24歳で失明した写真家「見えなくても撮れる」。大平啓朗さんが全盲で旅する理由。

2025年4月25日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに様々なコンテンツをお届けしています。

今回取材したのは、24歳で失明した大平啓朗(おおひらひろあき)さん。視力を失い、絶望の淵に立たされたのかと思いきや、「新しいRPG(ロールプレイングゲーム)が始まった!」とワクワクしたといいます。

RPGとは、プレイヤーが物語の主人公となり架空の世界で冒険を繰り広げるゲーム。大平さんの前向きさには驚くばかりです。

幼少期から写真を撮るのが大好きで、大学では写真部に所属。現在も写真家として活動し、国内外の旅で出会った人々や景色をカメラに収めています。

周囲からはハンデだと思われることも、それが人生の道を拓くラッキーアイテムにもなりうる。固定観念にとらわれず、世界を見続ける大平さんの生き方に迫ります。

新しい人生のRPG、視覚障害者バージョンのぼくがクリアしていく

──大平さんの現在の活動内容を教えてください。

誰も置いてきぼりにならない世界を目指して活動するNPO法人「ふらっとほーむ」の理事長として講演会をしたり、写真家として国内外を旅しながら撮影をしたり、写真展を開催したりしています。

2016年には、字幕・手話歌・音声ガイドの3つがそろった世界初のミュージックビデオの監督も務め、2021年には自伝的フォトエッセイ『全盲ハッピーマン』を出版しました。

肩書きにはこだわらず、興味のあることにはなんでも挑戦します。ぼくの生き方を通して「どんな環境でも人生の楽しみは見つけられる」と多くの人に伝わったらうれしいです。

──薬品の誤飲で失明してしまったそうですね。

そうなんです。大学生のころ理学部だったぼくは、研究室にあるアルコールの一種、エタノールの瓶の中身をペットボトルに移して持ち帰りました。それを友達との飲み会でお酒がわりにジュースで割って飲んだんです。

ところが、ぼくが飲んだのは有毒なメタノール。瓶の中身が間違っていたのです。

10日間意識不明のまま生死をさまよい、目が覚めてからも会話もままならない寝たきりの状態で、結果的に視力を失うことになりました。

──失明したと知った時の率直な気持ちを教えてください。

両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。自分の軽率な行動で悲しませてしまったことがとにかくつらかった。

でも、見えなくなったことについては大きくへこみませんでした。「自分の行動には責任を持て」と両親に育てられたおかげで、この身体でどう生きていくかに目を向けられたのだと思います。「新しいRPGが始まった!」とワクワクさえしました。

──絶望してもおかしくない状況で、なぜそこまでポジティブになれたのですか?

好奇心旺盛なぼくにとって、新しい世界はどんなものでも楽しみでしかたがなかったみたいです。今まで進んできた人生ゲームの新しいステージが始まったように思えたんですよね。視覚障害者バージョンのぼくがクリアしていくRPGだぞって。

RPGのように捉えることで自分を俯瞰しやすくなって、ありのままを受け止めやすい。それで、誰かと比較することなく自分だけのステージでレベルアップを図れるんです。

実際に生活してみたら、意外となんとかなることも多くて。料理も着替えも、もともとやってきたことですから。ただ、それを目が見えないバージョンでやらなきゃいけないだけで。

目が見えていた時がレベル10だとしたら、料理は3、4、6……、着替えが6、8、9……というように低いところからスタートし、飛び級でレベルアップする感覚です。できることが増えていくって、ワクワクでしかないでしょう?

──なるほど。とはいえ全盲になったことで味わった苦しみもあったのではないですか?

「いつも困っている」と決めつけられること、意思を聞いてもらえないこと。この二つはきつかったですね。

何をするにも時間がかかるから、有無を言わさず手伝おうとしてくれる。何もできないと決めつけられ、どうしたいか聞かれることすらなく、身の回りのことが進んでいくことも……。

みんなの想いはありがたくても、ぼく一人でできることはたくさんある。「助けてほしいときは声をあげるから、今はもう放っておいて」と悲しかったな。自分の存在がなくなっていくような感覚さえありました。

──どのようにそのつらさを乗り越えたのですか?

