「足の裏みたいな顔してるな」。ブスを仕事にしたその日から、世界が大きく変わった話。

2024年9月12日

幼少期から「もやしみたいな目」と言われ、先輩に言われたのは「お前、足の裏みたいな顔しているな」。まるで別人のように変身する「詐欺メイク動画」で知られるYouTuberの「足の裏」さんが動画を投稿し始めたのは、2016年のことでした。

「自分はほかのYouTuberに比べると美しくもないし、動画がウケるなんて思ってもいなかった」と言う、足の裏さん。しかし、1本目の動画は自身の予想に反し、投稿直後に50万回再生を記録。2024年現在までに500本以上の動画投稿を続け、チャンネル登録者数も約46万人を誇る人気YouTuberとなりました。

「私は『ブス』を仕事にしています」。

自叙伝『顔面が「足の裏」みたいなので整形級メイクを仕事にしました』にそう記す足の裏さん。なぜ自身の素顔を晒し、YouTuberとしての活動を始めたのでしょうか。また、自身がメイクに興味をもち、腕を磨くようになったきっかけとは?幼少期から現在に至るまでのエピソードをインタビューしました。

バチバチのギャルメイクに目覚めた高校時代

──メイクに興味を持ち始めたのはいつごろからでしたか?

中学を卒業してからでした。ドラッグストアで女子高生が目を二重にするアイプチの話をしているのをたまたま耳にして「そんな商品があるのか!」と。

実際に買って試してみたら、一重から奥二重になるだけでも雰囲気が変わったんですよね。それで、学校に行くときはアイプチをするようになりました。

──それ以前はメイクに興味がなかったんですか?

自分があんまり可愛くない部類だということは、小さいころから自覚していました。友達に「目がもやしみたい」とか言われることもありましたから。でも小中学校時代は、とにかくそれどころじゃなかったんです。

幼少期の足の裏さん。後ろに写るのは「あつの裏チャンネル」を足の裏さんと共同運営する、夫のあつろーさん

──「それどころじゃなかった」というと。

家庭の事情で生活が厳しく、その日1日を生きることすら精一杯だったんですよ。学校の給食費が支払われていなかったりすることもあって。コスメの知識どころか「自分の顔をどうにかしたい」という意欲すら湧きませんでした。

──でも顔のことを言われ、傷つくことはありませんでしたか?

気にする余裕がなかったからこそ、容姿への言葉で落ち込むことはありませんでした。整形でもすれば万事解決するだろうけれど、整形するお金もないし。変えられないものはしょうがない、と割り切っていました。我ながら「よく捻くれなかったな」とは思います(笑)。

──では、メイクにのめり込むようになったきっかけは?

メイクの世界が広がったのは高校時代です。

ギャル友達に放課後の教室でフルメイクしてもらったんですよ。そのうちに、使わなくなったコスメを譲ってくれるようにもなって。高校からバイトを始めたとはいえ、当時はお金が全然なかったので、とてもありがたかったです。

あと私の学校、結構やんちゃだったんですよ。なんと言うか……、ちゃんと授業を受ける子が少なくて。同級生たちがすっぴんの状態で登校し、授業中にメイク道具を机に広げ、1時間かけて顔をつくっていく。それが日常風景でした。

私も授業中は黒板より、メイクをしている友達の手元を見ている時間の方が長かったかもしれません(笑)。直接教わるというよりも、観察してノウハウを盗みながら、少しずつアイテムの使い方を覚えていきました。

──当時のご自身のメイクを振り返ると、どんな印象ですか?

バチバチのギャルメイクですね(笑)。ただ、高校時代はまさに「メイクにのめり込む第一段階」でした。初めて付き合った彼氏に2カ月で振られてしまったのも大きくて。「なんとか見返したいから可愛くなってやる」と奮闘していました。

もちろん、空回りはしていたと思います。目が小さいことを気にしすぎて、つけまつ毛は重ねすぎるし、先生からも「お前、目が真っ黒だぞ」って言われていたし。でも「メイクをとにかくがんばろう」って突っ走っていた、貴重な時期だったと思います。

プロに言われた「メイク、変だよ」に背中を押される

──高校のギャルメイクが「第一段階」ということは、現在の足の裏さんに到達するまでに、もう何段階かフェーズがあるということですよね。第二段階はいつ訪れたんですか?

ブライダルの仕事に関わっていたときです。高校時代にバイトを始め、そのまま卒業後も正社員としてお世話になっていたとんかつ屋さんを辞め、ブライダル会社に転職しました。

それで転職して早々、仕事で関わっていたプロのメイクさんにはっきりと言われたんです。「あなたのメイク、変だよ」って。

──せっかくメイクをがんばっていたのに、グサッときませんでした?

薄々自分でも気付いてはいましたから(笑)。高校のときも同級生の男子に下から見上げられて「お前の顔、怖いな!」なんて言われていたんですよね。まぶたを無理やり上に引っ張って、目を大きく見せているような状態でした。

メイク歴は長くなっても、当時はまだまだ「コンプレックスを隠す」だけの方法しか見つけられていなくて。だから「メイクが変」と指摘してもらったことで、背中を押された気がしましたね。そこから、違和感のないアイメイクの方法を模索し始めたんです。

そのころには高校在学中からスタートした一人暮らしにも慣れ、少しはお金の余裕もありました。だから二重のりを止め、ほかのアイテムを研究したりして。絆創膏を使って目を二重にする方法を編み出したのもそのころです。

左がメイク後、右がメイク前の足の裏さん

──足の裏さんの代名詞とも言えるテクニックの一つですね。自分が納得できる方法に辿り着くまでに、どれくらいかかりましたか?

