話題の「精神分析」とは?精神分析家になるには?先生に聞いてみた
日本ではあまり馴染みのない、「精神分析家」という仕事。有名ファッション誌『VOGUE JAPAN』で、歌手の宇多田ヒカルさんが精神分析を「9年近く受けている」と明かした(参照)ことから、一時話題になりました。
岡田暁宜(おかだ あきよし)先生は、日本ではあまり多くはない精神分析家の一人です。現在、慶應義塾大学で精神分析を教え、また、診療所や大学の保健管理センターなどの医療機関で精神科医としてはたらきながら、名古屋市と藤沢市にある自身のオフィスで精神分析家としての活動をしています。
精神分析とは一体どういうものなのでしょうか。また、精神科医でもカウンセラーでもない「精神分析家」には、どうすればなれるのでしょうか。岡田先生のキャリアや、精神分析家としての考えに触れながら、その真相を探ります。
分析は週4回以上、数年以上に及ぶのが普通
──精神分析とはどんなもので、心理カウンセリングとはどう異なるのですか?
精神分析とは、20世紀のはじめに、ジクムント・フロイトというオーストリアの神経学者が始めた、人間の心理を理解あるいは研究する方法であり、神経症から始まった心の病に対する治療法でもあります。
よく耳にする「心理カウンセリング」は、主に傾聴や受容や共感などの支持的な関わりによって相談者の心の成長を援助することを目指していますが、精神分析は、分析者との共同作業によって、患者さん自身が今まで気づいていなかったことに気づくこと、つまり発見や洞察を通じて、患者さんの心の中の無意識にあるものを意識へと表出し、新しい何かを体験していくことを目指しています。これはあくまで、私が考える精神分析ですので、全体でみると、さまざまな学派や立場による違いがあるように思います。
──やり方に違いはあるのでしょうか?
心理カウンセリングでは、カウンセラーと相談者はお互いに相手が見えるように対面して座り、主に言葉を用いて、自由に交流する設定で行われます。これに対して精神分析は、患者さんは寝椅子に横たわり、「自由連想法」という方法を用いて、心に浮かんだことを自由に言葉にするという設定で行われ、分析者は、患者さんから直接見えないように頭の後ろなどに座り、患者さんの自由連想の言葉に静かに耳を傾けます。
──精神科治療と精神分析はどう違うのでしょうか?
先ほどの心理カウンセリングと精神分析の違いのように、外からみると似ていても、中心にある考えや目的などはかなり違います。
精神科とは、保険診療を行う医療機関における診療科の一つで、そこでの治療は、精神の疾患や障害を抱える患者さんの症状を軽減することや、社会や生活への適応を向上させることを主に目的にしています。
精神科の外来では、診断書の作成や薬物療法、精神療法などが行われます。そのうちの「精神療法」には、
- ● 心理教育
- ● 支持的精神療法
- ● 認知行動療法
- ● 精神分析的精神療法/力動的精神療法
などがあり、精神科医だけではなく、臨床心理士の先生が担当することもあります。
精神科外来を受診した時、診療明細に「標準型精神分析療法」という記載があっても、正確には「精神分析」ではなく、「精神分析的精神療法/力動的精神療法」であることも多いです。とても紛らわしく、内実を知らないと理解しにくいかもしれませんが、専門家からみると、「精神分析的精神療法/力動的精神療法」は、精神分析の“応用的な実践”といえるでしょう。
──精神科外来を受診時、診療明細に「精神分析」という表記があったとしても、それは「精神分析療法」とは異なる、ということですね。
ええ。そのほかにも「通院精神療法」や「認知行動療法」という名称も存在しますが、
いずれにしても精神科では、患者さんの症状の軽減や適応の向上のために現実的、かつ具体的なことを扱っているように私は思います。
それに対して精神分析は、先述のように、患者さんが自分自身の心についての発見や洞察を通じて、分析者とともに新しい何かを体験していくことです。そう考えると、精神分析は「心」の作業をするのに対して、精神科での治療は主に「脳」の作業をするといえるのでしょうね。
──どのような流れで精神分析は行われるのでしょうか?
