- TOP
- SELECT Work Story
- 10年のベテラン学校支援員が「これ以上はない」と確信した児童との日々
10年のベテラン学校支援員が「これ以上はない」と確信した児童との日々
スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、自分にとっての「はたらき方」について語る「#私らしいはたらき方」投稿コンテストで、審査員特別賞を受賞した記事をご紹介します。
執筆者は、以前、小学校で支援員の仕事をしていたYUKIKO IKEDAさん(以下、IKEDAさん)。厳しい家庭環境にいた小学校5年生のショウさん(仮名)と過ごした1年間を思い返し、ショウさんへの手紙としてnoteに投稿しました。
暴言を浴び、揺れ動きながら向き合うまで
IKEDAさんは、10年間も続けてきた支援員を辞め、現在はインタビュアー・ライターとして活躍しています。支援員を辞めた理由については
私が支援員を辞めようと思ったのは、「もう十分に経験してお腹がいっぱい」という感覚が来たからです。正直、あなたとの一年以上の体験はもうないだろうと感じました。あなたのおかげで、1億円積まれても売りたくないと思うような素晴らしい体験をさせてもらいました。あなたと過ごした日々は、宝物として心の中に大切にしまってあります。
5年生だった君へ より
と綴っています。それほどショウさんと過ごした1年間が濃密だったのでしょう。
そうは言っても、ショウさんと過ごした時間が常に穏やかで満ち足りていたわけではありませんでした。
***
IKEDAさんは週に1回、ショウさんのサポートに入りましたが、「勉強に遅れが出ないように」と勉強を促しても一向にやらず、遊ぶばかり。
そんな中で、あなたは自分の意に沿わないと荒れて、暴言や脅しの言葉を私に投げつけたりすることが度々ありました。名前も「池田」と呼び捨てにされて、当時は支援員だから舐められているのかと思っていました。
5年生だった君へ より
同時期に担当していた2年生のリュウさん(仮名)と一緒に攻撃してきたり、物を投げたり手を出したりして喧嘩したりと、一人で対応できずに疲弊することも多々ありました。
そんなある日、IKEDAさんはショウさんの家庭環境が厳しいことを知り、葛藤します。
どう接すればいいのか。
5年生だった君へ より
週に一度しか会わない私に、何ができるのか。
親御さんにアプローチできない私に、何ができるのか。
悩み迷いながら向き合う日々が続きました。
教師ではなく、支援員としてはたらく自分に、何ができるのか──。
ぐらぐらと揺れながら接していると、ショウさんと二人きりの時に、リュウさんとの接し方についてこう言われ、ハッとします。
「池田先生はリュウの担任の先生のことばかり気にしてる。誰のために学校に来てるの?リュウのために来てるんでしょ?」
5年生だった君へ より
「勉強なんて他の先生に任せておいて、池田先生はリュウと向き合うことだけ考えればいいんだ」
その言葉をきっかけに、IKEDAさんは「大人だから」「支援員だから」と構えず一人の人間として向き合うようになりました。
弱さや迷いをさらけ出したことで、ようやく「心の距離が近づいた気がした」からです。
大人になり、社会のなかで役割を持ってはたらくようになると、当然ながら責任がついて回ります。
その責任はとても大切なものですが、責任ばかりに意識が向くと目の前にいる人との関係がおろそかになってしまったり、歪んでしまったりすることもあります。
ときに反発したり甘えたり攻撃したりと、IKEDAさんに全力でぶつかってきたショウさんだからこそ、
「向き合うことだけ考えればいい」
とまっすぐに伝えられたのかもしれません。
今でも捨てられない2枚の紙切れ
今でもIKEDAさんが大切にしている、ショウさんからの手紙が2通あります。
1通目は、改修工事中だった体育館が完成して行われた落成式でもらった手紙です。ショウさんに「今度の金曜日、学校に来て欲しい」と熱心にお願いされ、出勤日ではなかったものの落成式へ足を運ぶと、舞台上には、ショウさんが法被を着て生き生きと踊る姿がありました。
笑顔で堂々と踊るあなたは輝いていました。眩しかった。
5年生だった君へ より
そんなあなたを見る喜びを感じる一方、あなたはこの姿を本当はお母さんに見て欲しかったのかもしれないと思いました。
