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「怒りの波紋」に飲み込まれないために(西村宏堂さん)
誰しも、“うまくいかなかった”経験があるはず。
そんな日の記憶を辿り、いま思うことを、さまざまな筆者が綴ります。
第4回目は、僧侶/メイクアップアーティストの、 西村宏堂さんの寄稿です。
西村宏堂
僧侶/メイクアップアーティスト
1989年東京生まれ。ニューヨークのパーソンズ美術大学卒。メイクアップアーティストとしてミス・ユニバース世界大会、ハリウッド女優やモデルのメイクを担当。2015年に浄土宗僧侶となる。LGBTQ活動家としてニューヨーク国連本部やイェール大学などで講演。著書に「正々堂々 わたしが好きな私で生きていいんだ」がある。
私がうまく行かないなと思った日。
それは、私が泣いて謝っても解決できなかったという日でした。私が誠意を持って対応しても、相手が理解してくれず、どうしようもなく思った時の話です。
私はメイクアップアーティストとしてセレブリティのメイクをするために、8年住んだニューヨークからロサンゼルスに引っ越しました。大学時代から憧れていた女優がいて、私は、その人のメイクができるようにと何年も前から願っていました。
ロサンゼルスに移ってから、よくその女優の仕事を手掛けていたベテランのヘアースタイリストさん(以下ヘアーさんと略)と繋がる機会に恵まれて、頻繁に一緒に仕事をするようになりました。職人気質の男性で、大きな目が特徴的でした。
しばらくしてヘアーさんから連絡があり「例の女優さんの仕事があるからKodo(私のこと)を推してあげる」とのこと!私は「是非ともお願いします」と伝えました。無事にOKが出て、ついに私が憧れていた女優が出演する映像を撮影するために、2週間にわたる撮影の仕事に参加できることになりました。ようやく私の夢が叶った!これは本当に現実なの?と怖くなるほど、とても嬉しかったのを覚えています。
現場に到着した私は、夢見ていた仕事がこれから始まるんだ!とワクワク。その日は曇っていて、思っていたよりも寒かったけれど、心の中は晴れ晴れとしていました。
現場のホテルにチェックインをして部屋に入りました。撮影当日、スタッフとしてのIDをもらいとても興奮していました。
まずはホテルのバンケットルームのようなところで女優のマネージャーに会って、挨拶をしました。とても厳しい印象の人で、この女優の他にも有名なセレブのマネージャーを経験したことのあるカリスマ的マネージャーでした。出身はカリブの島の方で、笑顔は暖かいのですが、だいぶピリリとした様子。私には手の届かないようなハイブランドの洋服をカジュアルに着こなしていました。
私は少しでも仲良くなろうとカジュアルに話しかけると、キリッとした口調で返事が返ってきて、こちらが緊張するような人でした。是非ともこんな人と繋がって、プロの仕事ぶりを学びたいと尊敬の気持ちでいっぱいでした。
仕事はとても新鮮でした。巨大な倉庫のような撮影現場に圧倒されました。一緒に仕事をしていたスタイリストは、有名デザイナーのドレスをラックにぎっしり持ってきていました。私は紫やピンクのフリルのついたドレスが特に素敵だなと思いました。そのマネージャーはこれが良いわね、と私が気に入っていた洋服を選んでいたので、ちょっと気が合うのかも?!なんて嬉しくなりました。
そしてメイクが始まりました。憧れていた女優さんは私の名前を早速覚えてくれて、細かくメイクの希望を伝えてくれました。「Kodo、アイメイクはすごく好きなんだけど、おでこのファンデーションはもう少し薄くして」など私のことも褒めつつ自分の希望を伝えてくれて、プロとしての振る舞いに関心したものでした。
しかし一方、撮影が進むに連れて、このセレブを紹介してくれたヘアーさんが陰でこのマネージャーの悪口をいうようになったのです。自分はこの街で一番努力をしていて、技術があるんだ。女優も自分のことを気に入っているのに、このマネージャーは女優の全ての仕事を自分に頼んでこない、マネージャーが自分に嫌がらせをして、女優と仲良くならないようにしている、マネージャーは嘘つきで、歳をとっているから気性が荒いんだ、とか色々なことを延々と話してくるのです。
私は自分がその場所にいられるだけで嬉しかったので、正直文句は聞きたくありませんでした。私には関係のないことですし、真実はわかりませんから、同意することもできません。私は自分が尊敬している人についてネガティブなことは言いたくないし、そういった悪口に参加することは嫌でした。
一人が強い意見を持つと、周りも影響されてしまうようで、他の撮影チームの若いスタッフは口を揃えて頷いていました。私は暗い気持ちになり、これではせっかくの夢の仕事が台無しだ、と思ってしまいました。なんで文句を言わなきゃいけないんだろう?ヘアーさんの問題はなんなのだろう?
