まる状態で、私はすでに2回未達、次成績を更新できなければアウトという状況まで追い込まれていました。

結果的に、3年目には営業成績を回復させることができたんですが、正直、自分でもなぜ達成できたのか明確には分からないんです。ただ、「もう後がない」という感覚が、限界まで積み上がった。その一点だったと思います。

生き残らなきゃいけない、ここで変わらなかったら終わる。そんな追い詰められた状態だったからこそ、無意識に行動量が増えたり、相手の立場を考え抜いた言葉が自然と出るようになったりしたのかもしれません。ここでも、どん底まで来たから気付くことがあり、本質や本領が発揮されたのかなと。

──プレッシャーがある中で、辞める選択肢はなかったのでしょうか?

つらい状況ではあったけれど、過去の本当にお金がなくて苦しかったときに比べたら、今のほうが何倍もいいと思えていたんです。

どれだけ仕事がうまくいっていなくても、成果が出ていなくても、私は外資系企業に勤める会社員であり、一定の給与をもらっている立場。その事実は揺るがない。そんなポジションを手放して、昔のように、自分に合わない環境で、自分の納得がいかない条件のもとはたらき、よく分からないトラブルに振りまわされる生活に戻ることを想像すると、どちらの自分が幸せなのかは、私にとっては明確でした。

どんなにうまくいっていなくても、「外資系企業の会社員」でいるほうがいい。そう考えられたことが、簡単に投げ出さずに踏みとどまれた理由だったと思います。

──自分が幸せになれる選択を冷静に見極められていたんですね。

これまでいろいろな職場でピンチを乗り越えてきて思ったのが、自分の機嫌は自分でしか取れないということでした。振り返ると、仕事で行き詰まったとき、最終的に私のことを助けてくれたり、頑張るエッセンスを投入してくれたりしたのは、周りの人ではなく、自分自身だったんです。

だからプライベートでも、現在、私は結婚して一児の母でもありますが、夫にも子どもにも依存はしたくない。ライフステージが変わろうとも、自分に満足できていなければ他人に依存して、壁にぶつかったときも、他人の力でなんとかしようとしてしまう。でもどれだけ身近な人であっても、周囲の人は自分自身の問題を根本的には解決してくれないんです。自分のことは、自分を奮い立たせて乗り越えるしかないんですよね。

どんなときであっても、自分の機嫌は自分で取ることを大事にしています。

営業、YouTube、経営と3つの肩書きをすべて手放さない理由

──現在は営業職に加えて、YouTuber、会社経営と、3足の草鞋で活動されています。それぞれどんな理由で始められたのでしょうか?

YouTubeを始めたのは、著名なYouTuberであるヒカルさんの動画を見たのがきっかけです。望んでいた会社に入って、収入も上がったはずなのに、自分には友人もいないし趣味もない。どこか満たされない気持ちを抱えていたときに、ヒカルさんの動画を見て、「私も何かに熱く打ち込みたい!」と思ったんです。そこから継続して、今は登録者数18万人を超えるアカウントに育ちました。

起業のきっかけは、YouTube で私が着ていた洋服を紹介した動画でした。「服を作ってほしい」というコメントをいただき、挑戦してみたいと思ったんです。ただ、アパレルは多額の軍資金や在庫リスクが伴うことから、当時の私にとっては現実的ではありませんでした。

そんなとき、知人から化粧品の OEM メーカーを紹介してもらえることになりました。小ロットからスタートできると知り、「これなら挑戦できるかもしれない」と思ったんです。自分なら何が欲しいか、本当に喜んでもらえるものは何かを考えてたどり着いたのが、頭皮専用のクレンジングオイルでした。

商品開発には約 2 年をかけました。初回ロットは 5000 本。化粧品は使用期限が約 3年あるため、それまでに売れればいいと思っていました。

ところが、発売初日に Amazon のベストセラーを獲得して。想像以上の反響をいただきました。

3つの仕事のことを話すと、よく周りからは「YouTubeと会社経営だけやるほうがうまくいくんじゃない?」「稼げるんじゃない?」と言われるんですが、私の中でこの3つは領域は違うけれど、すごくきれいなトライアングルになっていると感じていて。

──営業職、YouTuber、経営者が3つのトライアングル……?