たとえお母さんに見て欲しかったとしても、ショウさんは熱心にお願いするくらいIKEDAさんにも自分の頑張りを見て欲しかったのでしょう。
家族以外で心のうちにある願望を素直にぶつけられる相手が学校にいたことは、ショウさんにとってとても安心できることだったのではないでしょうか。
落成式の後、ショウさんはするりと逃げてしまいましたが、後日IKEDAさんのバッグの中からこう書かれた紙切れが出てきました。
「らくせいしきにありがとうございました。」
5年生だった君へ より
直接言えなかった感謝の気持ちが、小さな紙切れにぎゅっと詰まっています。
2通目は、ショウさんを受け持つ最終日。
IKEDAさんがショウさんへの思いを綴った手紙を渡すと、ショウさんは恥ずかしがるIKEDAさんを追いかけ回して手紙の内容を音読しました。
その様子を見ていた校長先生に「ショウさんも手紙を書いたら?」と言われるも、「恥ずかしくてそんなの書けないよ」と返事をしていたショウさんですが、IKEDAさんのバッグの中にはまた紙切れが。
「一年間ありがとうございました。リュウより」
5年生だった君へ より
リュウさんはIKEDAさんが受け持っていたもう一人の男の子ですが、筆跡はあきらかにショウさんのもの。
ただの紙切れでも、たった一行でも、名前を偽っていても、ショウさんの気恥ずかしさと愛情がたっぷり感じられます。
たとえ話さなくても、会えなくても、心にあるのは同じ気持ち
IKEDAさんがショウさんの担当を外れてから、ショウさんは恥ずかしいのか会っても気づかないふりをするようになりました。
それでも
私は淋しく思いながらも、自分の手を離れて元気に楽しそうにやっている姿を嬉しく見守っていました。
5年生だった君へ より
と遠くから見守ったり、
2年前の運動会では、中3になったはずのあなたを見つけられませんでした。校長先生づてに、あなたがあまり学校に行っていないという情報を得て心が痛みましたが、あなたならきっと大丈夫だと信じようと思いました。私には信じることしかできないので。
5年生だった君へ より
と見えない場所から祈ったり、
そんな中、その年に参加した講座で不思議な出会いがありました。その人は笑顔がとても印象的な青年でした。
5年生だった君へ より
その彼と講座の中でペアを組んで、話を聴く機会がありました。そして、彼が私の想像も及ばないようなとても厳しい家庭環境を生き抜いてきたことを知りました。話を聴かせていただいた後、ふとあなたのことが蘇り、あなたもこんなふうに素敵な青年になるのかなと思って嬉しくなりました。あなたと彼が重なって、希望を感じました。
とほかの人に重ねて思い出したりして、IKEDAさんの心に留まっています。
IKEDAさんの夢は、いつかショウさんと再会すること。
2通の手紙に「ありがとう」の言葉をまっすぐ書いたショウさんに、IKEDAさんも
あなたに出会えてよかった。
5年生だった君へ より
どうもありがとう。
と感謝の気持ちを抱き続けています。
大切に思い合うふたりが、いつか出会えますようにと願わずにはいられません。
どんな仕事でも、はたらいていれば必ず人と関わります。
「ビジネスはビジネス」と人間関係を割り切ることもときには必要ですが、まっすぐ向き合うことで得られることもたくさんあって、それがはたらく喜びにつながるのだと実感させてくれるエピソードです。
たとえ最初はうまくいかずにすれ違っても、ぶつかり合っても、自分の弱さを含めて相手にさらけ出す勇気があれば、やがてかけがえのない存在になるのかもしれません。
より豊かにはたらき生きていくための第一歩は、目の前の人を大切にすることなのではないでしょうか。IKEDAさんとショウさんの過ごした日々は、そんなことを私たちに教えてくれる気がします。
YUKIKO IKEDA(インタビュアー、ライター) 心の声を羅針盤に自分を生きる。 子どもたちと一緒に笑って過ごすのが好き。 書くことも好き。日々思うことを綴って、誰かの心に届いたら嬉しい。自分を生きる人シリーズインタビュー記事を発信中。インタビュアー、ライター。お問い合わせはyukiko.hygge@gmailまで。 |
パーソルグループ×note 「#私らしいはたらき方」投稿コンテスト
※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。