へこんだときはへこみきるに尽きます。「もうだめ!何もできない!」って倒れて寝転んじゃう。そしてそんな自分を見つめる。

「ぼく倒れちゃったじゃん。RPGだったら回復の呪文かけなきゃだめじゃん」って(笑)。「こんなふうに倒れてる俺もかわいい」と俯瞰して受け入れるんです。そして転んだときに手に触れたもの、それをつかむ気持ちさえあれば大丈夫。大丈夫。

──転んだときに手に触れたもの?

どんなときもそばにある大切なもののことです。仲間の存在だったり、「まだ挑戦したい」という気持ちだったり。それを手放しさえしなければ、また立ち上がれる日は必ず来ます。

失明後、初めての撮影は入院中のベッドの上で

──幼少期から写真を愛してきた大平さんにとって、もう撮れないかもしれないという不安は大きかったのでは?

全然そんなことはなくて。面会できるようになってすぐ、両親に「家にあるカメラを持ってきてほしい」と頼みました。両親はかなりためらっていましたが……。息子を心配する親心からでしょうね。

でもぼくが「全国から友達がお見舞いで集まってくれているんだ!こんな記念ないし、せっかくだからさ、お願い!」としつこく頼むものだから、ようやくカメラを病室に持ってきてくれました。

──失明後、初めて撮ったのはどのような写真だったのですか?

面会に来てくれた仲間の写真でした。ベッドの上でカメラを構えて「撮るよ!」とぼくが言うと、みんなきょとんとして。その場がシーンと静まり返ったんです。きっと「本当に?」「大丈夫か?」と思われたのでしょう。

みんなが黙るのでシャッターチャンスがなかなかつかめなくて、「左端から声出して」と頼んでみたんです。そして一人目が声を発した瞬間、ようやくみんなの顔が心に浮かびました。「そこにいるのか」「え?お前もいたのかよ!」なんて思わず声もかけました。

それで、みんながどっと笑った時にカメラとみんなとの距離感も分かって。「今だ!」と思って撮ったのが、見えなくなったぼくの初めての写真です。

──新しいRPGで写真はどれくらいのレベルからのスタートでしたか?

5か6くらいですね。料理が3からのスタートくらいだったので、結構高めです。昔から写真を撮るのは好きなことだし、ずっとカメラを握ってきたので、ある程度はすぐに感覚をつかめました。

ただ、室内ばかりにいるとそこでレベルが止まってしまうんですよね。音をきっかけにシャッターを切れると気付いたものの、それだけでは面白くなくなってくる。撮る楽しみがまた大きくなり始めたのは、外に出られるようになったことがきっかけでした。

──シャッターチャンスを捉えるための材料が増えたからですか?

そのとおりです。白杖をついて外出できるようになり散歩をしていたら、肌に太陽の温度を感じる。頭上からは葉っぱのこすれる音が届く。

「今、空を見上げてシャッターを切れば、風に揺れる葉っぱと木漏れ日が撮れる!ああ、温度も絵として頭に浮かぶんだ」と。日々、感動がありました。

『こぼれ陽』失明直後、音に誘われ葉の間からこぼれる太陽の温度に感激

温度も撮影の材料になると気付いてからは、風の大きさやにおいの濃さにも感覚が向くようになって、自分の見えるものが増えていったんです。

──大平さんの写真を見ると、ただシャッターを切っているだけではないのが分かります。構図の決め方や被写体を画角に収める工夫はどのようにしているのですか?

おっしゃるとおり、適当に撮っているわけではありません(笑)。人の視野よりも広い範囲を画角に収められる、超広角レンズをよく使っています。

音・温度・においを感じながら撮るには、目が見える人が写真を撮るよりも被写体に近づく必要があります。だから、被写体に近づいても広い範囲を捉えられる超広角レンズを使っているというわけ。

狭い範囲しか画角に収まらないレンズを使ってしまうと、近づくことで被写体が画角からはみ出してしまいますからね。

フランスにて。一人ぼっちのレストランで隣のムッシュに手裏剣を

──「このレンズならここまで被写体に近づける」などの感覚はどのように身につけるのですか?