メイクさんに「変だよ」と言われてから、半年以上はかかっていると思います。

転職したてのときの写真を見返すと、やっぱり目が重たそうな印象なんですよ。「ああ、この顔で仕事をしていたのか……」と、つい思ってしまうんです。メイクさんの一言がなければ、ずっと変なメイクのままだったはず。本当に感謝しています。

でもこのあと、さらにもう一段階のステップアップがあるんです。それは、YouTubeで動画投稿を始めてからになります。

YouTuberに「なった」のではなく「させてもらった」

──足の裏さんはなぜYouTuberとして活動するようになったのでしょうか?

たまたまYouTubeのおすすめ欄から美容系YouTuberのメイク動画を観ていた当時の彼氏(現在の夫)から「YouTuberをやってみたら?」と提案されたことがきっかけでした。

もともと私は目立ちたいタイプでもないんです。顔を出して配信することはおろか、YouTube自体にも興味はありませんでした。でも「絶対に観てもらえるよ」って半年くらい言われ続けて。2016年に最初の1本目を投稿しました。

足の裏さんが投稿を始めたころの動画「足の裏から人間になるには」

──スッピンをネットに晒すことって、勇気が要ると思いました。抵抗感はありませんでしたか?

「誰も観ないだろう」と思っていたんですよね。1本だけで終わらせるつもりでした。最初の動画が運良くバズって初動で50万回再生を記録したのですが、その数字がすごいかどうかすらも分からなくて。夫が喜んでいたことだけは覚えています(笑)。

──最初は消極的だったはずが、継続して動画を投稿するようになった決め手は?

投稿された動画に、コメントがたくさん寄せられていて。そのたくさんのコメントが、すごくうれしかったんです。「何もできない自分でも、誰かの役に立てることがあるんだ」って。

たくさんの人が自分の動画を参考にしてくれたり、「ためになる」と言ってくれたのがとにかくうれしかった。そこから週に1〜2本のペースで動画をアップするようになりました。

今でも視聴者さんからのコメントには救われています。特にうれしかったのは「引きこもりだったけど、ウラちゃん(足の裏さん)の動画を観るようになってからメイクの楽しさを知り、外に出られるようになりました」というコメントでした。

──それはうれしいですね。

視聴者さんからのコメントにはすごく助けられています。自分がさらにメイクを好きになれたのも、まさに視聴者さんたちのコメントがあったからこそ、なんです。

ブライダル会社ではたらいていたときに訪れた「第二段階」のフェーズでは、自分の似合うメイク・似合わないメイクを理解しきれていませんでした。でも視聴者さんたちが「どこに違和感がある」とコメントを残してくださったおかげで、少しずつ自分に似合うメイクが分かってきて。

──先ほどおっしゃっていた「三段階目のステップアップ」ですね。

メイクの方法だけではなく、「照明を付けた方が観やすくなるよ」「もっとカメラに近づいてみて」といった動画の撮影方法にまでアドバイスをいただいてます。

今の撮影スタイルは、視聴者さんからのコメントのおかげで確立できたと言っても過言ではありませんね。今でもコメントはすべて目を通すようにしています。

──足の裏さんがこうしてYouTuberとして2016年から継続的に活動を続けていられるモチベーションを教えてください。

まず先ほども言った通り、私は目立ちたがり屋でもなければ向上心もありません。我ながら自分のことを「YouTuberに向いている」とも未だに思っていないんです。

その代わり、良い意味で自分を他人と比べることをしてこなかったし、再生数も意識してこなかった。だからこそYouTuberとしての活動1本に絞り、8年も続けられているんだと思います。

ただ「向上心がない」と言えど、私のことを応援して動画を待っていてくださる視聴者の皆さんがいる限りは、動画投稿を続けたいです。だから、原動力は「視聴者の皆さんがいること」というのが答えかもしれません。

あ、でも厳密に言うと私は「YouTuberを続けてきた」というより、「続けさせてもらってきた」かもしれませんね。そもそもYouTubeって再生回数がないと広告収入が入らず、収益化できないじゃないですか。視聴者さんの存在がないと「仕事」とは言えなくなります。

動画の再生回数やコメントを見るたび、視聴者の皆さんに「YouTuberとしてはたらかせてもらっている」と実感する瞬間、多いんです。私がYouTuberを名乗れているのは、いつも観てくださっている皆さんのおかげだと思います。

これからも私のチャンネルをチェックしてくださる人がいる限り、私はYouTuberという仕事を続けたいです。

(文:高木 望)

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ライター高木 望
1992年、群馬県出身。広告代理店勤務を経て、2018年よりフリーライターとしての活動を開始。音楽や映画、経済、科学など幅広いテーマにおけるインタビュー企画に携わる。主な執筆媒体は雑誌『BRUTUS』『ケトル』、Webメディア『タイムアウト東京』『Qetic』『DIGLE』など。岩壁音楽祭主催メンバー。
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