9回サヨナラの場面で打てる人と打てない人の違いは?メンタルトレーナーが解説
9回裏、一発逆転のチャンスで自分の打順が回ってきたら……野球の試合を見ていて、そのような想像をしてみたことはありませんか?
スポーツでも、仕事でも、大きなプレッシャーがかかる局面で、いつも通りのパフォーマンスを発揮することは決して簡単ではありません。しかし、活躍しているアスリート達は、メンタルをコントロールする「スキル」を身に付けることで、それを可能にしています。
では、プロのアスリートは、どのようにメンタルをコントロールしているのでしょうか? スポーツ心理学の研究者であり、プロアスリートのメンタルトレーニングを行う伴元裕さんに、仕事に役立つメンタルトレーニング法をうかがいました。
メンタルとは「心」ではなく「認知力」のこと
──伴さんは多くのプロアスリートのメンタルトレーナーをされています。メンタルトレーニングとは、どういったものなのでしょう?
国際的に採用されているマニュアルの中で「置かれた状況下で思考、集中、イメージをコントロールし、いかなる状況でも「置かれた状況下で思考をコントロールし、パフォーマンスを発揮するスキルを育むプロセス」と定義しています。フィジカルのトレーニングと同様に、メンタルのトレーニングによってパフォーマンスを向上させていくためのものです。
──「心」の面からパフォーマンスを上げていくということですね。
そうですね、もっと正確に言えば、メンタルトレーニングでいう、メンタルは「心」ではなく、「認知力」というふうに考えられているんです。
──認知力、ですか?
オリンピック史上、最もメダルを獲得している国はアメリカです。アメリカのオリンピックトレーニングセンターのメンタルトレーニングマニュアルの一番最初のページには、「状況」「思考」「感情」3つに分けて考えましょうと書かれています。この「思考」にあたるのが「認知力」です。少しややこしいので、先日行われた2023WBC(ワールドベースボールクラシック)を例にご説明しますね。
──お願いします。
WBCの準決勝、日本対メキシコの試合。9回裏、一打サヨナラの場面で村上宗隆選手に打席が回ってきました。どういう状況に置かれているかという客観的事実。まず、これが「状況」です。
その時、村上選手の中には「これまでの試合で結果が振るわなかった」「打てなかったら叩かれるんじゃないか」「チームを負けさせてしまうんじゃないか」など、いろんな考えが生まれてきてもおかしくないわけです。実際インタビューでは、「もしかしたら代打やバントの指示が出るかも」と考えていたとおっしゃっていました。これをメンタルトレーニングでは「思考」や「認知」と呼んでいます。状況の「捉え方」と考えてもらっても大丈夫です。
すると、その思考によって、緊張や不安といった「感情」がでてきますよね。つまり、一定の状況があり、それに対する捉え方があって、感情が生まれてくる。悪い感情に支配されてしまうとパフォーマンスが下がる。なので、その手前の「思考」をコントロールしましょう、というのが基本的な考え方です。
──なるほど。
村上選手は試合後のインタビューで語っています。代打かバントの指示があると思っていた。でも監督から「ムネ、任せた。思いっきり振ってこい」という指示があったと。その言葉で思考が切り替わり、試合を決定付けるヒットが生まれた。ではその時、彼のメンタルにどんな動きがあったのか、考えてみましょう。
「結果は考えない方がいい」。メンタルトレーニングの基礎、「プロセス思考」
その打席で村上選手は何をしたか。まず、初球から積極的にバットを振りました。それによって、彼は自分の身体がスウェーしている(本来のフォームが崩れている)ことに気付いたと言っています。そして、2球目が投げられる前に、スウェーせずにバットを振るイメージを持ち、スイングを修正しました。ここが重要なポイントです。
村上選手は試合を左右する状況下において「絶対打ってやろう」とか「打てなかったらどうしよう」よりも、いいスイングのイメージを頭に浮かべていたことが想像できます。意識が「結果」ではなく、プレーに向かっていたんです。
