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「プール更衣室で自殺未遂」おはスタ子役からゴールドマンで金融エリートに。”細山くん”首絞めや殴打で吐血する壮絶いじめから奮起

スタジオパーソルでは、「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
眼鏡に蝶ネクタイ、サスペンダーと半ズボン。可愛らしいぽっちゃり体型で、「太いけど、細山です!」のキャッチフレーズが印象的だった少年を覚えている方も多いのではないでしょうか。
『おはスタ』『世界一受けたい授業』など、数々のバラエティ番組に出演し、お茶の間から愛されていた子役タレント、細山貴嶺さん。芸能界を離れたのちに、金融業界でキャリアを積み、今では動物医療の世界で奮闘する経営者へと変貌を遂げています。そんな細山さんが現在のキャリアに至るまでには、幼少期の壮絶ないじめと、その中で見いだした人生をかけるほどの想いがあったといいます。
幼稚園から中学まで続くいじめ。自殺未遂するほどの過酷な現実も、勉強とダイエットで跳ね返す
──幼いころから数々のバラエティ番組やドラマに出演されていた細山さん。当時のお仕事について、どのように向き合われていたのでしょうか?

0歳で赤ちゃんモデルとして芸能界に身を置いていたので、芸能界での仕事が自分の生活の一部であり、当たり前のものとしてこなしていた気がします。
でも年齢を重ねていくうちに、「この活動を通して自分はお金をいただいているんだな」と察するようになったというか。幼いなりに自分を奮い立たせ、プライベートとはしっかり切り分けて取り組むように、意識が少しずつ変わっていきました。
──プライベートでは、どのような子ども時代をすごしていたのでしょうか?
実は幼稚園から中学まで、ずっといじめに遭い続けていたんです。小さいころからぽっちゃり体型だったのと、芸能活動で遅刻や早退をすることが多かったのが理由でした。
幼稚園で工作した作品を、同級生に砂場に投げ捨てられたのが、一番遠いいじめの記憶です。それだけでもショックでしたが、ぼく自身がやったことにされて、先生に言いつけられてしまいました。「ぼくじゃない」と反論すれば良かったのだろうけど、当時は何も言わずに黙って先生に叱られていました。
悲しかったけれど、どこか仕方ないのかなと思う部分もあって。事実を話して、いじめっ子が先生に怒られてつらい想いをするくらいなら、ぼく一人が我慢すれば良いだけ、と相手を庇うことを選びました。
──子役としての活躍の裏に、そのようなつらい現実と向き合っていたのですね。

そうですね。いじめが激しくなったのは、小学校のときでした。過去に3回転校をしているのですが、2校目でのいじめは特にひどかった。同級生から首を絞められたり、殴られて口から血を出して保健室に運ばれたりと、命の危険を感じるほど過酷で。あまりにつらくて、学校のプールの更衣室で自ら命を断とうとしたこともありました。
でも死ぬにも死にきれない。もう自分には逃げ場がないと思い込んでいたとき、救ってくれたのは母でした。「どんなことがあっても、私は貴嶺の味方だから」と何度も励ましてくれたんです。ぼくの将来を考えて選んでくれたエリート校ではありましたが、こんな環境にいる必要はないと、すぐに転校の手筈を整えてくれました。
──あまりにもつらすぎる環境に、胸が痛みます。転校してからは、いじめは落ち着いたのでしょうか?
その後もいじめはありましたが、ある程度は穏やかになりましたね。いじめを完全に克服するきっかけになったのは、中学で最初に受けた中間試験でクラス1位を取ったことでした。初めて人より秀でるものを見つけられたような気がして、それからは寝る間も惜しんで勉強を頑張り、中学校を首席で卒業しました。
同じ時期にダイエットにも目覚めて、40kg以上体重を落としたのもいじめをなくす要因になったと思います。芸能界ではぽっちゃり体型をかわいがっていただきましたが、私生活では体型をバカにされてばかりだった。痩せたことで芸能の仕事は少なくなりましたが、長年苦しんできたいじめも収まり、ようやく息ができたような心地でしたね。

