床の間ダンスフロアが子どもたちを魅了する『田崎住宅』の物語

2022年8月17日

スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、はたらくことの喜びや、はたらくなかで笑顔になれたエピソードについて語る「#はたらいて笑顔になれた瞬間」投稿コンテストで、審査員特別賞を受賞した記事をご紹介します。

執筆者のみついさんは不動産屋ではたらいていた時、なかなか入居者が決まらない物件『田崎住宅』を受け持っていました。1階に大家さんが住む戸建ての2階部分なので入居を渋る人が多かったのですが、シングルマザーのお母さんと2人の子どもが入居します。

子どもたちは『床の間ダンスフロア』を見つけ、そこから思いがけない関係が育まれていきました。仕事の価値について考えさせられる、心温まるエピソードです。

住む人の心の持ちようで「住めば都」を叶えられる

街の小さな不動産屋で約10年はたらいていたみついさんが、なかなか入居者を見つけられずに困っていた物件が『田崎住宅』です。戸建ての2階だけを貸し出していて、1階には大家の田崎さんが住んでいました。田崎さんは60代後半のご夫婦です。
外階段があって2階に直接入ることができ、水回りも新しく備え付けられていますが、やはり大家さんと同じ住宅に住むとなると内覧を希望する人はいませんでした。

そんな田崎住宅に内覧の申し込みがあったのは、ある夏の夕暮れ時です。
「ホームページを見てるんですが、今から『田崎住宅』見せてもらえませんか?」
そう電話をかけてきたのは沢田さん。
明るく若々しい40代女性で、2人の子を持つシングルマザーでした。

1階に大家さんがいることに加えて、駐車場が信号を渡った向かいの場所にあること、外階段が急勾配であること、畳の部屋が2つしかないことなども物件の懸念点でしたが、沢田さんは
「子どもと3人なので十分の広さです」
(1階に大家さんが住んでいることについて)「私が仕事で遅くなることがあるので、子どもたちにとってはかえって安心です」
と楽しそうに内覧をしてくれました。

子どもたちも床の間を見て
「ダンスフロアみたーい」
と楽しそうにステップを踏んでいます。

どんな環境でもいいところを見つけて楽しむ精神が、お母さんから子どもたちに受け継がれているのかもしれません。
沢田さん一家のように目の前の環境を楽しむ心さえあれば、どんな物件であっても「住めば都」になるのでしょう。

沢田さんはそのまま入居を決め、無事契約に至りました。
その後は大家さんとのやり取りになるので、みついさんが沢田さんと会う機会はありませんでしたが、それから1年が過ぎたころに偶然再会します。

『床の間ダンスフロア』のある家で、2つの家族が1つになった

田崎住宅の大家さんである田崎さんは、ほかにも一軒家を所有していました。
その物件の入居者を募集したいと相談され、みついさんは久しぶりに田崎住宅を訪れます。

田崎さんにお茶を頂きながら雑談をしていると「ほんとに良い人を紹介してもらって…」と話し始めた。
2階の沢田さんのことらしい。
「お子さん2人も可愛くて、たまにみんなでご飯を一緒に食べるのよ」と言って、私は忘れてしまっていたお子さん2人の名前を言いながらあれこれ出来事を話してくれた。

ダンスフロアなんてしらないより

どうやら田崎さんと沢田さんはまるで家族のように関わっているようです。
みついさんは内心「それ、沢田さんご一家は迷惑してないかな」と心配してしまいました。

その疑問が解消されたのは、それからまた少し経った時。
契約関係の手続きで田崎住宅を訪れたみついさんは、ちょうど仕事から帰ってきた沢田さんとばったり再会します。
「こんにちはー」と軽く挨拶して通りすぎようとすると、沢田さんにあわてて引き止められました。

「いいお家を紹介してもらって…私も子ども達も田崎さんと仲良くしてもらってるんです。ありがとうございます。たまに夕食に呼ばれることもあって、仕事で遅くなるときも子ども達を気にかけてくれてるんです」

ダンスフロアなんてしらないより

沢田さんは田崎さんのことをまったく迷惑だと思っておらず、むしろ感動するほど喜んでいました。

風鈴の音がうるさいと苦情が来るような世の中で、普通の近所付き合いさえ疎ましく思う人がいる現代社会なのに、田崎さんと沢田さんはふだんから食卓を囲むほど深く関わっていました。
そしてお互いが不動産屋さんに「引き合わせてくれてありがとうございます」と感謝するほど、その関係を大切に思っています。

人の心はどうだかわからない、と常々考えてしまうひねくれた不動産でも双方からの楽しげに話すエピソードを聞くと、二組ともこの関係を喜んでいるんだな、と その出会いにちょっとだけ関係させてもらったことを嬉しく思い、ひねくれた心をそっと恥じた。

ダンスフロアなんてしらないより

みついさんはそれからしばらくして不動産屋を退職しましたが、それまで沢田さんが田崎住宅から退去する連絡は来ませんでした。
小学生の子どもたちが中学生になっても、田崎住宅では家族の枠を超えた交わりが育まれていたのでしょう。

何の変哲もない田崎住宅は、子どもたちが床の間を「ダンスフロアみたい」と言ったように、2つの家族が心地よく踊る交流の場になったのです。

みついさんは2つの家族の横を通り過ぎた不動産屋ですが、そのかけがえのない出会いを生み出した存在でもあります。
何気なくはたらいているつもりでも、そこには必ず人と人との出会いがあります。
自分を起点に人と人をつなぐこともあって、それが大きく育ったり、自分に新しい気付きを与えてくれたりと、想像もできない可能性をはらんでいるのです。

「その場がだれかの幸福なダンスフロアになるように」と願いながらはたらいたら、思いがけなく美しい出会いに巡り合えるかもしれません。

みついさんは、こう締めくくります。

私はいまだに本物のダンスフロアは知らないし、華やかな光も私をそっと包むようなハーモニーも知らない。
なのであの「床の間ダンスフロア」が私の唯一知っているダンスフロアなのだが夏の夕暮れのあのフロアを知っていればもう十分な気もしている。

ダンスフロアなんてしらないより
みつい
町の不動産屋で10年程働いていました。 お酒を愛し、何でもよく呑みます。 繰り返し読むのは漫画なら「ジョジョ」と「スラムダンク」、本なら「黒い家」と「白壁の緑の扉」。

(文:秋カヲリ)

パーソルグループ×note 「#はたらいて笑顔になれた瞬間」投稿コンテスト

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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