28歳エンジニアが退職後Uターンし、青森で「温泉ソムリエ」になった話。番組出演や取材も殺到。

2024年12月3日

スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、いつかは故郷に帰りたいという想いを、自分の「好き」を仕事にすることでかなえた方のストーリーをご紹介します。

現在、フリーランスの温泉ソムリエとして故郷である青森を拠点に活動している鎌田よしふみさん。新卒で入社した会社でITエンジニアとしてはたらいていたものの、「今の仕事は自分には合わない」「故郷にいつかは帰りたい」と思うようになりました。悩んだ結果、青森にUターン。その2つの想いを解消するだけでなく、かねてより大好きだった温泉を仕事にして新しい世界の扉を開くことに。その経験を振り返り、noteに投稿しました。

※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話」から抜粋したものです。

「温泉ってこんなにすばらしいものだったのか!」人生を大きく変えた“湯”との出会い

「湯舟に浸かりたい……」

そう思ったのが温泉ソムリエの道への始まりでした。

青森県出身の鎌田さんは、大学進学を機に初めてのひとり暮らしをスタートさせます。それまでとは環境も生活リズムも大きく変わりましたが、学業のかたわら、卓球サークルやよさこいサークルに参加するなどし、充実した毎日を送っていました。

しかし、毎日楽しいはずなのに、なぜか疲れは溜まっていきます。

次第に「なんか身体が疲れているな・・」と感じるようになっていきました。若いので普段の生活に支障が出るほどではないのですが、何となく日々の体力の回復が遅れているなと感じる日が、ちらほらあったのです。

温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話 より

以前は、実家で毎日湯船に浸かっていた鎌田さん。ひとり暮らしをはじめてからは、シャワーだけで簡単に済ませるようになっていました。「湯船に浸かりたい」という思いから、周辺の温泉地をめぐるうちに、湯に浸かる喜びを覚えていったと言います。

普段シャワーだけの生活を強いられていた僕にとって、たまに行く温泉がめちゃくちゃ気持ちよかった。すっごくよかった。「温泉ってこんなに素晴らしいものだったのか!」という気持ちがどんどん湧き出てきました。

温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話 より

それから鎌田さんが温泉ソムリエになるのは、10年ほど先の話です。どのようにして「好き」が仕事につながっていったのでしょうか。

「このまま故郷に戻らずに一生を終えるのか……」募る故郷への想い

大学卒業後、鎌田さんは新卒でエンジニアとしてIT企業に入社します。

生活の場を東京へと移しました後も、近所の銭湯に行ったり、休みのたびに温泉仲間と共にあちこちの温泉へ足を伸ばしたりと、大学生時代よりもさらに「湯」を楽しむようになっていました。

一方で、仕事では業務の忙しさ、睡眠時間の少なさ、そして異動と、馴染めないことも多く、求められることができない自分に行き詰まりを感じるように。数年はたらくうちに故郷のことが頭をよぎります。

苦労しながらも何とか頑張っていたのですが、入社して4年目くらいから、何となく青森に戻りたいな、と感じ始めました。これは会社の仕事が辛かったこともありましたが、そもそも仕事面と関係なく自分の中にあった気持ちでもありました。

自分はいつか東北や、地元である青森に戻りたいのかもしれない、という気持ちはずっと持っていました。東京に住むことで、「自分は青森のことについて全然知らないのでは」「このまま地元に戻らずに一生を終えるのは嫌かもしれない」と感じるようになっていきました。

温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話 より

「今の仕事が合わない」「青森で暮らしたい」という想いはあったものの、中途半端に辞めるわけにいかないとがむしゃらに頑張る日々。そして、入社してから数年が経ったあるとき、普段は仕事で関わることがない青森出身の先輩と交わした会話が印象深いものになりました。

先輩いわく、「オレは東京で家庭も出来たからもう帰ることはできないけど、気持ちは青森に帰りたい。地元に気持ちがあるなら、帰れる内に帰った方が絶対にいいよ」とのことでした。その言葉には、感情がこもっていました。その先輩としっかり話したのはその一回限りでしたが、真剣な眼差しに色々と感じるものがありました。

温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話 より

先輩の言葉に、「いつか青森に帰りたい」という想いがどんどんリアルになっていきました。そして28歳になった社会人6年目の秋、鎌田さんは退職を決意します。

故郷・青森で協力隊に着任。待っていたのは温泉三昧の日々

(鎌田さん提供)

退職とともに、Uターンすることを決めたものの、青森に戻りどんな暮らしをしたいか、どんな仕事をしたいかは、まったく想像がつきませんでした。

しかし、在職中に地域おこし協力隊という制度を知り、「この制度を活用して仕事に取り組みながら青森の生活に入っていく選択肢もありかも」という想いが芽生えます。

地域おこし協力隊とは、都市部から過疎地域へ移住し「地域協力活動」を行いながら、その地域への定着を図る国の制度です。

任期が3年であること、その先の保証がないことが当時の鎌田さんにとって不安要素ではありましたが、ちょうど弘前市岩木地区の地域おこし協力隊の募集があり、思い切って応募することに。そして無事に合格し、ついにUターンの道が開けました。