レンズを買った時点で、そのレンズの画角を把握しておくんです。

まず、誰かに手を広げてTの字で立ってもらい、1枚撮影してみます。次に、撮れた写真をその人に確認してもらって「おーちゃん(大平さんの愛称)、まだ画角いっぱいまでには指先から30cmくらい余裕あるよ」という具合にコメントをもらう。

その後は、声で距離を測って近づいたり離れたりしながらこの作業を繰り返し、レンズごとの画角を頭に叩き込みます。

愛犬とコミュニケーションを取りながら撮影する大平さん

──どんな瞬間に「シャッターを切りたい」と思いますか?

誰かにこの景色を見せたいと感じた瞬間かな。たとえば、エジプトのピラミッド。一緒に来るのは難しいけれど両親に見せたかったなとか。見せたい相手が浮かぶと、撮りたい気持ちが膨らむし、写真にストーリーが生まれるんですよね。

そんなふうに写真を撮り続けるうちに「心でシャッターを切っている、おーちゃんは『写心家(しゃしんか)』だね」と友人に言ってもらったことがあります。

──『写心家』になってからの大平さんの写真は、失明前の写真とどう違いますか?

視力を失ってからのほうが、自分らしい写真を撮れるようになりました。見えるからこそ気にしてしまっていたことを、気にせずに済むようになったからだと思います。

昔は構図にこだわったり、写真雑誌とにらめっこして理屈を語ったりしていました。そうした表面上のスキルばかり気にして撮っても、「何が撮りたかったんだっけ?」と現像してからがっかりするんですよね。

今は違います。「音・温度・においで撮る!」とシンプルになって、写真が撮りやすくなったというか。自分のスタイルをつくろうと思えるようになって、心から写真を楽しんでいます。

失明してからは迷いも消えました。昔はパッと何百枚も撮った挙句、迷うこともあったんです。「これで良いのか?」「どう撮れば正解だったのか?」って。

見えなくなってからは、今この瞬間の1カットに集中して魂を込めている。撮った写真はすべてがオッケーカットです。

愛妻みっちゃんの声に耳をかたむけながら、シャッターを切る大平さん

全盲の写真家がこれから撮りたいもの

──写真家としてこれから挑戦したいことはなんですか?

『み送りの桃色』ノルウェーの船旅で立ち寄った港にて温度を感じながら

視覚障害者の撮った作品としてではなく、大平啓朗の作品として愛される写真を撮りたいです。まずは「作品として面白い」と思ってもらって、その裏をたどると「目の見えない人の作品だったんだ!」みたいな。そんな順番で、障害者への理解が広がったり、新しい価値観が生まれたりすれば良いなって。

目で見てカメラを構えれば、より万人に喜ばれるような写真を撮りやすいのかもしれないけれど、「見えない」という僕のオリジナルが魅力なはず。それで勝負しますよ。

同じく全盲の妻、みっちゃんとともに、世界中を旅して写真を撮り続けるのも夢の一つ。つい最近はヨーロッパを4カ国まわってきました。

──最後に、はたらく環境に不自由さを感じる人へメッセージをお願いします。

ともに世界中を旅する妻、みっちゃんと。イギリス、ロンドンにてビッグ・ベンを背景に

不自由な環境でも、それを受け入れて自分のポリシーを追求すれば、どんな場所にも自分らしくはたらくチャンスはあります。全盲のぼくが写真を撮り続けることでそれを伝えたい!

結局、ぐちぐち言ってもしかたがないんですよね(笑)。世の中には変えられないものもある。

ぼくは、五感の中で大きな割合を占める視覚を失った。だから残りの4つだけを使って生きていくことになった。つまりそれは、聴覚・嗅覚・触覚・味覚で楽しめるものの割合が増えたってことだと思うと、見えないことのおもしろさを感じられるんです。

置かれた環境で幸せに生きて、はたらく方法はいくらでもある。自分なりのRPGの攻略法を見つけられたら良いですね。

(「スタジオパーソル」編集部/文・写真:徳山チカ 編集:おのまり、いしかわゆき 写真提供:大平啓朗さん)

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ライター / 編集者徳山チカ
1991年大阪府生まれ。2児の母。ウェディングプランナー、住宅営業、スパイスカレー屋のパートを経て、フリーランスライターに。主にキャリアや生き方にまつわる記事の取材、執筆、編集を行う。音楽ライブ、ラジオ、スパイスカレー、ハイボールが心のオアシス。

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