まず私から、自由連想法の方法や取り決めについて、患者さんに説明します。実際の分析セッションでは、最初に患者さんを面接室に呼び入れた後、患者さんには、靴あるいはスリッパを脱いで寝椅子に横になってもらいます。その後、患者さんは自由連想を始めますが、その流れはすべて自由です。つまり、すべてがアドリブで進みます。私が必ず行うことは、面接室に患者さんを呼び入れることと、分析セッションの終了時間を患者さんに伝えることです。
分析セッション中、私は患者さんの連想をぼんやりと聴いています。よく分からないなと思うことがあれば、私の方から「それはどういうことですか?」などと尋ねることはありますが、話すテーマや内容を私が指示したり、宿題や課題を出したり、インタビューのように事前に聞きたい内容を準備したりすることはありません。私の役割は「聞くこと」よりも、「聴くこと」が中心です。
──分析中、先生はほとんど言葉を発しない、ということでしょうか?
結果的にそうなることが多いです。患者さんの自由連想を聴く過程で、私の中で理解が進んで、患者さんが気づいておらず、気づく必要があると思うことがあれば、私から一つの「解釈」を伝えることがあります。そして、それに対する患者さんの自由連想を含む、さまざまな応答にさらに耳を傾けます。
自由連想法とは、患者さんが話したいことを自由に選んで自由に話すことであり、それは、「話したくないことは話さなくてもよい」という自由が保証されることによって可能になると思います。患者さんは自由連想法を続けるうちに「自由」と「不自由」の間を行ったり来たりするでしょうね。そのような心の状態になることが、“無意識にある何か”を表に出すために必要であり、そうした分析状況を生み出す地道な方法が自由連想法である、と私は考えています。
――セッションにかかる時間や通う回数、費用について教えてください。
標準的な精神分析の分析セッションは、1回45分か50分という設定で、週4回以上の頻度、かつ数年以上に渡って行われます。「数年以上」という表現には幅がありますが、分析の終結となると、私の経験では2~3年から10年以上までさまざまで、患者さんの抱えている問題の質や、分析の過程によって異なります。
精神分析は分析者と患者さんの契約で行われますので、1回の料金は分析者によって異なります。地域によっても違うと思いますので、一概には言えませんが、おそらく1回1万円前後に設定されることが多いのではないでしょうか。
フラストレーションに耐えられる「健康さ」も必要
──話す内容はつきないものですか?
精神分析の基本的な方法である自由連想法には、ある種の矛盾があります。つまり、話したいことが心に浮かんでくるうちはよいのですが、そのうち、話したいことが何も浮かばなくなったり、話したいことがあっても分析者にうまく伝わらないと感じるようになったり、心に浮かんだことを言葉にするのが難しいと感じるようになったりしますし、分析者の解釈で不快に感じたり、傷つくこともあるかもしれません。
精神分析を受ける過程で、こうしたフラストレーションが増してゆきますと、患者さんは、自由連想法を通じて、自由を体験しながら、どんどん不自由を体験するようになり、精神分析が辛いと感じるようになるかもしれません。
そうした時、今まで患者さんの心の中の無意識にあった、過去あるいは子どものころの不自由な体験や辛い体験など、自分の心の中に閉じ込められている、かつてのさまざまな記憶や感情や考えが活発になります。
そして、かつての体験を分析者に向けるようになります。これを「転移」と呼びます。そのような状況において、たとえば「今あなたは、私のことを、幼いころのお母さんのように感じているのかもしれませんね」などと、患者さんに一つの「解釈」として伝えたりします。
そこで患者さんが「ああ、そうか、そういうことなんですね」などと気づきをもたらすこともありますが、そうでないことも多いです。そういうときには、解釈の内容が間違っていることもあるでしょうし、患者さんにとって「思い出したくないこと」や「認めたくないこと」で内容であることもあるでしょう。後者の場合には、気づくことを困難にする葛藤や不安が「抵抗」となっている可能性があると思います。
──それが、患者さん自身が「不自由を体験する」ということなのですね。
このような「転移」や「抵抗」を経て現実をありのままに捉えられるようになるための作業を、何度も何度も繰り返し行うわけです。精神分析は、長期に及ぶ大変な作業です。精神分析という方法が適合する方とは、精神分析を必要とするほどの心の病気があり、同時に精神分析の作業に耐えられるほどの心の健康がある方だと思います。
──現在、先生のところで精神分析を受ける方には、どんな方が多いのでしょうか?