結果ではなくパフォーマンスの内容に意識を向けること。メンタルトレーニングでは、これを「プロセス思考」といいます。プロセス思考を身につけることがメンタルトレーニングの目的といってもいいぐらい、重要な考え方です。
良いパフォーマンスが出る時は、圧倒的にプロセスに意識が向いている時なんです。なぜなら、自分の意識によってプロセスを徹底することはできますが、結果というのは自分にはコントロールできないからです。どこまでいっても確証をもてない結果に集中することは不必要な緊張や不安を生み、パフォーマンスを低下させてしまう要因となります。
──重要な場面で、結果を意識して失敗してしまうというのは、多くの人が経験がありそうですね。
そして、3球目。スイングの改善に意識が向かった結果、村上選手は劇的なサヨナラヒットを打ちました。もちろん、彼の思考がサヨナラヒットに直結したと言い切ることはできません。ただ、プレッシャーのかかる状況下で、素晴らしいメンタルコントロールができたということは間違いないでしょう。
──メンタルトレーニングの観点からは、そのように読み取ることができるのですね。
「ゴジラ松井」こと、元メジャーリーガーの松井秀喜さんは日本人で唯一ワールドシリーズのMVPを獲得した偉大な選手です。とにかく、大舞台に強いんですね。
彼は優勝時のインタビューで、「なぜ大舞台で良いパフォーマンスを出せるんですか」と質問をされ、「自分がコントロールできることとできないことをわけて考える。できないことに関心を持ってはいけない。」と回答していました。
英語のリスニングに集中しつつ、同時に数学の問題を解けないように、人の意識は無限にあるのものではなく、限られた資源なんです。それをアンコントローラブルなものに向けていても、無駄に終わっちゃう可能性が高いわけです。反対に、コントロールできる対象に意識を向けられれば、良い成果を得られる「可能性」は高まります。
その思考の整理と集中する力を身につけていくことはメンタルトレーニングの基本戦略です。これはビジネスでもスポーツでも、あるいはどんな仕事にも有効なアプローチだと思います。
──プロセス思考はどのように育むことができますか?
まずは、松井選手のように、置かれた状況でのコントロールできること、できないことを整理していくことをお勧めします。書き出していくと、コントロールできることがいかに少ないかに気づくと思います。結局は自分の思考と行動くらいしか思い通りにならない。おのずとやるべきこと、集中すべきことは絞られていきますね。
これは、アスリートでなくとも日々の生活の中で実践できると思います。自分一人で考える時間をとったり、身近な人にその時の考えを話すということでも整理されていくはずです。
「困難は分割せよ」。アスリートが実践する、やる気が出ない時の対処法
──嫌な仕事、苦手な仕事に向き合う時ってどうしてもやる気が出ないものだと思うんです。「やる気が出ない」など、選手のモチベーションに課題があるとき、伴さんはどのようにアドバイスしますか?
メンタルトレーニングには「報酬とコスト」という考え方があるんです。タスクをやりたくない時というのは、コストが高い状態です。その際には、タスクを遂行したことによる報酬を強く認識する、タスクのハードルを下げる、という二通りの方法があります。
やりたくない、でも絶対にやらなきゃいけない仕事ってありますよね。僕も経験があります(笑)。そんな時は、それをやった後にどんなメリットがあるかっていうことを、考えるんです。1-2分でもいいから、想像する時間をしっかり取ることがポイントです。ここで言う報酬とは、お金だけではありません。タスクが終わった後に来るであろう喜び、そのタスクを行ったことで待っている展開など、そのタスクを行う意味を思い浮かべることが大切です。
未来のことを想像できるっていうのは人間だけがもつ能力なんですよ。つまり自分にとっての報酬、喜びを頭の中でイメージができると、やる気が出てくる。嫌なタスクに向き合う時はなるべく報酬への想像を膨らませてアプローチするのが効果的です。やればやるほど、想像が膨らみやすくなっていきます。脳の筋トレと捉えてみてください。
──もう1つは、どんなアプローチでしょう?