慶應大から外資系エリート金融マンに。子役時代とは異なる仕事のプレッシャーを体感
──高校卒業後は、どのような進路を選んだのでしょうか?
慶應義塾大学 法学部 政治学科に進みました。慶應の政治学科は、日本でも有数の教員数と科目数を誇ります。ぼく自身が長年いじめに苦しんできた経験から、社会構造にアプローチしていじめのない世界を実現させたい想いを強く持っていて。多様な選択肢から、社会について学びを得られる政治学科への進学を決めたんです。

在学期間中は一旦芸能活動を休止し、10カ月間の交換留学でカリフォルニア大学サンディエゴ校に滞在し、心理学を学びました。いじめは心底嫌いでしたが、なぜいじめっ子が生まれるのか、いじめをする背景にはどのような心理的背景が存在するのかには、興味があったので。
──いじめを受けた経験が、ご自身の勉学への情熱を掻き立てていたのですね。卒業後のファーストキャリアには、金融業界を選ばれています。それはなぜだったのですか?
周りに流されるように就活を進めていく中で、内定をいただけた2社のうちの1つが、新卒入社を決めたゴールドマン・サックスでした。
金融にこだわっていたわけではないのですが、ゴールドマン・サックスは業界屈指のエリート企業だと思っていたので、自分の力を試したいと入社を決めた形です。芸能界だけでなく、一般社会に出たときに自分の能力がどこまで通用するのか、純粋に知りたかったんです。そのまま芸能界に身を置くか迷っていた部分もありましたが、内定式前に所属事務所に引退を願い出ました。
──ゴールドマン・サックス時代は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

決済担当者として、トレーダーが執行した証券取引に係る手続きを実際に行う業務がメインでした。それに加えて、社内の業務効率化を推進するビジネスインテリジェンスプロジェクトにも従事していました。
──当時のお仕事を振り返って、特に印象に残っている出来事はありますか?
一度、取引の決済を行う際に大きな手続きミスをしてしまって、ぼくのチームと隣のチーム全員に深夜帯までミスのリカバリーをしていただいたことがありました。とにかくなんとかしなければと、無我夢中で修正処理を行なって。事が収まったころにはひどく落ち込みましたが、なぜこんなミスを犯してしまったのだろうかと、冷静に顧みている自分もいました。
子役時代の芸能活動も仕事として取り組んでいましたが、金融に進んでからはまた別の緊張感がありました。芸能界は、不意にトークを振られた際にどう返せば期待に応えられるのか、瞬発力の試される緊張感がありましたが、金融業界は日常的に大きな金額を扱っていることの恐ろしさと隣り合わせ。とにかく間違ってはいけない、正確に……というプレッシャーはつねに感じていたかもしれません。
愛猫の命の危機に、一念発起。動物医療業界を革新する起業家へ
──ゴールドマン・サックスから起業に至るまでには、どのような心境の変化があったのでしょうか?

ゴールドマン・サックスに約3年勤務したのち、資産運用会社に転職して証券アナリストとしてはたらいていました。ちょうどその時期に、愛猫が重い病にかかり、緊急輸血をすることになったことが起業の道を志したきっかけです。
すぐに動物病院にかかりましたが、そこで獣医療の抱えている課題を目の当たりにしました。多くの獣医師の先生は創意工夫して一生懸命に説明してくださるのですが、獣医療を知らない飼い主としては説明をうまく理解できず、我が子にとって最善の治療選択を行うことが難しかったんです。
振り返ると、幼いころから動物が大好きだったし、獣医師を目指していたこともありましたが、いざ、大切な家族である愛猫を失うかもしれない恐怖に直面したとき、動物医療の現状を変えるために行動しなければと、起業の道へと進むことにしたんです。
──ご自身が動物医療の課題に直面する当事者となった過去があったのですね。
はい。MBA(経営学修士)を取るかと考えていたとき、ちょうど京都大学の子会社にあたるベンチャーキャピタルが客員起業家という肩書きで起業家候補を募るという情報を耳にしました。一定期間はたらきながら起業準備を進められると聞き、応募した結果ありがたいことに採用され、すぐに京都に拠点を移しました。金融時代に比べて収入は減りましたが、動物に関するさまざまな研究成果や情報を収集しながら準備を進める時間はとても貴重でしたし、やりがいもありましたね。
2023年1月から2024年12月まで客員起業家として身を置き、その間に株式会社VetsBrain(ベッツブレイン)を立ち上げました。現在は共同創業者という立場で、会社の経営やマーケティング、広報業務などを幅広く担っています。
──VetsBrainでは、どのような事業に取り組んでいるのでしょうか?

