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子ども好きじゃない自分が、教員の仕事を続けている理由
スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、自分にとっての「はたらき方」について語る「#私らしいはたらき方」投稿コンテストで、入賞した記事をご紹介します。
執筆者は、4月から社会人になったばかりの、わをのれさん。教員になったもののやりたい仕事ではなく、学校が休みになるゴールデンウィークが待ち遠しかったそうです。それでも教員の仕事を続けている理由をnoteに投稿しました。
「やりたい仕事をやるなんて幻想だ」と思っていた
今春から社会人になって教職に就いた わをのれさんが最初に気づいたのは「子どもがあまり好きではない」ということでした。
本当はテレビスターや小説家になりたくて、教員はやりたい仕事ではなかったのです。
たまたま大学がそういう大学で、そのまま試験を受けて、たまたま受かったからやっている。
親から学んだ3本の分かれ道 より
と語るように、成り行きで教員になりました。
1年目にして「めちゃくちゃ辞めたい」と思うことも、数えきれないほどあったそう。それでも「きっと今はこれでいい」と考え、教員の仕事を続けているそうです。
そう思える理由は、わをのれさんの両親の姿にありました。
わをのれさんが小さいころ、なんだか嫌そうにはたらく両親を見て「あんな風になりたくないな」と思っていました。はたらくことが、とても苦しそうに見えたのです。
お父さんは家具屋で、毎日遅くまで残業して、小さかった弟は“たまにくるおじさん”としか認識していなかった。そして朝が来るのが嫌だと言いながら身支度をして会社へ向かっていたから、やりたくないんだろうなと思っていた。
親から学んだ3本の分かれ道 より
お父さんは遅くまではたらいていたものの、会社をリストラされてしまいます。
一方、お母さんは介護福祉士の資格を持ち、老人ホームを運営するほどの手腕を持っていましたが、やはり苦しそうに見えました。
子どもが産まれた時に一旦は辞めたが、僕が中学生になる頃にまた働き始めた。昔とは違い、夜勤が主になって、キツいキツいと言いながら働いていた。塾に通わせてもらっていた僕は、申し訳ない気持ちになったのを覚えている。
親から学んだ3本の分かれ道 より
大変そうな両親の姿を見続けているうちに、わをのれさんは「自分のやりたい仕事をやるなんて、叶わない幻想だ」と思うようになりました。
ところが両親と話してみると、二人とも、「そもそも、やりたいことがない」という事実が発覚します。
「向いている仕事」や「求められる仕事」でも輝ける
お母さんからその言葉を聞いたのは、高校生の時でした。
「お母さんは、やりたい仕事とかなかったの?」
親から学んだ3本の分かれ道 より
「うーん、別になかったね。」
「おじいちゃんとかおばあちゃんのお世話、やりたいわけじゃなかったんだ。やっぱやりたいこと見つけてそれを仕事にするって難しいんだね。」
「うーん、でも、私、この仕事向いてるからさ、これでいいと思ってるよ。」
お母さんにとって介護の仕事は「やりたい仕事」ではありませんでしたが、「向いている仕事」だったのです。
実際、お母さんが出勤する日は利用者さんがとても喜んでいたそう。
目の前にいる人が喜んでくれることは、仕事において何よりも強いやりがいが感じられる出来事かもしれません。
だからお母さんも「これでいい」と思えたのでしょう。
また、お父さんからは、大学生の時に話を聞きました。
当時のお父さんは50歳目前でリストラされたばかり。失業保険をもらいながらバイトをしていました。
そんな不安定な状況で、わをのれさんに初めて本音を打ち明けます。
「リストラされたから、転職しようとしても何も思い浮かばないんだ。やりたいことなんてないし、多分俺には向いてることもないんだ。だから、お前は何かを見つけるんだぞ。」
親から学んだ3本の分かれ道 より
お父さんも「やりたいことがない」という点はお母さんと同じですが、さらに「向いている仕事もない」と感じていました。
八方塞がりのようですが、そんなお父さんにも転機が訪れます。
知り合いから「一緒にやってほしい」と誘われ、何の経験も関連スキルも持っていない葬儀屋に就職し、単身赴任をしたのです。
「昔からの知り合いが始めるらしくて、どうしても一緒にやってほしいって誘われてさ。俺の力が必要だって。」
親から学んだ3本の分かれ道 より
と言うお父さんを、わをのれさんは
お父さんはわかっていると思う。決して“やりたい仕事”でも“向いてる仕事”でもないことくらいは。
親から学んだ3本の分かれ道 より
でも、“求められた仕事”を優先したのだ。必要とされる場所なら、人は輝ける。
と思って見ています。
実際、求められた仕事に向き合うお父さんの姿は心なしか楽しそうで、今までよりも輝いていました。
苦境に立たされても前向きにはたらき続けたお父さんだから、自分なりの道にたどり着けたのでしょう。
かつては両親のはたらく姿を見て「あんな風になりたくないな」と思っていた、わをのれさんですが、本音を聞いてからは考え方が変わっていきます。
教員の仕事は、理論的に勉強をしてきて説明するのが得意なご自身に“向いている”仕事であり、試験に受かって資格を持てた以上、世の中から求められている仕事でもあります。
だからきっと今はこれでいいんだよね。
親から学んだ3本の分かれ道 より
いつかやりたいこと、したいけどね。
と捉えて、受け入れているそう。
やりたい仕事が自分に向いていて、人からも求められるなんてことはそうそうないことかもしれません。
でも、たとえやりたい仕事でなくても、向いている仕事でなくても、今の自分に求められた仕事であれば未来につながる可能性を秘めているはず。
経験を積んでいけば適性が生まれて、ゆくゆくは向いている仕事になるかもしれません。
そして活躍できるようになったら、強いやりがいを感じられるようになり、いずれはやりたい仕事になることもあるでしょう。
何を優先するか、どう輝くか。
親から学んだ3本の分かれ道 より
いや、選択肢があるだけ幸せなのかもしれない。
そう考える、わをのれさんのエピソードには、今やりたい仕事ができていなくても、自分の手が届く範囲の仕事に魅力を感じるヒントが詰まっています。
私たちがはたらいている仕事は、私たちが社会から求められた証でもあります。
そう思えば、好きではない仕事もそこではたらいている自分も、今より輝いて見えるのではないでしょうか。
わをのれ(教員) 社会人になったばかりの教員。noteをちゃんと続けたいという思いで、オチがついてるやつと感情の殴り書きを書いています。 |
パーソルグループ×note 「#私らしいはたらき方」投稿コンテスト
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