キャリア16年のベテラン執事「ご主人さまのために尽くすことが使命」

2023年12月28日

優秀な同期や後輩が上司によく言われている「おっ、気が利くね」という言葉。自分も言われてみたい……そう思ったことはありませんか?気が利く人の思考回路、知りたいものです。

さて、依頼主の生活や仕事など、身の回りをサポートする「執事」という職業。日本で活躍する執事の一人「ベル(Bell)」こと石井裕一さんは、依頼主のニーズをいち早くキャッチし、先回りした行動を心がける「気配りのプロ」です。

執事歴16年のキャリアを誇り、「全日本執事協会」3代目会長を務める石井さんにとっての「気が利く行動」とは?人に喜ばれる気配りのコツについて伺いました。

海外でブランド化?「気配り」で愛される日本の執事

──本題に入る前に少しだけ、「執事」というお仕事の中身について教えてください。

予定の管理や電話対応、資料作成などの秘書業務から、料理や掃除、洗濯などの家事全般、ほかにも物品管理、財務管理、旅行の予約、買い物同行など。定義としては、「雇用主のニーズを的確に汲み取り、プロとしてフルサポートする」のが執事の仕事でございます。

言われたことの範囲内できちんと仕事を行うのが清掃業者さんや家事代行サービスさんの役割だとすれば、言われないことも含めて自ら考え、最良の形でお手伝いすることが執事の役目。

優雅でありながらも厳格な職責を負い、ご主人さまのために尽くすことが執事の使命です。

──幅広い業務をこなされるんですね。修行の期間もあるのでしょうか?

はい。まずは執事としての専門的な知識やスキルを身につけておく必要があるので、私の場合は全日本執事協会の養成プログラムで、家事や料理、接客、予定管理、イベント企画などから細かいマナー・エチケットに至るまで、さまざまな技能を3年かけて習得しました。

その後はベテランの執事とペアを組み、現場で5年間の実務を行います。こうした期間を経て、正式に依頼をいただける執事になります。

全日本執事協会のホームページより。石井さん含め男女8名ずつ・16名の執事が在籍している

──厳しい教育を受けられるんですね。雇い主はどんな方が多いですか?

国によって異なるのですが、日本の場合は企業の社長や芸能関係などの富裕層がメインです。ただ、実は我々日本執事協会のお得意さまはアメリカやイギリス、ドイツなどにもいらっしゃいます。サウジアラビアの王族からもご用命を承ることがございます。

──スケールが大きい!でも、それぞれの国内の執事に依頼した方が良いのでは。

おっしゃる通り、サウジアラビアなどの場合、日本とは文化や宗教がまったく違いますからね。本来なら現地の執事がお仕えした方がスムーズです。

それでも王族が私たちに依頼するのは、日本の執事に仕えてもらうことが一種のステータスになっているからなんです。実は日本の執事って海外で人気なんですよ。

──どういった点が評価されているのでしょうか?

「仕事ぶりが丁寧」などさまざまですが、きめこまやかな配慮ができているところが大きいように思います。日本には世間体を気にする文化があるからか、海外の執事よりも気配りが上手なのです。そうした点が海外のVIPたちにも好評ですね。

「気配り」ってそもそもどういうことなの?

──それでは、どうすれば気配り上手になれるのか、詳しく聞かせてください。

まず、執事たちが常に実践していることが3つあります。1つ目は、じっくり「観察すること」です。

執事でいえば、雇用主がどんな方なのかを知ることから始まります。運転の仕方一つをとっても「A氏には喜ばれたものがB氏には喜ばれない」ということがザラにあります。雇い主のキャラクターや好みを一朝一夕で把握するのは難しいので、最初は1カ月ほどを目安に学習していきます。

2つ目は、「さまざまな情報から予測を立てること」です。

たとえばお食事を用意するとき、「中華料理店での会食が続いているから、今夜の食事は中華じゃない方が喜ばれそうだな」といったことを常に考えています。

そのためには、先ほどお伝えした「観察」だけではなく、コミュニケーションも重要。トライアンドエラーを重ねれば、ある程度予測の精度は高められます。しかし一方的な憶測だけではアタリ・ハズレがありますよね。トラブルを未然に防ぐためにもヒアリングは重要です。

その上でよく私が感じるのは、優秀な執事は“ヒアリング”が断然うまい、ということです。彼らは雇用主との日常の何気ない会話からも常にヒントを探し、予測の精度を高めているんです。

──優秀な執事さんは、依頼主とどのようにコミュニケーションを取っているのですか?

たとえば、イエス・ノーで答える質問は、相手の選択肢を狭めてしまう聞き方なので避けるようにしています。

また、「これはどうですか?」「あれはどうですか?」という質問は、こちらが何も考えていないように見えてしまいます。「自分で考えなさい」と言われてしまわないよう「私はA案が良いと思いますが、いかがですか?」と、自分の意見も含めながら伺うのがコツです。

──なるほど、確かに聞き方一つでずいぶん印象がちがいますね。

そう、ちょっとしたことですが、お相手の反応が変わります。さらに、こちらの質問に雇用主が返事をくれたときは、「私もそう思います」や「そのお考えを理解した上で、もう一つご提案ですが……」と、共感の気持ちをこめながら話をします。

お互いにしっかりとした深い信頼関係を築くためには、こまめに相手に共感を示すことも、重要なポイントだと感じます。

──では、3つ目のポイントは?