これまで私が担当した方は20代から40代の方でした。私のところで精神分析を受けることになった主訴や経緯はさまざまですが、精神科医や臨床心理士の方から私を紹介された方、精神分析に関心をもった専門職の方などが増えています。いずれにしても精神分析を受ける方は、自分史を踏まえて、現在の自分の心に関心もち、分析者とともに未来に向けて心の作業をしたいと思っている方だと思います。
ただ実際には、私のところに来られて、すぐに精神分析を始められることはほとんどありません。初めてお会いする場合、基本的に心身の不調を含む、何らかの心理的な困難に直面し、仕事や生活や対人関係などがうまくいっておらず、心理的ケアを求めている方がほとんどです。
初回面接の後に、その方がどのような人生を送ってきたのか、どのような性質の問題を抱えているのか、どのような支援を必要としているのか、精神分析の作業が役に立つのか、実際に精神分析を受けることが可能な状態か、などについて見立てをします。それによって、精神科での治療や、精神療法をお勧めする場合もあります。
──精神分析を受けるには、どこに行けばいいのでしょうか?
私が知る限りでは、現在、日本で精神分析を実践している人たちの活動地域は関東、福岡、中国、関西、中部などのごく一部の地域ですので、精神科受診のようには、精神分析を受けることができないのが現状だと思います。
現在、精神分析を実践している精神分析家や精神分析家の資格取得を目指している候補生の多くは、診療所などの医療機関や個人オフィスなどの非医療機関において精神分析を実践していると思います。
一つの傾向として、個人オフィスで開業している先生の場合には、ホームページなどではオフィスの住所を公開せず連絡先のみを公開し、相談の予約をとる際に、改めて相談者にお伝えすることが多いように思います。
「それなりの覚悟が要る」 精神分析家への道のり
──岡田先生は、どのような経緯で精神分析家になろうと思われたのですか?
私は幼いころから、内科の開業医として地域医療に貢献した祖父や父親の姿を見ていた影響もあり、内科医として父親の診療所を継承するつもりでした。24歳で医学部を卒業した後、父親の母校の大学の内科の医局に入局しました。内科医としての研修や地域医療を経験した後、大学院で心身医学として自律神経の研究に携わり、臨床(実際の診察)では、内科医として身体疾患の治療とともに、心療内科医として摂食障害、身体表現性障害、過敏性大腸などの心身症の臨床をしていました。
研修医のころから、入院患者の担当になると、毎日ベッドサイドに行って患者さんを「診る」ことになるのですが、患者さんは私にいろいろな話をされるんですね。そういうときに、私の中で、かつて父親から何度も教えられた「患者さんの話をよく聴きなさい」という言葉が意味をもつようになりました。何を聴くのかいうと、疾病や症状などの「身体」の向こうにある「心」というものです。それを聴くことが重要であると実感するようになりました。
そのころから、精神分析の書物や精神分析のセミナー、患者さんとの体験を通じて、私の臨床的な関心は精神分析学へと変わってゆきました。精神分析家の資格を取得された先生が主宰するグループスーパービジョンや精神分析のセミナーなどに参加するようになり、そこでの交流や体験を通じて、精神分析には一生をかけて取り組む価値があると思って、精神分析家になりたいと考えるようになりました。
──精神分析家になるためにはどのような資格が必要なのでしょうか?またどのような訓練を受けるのでしょうか?
基本的に国内外にある精神分析インスティチュートで訓練を受けて、精神分析団体の認定を受けることになります。国際精神分析学会(IPA)の日本支部である日本精神分析協会(JPS)の精神分析家になるためには、JPSで候補生として登録された後、JPSの精神分析インスティチュート(*1)で精神分析の訓練を修了して、JPSで精神分析家として認められる必要があります。
*1 日本精神分析協会の精神分析インスティチュートは、東京と福岡に支部があります。
候補生になるためには、まず候補生志願者として、次の3つの要件を満たす必要があります。
1、基礎資格として、医学部を卒業あるいは大学院の修士課程を修了した後に5年間の精神医療か心理臨床の臨床経験があること。つまり、医師免許か臨床心理士認定のどちらかを取得していることが前提になります。
2、JPSが認める精神分析の基礎セミナー(*2)を修了していること。
3、日本精神分析学会(JPA)での一般演題以上の発表があること。
そのほか、JPSの正会員1名の推薦状が必要です。
*2 基礎セミナーは、東京の「精神分析基礎講座」、福岡の「精神分析セミナー」、広島の「広島精神分析セミナー」の3つで、それぞれ3年間のコースです。
こうした要件を満たして、候補生志願者として認められたら、JPSの訓練分析家(候補生に対しての訓練分析や教育分析を行う人)から最低1年間の審査分析を受けます。審査分析を終了して、候補生として登録されたら、JPSの精神分析インスティチュートで精神分析の訓練を受けることになります。
訓練の内容は、審査分析に引き続いて訓練分析を受けること、2例の精神分析を実践しながらスーパービジョンを受けること、アドバンストセミナーを受けること、です。すべての訓練の項目を終えたら、臨床論文を提出し、訓練修了が認められます。その後、面接や投票などの手続きを経て、初めて精神分析家として登録されます。こうしてはじめて精神分析家と名乗ることを認められます。
――岡田先生はいつ精神分析家に?
