【取材】さらば森田哲矢。相方スキャンダルで変わった仕事観。借金200万「自堕落な生活」から遅咲きの苦労人。

2024年10月7日

スタジオパーソルでは、はたらく“モヤモヤ”を解決するヒントを届けたいという想いから、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深掘りインタビューを行っています。

今回は、お笑いコンビ「さらば青春の光」として芸能活動を行う傍ら、個人芸能事務所「株式会社 ザ・森東 」の社長としても奮闘する森田哲矢さんに密着インタビューを行いました。

かつては200万円の借金を抱え、将来の展望が見えない日々を過ごしていたという森田さん。「死んだような生活」から一転、人気お笑い芸人へ転身し、そして経営者として成功するまで、森田さんのキャリアには大きな転機がいくつもありました。多くの挫折や苦悩を乗り越えていく道のりで、森田さんの“はたらく”価値観はどのように変化したのか。赤裸々に語っていただきました。

※一部を抜粋・編集してお届けします。

「マジで死んだような生活」を一変させた、ある曲との出会い

高校卒業後、お笑いの道に進むまでの間に、森田さんは5年間の“空白期間”を過ごします。病院の売店、カラオケ店、漫画喫茶などのアルバイトを転々とし、やがてパチンコにのめり込んでいきました。消費者金融3社から借金し、最終的に200万円の借金を抱え……。

「マジで死んだような生活というか。何も楽しいことなかったと思います」

そんな森田さんの人生を変えたのは、フォークバンド「野狐禅」の竹原ピストルさんが作った楽曲、「鈍色の青春」との出会いでした。

「『生きてもねえのに死んでたまるか!』という歌詞を聴いたときに、むちゃくちゃ刺さって。たしかに俺、ダラダラしてて、『これを生きてると呼んでいいのか』っていう状態やったんです。『そっか、俺まだ生きてもないんやな』みたいな感じで、じゃあなんかやらなあかんなって」

自分に“億”稼げる仕事なんてあるのか?唯一、お笑い芸人の道ならいけるのではないか?そう真剣に考えた森田さんは、借金返済後に残った20万円をすべて養成所の費用に充てる決意をします。

当時、森田さんは25歳。お笑い芸人として転身する年齢的なハードルを感じつつも、活躍のチャンスを求めて松竹芸能養成所のお笑い芸人コースに入学しました。

芸人として花開くも「俺の人生マイナスか、トントンだと思ってた」

養成所に入学して2年後、森田さんは相方の東ブクロさんと出会い、「さらば青春の光」を結成。一方で、「なんとなく恥ずかしかったから」と、養成所に通っていることを親にも友人にも隠していたという森田さん。アルバイトで収入を得る生活が続いていました。

「いかに楽なバイトを探すかっていうのも、結構芸人のスキルとして必要やなっていうのはありますね」

森田さんは、競馬新聞の配達、ボーリング場、サウナ施設の居酒屋など、少ない労力で稼げるさまざまなアルバイトを経験しました。

「お笑いで飯食えるとかって、あんま思ってなかったんすよ。自分の人生ってマイナス、行ってもトントンぐらいの感じの人生なんやろなと思ってたから」

そんな中、森田さんは次第にお笑い芸人として才能を開花させていきます。初舞台はキングオブコント。結果は1回戦敗退でしたが、その半年後にはNHK上方漫才コンテストで決勝進出を果たし、お笑い芸人としての可能性に手応えを感じ始めました。

そして2012年、31歳を迎えた森田さんはついにキングオブコントの決勝に進出。しかし、その後も、仕事や収入は思うように増えず……。ついに森田さんは、「会社が悪い」と”若気の至り”で退社を決意。当時の心境を振り返り、森田さんはこう語ります。

「普通に冷静に考えて、我慢してはたらいた方がいいと思います(笑)。でも、辞めてでもやりたいことがあるとか、冷静に判断して辞めるっていう決断をするなら、俺はいいと思いますけどね。俺らは別にそんな冷静に判断して(退社した)とかじゃなかったんで、苦労しましたけど」

「仕事入った、ラッキー」が「会社を支えなあかん」に変わった瞬間

退社後、森田さんは個人事務所「株式会社 ザ・森東」を設立。政策金融公庫から数百万円の融資を受けましたが、設立当初の仕事は少なく、同期のお笑い芸人たちが売れていく姿を見て焦りを感じる時期もあったそうです。

「そのころはまだ、幸せとか、そういう感覚はないかもしれないです。とりあえず必死でやってるって感覚」

その後、森田さんは方向転換を図ります。賞レースへの出場を辞め、単独ライブやYouTubeチャンネルの開設に力を入れました。その結果、少しずつテレビ出演が増え、認知度が向上。「徐々に右肩上がり」の状況が続きます。

そんな中、相方・東ブクロさんのスキャンダルが発覚。東ブクロさんは活動休止を余儀なくされ、森田さんは苦境に立たされることになります。しかし、この経験が森田さんのはたらく価値観を変える大きなターニングポイントとなりました。

「それまで週2~3あった休みが0になって、『あ、ほんとにはたらかなあかんねんな』っていう。会社を支えないといけないんだなって、ちょっと思った」

それまで「テレビの仕事入ったやん。ラッキー」という感覚だった仕事に対する価値観が、会社経営者としての覚悟に変わった森田さん。この経験から、森田さんは事務所経営のリスクも真剣に考えるようになりました。広告の契約内容を見直し、経営者としての責任を強く意識するようになったそうです。

「楽して稼ぎたい」は今も変わらない。けれど……

かつては借金を抱え、将来の展望が見えない日々を過ごしていた森田さん。「個人事務所を設立してから、はたらく幸せや価値観は変わりましたか?」という問いかけに対し、こう語ります。

「自分の人生でこんなに給料いただけることがあるんだなっていう驚きというか、自信はできたかなと思います」

お笑い芸人を目指した当初の「楽して稼ぎたい」という思いは今も根底にあるものの、森田さんが実際の仕事に向き合う姿勢は大きく変化しています。

「実際そんな楽なことはないじゃないですか。我慢せなあかんとこは我慢せなあかんとは思うんすよね。でも、俺らは普通にはたらくことができなかった人間やから、普通にはたらくよりは楽よねっていう感覚でやってますね」

最後に、森田さんははたらく人へのアドバイスとして、「やりたくない仕事」「苦手な仕事」との向き合い方について語ってくださいました。

「実は自分が苦手と思ってることが向いてるっていう可能性もある。俺、テレビめっちゃ好きやけど、テレビがそんなに得意だなとは思ってなくて。

でも、自分があんま気づいてない良いところをテレビの人たちが見て、呼ぼうって思ってくれたっていうことがあり得るから。『これはやりたくない』とか思っててもやってみる、っていうのは、実は意外に評価されたりすることもあるんじゃないかなと思う。嫌だって思ってすぐ辞めるんじゃなくて、ちょっと我慢してやってみるのも僕はいいんかなと思いますね」

※今回お伝えし切れなかった動画版フルバージョンはYouTube『スタジオパーソル』にて公開中

(文:間宮まさかず)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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