「イチローズモルト」生みの親が大切にする、“現場主義”と“良いものを作り続ける信念”
世界5大ウイスキーとして世界中から愛されるジャパニーズウイスキー。特にこの5年、国内では小規模メーカーの職人がこだわりを持って造る「ジャパニーズクラフトウイスキー」がブームになっています。その中で“クラフトウイスキーの父”と言われ、ブームの筆頭株ともいえるのが、埼玉県秩父市に蒸留所を構える「イチローズモルト」です。今回は、そんなクラフトウイスキーのブームについて、イチローズモルトの生みの親である、ベンチャーウイスキーの肥土 伊知郎(あくと いちろう)さんにお話を聞いてきました。
プレミア化する「クラフトウイスキー」。このブームを、造り手はどう感じているのか
──イチローズモルトはプレミア価格がつくほど人気のあるウイスキーです。肥土さんご自身は、このブームについて、どう感じていますか?
もし今、日本のクラフトウイスキーがブームだとしたら、ブームはいつか去っていきます。そのリスクを回避するために私たちができることは、いいものを造り続けることしかないんですね。ブームって、実は私たちにとって、あまり関係ないんです。
──「いいものを造り続けるだけ」という言葉、“クラフトウイスキーの父”とも言われる肥土さんがおっしゃると、ズシリときますね。その考えにいたるまで、何か原体験があったのでしょうか?
そうですね。今でこそクラフトウイスキーブームと言われていますが、振り返れば、イチローズモルトは最初、従業員でさえ「個性的で売れない」と言うようなウイスキーだったんですよ。
でも個性的だからこそ、マスを意識したものではなく、ウイスキー愛好家たちに喜んでもらえるような「高品質で美味しいものを造る」ことを意識していたんです。それを続けていたら、あとはマーケットが勝手に広がってくれました。
私たちのやっていることは昔から変わっていません。
「個性的で売れない」と言われたウイスキーが「これは売れるかもしれない」という自信を獲得するまで
──なるほど。とにかく品質を追求する姿勢がよく伝わってきました。肥土さんがベンチャーウイスキーをはじめて製品化するまでのストーリーを教えてください。
私の実家は造り酒屋をしていました。私は新卒でサントリーに入り営業をしていたのですが、しばらくしてから、父から「家業の造り酒屋の経営が思わしくないから帰ってこないか」と言われたんですよね。私もちょうど「ものづくりがしたい」という気持ちが強くなってきたので、サントリーを辞め家業を手伝うことにしたんです。
家業は、日本酒や焼酎、清酒、ワインリキュール、スピリッツなどを手がけていたのですが、その中に、祖父がつくったウイスキーの原酒があったんです。私は事業拡大できるものはないかとその原酒を試飲することにしました。
──なるほど。
原酒を飲んだ実家の従業員からは「個性的で売れない」と言われていたのですが、私も実際に樽から原酒を飲ませてもらいました。それを私は美味しいと感じたんですよね。ある意味、直感といいますか……。
そこで、ウイスキーの味がわかる人に試してもらおうと、都内のバーでバーテンダーに原酒の感想を聞いて回るようになったんです。6年間勤めたたサントリーを辞めて実家に戻ってきたころで「バカ息子が毎晩バーで飲み歩いてる」なんて噂されることもありました(笑)。
──原酒をテイスティングしたバーテンダーたちはどのような反応だったのでしょうか?
「いいね! これ、買えるの?」とポジティブな感想でした。当時は水割りに合うウイスキーが好まれた時代。パブやスナックでママにお酒をつくってもらってたくさん飲めるよう、すいすい飲めるウイスキーがウケたんです。
一方、私たちのウイスキーはシングルモルト。ゆっくり飲んで個性や複雑さを楽しむものだったので、向いているターゲットが違ったんだと気付きました。本格的に造れば造るほど、言ってみれば飲みにくく個性的なものができてしまっていたんだなと。
結局、家業の造り酒屋は業績が回復することはなく、売却してしまったのですが、廃棄寸前だった原酒を引き取り、「ベンチャーウイスキー」という会社を設立しました。そしてそこからその原酒を元にイチローズモルトの製品化が始まったんです。
──ウイスキーの市場はすでに右肩下がりの状況だったかと思います。製品化に、不安はなかったのでしょうか。
多くの人は飲みやすいウイスキーが好きだったり、そもそもウイスキーが好きではないと思っていました。でも、原酒のテイスティングや製品化後にイチローズモルトを1本でも扱ってくれないかとバーに行くようになり、老若男女目をキラキラさせながら、ウイスキーの味や香りの違いを楽しんでいる方がいることを知りました。“この人たちに喜んでもらえるようなものをつくればきっとうまく行くはず”と思ったんです。
また、バーに通う中で、「ウイスキーが製品化されたらうちも置きますよ」と言ってくれる方も多く、製品化した際に実際に持っていって、さらにそこの酒屋も紹介していただくという流れができたので、少しずつうまくいくかもしれないという気持ちが強くなっていきました。
現場の声を味方に、製品化されたイチローズモルト。現在の人気に至るまでの転機は?
