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五十嵐隼士、障害者の就労支援業へ「俳優はルーキーズがピーク。芸能界の方が怖かった」

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
今回お話を聞いたのは、2006年に『ウルトラマンメビウス』で主演を務め、2008年放送のドラマ『ROOKIES(以下ルーキーズ)』などにも出演した元俳優の五十嵐隼士さん。
現在は2024年より長野県で就労支援施設を経営し、障害のある方の就職をサポートしています。「自分が必要とされる場所ではたらく」。五十嵐さんの言葉には、一歩踏みだすためのヒントが詰まっていました。
世の中に胸を張る。ウルトラマンが就労支援事業を立ち上げたワケ
──芸能界引退後、就労支援事業を始めたきっかけはなんですか?
元俳優仲間から「福祉業界で就労支援の事業を立ち上げる、一緒にやらないか」と声をかけてもらったんです。当時はバーに勤めていたのですが、実はあまりお酒が飲めなくて。それまでにもいくつか飲食店経営も経験していたものの、飲食業界での仕事に限界を感じ始めていたころでした。

そんな時期の誘いだったので、これはご縁だなと。私にできることがあれば力になりたいと考え一歩を踏み出しました。現在は私の兄が代表を務め、私は副代表として、障害者向け就労支援施設を二つ経営しています。
ゲームアプリやホームページ制作など、ITに特化した技能訓練を利用者さんに提供し、障害や病気をはじめ、さまざまな事情を抱える方の就職までの道のりをサポートしています。
──福祉や就労支援事業にはもともと興味や経験があったのですか?
この世界に足を踏み入れると決めた時は、特別にやりたいことがあったわけではなく、経験もありませんでした。ただ、かつてウルトラマンを演じた時に生まれた価値観と、福祉に求められることに通じるものを感じたんです。
困っている人を助け、役に立ちたい——。とてもシンプルなことですが、これが福祉に関わる決意ができた理由の一つです。世の中に胸を張れる人でいたいという想いは、ウルトラマンだったころから私の中に染み付いていました。
──未経験の福祉や就労支援の分野ではたらくことに不安はありませんでしたか?
飛び込んだ当初は不安はなかったですね。自分の強みだと自覚していたコミュニケーション能力を武器に現場でしっかり努力すれば、どんな世界でもやっていける自負がありました。
ところが、いざ現場に足を踏み入れてみると想像とは大きく違っていて。元俳優ということもあり、事前準備として障害などをテーマにしたドラマや映画を観ていたのですが、それではまったく歯が立ちませんでした。
作品から「この障害はこういうもの」と概要を知っていても、障害や病気以前に、利用者さんごとに個性があるのでうまく行動に結びつかないのは当然ですよね。「彼と話すときはここに気をつけよう」「彼女はここを伸ばせると良いな」と、支援員としてするべきことは千差万別です。
さらには、利用者さんそれぞれが抱える問題を理解して向き合い、優しくケアするだけでも意味がない。私たち支援員の仕事は、あくまでも彼らが「自立」できるようにすることなので。
利用者さんに伴走しながらも、社会ではたらく力と自信を身につけられるよう、厳しく接するべき瞬間もあります。そのさじ加減が難しいですね。

──個性が異なるみなさんを支援するために工夫していることはありますか?
実は今も、試行錯誤中なんです。最初は利用者さんのそれぞれの個性に合わせて、支援員としての“キャラクターの演じ分け”を実践していました。「俳優をしていたから得意分野だ」って。
ところが、利用者さんと支援員、十数人全員が同じ事業所内にいるので「あの人と私で接し方が違うじゃないですか」と利用者さんに言われてしまって(笑)。
これではだめだと。不安定な利用者さんとは1対1になって話を聞く時間をつくったり、ほかの支援員と役割分担をして、あえて私が厳しく接した後にフォローに入ってもらったり……。事業所全体で協力しています。
芸能界に残るほうが怖かった。27歳で痛感した限界と不安
──芸能、飲食、福祉と異業種へのキャリアチェンジが印象的ですが、10代から過ごした芸能界を出て一般社会に入る怖さは少しもなかったのですか?
逆に芸能界にいるほうが怖かったです。19歳で『ウルトラマンメビウス』の主役に抜擢されたものの、私の俳優としてのピークは21歳の『ルーキーズ』だと思っていました。
当時はちやほやされましたが、一生芸能界でがんばれる自信はまったくなかった。だって芝居が分からなかったから。監督の指示を理解できないことも日常茶飯事でした。撮影中、「カット、OK!」と言われても、「え?今のが?じゃあさっきのテイクはなんでNG?」って。
『ルーキーズ』以降、徐々に仕事がつらくなっていきました。NGを連発して「このままでは干される」と怯えたことも。すばらしい先輩方や仲間の支えに感謝しつつも、27歳で引退しました。
──とはいえ。ほかの仕事が自分に合う保証もない中でどうして決断できたのですか?状況が良くなるか不安で、結局身動きが取れない人も多そうです。
大切なのは、自分がその場で必要とされているかどうかだと思っているからです。「天職ってなんだろう、続かなかったらどうしよう、今よりうまくいくのかな」なんて考えても意味がないんです。仕事の一番の目的は、お金を稼いで食べていくこと。
頭でっかちに考えて動けなくなるよりも、「あなたが必要」と言われる環境に身を置いてみることのほうが重要なんじゃないでしょうか。

