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日本IBMデジタルサービスの“最年少ママ”社長、井上さん。すべては「信頼する」ことからはじまった
2020年7月、日本アイ・ビー・エムデジタルサービスに当時39歳だった若手新社長が誕生しました。数千人の社員を抱える大手IT企業のトップに就任したのは、2児の母としての顔も持つ井上裕美さんです。
新卒で入社した日本アイ・ビー・エムで公共インフラのシステムを担当する組織でプロジェクトマネージャーとして活躍する一方、20代後半でお子さんを妊娠。それからは子育てと仕事の両立に奔走しながらも、着実にキャリアを積み重ねてきました。
第一線で活躍する女性が増えている今の時代。けれど、母親業と責任ある仕事の両方をこなしていくことは、大変なことに間違いありません。
はたらく女性が憧れるロールモデルともいえる存在の井上さんですが、若いころはご自身のキャリアをどう描き、どう向き合ってきたのでしょうか。
チームをまとめて何かを成し遂げることに、やりがいを感じていた。
就職活動のときから、「社会や国を支えるシステムに携わり、社会に貢献したい」と語っていたという井上さん。入社後はその希望が叶って、公共系のクライアントを担当するチームに配属されました。
最初のころは開発に携わっていましたが、人と交渉することやチームをまとめて1つのことを達成することにやりがいを感じていたこともあって、プロジェクトマネージャーとしてキャリアを歩むことに。
「公共に関するシステムの開発などに携わっていたので、品質もスケジュールも、非常に高いレベルが求められていました。充実感は感じていましたが、お客さまの求める以上のものを作らなければいけないというプレッシャーは大きかったです。
決められた予算とスケジュールの中で、ときには『どう考えてもこれは無理』という状況もありましたが、『リーダーがギブアップしてはダメだ』と思い直し、粘り強く乗り越えるための解決策を探していました」
自分の知識と経験だけではこれ以上前に進めない──。井上さんがヒントを求めたのが、社内の有志が参加しているコミュニティでした。
「当社には社員同士が自由に情報交換できるコミュニティがたくさんあり、いろいろな知見を持つ方の考えを聞きたいと思って、気になるものに積極的に参加しました。若手技術者のコミュニティ、女性技術者のコミュニティ、プロジェクトマネージャーのコミュニティ、ワーキングマザーのコミュニティとか。
コミュニティでは、たとえばプロジェクトマネージャーとしての専門性を高めるためにどうすればいいかを相談したり、逆に相談に乗ったりもしました。海外の社員との交流も盛んで、多様なスペシャリストの知見を吸収できたことが業務に役立ちましたね」
すべてを自分でするのではなく、「託すこと」の大切さを知る
20代のころからプロジェクトのリーダーとして仕事をしてきた井上さん。プロジェクトチームのメンバーには当然ながら、井上さんよりも年齢が上の人やはるかに高い専門性を持つ人などさまざまいます。そんな中で、『自分がリーダーだから頑張らなければ』と、チームをまとめるために井上さんは常に全力の状態に。
井上さんは当時について、「最初のころは自分でも気が付かないうちに、『私が何でも知っていなければいけない』『私が常に前に立たなくてはいけない』と思い込んでいたのだと思います。自分の中にあるリーダー像がすごく大きくなっていたのですね」と振り返ります。
そんな肩肘を張った状態になりがちだった井上さんを支えたのは、上司やメンターのアドバイスでした。
「周りで見てくれている私の上司やメンターの方々が、わりとフランクに『今、自分の理想像が大きくなりすぎているよ』『肩の力を抜いたら?』といったフィードバックをくれたんです。信頼関係のある方が自分では気がつきにくいネガティブな部分を指摘してくれたことで、自分の映っている鏡の世界を第三者的な視点で見ることができました」
プロジェクトマネージャーというのは立場ではなく、あくまでもプロジェクトをマネジメントする専門職。自分一人ですべてしなければいけないわけではないと気づいた井上さんは、「プロジェクトマネージャーはオーケストラの指揮者のようなもの」という1つの答えに辿りつきました。
「各分野のスペシャリストの知見と強みをうまく融合させていくことがプロジェクトマネージャーの仕事だということに、早いころに気がつけたのはよかったですね。
大事なのは、専門性はしっかり発揮しつつ、専門領域が異なる部分は信頼を持って任せること。結局、任せるということで、新たに信頼関係ができて、いいコラボレーションが生まれるんですよね」
妊娠してはじめて感じたキャリアの不安
着実に実績を重ね、新しいプロジェクトに挑戦していくことに楽しみを感じていた井上さんに、転機が訪れたのは20代後半のころのこと。1人目のお子さんを妊娠しました。
妊娠する前は漠然と「大変そう」という印象は持っていたものの、仕事との両立はできるだろうと考えていたという井上さん。しかし、実際は……。
「いざ妊娠して、自分の身に降りかかってみてはじめて、『やっていけるかな』『キャリアは大丈夫かな』と不安を感じました。
ただ、心は変わることなく仕事をしたいという気持ちがあって。集中しているときはバリバリはたらけるのですが、ふとしたときに『自分は妊婦なんだ』と思い出して、うっと気分が悪くなってしまう。そんなことの繰り返しでした。自分がもどかしくて、イライラしてしまうこともありましたね」
それでも業務を続けられたのは、周囲のサポートがあったからでした。「今眠いんだよね」「体調が悪いんだよね」と自分の状況や不安を周りに伝えることで、業務のサポートを得られて、自分自身も安心できたのだそうです。
また、上司から社内のワーキングマザーを紹介してもらい、情報収集にも取り組みました。
「いろいろなワーキングマザーを紹介してもらって、育休の期間や、復帰後に何をしたらいいか、どうやって仕事と育児を両立しているのかなどを聞きました。
