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元DA PUMP宮良忍、引退後32歳で沖縄の民宿継ぐ。クルージングツアーでは自ら船を操縦。

ダンスボーカルグループ、DA PUMPのメンバーとして1997年に芸能界デビューした宮良忍(みやらしのぶ)さん。現在は芸能界を引退し、地元沖縄の小浜島で「民宿宮良」を営んでいます。人気のクルージングツアーでは自ら船を操縦し、アテンドもこなすのだとか。
華やかな東京と自然豊かな小浜島。芸能界と民宿経営。一見まったく異なる世界への挑戦とも思えますが、新たな環境でも日々刺激を感じて楽しめているのは、「どんな環境でも、ファンサービスとあこがれを大切にしてきたから」だと言います。あらゆる世界を経験してきた、忍さんの半生に迫りました。
第二のふるさと・東京を離れるのは寂しかった
──忍さんは32歳で家業である民宿経営を継ぐため、地元沖縄の小浜島へ帰る決意をされました。長年過ごした東京を離れることに戸惑いはありませんでしたか?

やはり寂しかったですね。東京は16歳から16年もの時間を過ごした場所なので、まだいたい気持ちもあって。友人も行きつけのお店も、当時は地元よりも東京のほうが多かったですし。仕事ではあこがれの武道館の舞台に立つなど、普通では経験できないことをたくさんさせてもらい、濃く楽しい青春時代を過ごしました。東京は第二のふるさとなんです。
同時に、DA PUMPのメンバーとして活動していたころも、ずっと地元への愛を胸に抱いていました。数日のオフがあれば、迷わず小浜島へ戻っていましたね。
家族の事情もあり家業を継ぐことを決めたので「小浜島で民宿をするんだ!」と強い想いは揺るぎませんでしたが、その一方で、「地元に帰ったら東京のみんなはぼくを忘れてしまうだろうか」という不安も感じたのを覚えています。地元も東京も愛しているからこその葛藤というか。今となってはいらぬ心配だったのですが。
──いらぬ心配?
今でもぼくが東京に遊びに行くと、「おう、忍!おかえり」と言ってくれる仲間が大勢いるんです。民泊経営をしながら、年に一度、東京で音楽ライブもしているのですが、多くのファンや仲間が集まってくれます。ライブというより同窓会ですね。東京の友人が民宿に遊びに来てくれることも多いです。

SHINOBUの人気ではなく、ツアーの魅力で愛される民宿宮良
──忍さんが経営されている「民宿宮良」の魅力を教えてください。
うちの目玉はクルージングツアー。ぼくが操船しアテンドもします。ぼく自身、子どものころから船が大好きで、小さなころの夢は「船に“なる”こと」でした(笑)。
現在ツアーに使用している船「アクソパー37サントップ」は、クラウドファンディングで支援を募って購入した特別なもの。当時はゲストに喜んでもらいたい一心で、サポーターの皆さんに応援いただきながら約4千万円の大きな投資をしました。

以前の船では、安全面などの観点から高齢の方や妊婦さんには参加を見送ってもらうこともあったのですが、新しい船は設備のクオリティや安全性がアップし、ゲストの皆さんが快適に乗船できるようになりました。
たとえば、座席位置が従来よりも船の後方にあるので、波から受ける振動が少なく、危険やストレスを感じずにクルージングを楽しむことができるんです。
海のブルーのグラデーション、潮の香り、風の気持ちよさ。五感を使って楽しむゲストの笑顔と幼いころからの船への愛が、ぼくのエネルギー源です。
──忍さん自らツアーのアテンドもするのですね!毎日どのようなスケジュールではたらかれていますか?
朝は6時半に起きます。ゲストの朝食を8時に出したら、船に行ってツアーの準備。9時ごろにゲストの支度が整ったらツアーに出て、宿に戻るのが15時前くらいですね。

ゲストを宿に送った後は、1時間ほどかけて船の手入れをします。17時に一度帰宅し、ここでやっと休憩。ゲストは夕飯をほかのお店で楽しむので、皆さんが宿に戻るタイミングに合わせてテラスにお酒を用意します。それが20時から21時くらい。
そしてみんなが帰って来たら、一緒にお酒とおしゃべりを楽しむんです。リピーターさんには「お久しぶりです!」、初めて来られた方には「夕飯はどうでしたか?」なんて声をかけながら。みんなでわいわいと2時間ほど楽しんだら、23時に夕食をとって24時に就寝します。忙しいといえば忙しいですが、ルーティーンになっているのでストレスもほとんどありません。
──ゲストとの交流の時間が多く楽しそうです。どのような方が民宿を利用するのですか?
ゲストの年齢層は30代から60代後半ぐらいですね。お子さま連れのご家族も多いです。ありがたいことに、民宿宮良のほとんどのゲストがリピーターなんですよ。
民宿を継いだばかりのころは、DA PUMPを応援するファンのみんながたくさん来てくれていました。でも今では、ファンのみんなも含めて「民宿宮良で過ごす時間が好きだから」とこの宿を選んでくれる方が多いです。

