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夢を諦めたあの日から、再び夢を語れるまで ─「ちゃんとやらなきゃ」からの解放(平林景さん)
誰しも、“うまくいかなかった”経験があるはず。
そんな日の記憶を辿り、いま思うことを、さまざまな筆者が綴ります。
第5回目は、一般社団法人日本障がい者ファッション協会代表理事 平林景さんの寄稿です。
平林 景
1977年生まれ。大阪府出身。元美容師。学校法人三幸学園に14年勤務し、専門学校の教員、そして東京未来大学こどもみらい園・副園長、東京未来大学みらいフリースクール・副スクール長を兼務し2017年1月に独立。株式会社とっとリンク代表取締役となり、2019年11月に一般社団法人日本障がい者ファッション協会代表理事に就任する。SNSでは「福祉業界のオシャレ番長」の愛称で呼ばれている。
著書には「とと」と「とっと」と「発達障害」(出版社 galaxy books) 、一滴のしずく(出版社 galaxy books)がある。
「もう、ダメかもしれない……。」
カリスマ美容師という夢を目指し、情熱を注いでいた20代半ば、美容師の道を諦めざるを得ない日が突然きた。鏡に映った自分を見た時、「自分がお客さんだったら、今の自分にカットしてもらいたくないな」と思ってしまったのだ。
理由は、肌荒れだった。手はグローブのように腫れあがり、すべての指は曲がらない。カットするたびに出血し、顔はただれて全身に飛び火。
理想とかけ離れた現実に、心がぽっきり折れてしまった。
この日から退職までの3か月間のことは、記憶がない。眠れない日々が続き、心療内科にも通い睡眠薬を処方された。人生を通して初めての挫折だった。
退職したとき、次の職場は決まっていなかった。仕事先も気持ちも路頭に迷っていた時、前職の美容室の店長から、「美容学校の教員にならないか?」と誘いを受ける。
この誘いを受けた私は、美容学校に再就職することを決めた。そこで、人生を変える同僚の女性と出会うことになる。
一言でいうと、彼女は「落ち込まない人」。
失敗しても笑い飛ばし、ひたすら笑う。そんな人だった。
ある日、仕事でのミスが度重なり、上司の机の前で、これでもか!というくらいに、彼女は叱られていた。誰も言葉が発することのできないくらいに部屋の空気が張りつめた中、ただただ上司に頭を下げていた。
そんな彼女が落ち込んでいるのではないかと少し心配になり、その後、部屋を出て声を掛けたら、「済んだことは反省して終わり!次が大事!」と、ガハハハッ!と笑いながらあっけらかんとしているのであった。
一方、当時の私はというと、すごく生真面目だった。
「ちゃんとやらなきゃ……」「いい人でいなきゃ……」という価値観に、がんじがらめになっていた。その理想とのギャップに悩み、落ち込んだ。解決策を見つけるべく、自己啓発本もずいぶんと読み漁った。
でも、その人を見ていると、真面目に考えて悩んで落ち込んでしている自分がなんだか馬鹿らしくなってきたのだ。悩んだり真剣に考えたりしたところで、成果なんて大して変わりはしない。むしろ悩んで動きが止まってしまっている時間が多ければ多いほど、成果は悪くなることのほうが多い。
この出会いから、考え方が変わりはじめる。悩んだりすることがあっても、私は、その悩みを頭の中の「クローク」にしまい込むようになった。今考えても答えも出ないものは、いったん箱にしまっておく。時間が経って自分が成長していく中で、情報が必要になった瞬間に取り出すことができる。
このことに気づいて以来、悩むということ自体をしなくなった。そんな暇があれば、「いかに笑い飛ばすか」を考えるようになった。ものすごく大きな変化である。
その後、美容学校の教員としてはたらいた。この仕事は、見事に私の「好き」と「向いている」の両者がフィットした職業だった。自分の不器用な部分や理屈っぽい部分は、美容師としては「弱み」である。しかし、物事を指導する教職という仕事においては、この理屈っぽさは「強み」に変わった。
自分が何に向いているかなんて、元々は分からなかった。挑戦してみて初めて、自分の得意に気づいたのだから、やはりチャレンジを続けるということには意味がある。料理だって、食べるまでは味は分からない。それと同じである。もし食べてみて口に合わなければ、笑い飛ばせばいいだけの話だ。
そんな変化から、私は、教職という誰かの人生に触れることのできる仕事に巡り合えた。そこで自分の力を発揮できたことで、過去の苦労や挫折が肯定され、意味のあるものに変わっていった。
―――
美容学校の教員を経て、現在は福祉業界へ転身し、放課後等デイサービスの経営を行っている。美容業界で育った私が福祉に携わるようになったのは、自分の身近なところに発達障害のある方がいたからだ。発達障害とは発達の凸凹のことで、出来ることと出来ないことの差が激しいのが特徴。その「出来ない凹」を補うのではなく、「出来る凸」を幼少期から伸ばすことができれば、面白い大人を育てることができ、未来を明るくできるかもしれないと思ったのだ。
とはいえ、教職を辞め、一念発起し、未経験の福祉事業で起業。
悩みや恐れが無かったといえば嘘になる。でも、まずはやりたいことをやってみないと、人生は面白くない。人生は一度きり。二度はないのだから、エキサイティングで楽しくありたい。
今の私は、「『福祉×オシャレ』で世の中の障害や福祉業界に対するイメージを明るく華やかにすること」を、生涯をかけたMISSIONとして活動している。「オシャレ」と、「福祉」。過去の経験が、すべて活きている。考えすぎていた自分から脱し、挑戦を続けたことで、過去の挫折も糧にすることができたのだと思う。
そして、夢や目標を掲げて挑戦するうえで、もう一つ大事にしていたことがある。それは、自分の夢を熱量をもって本気で誰かに伝えること。それも一人や二人ではなく、できるだけ多くの人に。
「叶う」という漢字は、「口」に「十」で「叶う」と書く。でも、実際のところ十回夢を口にしたところで夢や願いは叶わないのではないかと思う。夢を叶えるのであれば、本気の夢を1万人に伝えてほしい。そうすると、おぼろげだった夢も、伝えていくうちに「この部分ってどんな風にするの?」「それを実現したいんだったら〇〇さんに会えば道は開けるかもしれない。よかったら紹介するよ?」とか、どんどん夢が具体化していき、気づけば夢がかなっていたりする。だから、私の中で「かなう」の文字は叶うではなく「ロ万う」だ。
もちろん言うだけでは夢は実現しない。あとは、行動するのみ。
行動に伴う失敗を、私は受け入れられるようになった。そして、挫折や悩み苦しんだ時期も、今となっては財産となっている。死ぬ直前に、最高にエキサイティングな人生だったといえるように、今を一生懸命生きていこうと思う。
失敗しても、大丈夫。
そのときは、また、笑いとばせばいい。
(写真/筆者提供(2枚目の本人写真))
平林 景さん SNSアカウント・ホームページ Twitter https://twitter.com/tottolink Instagram https://www.instagram.com/kei.hirabayashi/?s=09 Facebook https://www.facebook.com/kei.hirabayashi.3 ホームページ https://smappon.jp/pba0cs3y |
本連載は、さまざまな筆者の「うまくいかなかった日」に関するエッセイを交代でお届けします。
第1回目:大平一枝さん「やる気だけでは乗り越えられないと知った日」
第2回目:あかしゆかさん「『わかりやすさ』に負けないと決めた夜」
第3回目:小島由香さん「中学でハブ、オフィス解散。孤立から学んだチームとのアイコンタクト」
第4回目:西村宏堂さん「『怒りの波紋』に飲み込まれないために」
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