妊娠中の体調や抱える仕事については人それぞれですが、ほかの方のケースを知れたことで『なんとか大丈夫そうだ』と思えるようになりました。ワーキングマザーの繋がりができたことは、ありがたかったですね」
やってみて、できないことがあれば改善すればいい
そうして時間を過ごし、1人目が生まれる直前、井上さんは昇進することに。臨月のタイミングでした。
「このタイミングで昇進はありなのか?」と当時のマネージャーに相談したそうですが、返ってきたのは、「実績があるのに何が問題なのか」という反応。
「育休から戻るときには役職が上がっているわけですから、不安はありましたね。
また、復帰してしばらくしてから部長職を打診されたのですが、そのときも、『0歳児がいても大丈夫でしょうか?』と相談しました。フルタイムではたらいていましたが、子どもが急に熱を出して帰らなければいけないことも多々ありますから。
そうしたら、上司は『それが何か関係あるの?』と。
私としては、時間的な制約があることや、自分が100%の力で取り組めるかという不安があったのですが、当時のマネージャーは、そうした中でも問題なくできるだろうと思って打診してくれていたのです。
『何が問題になるのかはやってみないとわからない。できない部分はサポートするのでやってみよう』と言っていただけたので、部長職の打診をお受けしました」
その後、2人目のお子さんを妊娠したときにも昇進。こうした経験を経て、「この会社では出産のタイミングと昇進のタイミングは関係がないんだなと。やる気と実績があれば公平に評価されることを改めて感じました。評価してもらえるんだということを改めて感じました」と井上さんは話します。
「全部お母さんがしなきゃ」は思い込みだった
会社の理解とサポートがあるとはいえ、2人の小さなお子さんの育児と仕事の両立は簡単ではないはず。井上さんは「今までも、今も、日々トライ&エラーを繰り返している」と話します。
1人目のお子さんが産まれたばかりのころは夫婦だけで頑張ろうとしていたものの、自分たちの力だけでは負担が大きく、何かいい方法はないかと模索するように。
ベビーシッターや、何か使える会社の福利厚生を探したりとアンテナを張り巡らせ、まずは試してみて、負荷の軽減につながったサービスを継続するというトライ&エラーを繰り返してきました。
「もともと1人目のときは、『お母さんの味が大事だから手作りしなきゃ』とか、『仕事が遅くなってもお母さんがお迎えにいかなきゃ』と思い込んでいた部分があったんです。
でも、子どもの立場に立ってみると、最後まで保育園に残っているよりはシッターさんのお迎えだとしても早く家に帰れたほうがいいし、ご飯ができるのを待つよりは調理済みのものをすぐに食べられたほうがいい。『あ、これでいいんだ』と、やっていくうちに気がつきました。
だから、2人目が生まれたときは、お母さんが笑顔でいられる時間を増やしたほうが子どもも楽しいはずと考えて、アウトソーシングできるものは利用するようにしましたね」
20代のころにプロジェクトマネージャーとして身につけた「信頼して、人に任せる」というスキルが、ワーキングマザーとなってからも役立っていたのです。
時間の制約がある中で、自分自身の仕事の進め方も変えていきました。
「時間の効率性と生産性を高める意識を持つようになりました。
今は『自分がやらなければいけない仕事なのか』を考え、チームのメンバーにお任せする
任せる仕事か否かを見極めて、お願いできる部分はお願いするようにしています。
そうはいっても、自分のスキルアップのために努力を続けていくことも必要です。通勤時間を自分の学びの時間にあてたり、無理のない範囲で社内のコミュニティに参加したりして、新しい知見を取り入れ続けるというスタンスは変えずにやってきました
また、今では、これまで乗り越えてきた知見や経験をいかして、若手や女性の技術者へ向けて、またプロジェクトマネージャーへ向けて、メンターとして様々な相談にのってアドバイスをしています」
やりたいことは、先回りして自分から手を挙げる
出産、育児でキャリアが一時止まってしまう女性はまだ多くいます。仕事を続けていても、『小さなお子さんがいると、この仕事は難しいかもしれない』と思われ、声をかけられなくなってしまうというケースも。
井上さんは出産後も、自分の状況をこまやかに周囲に伝えたり、先回りして自分から手を挙げるようにしました。
「たとえば、子どもがいると海外出張に行けないイメージを持たれてしまうのではと考え、『子どもを産んでも海外出張には行きたい。なんなら、子どもも一緒に連れていきますから』と、前もって周囲に伝えました」
やりたいことはあきらめない。母親だからと遠慮はしない。
そうした強い気持ちがあったからこそ、井上さんは出産という壁を乗り越えることができたのです。
39歳で訪れた、大きなチャレンジ
自分自身の理想とするキャリアを描き続けてきた井上さん。2020年に39歳という若さで、日本アイ・ビー・エムデジタルサービスの代表取締役社長に抜擢されました。
「とてもチャレンジングだと思いました。最新に打診されたときは『まさか私が』と驚きましたが、企業の様々な業界のデジタル変革を支援するという会社の考えに非常に共感していたので、『ぜひやらせてください』とお伝えしました。
『もちろん、みんなでサポートするから』と言ってもらえたことも、決断の後押しとなりました」
若いから、女性だからということには一切縛られず、自分が何をやりたいかを考え、求められるスキルと実績を積み上げてきた井上さん。20代のころは社長になるとは思わなかったとのことですが、当時も今も、新しいことに挑戦したいという気持ちは変わっていないと言います。
「責任も負荷も大きくなりましたが、時代が変わっても、役職が変わっても、常に新しいことを吸収していきたい。そう思っています」
(文:村上佳代 写真:shutterstock 写真提供:日本アイ・ビー・エムデジタルサービス)
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