私って怠惰な性格なので、強制的な環境がないとすぐにサボってしまうんですよね(笑)。だからまずは、営業職が私の行動のエンジンになっています。アポイントが入っていれば嫌でも朝起きないといけないし、業務があるからサボれない。営業という仕事が、強制的にスイッチを入れる役割を担ってくれているんですよね。

ただ、会社では人見知りの性格もあって、入社当初はあまり周りとのつながりがなかったんです。でもYouTubeを始めたことで、同僚や他部署の人とのコミュニケーションが生まれるようになりました。「なんか顔を見たことがある」「コンテンツを見た」など、周りから声をかけてもらえるようになりましたね。

結果として、会社の中で「認識される自分」が生まれ、営業職としての居場所にもつながっています。しかも、営業の仕事そのものがYouTubeのネタにもなっているので、切り離せない関係です。

営業職でドライブをかけて、YouTubeで周囲とのコミュニケーションを取りながら、自分のポジションを固め、その力で会社経営を行う。全部が循環している感覚なんです。

もともと、会社員としての仕事はどこか「やらされていること」だと感じていた部分もありました。会社の規模や業績によって、ある程度収入が決まっている世界。

でも、自分で立ち上げた会社やYouTubeは異なります。自分に対する評価がダイレクトに金額や反応として返ってくるからこそ、決して手は抜けないですし、寄せられた期待を裏切りたくないんです。

営業という“強制力”が行動のエンジンになり、YouTubeで存在を認識され、その信頼が経営へとつながる。だから、3つはバラバラの活動ではなく、「やりたくてやっていること」を軸に回り続けるトライアングルなんです。

──とくにYouTubeは顔出しをして発信するなどハードルが高かったのではないかと思うのですが、そのあたりに抵抗感はなかったのですか?

もともと人に興味がない性格なのもあって、当時から「誰も私の顔なんて興味ないでしょ」というスタンスでした。私の中では何事も「やるか」「やらないか」のどちらかで、やると決めたからには抵抗感は一切なかったですね。だって自分が決めたことだから。

新しいことに挑戦すると、リスクを懸念する人って多いんですが、正直リスクや人の目線を気にしていたら疲れるじゃないですか。もっと自分に矢印を向けて、「あの人がこう言うから」ではなく、「自分はどうしたいのか」「何が良いと思っているのか」に従って判断すべきだと思っています。

だから、営業にYouTube、経営に関しても「絞って専念したほうがいいのでは」という声があっても、今の私にとって心地良いはたらき方には3つ全部が必要だから継続しています。

一度地獄を見る覚悟で限界を知る。その先に自分らしさが見えてくる

──会社ではたらきながらも、現状の自分に満足できていなかったり、壁にぶつかったりしている人に対して、東堂さんが伝えたいことはありますか?

どの会社に入っても、「入ったからこうなれる」といったことは一切なくて、入ってからどうはたらくのかが、自分の幸せに直結してきます。だから、今の仕事やはたらき方に悩んでいるときこそ、その環境で自分は何者になりたいのか、何をすべきなのかは常に考え続けるべきだと思っています。

その「何者に」とか「何を」という軸は、同僚や友人の中にはありません。周りに合わせて考えても、その人たちが人生の責任を取ってくれるわけではありませんから。大事なのは周囲と比べることではなく、「自分はどうなりたいのか」を基準に選択することです。周りに流されて無難に収まるより、自分の人生に責任を持って決断したほうが、後悔は少ないと思います。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

自分はどうなりたいのかとか、自分らしいはたらき方とかって、私がそうであったように、結局は経験からでしか見えてこないと思うんです。だからこそ、もし悩んでいるなら「今より少し負荷がかかるかもしれないけれど、そのモヤモヤを解消できそうだと感じる環境を、自分の意志で選んでみるのも一つ」だと伝えたいです。

これはあくまで私個人の考えですが、人って、よほどのピンチや窮地に追い込まれない限り、本気で自分と向き合えないこともあると思っています。うまくいかない時期や苦い経験をしてみて初めて、自分が何にストレスを感じて、どんなときに心が削られてしまうのかに気づけることもありました。

成功体験はもちろん大切です。ただ、私の場合は、うまくいかなかった経験の積み重ねがあったからこそ、少しずつ前に進めたように思います。

だから「一回地獄を見てくる」みたいな感覚で、今より少し厳しい環境に身を置いて、限界を知りに行った先に、自分の心地良さや自分に対する解像度が上がるのだと考えています。

ただ、なんでもかんでも苦労すればいいということではなくて。意味のない長時間労働や心身が疲弊するだけの苦労は必要ありません。それが「自分を知るための前向きな努力」だと感じるものなら、勇気を出して飛び込んでみてほしいと思います。

自分で選んだ挑戦の中で失敗し、学び、取捨選択していく。その積み重ねが、自分らしく、楽しくはたらくための土台になるはずです。

(「スタジオパーソル」編集部/文:石田 千尋 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:東堂かおりさん)

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ライター石田千尋
1996年、群馬県出身。新卒で人材紹介会社に入社し、キャリアアドバイザーとしてエンジニアやデザイナーなど多様な職種の転職支援に携わる。その後IT企業の人事を経て、現在はWebメディアを中心にライターとして活動。
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