―――
こんな状態でありながらも、なんとか2週間の撮影が終わり、撮影現場近くのバーを貸し切っての打ち上げがありました。その席で私は自分を雇ってくれたマネージャーさんに挨拶をしに行きました。この度は本当にありがとうございました、と。
しかしそれを見たヘアーさんは急に態度を変えて、途中から私を無視し始めたのです。自分が誘ってあげた仕事に一緒に来て、自分がマネージャーを嫌っているにも関わらず、なんでお前はマネージャーと仲良くしているんだと怒っていたようです。
その晩、彼から、私がこの仕事を紹介してあげたのに、私を無視して、私が嫌っているマネージャーに挨拶するなんて裏切りだーという長いメールが届きました。
私は裏切ったりしたつもりはなかったので、びっくりしました。みんなと上手に仲良くする方が良いだろうと思って行動していたので、私の行動が誰かを怒らせることになるなんて夢にも思っていなかったのです。なんでいけないの?あなたがどう思っているかは知らないけど、私まで巻き込まないで!、と内心思っていました。
しかし怒らせてしまったままにするわけにはいかないと思い、ヘアーさんに何度も電話をしましたが彼は電話には出ず。撮影で一緒だった仲間に相談すると、私は何も悪いことはしていないと思う、と言ってくれました。
私はそこまで人を怒らせたことは無かったので、思わず涙が出てしまいました。ヘアーさんに謝罪のメールを送りました。しかしずっと返事はありませんでした。
ヘアーさんの仕事の疲れが取れたのか、3週間くらいたって、まだ怒っているという返事が来ました。その時に電話をしたら、ようやく出てもらえて、私は謝りました。その時は自分がヘアーさんに対する配慮が足りなかったなと思って泣いて謝りました。そうしたらヘアーさんは分かったと言ってくれました。
しばらくして、違う仕事でまたそのヘアーさんと仕事をすることがありました。その時は何事もなかったかのような対応をされました。カッーっと頭に来るような人だったのかなと今になって思います。そこまで私も熱心に謝らなくても良かったのかなと。でもその時はLAでまだ仕事をし始めたばかりで、私自身、仕事にとても執着していたんだと思います。
振り返って思ったことは、もちろん私はヘアーさんにチームに入れてもらったわけですが、私は人の悪口をいうことにはどうしても同意できないということです。きっとヘアーさんも彼なりの気持ちがあったのだと思います。自分が努力しているにも関わらず、収入に満足行かなかったり、他のヘアーさんと比べて悔しい思いをしたり。
そして今、私が思うことは、全ての人が自分は正しいと思って生きていているはずだということ。そこにお互いの思いの行き違いが生まれると、相手を非難したくなるのでしょう。物事をどう捉えるのかはとても注意したいところです。そう考えなければ、私もまた文句や怒りの波紋を広げていたかもしれません。
人は意識的に必ずしも悪事を働こうとか、相手を苦しめてやろうと思っているわけではないということです。努力しているにも関わらず報われないと思ったり、今いる状況に慣れすぎて欲が出てきてしまったり、こういった環境や状況が大きく関係していることもあると思うのです。仏教で欲が自分を苦しめるという教えがありますが、まさにそのような感情で苦しんだのはヘアーさん自身だったと思います。
周りの人がどう思っていても、私は自分の価値観を信じたいと思いました。はたらいていれば、時には同僚や後輩に怒ったり、自分の価値を誇張したり、文句も言いたくなってしまうこともあるでしょう。特に仕事の場面では上下関係や同調圧力に苛まれることもあります。
そんな時に、私は「スタジオパーソル」の運営会社であるパーソルグループの前社長、水田正道さんがおっしゃっていたことを思い出します。仕事において「怒ってはいけない、威張ってはいけない、カッコつけてはいけない」。
多くの人は正しいと思ってベストのことをやっています。そんな人に怒ったりすることは、自分の信頼を失ってしまうことになります。威張っている人を周りが助けたいと思うでしょうか?カッコばかり気にして見栄ばかり張っている人に、親近感と信頼を寄せることはできるでしょうか?
人は完璧ではありません。だからこそ謙虚な気持ちをもつことが大切で、そうすることで安定した人間関係を築けると思います。私はヘアーさんに同調しなかったことに後悔はありませんし、謝ったことにも後悔はありません。できれば彼の怒りをなだめたり、助けることができれば良かったとも思いますが、最低限、私は同意しなかったことがベストな判断だったと省みています。
どんな時も自分が納得して、正しいと思う判断をしていきたいと思います。仲間外れにされたり、嫌われることがあるかもしれません、でも自分にとって正直であることが一番幸せな選択なのだと思います。
(写真/筆者提供)
西村宏堂さん SNSアカウント Instagram @kodomakeup |
本連載は、さまざまな筆者の「うまくいかなかった日」に関するエッセイを交代でお届けします。
第1回目:大平一枝さん「やる気だけでは乗り越えられないと知った日」
第2回目:あかしゆかさん「『わかりやすさ』に負けないと決めた夜」
第3回目:小島由香さん「中学でハブ、オフィス解散。孤立から学んだチームとのアイコンタクト」
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