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「単純作業はつまらない」と思った僕に、少年が一礼した理由
スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、「単純作業はつまらない」と感じていたアルバイトで、通りすがりの少年が価値観を変えてくれた記事をご紹介します。
斉藤 夏輝さんは、大学時代に靴屋でアルバイトをしていました。単純作業を退屈に感じていたところ、斉藤さんをじーっと見つめる少年が現れます。そして少年が驚きの行動に出て、斉藤さんの仕事観を変えたエピソードを、noteに投稿しました。
※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「少年の一礼」から抜粋したものです。
「単純作業がつまらない」のではなく「反応がないのがつまらない」
「単純作業はつまらない」
と考えている人は多いのではないでしょうか?
斉藤さんもその一人で、その理由についてこう語っています。
人と話している時間はあっという間に過ぎるというのに、単純作業をしている時間ほど時の流れを刻一刻と肌で感じることはない。そして何より人との関わりを持たぬ退屈な業務内容であると思えてならない。
「少年の一礼」より
まだ学生だった斉藤さんは、4年間のアルバイトで単純作業を続けていました。お客さまが自分で靴を手に取ったあと、乱れた靴箱をサイズ順に並べ、紐を綺麗に整える作業です。
誰から感謝されるということもないし、お客様に対して直接的影響を与えられないから、人の役に立っているという実感はない。業務の内だから、と淡々と紐を結び箱を並び替え見目よくする。数時間後にはまた乱れる。そして整える。その繰り返しだった。
「少年の一礼」より
どれだけ綺麗に整えても、数時間後にはまた乱れてしまいます。それを見つけてはまた整え、また乱れ……という繰り返しの単純作業が、ひどく退屈なものに感じられたそうです。
斉藤さんの言うとおり、そこに誰かからの「ありがとう」という言葉があれば、また違っていたのでしょう。
その証拠に、お客さまが希望し、会話をする中でサイズの靴を出すことにはやりがいがあった、と語ります。
幾分か単純作業的な要素を含むものの、「一緒に選ぶ」という視点に立てば直接的に「人の役に立った」と思える仕事である。実際に、サイズ感以外にも用途と機能性、予算、足幅を考えて一人一人の足に合った靴を選ぶ手助けを心がけた結果、心から感謝されることは少なくない。
「少年の一礼」より
「靴を取り出し、整える」という工程そのものは大差ありませんが、こちらはお客さまとのコミュニケーションがあり、感謝の言葉があります。
同じような仕事であっても、血が通っているかどうかでやりがいに差が生まれるのかもしれません。
ある日、「乱れた靴を整える」という単純作業に、予想だにしないほど深い意義を感じる出来事が起きたのでした。
僕の単純作業に、少年は深々と一礼をした
斉藤さんがいつものように乱れた靴を元の場所に戻し、靴紐を整えていた時のことです。少し離れた場所から、こちらをじーっと見つめる中学生くらいの少年がいました。
こういうとき、だいたいはサイズを出して欲しいとかお取り寄せができないか相談したいとか、サイズ感を見てほしいとか、僕に何かしらの用があることが多い。
「少年の一礼」より
そう思って様子を伺いましたが、少年は微動だにせずこちらを見つめたままだったそうです。
少年の父親らしき人物が現れ、少年に
「何ボケっと突っ立てんだよ」
「少年の一礼」より
と言いました。
そしてようやく、少年の考えていたことが言葉になります。
「いや、すごいなと思って。いつも試着するときに靴が綺麗に整えられてるのって店員さんのおかげなんだね」
「少年の一礼」より
少年は感嘆したようにゆっくりとそう返答した。
少年は、ただ斉藤さんの仕事に感心し、じっとこちらを見つめていたのでした。
その言葉を聞いて、斉藤さんは思わず微笑んだそうです。
少年の父は
「それが仕事だから当たり前だろ。行くぞ」
と言いましたが、少年はそれでもこちらを見つめたまま動きませんでした。
その時はじめて目が合った。すると彼は何も言わずに深く一礼し、駆け出すようにしてその場を離れた。はじめて単純作業で感謝をされた瞬間だった。
「少年の一礼」より
斉藤さんはそう感じると同時に、こうも思ったそうです。
人へ直接的に関わる仕事でなくても、それが単純作業であっても、少なからずこの仕事が人の役に立っていたのだとはじめて気づかされた。
「少年の一礼」より
これまでは「人から直接感謝を伝えられること」にやりがいを感じていた斉藤さんですが、少年の行動を機に、たとえ感謝を伝えらえなくても、感謝されていなかったとしても、その仕事が人の役に立っているのだと実感できたのでしょう。
「あたりまえ」にも価値がある
仕事の価値は、見えやすいものと見えにくいものがあるのかもしれません。
特に見えにくいのは、なんてことない「あたりまえ」の物事ではないでしょうか。
何も僕が行った単純作業的業務だけでなく、スーパーやコンビニで綺麗に陳列された商品、駅の清潔なトイレ、永遠にアスファルトに落ちていない桜の花びらも、我々の「あたりまえ」はすべて誰かのおかげで成り立っている。
「少年の一礼」より
「あたりまえ」は目立たないので気づかれにくいものの、その裏には誰かの仕事があります。
その仕事も、目立つ仕事と同じように大切な価値があるはずです。
だけれども年を重ねるごとに、職業を相対化し価値あるものとないものとを年収や地位などで勝手に線引きし、「あたりまえ」を忘れ、いつの間に社会的に価値ある職業相手にのみ礼を言うようになっている人は絶えない。
「少年の一礼」より
斉藤さんは自分のアルバイトも「あたりまえ」の仕事だと分類しています。
そう思っているのは、多くの人に「あたりまえ」の扱いをされてきたからでもあるのでしょう。
医者や弁護士と比べたら社会的に価値なんてゼロに等しいようなアルバイトの僕。今日心臓が止まっても明日の日本に全く影響を与えない僕。そんな僕に対して「ありがとう」と言ってくれるお客様は正直言ってそう多くはない。どんなに親身に接客をしても、何も言わずに靴箱を受け取る大人たちを散々見てきた。
「少年の一礼」より
それでも、少年は深々と一礼しました。
斉藤さんは
消費者として、いや人間として、どのような業種の人に対しても、それが仮にボランティアであっても、自分の地位と他人の地位とに関係なく、あの日の少年のように、深々と、一礼できる人間でありたい。
「少年の一礼」より
と語っています。
日々はたらくなかで、相手から思うような反応や評価が得られず
「この仕事に意味や価値はあるのだろうか?」
と不安になる瞬間があるかもしれません。
そんな時は、少年の一礼を思い出してはいかがでしょうか?
【ご紹介した記事】 少年の一礼 【プロフィール】 斉藤夏輝 エッセイを書いています。毎週月曜20時頃に更新中。 三度の飯よりカープがええのよ https://natsuki-carp63.my.canva.site/ |
(文:秋カヲリ)
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