タスクのハードルを下げることですね。嫌なことを分割して考えようという「チャンクダウン」と呼ばれるアプローチです。
苦手だけれど、どうしてもやらなければいけないタスクがあるとします。それが苦手な作業だったらすごく憂鬱ですよね。たとえば、それが5時間かかるものとしましょう。心理的には結構な負担です。
そういう時、タスクを細かく分解していくんです。まずは得意なところから手をつける。うまく分割できないならば、例えば30分×10回というように時間で区切る。意図的に区切りをつくっていくと、心理的なハードルが下がり、気が楽になる。アスリートはこうしたメンタルコントロールを日常的にやっていますね。めちゃくちゃ上手なんですよ。
「困難は分割せよ」という言葉があるんですが、これはメンタルトレーニングのセオリーの1つですね。
目標設定は仕事の質を上げる「テクニック」である。
仕事に応用しやすいという意味では、もう1つ重要なものがあります。それは目標設定の仕方です。メンタルコントロールが得意なアスリートは、目標設定もすごく上手なんですよ。
──「目標設定が上手」、というのはどういうことなんですか?
ある選手が、4年後のオリンピックの舞台に立ちたいと考えます。その選手は、目標から逆算して自分が何をするべきかと計画を立てていきますよね。これを適切に行い、パフォーマンス向上につなげていくスキルのことです。
先月まで谷口彰悟選手が所属するカタールのアルラーヤンというサッカーチームに1ヵ月半ほど帯同していました。谷口選手はなんのためにサッカーを続けるか、カタールの地での経験をどう未来につないでいこうかをとても明確に考えていました。そして、そのために今日何をするべきか、何を伸ばしていくべきか本当に細分化して考えていました。
目の前にある時間を長期的な目標の達成につなげていく。トップを駆け抜けている選手に共通するのは、そうやって時間を無駄にしないという意識です。逆に、それができない選手たちは練習の質が上がっていきません。
目標設定というとタスクやノルマみたいに「やらなきゃいけない」という印象を持たれる場合もあると思うんです。でも、本来はより良いパフォーマンスを発揮するためのテクニックなんですよ。そう捉え直すと、目標設定の質が上がります。
──確かに、仕事にもそのまま応用できそうな思考法ですね。
まさに、僕も企業から研修の依頼を受けることがあるんです。近年、持続的に企業経営をしていくために「ウェルビーイング」という概念がすごく注目されていますよね。社員一人ひとりの心を資本と捉え、心の充実を通して、持続的で長期的な発展を可能にする考え方です。その文脈で、個人がその仕事をする理由と、仕事が生み出す価値を結びつけていく「パーパス経営」という言葉が重要視されています。従業員のパーパスの設定をお手伝いするための研修をする機会は増えてきました。モチベーションとは、本来意欲ではなく、行動の理由を指します。なぜ働くのか?という理由を自身の価値観とすり合わせていくと、人は主体的になれることを多々見させてもらっています。
──アスリートが実践する目標設定を、ビジネスにも導入している。
企業の方からすると面白いし、イメージを掴みやすいみたいですね。スポーツがすごいなと感じるのは、こういった企業研修の場でお話をしていても理解してもらいやすいことです。
先ほどの村上選手のたとえのように、選手の気持ちを想像することができますよね。実は想像すること自体が、トレーニングにもなるんですよ。特に試合後のインタビューはおすすめです。「どんなことを考えていたんだろう?」「なぜこの判断をしたんだろう?」と考えるクセをつけると、少しずつですがメンタルコントロールは上手になっていくと思いますよ。
(文:高橋直貴 写真:坂口愛弥(玉村敬太写真事務所))
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