──地元とはいえ、忍さんにとって民泊経営をしながらの小浜島生活は新しい環境ともいえます。そんな中で、ゲストとはどのように関係を築いてきたのですか?
関係を築くために、わざわざ何かをしてきたわけではないんです。みんなで同じ時間を共有するうちに自然とつながりが生まれました。
昔からこのあたりの島の民宿では、外に大きなテーブルが1つバーンと置いてあって、その周りに椅子がたくさん並んでいる光景が当たり前。リピーターさんも初めての方も、そこで毎晩自由にお酒を飲んでおしゃべりするうちに、心の距離が近づきます。

民宿を継いだ12年前は「元DA PUMPの忍としてこの場を盛り上げないと!」とどこか気負っていましたが、今この瞬間を存分に感じ、ありのままに楽しみ続けてきた結果、今ではぼく自身も自然体でゲストと過ごせています。
芸能界と民宿。ファンサービスしているのは同じ
──民宿経営の仕事は朝から晩まで忙しそうですが、芸能界と比べるといかがですか?
良い意味で忙しいのは同じですね。どちらも充実していて刺激的です。
でも、当時に比べて規則正しい生活になりました。夜中の2時にいきなり街に呼び出されることもないし(笑)。大都会の慌ただしさの中で生活していたことを思うと、今は毎日自然に囲まれていて、身の回りの環境は大きく変わりましたね。

──環境が変わることで仕事観に変化はありましたか?
それは変わっていません。どんなときも、自分らしい方法で目の前の人を喜ばせたいと思っています。いつでもファンサービスをしたいというか。
DA PUMPにいたころ、出待ちをするファンとの時間をつくったり、「SHINOBU」と書かれたTシャツを着て応援してくれる小さな男の子にリストバンドをあげたり、どうすればファンのみんなが喜んでくれるかをぼくなりに考えていました。そのころの気持ちと、民宿のオーナーとして「今日はどんなツアーにしよう、どこで泳いでもらおう」とゲストを想う気持ちはイコールなんです。芸能活動と民宿経営では、緊張感の抱き方も同じですね。
──緊張感の抱き方……どのようなところが同じなのですか?
歌って踊る自分の体調と、海のコンディション。1日として同じ状態ではない中で、ファンやゲストを楽しませなければならない。ライブ当日に喉の調子が悪くなったときと同じように、今は海が荒れるという予報に頭を悩ませ、試行錯誤する毎日です。芸能活動も民宿経営も毎日が勝負だなって。
どの世界でも楽しめたのは、あこがれがあったから
──芸能活動と民宿経営には共通点があるのですね。ずばり楽しいのはどちらですか?
うーん、両方かな。どちらが楽しいかつらいかではなく、東京での経験があってこその今なので、過去と現在のつながりや、人との出会いを大切に感じるんです。東京でも小浜島でも出会いに恵まれ、楽しい時間を過ごしてきました。
東京は仕事も含めて慌ただしい環境ではありましたが、素晴らしい出会いの場でもありました。仕事仲間や友人、ファンのみんなはもちろん、ライブで訪れた地方の小料理屋のご主人まで、すべての出会いが今につながっていると感じます。
行ったことのないお店にふらっと入るのが好きなんです。DA PUMPのメンバーとして活動していた当時、地方のコンサートツアーへ出向いた際など、DA PUMPを知らないであろう年配のご主人が営む小料理屋を選んで、一人で飲みに行っていましたね。そこのご主人に「お兄さんどこから来たの?」なんて言われるのが楽しくて(笑)。
「沖縄から来ました!」と答えて、ご主人とぼく、初めて会う者同士でお酒とおしゃべりを楽しんでいました。今思えば、このころの人との関わり方が、民宿でゲストとのつながりを深められる基盤にもなっているのかもしれません。
──出会いに恵まれていても、環境が変わると楽しさを見いだせない人もいると思います。なぜ東京でも小浜島でも楽しく仕事ができたのですか?
いつも「あこがれ」を抱いていたからかな。あこがれとは、心が強く惹かれる夢や理想みたいなもの。その存在があるだけでモチベーションが上がるし、うまくいかないことがあっても起き上がる原動力になります。何より温かい気持ちになれる。
あこがれの対象は人でもものでもなんでも良くて。ぼくの場合は武道館のステージであり、船でした。

──あこがれを抱く。年齢や経験に関係なく誰もができることですね。
そうなんです。誰にでもできるシンプルなことです。でも、日々忙しく過ごしているうちに忘れてしまうことも多い。最近ワクワクしていないと悩む人には「自分が何にあこがれていたか思い出してみて」と伝えたいですね。
ぼくは今も船にあこがれ続けています。いつか、今よりも大きなクルーザーで世界中を家族で旅してみたい!考えただけでワクワクします。先日、大阪から沖縄まで8日間かけて一人で回航したのですが、それがもう楽しくて楽しくて……。このままずっと海の上にいたいと思ったほどです。何年後になるかわかりませんが、日本の海を飛び出して大好きな船で自由に旅をしたいです。
(文:徳山チカ 編集:おのまり 写真提供:宮良忍さん)

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