私は、2004年12月、37歳のときに精神分析家の候補生として登録され、2010年12月、43歳でJPSの精神分析家として登録されました。しかし、精神分析家になるまでの道のりは、楽なものではありませんでした。精神分析家になるためには、時間的にも経済的にも体力的にも、生活と仕事と訓練を両立することが重要になります。私は愛知県を拠点に活動していたため、JPSの精神分析インスティチュートの支部がある東京や福岡のように訓練を受けやすい状況にはありませんでしたので、特に地理的な要因による苦労がありました。
精神分析の治療は、決して“万能”ではない
──先生にとって、精神分析とは?
私は、大学や医療機関ではたらきながら、個人オフィスで精神分析家としての活動を細々と続けている状況です。精神分析家としての活動は、パートタイムですし、精神分析家になってからまだ12年程度の経験しかありません。ですのでそのような問いに対して自信をもってお答えできませんが、精神分析は、私の人生という過程の一部であるのは確かですし、私の精神生活の中心にあると思います。精神分析家としての考えや実践も、その後のさまざまな経験を通じて変わっていくものかもしれません。私がいつまで生きるのかわかりませんが、せめて自分が死ぬときには、私にとって、精神分析とは何かという問いの答えがわかるとよいだろうなあ……と思います。
私は、精神分析の勉強を始めたころには、人間の無意識にアプローチする精神分析というものに無限の可能性を感じていました。その後、精神分析家になる過程において、精神分析に対して抱いていた幻想というか、転移というか……、理想化に気づくことがありました。
その後、精神分析家として精神分析を実践していて、進展があるようにみえても、内的な変化の乏しい方もおられるように思います。そのような状況では、分析者の理解や介入が適切でないという可能性がありますが、患者さんと分析者にとって精神分析はどのような意味があるのだろうか……、などと考えることもあります。「精神分析の限界」というか、精神分析によって到達できない領域があることを受け入れるのも一つの精神分析の過程なのかもしれないな……と最近は感じています。
現在の私の考えは、「精神分析の理解は万人に役立つが、精神分析の治療は万能ではない」ということです。私は「等身大の精神分析」であることを大切にしていきたいと思っています。
──読者へのメッセージはありますか?
近年は何かと多様性が尊重される時代ですよね。人の考え方、在り方、生き方だけでなく、心の臨床の理論、方法、選択も多様化しているように思います。その中で、精神分析家の存在や精神分析の仕事は、社会的に広く認知されているわけではないと思います。今日、さまざまな要因で心理的な困難を感じている方は少なくないと思いますが、精神分析がすべての人の心理的困難の解決に有用だとは思えませんし、精神分析が向かないと思われる方もおられると思います。
しかし、自分史とともに自らの心の扉を開き、自分の人生を少しでも意味のあるものにしたいと考えておられる方は、ぜひ、精神分析家のオフィスの扉を叩いてみてください。私が所属しているJPSの精神分析インスティチュートには、精神分析が役立つと思われる方に分析者を紹介する精神分析クリニックがあります。精神分析の向き不向きを含めて、見立てをさせていただいた後、低額での精神分析を希望される方には、経験豊かな精神科医あるいは臨床心理士である精神分析家候補生の先生をご紹介させていただきます(日本精神分析協会:https://www.jpas.jp/ja/ )。
――最後に、先生自身が今後成し遂げたいことを教えてください。
近年は、さまざまな精神分析の理論や実践とともに、国内外にさまざまな精神分析の団体や組織が存在します。それは、「精神分析の多様化」や「精神分析の分散化」なのかもしれません。精神分析の世界において、私の考えや立場はほんの一部ですので、全体の中で私が成し遂げられることなどはありません。ただ私個人としては、精神分析の多様化と分散化の中で、精神分析の共通基盤を重視する立場でいたいと思っていますし、精神分析臨床においては、自分自身の原点や今までの訓練や活動を振り返り、これからの出会いや運命というものを大切にして、地道に活動してゆきたいと思います。
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