──イチローズモルトのターニングポイントは、ウイスキー専門誌のプレミアムジャパニーズウイスキー特集だったそうですね。
イチローズモルトの製品化後は、バーに通って1本ずつ売っていったり、そのバーに卸している酒屋さんを紹介してもらって、じわじわと売れていました。
転機になったのは2006年。ウイスキー愛好家やプロが愛読する『ウイスキーマガジン』という世界各国で読まれているウイスキー専門誌で、プレミアムジャパニーズウイスキー特集にうちのウイスキーが取り上げられ、最高得点を取ったんです。評価については意識していなかったんですが、サントリーの「山崎25年」など人気ウイスキーもある中での最高得点だったので、なんとなく愛好家の間でざわついて。爆発的に何かがあったわけではないですが、それがイチローズモルトが知名度を獲得したきっかけとしては大きかったのかなと。
──評価された理由は、どんなところにあると思いますか?
言語化するのはなかなか難しいですが、ウイスキーとしてのおいしさを持ったバランスとパンチのある個性があったことですかね。評価されたイチローズモルトはシェリー樽熟成と、王道系の味ですが、その良さもあり、全体的にウイスキーとしてのおいしさはしっかりあったところが得点につながったのかなと思います。ウイスキーは減点方式じゃなくて加点方式なんです。すっきりと飲みやすいだけじゃ点数に繋がらない。いろんな味の要素を持っていたのが総合的に評価されたんじゃないでしょうか。
──肥土さんから見て、日本のウイスキーづくりのレベルの高さは、どんなところにあるんでしょうか。
一言で言えば、ものづくりのDNAでしょうか。これはサントリーさん、ニッカさんといった先輩たちが築き上げてきた資産だと思います。外国のものを自分たちの手で品質を上げて、「本場よりもいいものを」というものづくりに対するこだわりが日本のウイスキーづくりの土壌にはありました。
また、日本の気候や風土も、品質に影響していると思います。ウイスキー造りにおいて蒸溜所で人の手を使うのはせいぜい1~2週間程ですが、熟成には何年、何十年という年月を費やします。ウイスキー造りにおいて、99%の時間は熟成期間ですが、四季があってメリハリのある温度変化が、ウイスキーの熟成を深めてくれるんです。造りへのこだわりと気候、風土、これらがジャパニーズウイスキーを世界的なものにしてくれたんじゃないかなと思いますね。
──今のクラフトウイスキーについてはどうお考えでしょうか。
私がイチローズモルトを作り始めた2004年頃は、仲間がほかにいなかったんです。しかし、その後クラフトウイスキーが少しずつ注目され、2016年ごろに立ち上げた人たちが、私の次の世代。ウイスキーに対して、いいものを造りたいという熱意のある人が多い世代ですね。
今はいろんなタイプの造り手たちがいて、いいものを造りたいという人もいれば儲けのことを一番に考えている人もいて、玉石混交状態。いいものを造ろうとみんなが思ってくれればジャパニーズウイスキーのレベルが上がっていくので、一人でも多くその気持ちを持ってくれたらうれしいです。
──これから先、肥土さんがしたいことを教えてください。
経営者でありながら、一人のウイスキー愛好家としての将来の夢があるんです。それは、イチローズモルトの秩父蒸溜所でできた30年もののウイスキーを飲むこと。今までお世話になった人たちと一緒に飲めたら、幸せなウイスキー人生だったのではないかと思います。それまで、あと17年。その目標に向かって、ウイスキー専業メーカーとしてウイスキーづくりに必要なことを今後も見つけて取り組んでいきたいなと思っています。
──例えば、17年後のウイスキーはどんなものになっていると考えますか?
正直、まったくわかりませんね。お酒ってムーブメントで、その時代に何が飲まれるかは常に変化していくものです。飲み方も、ストレートでちびちび飲んだり、ハイボールでガンガン飲んだり、時代ごとにいろんな飲まれ方をされていくのかなと。
ただこれからの時代、大量に飲んで酔っ払うより、むしろ少しの量を時間をかけて味わい深く召し上がっていただく。そういう飲み方の方が時代の流れにあってくるのかなという気がします。うちはそこからのスタートなので、その提案は今後もブレることはないです。
たとえどんなムーブメントがきても、どんな飲まれ方をしても、バーの棚からウイスキーがなくなったことは、一度もないんですよね。私はそこに残してもらえる美味しいものをつくっていきたいと考えています。
(文:金澤李花子 編集:高山諒(ヒャクマンボルト) 写真:Ban Yutaka)
※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。