──必要とされる場所を見つけるにはどうすればいいですか?
まずは、自分のポジションがあるかどうか見極めるために、あらゆる世界を覗いてみてください。そこで自分の得意と不得意をさらけ出して、必要とされれば身を置いてみる。
具体的には、たくさんの会社の求人を見て、片っ端から見学に行って、面接をいくつも受けてみるとか。キャリアにつまずきを感じる人って行動の数が少ないことがほとんどなんじゃないかな……。私は10代のころ、芸能界に入りたくて事務所の面接を50社は受けました。
──芸能界にいた五十嵐さんだからこそ、必要とされる理由が不本意なものだったこともあったのではと想像しますがいかがですか?
極端な話、客寄せパンダ上等です(笑)。大人気ドラマ『ルーキーズ』に出ていたことが、当時はたらいていた飲食店の宣伝につながった、就労支援事業を始めた時に取材が殺到する理由にもなった。これらはネガティブなことではなくて、すべて私だからできたことだと思っています。
はたらくことは「自分を喜ばせるためにすること」だと伝えたい
──五十嵐さんにとってはたらくとは?
繰り返しになりますが、生きていくことですね。お金をもらえなきゃ仕事はできませんから。利用者さんにも「はたらいて、お金を稼いで、自分を喜ばせてほしい」と伝えています。
彼らの中には障害や病気を理由に、はたらくことはおろか、好きなものを食べることや欲しいものを買うことすらあきらめている人たちがいます。私はそのことにもどかしさを感じていて。「自分の抱える困難がなんであれ、気にせずにやりたいことをやりなよ!」って。
もちろんそのためにはお金が必要。仕事って生きる上で誰もがしなくてはいけないことです。だからこそ、私はすべての利用者さんを就職に導く覚悟ではたらいています。
──はたらくことは生きること、とシンプルな答えの中にも、五十嵐さんの使命感が伝わってきます。仕事で感じる幸せを教えてください。
些細なことですが、「おはようございます」「お疲れさまでした」って利用者さんたちが言ってくれることですね。

さまざまな事情を抱えた彼らだからこそ、コンディションには波があって日によっては元気がなく、伏し目がちな時もあったりして。そんな一面がありながらも、元気よく挨拶してくれた時には心から幸せを感じます。
先日、うちの事業所を巣立って企業に就職した元利用者さんが顔を出してくれたのもうれしかったな。「今こんな仕事をしているんです」って活き活きと話してくれて。あの時の、言葉にできない感情こそが私の生きがいと言えるのかもしれません。
まだまだ就職したての彼ですが、数カ月後にまた会って、「初任給で何を買って、どんなことをしたの?」なんて話もしたいですね。
──スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
先ほども「まずは必要とされる場所を探そう」と言いましたが、そこではたらき続けるのを前提にしなくても良いと伝えたいですね。続けなきゃと思うと窮屈ですから。
どんな仕事もやってみれば、思いもしなかったやりがいを感じられることもあるし、そうしてたどり着いた場所に、結果として長く居続けるかもしれない。
けれど、やってみてだめだったら辞めればいい。必要とされる場所はほかにも必ずあるはずですから。納得できる場所に出会えるまで、チャレンジを続けてほしいですね。
(「スタジオパーソル」編集部/文・写真:徳山チカ 編集:いしかわゆき、おのまり写真提供:五十嵐隼士さん)

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