動物業界特化型のコンサルティング事業、動物関連をはじめサイエンスをわかりやすく表現するイラスト・アニメーション制作、獣医師から飼い主への診療説明を円滑化するITサービス開発、そして動物業界に携わる方のためのオンラインコミュニティ運営と、4つの事業に取り組んでいます。
いずれの事業においても、ゴールは動物にかかわる課題を解決して、苦しんでいる動物たちを救うこと。まだまだ生まれたばかりの会社ですが、「獣医療をアップデートし、すべての伴侶動物に届ける」というミッションを掲げ、より多くの命が救われる世界の実現を目指しています。
つらかった過去も、バラバラに見えるキャリアも、いつか一つにつながる瞬間が来る
──子役タレント、金融、そして動物医療と、多岐にわたるキャリアを邁進されてきた細山さん。それぞれのキャリアに共通するものがあるとすれば、それはなんでしょうか?

「声なき声を救いたい」という想いに、ずっと突き動かされてきたのだと思います。一見すると関連性のないキャリアに思われますが、やはりすべての原体験には過去のいじめがあった。ぼく自身が胸の内を心に秘めてしまうタイプで、「助けて」と声を上げられなかったからこそ、同じ苦しみを抱えている存在を放っておけないんです。
病に倒れて苦しんでいても、愛猫は言葉で助けを求めることができない。そんな姿を見て、いじめに苦しんでいたときの自分が重なったのかもしれません。声を上げられなくても、今もこの世界で苦しんでいる誰かがいるかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。
起業の選択肢が頭に浮かんだとき、なんの迷いもなく踏み出せたのは、それほどまでに強い衝動に心を揺さぶられたからだと思います。一度しかない人生、後悔しないように生きるには、お金より自分の情熱に従うほうが良い。今ようやく自分の生きる目的を見つけ、突き進めていると実感しています。
──いじめに苦しんでいた当時のご自身に、今の細山さんならなんと声をかけますか?
生を放棄してしまいたくなるほど、ものすごくつらい日々を送っていると思うけれど、それが糧になるタイミングは必ず来る。そのつらさが人生の道標になるときが必ず来るから、と伝えたいです。
──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
もしかしたら今、はたらくことに苦しさを感じている方もいるかもしれません。ぼく自身も、自分の使命だと確信できるキャリアに踏み出すまでに、たくさんの遠回りをしました。でも今までの時間や経験が、すべて無駄だったとは思いません。流した涙も、受けた傷も、失敗や迷いさえ、今につながるためのステップだったと思えます。
だから、時には心と体を労わりながら、少しずつでも自分のペースで進んでほしいです。進んでいくうちに、「この道でいいんだっけ?」と心が自分に訴えてくる日がきっと来る。そのときには、心の声に素直に耳を傾けて、迷わずチャレンジしてみてください。バラバラのように思えるその足跡が、きっとどこかでつながる日が来るはずだから。

(「スタジオパーソル」編集部/取材・写真:水元琴美 文:神田佳恵 編集:おのまり、いしかわゆき 写真提供:細山貴嶺)

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