酪農家のピンチヒッター!「酪農ヘルパー」が日本の牧場を支えていた

2023年5月18日

一年を通し、乳牛と向き合いながら生乳や乳製品を生産する酪農家。はたらき続ける彼らが休暇を取りたいとき、ピンチヒッターとして出動する「酪農ヘルパー」という職業があるのはご存知でしょうか?今回は「住んでいる人の数より乳牛の方が多い」と言われる北海道・十勝清水町ではたらく酪農ヘルパーの皆さんに、お仕事の裏側を伺いました。

酪農ヘルパーの1日のスタートは午後3時

酪農家は朝・夕2回の搾乳作業が欠かせないことから、実は養豚や養鶏をはじめとする畜産全般の中でも、最も休みが取りづらい業種と言われています。

そんな忙しい酪農家が定期的に休日を取り、ゆとりある経営を展開するために欠かせない存在、それが「酪農ヘルパー」です。生乳生産量が日本一である北海道には、86もの酪農ヘルパーを運営する組織があります。

北海道内でも特に酪農が盛んな十勝清水町にある、十勝清水町酪農ヘルパー有限責任事業組合も、酪農家のワーク・ライフ・バランスを支える重要な団体。今回お話を伺う小畠富見尾さん、最首佑一さん、上田絵美さんの3人も、この組合に所属するメンバーです。

酪農ヘルパー歴14年目の小畠さん(左)は組合の主任。13年目の最首さん(中央)、15年目の上田さん(右)は副主任として、担当割や後輩の育成に当たっている

現在、清水町の組合に所属している酪農ヘルパーは、小畠さん、最首さん、上田さんを含めて9名。そこに地域おこし協力隊が1名加わった全10名で、約90軒の酪農家を担当しています。

「各農家さんの作業状況や、乳牛たちのコンディションはバラバラ。普段は各ヘルパーの経験年数や得意分野、スキルを踏まえながら担当先を決めることが多いです。基本的に若手を配属するときは、ベテランの酪農ヘルパーとペアになってもらい、2〜3名で行動します。農家さんとの関係値なども加味しながら、割り振りを考えていますね」(小畠)

依頼は、酪農家の休暇期間に応じ「1〜2日だけ任されることもあれば、数日間にわたり乳牛たちの世話をする場合もある」という小畠さん。では、家主が不在の中、酪農ヘルパーはどういった業務を行なっているのでしょうか。

「まず、私たちの活動は1日のスタートが午後3時から、という特殊なタイムスケジュールが組まれています。というのも夕方と朝、それぞれ牛の搾乳がメインの業務となっており、そこから逆算して作業工程を組んでいるからです。午後3時から午後8時ごろまでの夕方勤務があり、翌朝5時から午前9時ごろまでの朝の勤務を行い、1日が終わります。

搾乳ではホースのついたミルカー(搾乳器)を乳房に取りつけ、機械で生乳を絞ります。生乳はホースを通って牛舎内に設置された大型タンクに蓄積。その後、JA(販売委託先)のタンクローリーが来て集荷される場合もあれば、農家さんが自ら殺菌・加工作業まで行う場合もあります」(最首)

酪農ヘルパーの業務は搾乳だけではありません。搾乳の前後には、エサやりから糞尿の掃除、寝ワラの交換、子牛の哺乳などの作業もあります。

難しいのは、酪農家によって作業の方法や手順、搾乳に使用する機械などが異なること。酪農ヘルパーは「担当するそれぞれの酪農家が、普段どのように作業を行なっているか」を把握していなければいけません。

清水町の酪農ヘルパー組合では月2回のミーティングを実施し、各酪農家の作業状況や牛たちのコンディションなどの細かな情報を、酪農ヘルパー同士で共有しあいます。

「農家さんたちが長期不在の際は、私たちで牛の健康状態にも気を配りながら、日々の業務を行なっています。特に気をつけなければいけないのは、体調不良の牛。薬を投与している牛から搾乳をしたり、エサに混ぜる添加剤を間違えたりしないよう、細心の注意を払っています」(上田)

「農家さんによって本当に微妙な違いがあるんです。自分が担当するそれぞれの農家さんの作業工程を覚えることは、本当に大変でした。最初の1年は特にメモを取りながら、必死になって覚えた記憶があります」(最首)

酪農家とのコミュニケーションは重要。酪農ヘルパー同士でも共有の伝達ノートを作成し、業務の引き継ぎを行なっている

氷点下20度の環境下でも酪農家に代わり牛たちの世話をする

酪農ヘルパーとして10数年のキャリアを持つ3人。今でこそ酪農家からの厚い信頼を得ていますが、はたらき始めた当初はさまざまな苦労がありました。

「1日が夕方からスタートするという勤務体制に体が慣れるまで、時間がかかりましたね。休日も『夕方から翌朝まで』を1日とカウントするんです。

僕の奥さんは一般的な生活リズムだったので、最初は夫婦ともにスケジュールに慣れることができず、よく揉めていました(笑)。慣れてしまった今は、まったく何の問題もなくなりましたね」(小畠)

「私の場合、最初はコミュニケーションの部分で苦労したことを覚えています。いろんな農家さんがいて、酪農のやり方や考え方もさまざま。そこを理解しながら信頼関係を築くには、やっぱり時間が必要でした」(上田)

酪農ヘルパーに限らず、酪農関係者は体力的な側面で苦労することもしばしば。ホルスタインの雌牛は、一頭あたりの体重が約600〜700kgほどもあるのです。餌や糞尿も小畠さん曰く「ペットである犬や猫と比較するとびっくりするような量」。そのダイナミックなサイズ感にも臆することなく、作業をこなさなければなりません。