「自分を磨き続けること」です。

必要な知識や技能は時によって変わりますから、日ごろから新しい知識を吸収し、能力を高めておきたいものです。執事の場合は、外国語を話せたり、料理やソムリエの資格などがあったりすると提供できるサービスの幅が広がるので、やっぱり自分磨きが欠かせません。

──観察、予測、自分磨き。これが気配りの達人になるための3点セットなんですね。

お客さまが考えていることを観察によって察知し、予測し、必要な知識や技能を学び続けていれば、どんなニーズにも的確に応えられるようになっていきます。

──そうしたスキルは自力でも磨けますか?

もちろん磨けます。駆け出しの執事とベテラン執事を比べると、“気配り力”は雲泥の差。実際、私も新人の頃は失敗の連続で、叱られてばかりでした。でも、みんなだんだん身につけていくものなのです。経験を積めば、喜ばれることが確実に増えていきますよ。

失敗を恐れずに進み、経験値を貯めていく

──今までのキャリアで特に大変だったのは、どういった依頼ですか?

昼間にテレビで卓球大会を見ていたご主人様から、夜に突然「今からうちで卓球したい!」とご連絡をいただいたことがありました。急いで卓球台を探しましたが、夜が遅くてスポーツショップはすでに閉まっており、ネットで探しても見つからず……。

──それは大変!どうやって解決したんですか?

私の知人が卓球台を持っているのをふと思い出し、その日の夜だけ借りることになりました。でもここだけの話、手を尽くしても用意できなければ、普通の食卓机を加工し、卓球台の代わりにご提供する予定でした。

執事の辞書には「できない」「無理」の言葉はありません。どんな時でも「どうすれば実現できるか」が私たちのスタート地点でございますし、こういった難しいご依頼は日常茶飯事なのです。

──でも、どう考えても実現不可能な依頼もありますよね。そういったときはどうするんですか?

その場合は必ず代替案を用意します。この「代替案を用意する」という行為も「気が利く存在」であることのもう一つの大事なポイントかもしれませんね。

当たり前ながら、ご主人様も人間です。いつもは喜んでくださるけれど「今はそんな気分じゃない」と言われてしまうことも、実際によくあるのです。

だからこそ予測を立てて最適解と思うものはご用意しつつ、それがダメだった時のために、裏でプランB、プランCをいつも準備しています。

──具体的にはどのようにプランを準備しますか?

お食事でいえば、つけ麺のスープは温かいものを提供するつもりだけれど、今日はちょっと暑いから、念のため冷製スープも用意して、味を少し変えたものも準備しておこう……ということですね。こうしたリスクヘッジは常に行なっています。

──聞けば聞くほど奥深いお仕事です。そもそも、石井さんはなぜ執事になったんですか?

実は私の祖父が、全日本執事協会に所属する執事だったんです。幼稚園の時、祖父が仕えるクライアントのパーティーに招待され、祖父がはたらいている姿を見ました。その仕事ぶりは今も目に焼き付いています。

そのときから執事に憧れ、私も人の役に立ちたいと強く思って。祖父が亡くなったときに後を継ぐ決心を固めました。そこから学びはじめ、本格的に執事業界に入ったのは28歳の時でした。

──執事としての手応えを感じたのはいつ頃でしたか?

執事になって12年。そろそろ40歳になろうかという頃でした。お仕えしていた方が海外に出張されている間に、奥様がご病気で倒れてしまわれたのです。私は病院の手配やお子さまのケアをトータルにさせていただきましたが、ただ、奥様の回復は叶わず、病院で亡くなられました。

雇い主はとても悲しまれましたが、その時に「私にとって君はもう家族の一員だ、ありがとう」と声をかけてくださったんです。その後も「君のサービスならずっと使い続けたい」と言ってくださって。やっぱりお仕えするご主人様から感謝の言葉を聞ける時こそが、一番うれしい瞬間でございます。

振りかえれば、理想を目指して悩み続けた16年でした。でも、執事協会には「失敗を恐れるな」という教えがあります。失敗するのは当然であり、時には同じ失敗を繰りかえしてしまうことだってあり、負けることもあるのだ、と。

失敗は自分自身の経験として積み重なるもの。継続して学び続ければ、自然と目指すべき目標には近づくものだと捉えています。私もたくさんのご主人様に仕えさせていただき、16年前とは違った景色が見えるようになりました。

これから、私もまだまだ成長できると思っています。経験を積んで精進していきたいです。

(文:矢口あやは 写真:naive)

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ライター・編集・イラストレーター矢口あやは
大阪生まれ。雑誌・WEB・書籍を中心に、トラベル、アウトドア、サイエンス、歴史などの分野で活動。2020年に一級船舶免許を取得。

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