自治体によって活動テーマの定め方は異なっており、鎌田さんが着任した地域では、地域振興に関わることであればテーマを自分で選ぶことができました。

そこで頭に浮かんだのが、温泉でした。弘前市岩木地区は青森県で一番標高の高い岩木山の麓に位置し、個性豊かな温泉地がたくさんあります。鎌田さんが新しい挑戦をするうえで、これ以上ないほどにぴったりな場所だったのです。

正直最初は(温泉をテーマにしたらたくさん温泉に入れそう・・)という気持ちもあり、僕は温泉を活動テーマに掲げることにしました。そして「それっぽい資格取ろう!」ということで、2018年1月に『温泉ソムリエ』の資格を取得します。こうして、温泉ソムリエとしての活動がスタートしました。

温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話 より

この転機が、鎌田さんの人生を大きく変えることになります。

3年間の任期の中で、温泉のファンミーティングの開催、ラジオやテレビなどでの温泉の広報活動、源泉のメンテナンスのお手伝いなど、温泉に関わるありとあらゆる仕事に挑戦しました。

また、温泉というテーマに縛られず、地域のお祭りの運営、消防団への入団、観光協会の取材・執筆など、地域おこし協力隊にならなければできなかったことも多く経験。それは、今振り返っても、この道を選んで良かったと思える時間ばかりだったそうです。

温泉を知り、故郷を知る。それが仕事につながっていく

(鎌田さん提供)

地域おこし協力隊に着任してから3年が経ち、32歳になった鎌田さんは任期を満了します。

これからどうやって生きていこうか、独立してやっていけるのか、自分に自営業は向いているのかと数ヶ月も悩んだそう。しかし、「今後も温泉ソムリエとして活動を続けたい!」と意思を固め、いざ独立してみると、過去3年間に地域おこし協力隊として積み上げてきたことが着実に個人の仕事につながっていきました。

地域おこし協力隊で繋がりのあった人、団体からの仕事をはじめ、少しずつ青森県内各地の温泉に関する仕事を受けるようになります。

温泉にまつわるインタビュー冊子の制作、ホームページの取材ライティング、青森の温泉の歴史についてのセミナー講師、「青森の温泉ソムリエ」としての番組出演……。

そのほかにも、自治体や観光協会からの依頼や、温泉以外のライティング案件など、幅広い仕事が舞い込んできます。

独立して3年がたった今、温泉ソムリエとしての実績を着実に重ねて来たことに大きな喜びを感じている鎌田さん。青森に帰る前には想像もできなかったほど充実した日々を過ごしています。会社員時代に感じていたモヤモヤも晴れていきました。

会社員時代、青森に帰ろうか迷っていた頃に心に浮かんだ、『青森のことを全然知らないまま、一生を終えるのは嫌だな』という気持ち。その気持ちが、青森で温泉に入って、温泉のことを知ることで、どんどん解消されています。それが、自分にとって何より嬉しいことです。

温泉好きが30歳を前に地元にUターンし、『青森の温泉ソムリエ』になるまでの話 より

これからは、青森にとどまらず、東北地方や全国の温泉にも仕事の幅を広げていくため、入浴に励みたいと今後の展望を語っています。

(鎌田さんが執筆・取材などで関わった出版物)

鎌田さんは最初から温泉ソムリエを目指していたわけではなく、「故郷に帰りたい」という自分の素直な想いと、「好き」に実直に向き合った結果、温泉ソムリエの道にたどり着きました。

好きなことを仕事にするのは難しいと思われがちですが、好きに一所懸命に向き合い続けることが、新しい人生の一歩を踏み出すきっかけにつながるのかもしれません。

<ご紹介した記事>
28歳ITエンジニアが温泉ソムリエに転身。「好き」を仕事にしたら、故郷がさらに好きになった

【プロフィール】
鎌田よしふみ|青森の温泉ソムリエ♨
温泉ソムリエ|ライティング|旅行業者|個人事業【湯けむり津軽】|元地域おこし協力隊|元IT系会社員|カラオケ好き|ドリア好き|一生温泉に入りながら生きていきたい|名字の読みは「かまた」です

(文:田口愛)

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ライター田口愛
1986年東京生まれ。結婚・出産を機に、31歳で東京から岐阜県飛騨地方へ移住。移住によるキャリア迷子を乗り越え、現在はベンチャー企業で販促や人事を担当しながら、広報やキャリア系を軸にライターとして活動。2児の息子たちと共に大相撲にハマっている。

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