「近年は機械化が進み、酪農の作業も楽になりました。とはいえ、まだまだ人力での作業も多いです。牛舎内では糞尿の掃除や寝ワラの交換などの力仕事が多く、やはり体力が必要な仕事だと思いますね。特に冬の十勝は氷点下20度を超える日もあります。極寒の中でも変わらずに作業しなければいけません」(最首)

また寒さの厳しい冬場の出産で気をつけなければいけないのは、出産間近の乳牛や、生まれてきた子牛へのケア。特に生まれたばかりの子牛は寒さに弱いからこそ、入念な健康管理を行わなければいけません。

「冬の時期は乳牛の様子を見ながら、哺乳などを普段よりも丁寧に行うようにしています。特に農家さんが留守の時には、私たちが牛の異変に気づき、適切な対応を取らなければいけません。そういう場面に直面したとき『生き物相手の仕事で、常に生死を間近で感じ、受け止めなければいけない職業なんだ』と感じます」(上田)

「新人のヘルパーが初めて牛の出産に立ち会った時、不運にも死産だったことがあって。かなりショックを受けていました。けれど、それもまた現実。その現実を受け止めながら、乳牛に愛情を持ってはたらける人が、酪農家や酪農ヘルパーに向いていると思いますね」(小畠)

自分がはたらく姿を見て、酪農ヘルパーになってくれた

話を聞けば聞くほどに大変さが伺える酪農ヘルパーの仕事。しかし北海道には全国各地から「酪農に携わりたい」という意思を持った人が集まっています。清水町の組合に所属する酪農ヘルパー10名のうち、北海道出身者は3名のみ。ほかは関西を中心に、中部・四国など、国内のさまざまなエリアから清水町に移住しているのです。

最首さんは東京、上田さんは大阪の出身。小畠さんは北海道湧別町から清水町へ移住。彼女、彼らはどういったきっかけで、酪農ヘルパーという職業に就こうと思ったのでしょうか?

「僕は北海道にある酪農専門の大学に入学し、最初は酪農家として新規就農したいという気持ちがありました。ただ、卒業後の進路を探る中『酪農ヘルパー』という仕事があることを知って。調べてみると、酪農ヘルパーを経て新規就農する人もいらっしゃるんです。

そこで『まずはいろんな農家さんのはたらき方を知ることができる酪農ヘルパーになってみようかな』と思い、就職に至りました」(最首)

「私は知り合いに別海町で酪農家のお嫁さんをしている方がいて、遊びに行ったことがあったんです。牛の飼育や、大きな機械を使った作業など、あらゆることを自分たちで行って経営している姿を見て『酪農っていいなぁ』と興味を持ちました。

最首と同じく酪農の大学に通ったのですが、就活で手当たり次第に北海道内の酪農ヘルパーに応募していたところ、応募先の一つから直接お電話をいただいて。『君はいろんなところに応募しているけれど、一体どこに行きたいの?』と聞かれたんです(笑)。『どこでもいいので酪農ヘルパーとしてはたらきたいです!』と答えた先に紹介していただいたのが、こちらの清水町の組合でした」(上田)

「ぼくは実家も酪農業を営んでいたことから、自然に酪農業界へと進むことになりました。最初の数年は酪農ヘルパーではなく、特定の牧場に従業員として勤務し、現場での経験を積んでいたんです。でもいろんな環境ではたらき、毎日に変化があるほうが自分の性格にも合っていると思って。11年前に酪農ヘルパーへ転職しました」(小畠)

では、酪農ヘルパーという仕事を続けているモチベーションとは?最後に仕事のやりがいについて、3人へお聞きしました。

「農家さんに『上田さんで良かった、ありがとう』と感謝の気持ちを伝えてもらえたときですね。『やっていて良かった!また頑張ろう!』と思えます。今後もここで必要とされる限り酪農ヘルパーとして、農家さんたちの支えになれたら良いなと思っています」(上田)

「僕も上田同様、やっぱり農家さんに感謝された時が一番やりがいを感じます。当初は新規就農を検討していましたが、これからもしばらくは酪農ヘルパーを続けていけたら良いな、と考えています」(最首)

「以前、勤めていた牧場の娘さんが、僕がはたらく姿を見て酪農ヘルパーになったらしいんです。その話を後にうちの親から聞くことができたとき、やりがいを感じました。自分が頑張っている姿を見て『同じ道を歩みたい』と思ってくれたことはとてもうれしかったです。

そうやってどんな仕事でも、頑張っていれば必ず誰かが見ていてくれる。誰かに影響を与えられているんだなって思いました」(小畠)

十勝清水町酪農ヘルパー有限責任事業組合では、常時酪農ヘルパーの募集を行なっている

厳しい自然の中で、常に生き物の生死と対峙する職業だからこそ、酪農家との信頼関係や、ヘルパー同士の連携が必要不可欠な酪農ヘルパー。大変な仕事ではありますが、全国から若い「酪農ヘルパーの卵」も集まり、日々の業務を通して技術を磨いています。

「今、こうして若い子たちと一緒にはたらけるのが楽しいし、みんながこの仕事を長く続けてくれることがうれしい」と語る小畠さん。小畠さん、最首さん、上田さんらが培ってきた技術とチームワークの良さは、後輩ヘルパーへと受け継がれ、今日も十勝の酪農業界を支えています。

(文・國見亜希子 写真:赤堀写真事務所・赤堀正憲)

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ライター國見亜希子
1979年、北海道出身。新聞社勤務を経て2009年9月、編集プロフダクション「スタジオエクリ」を設立。観光、地域振興、子育て情報誌などの企画・創刊・運営に携わる。

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