中3で夜逃げ、2年間のホームレス生活。36歳で「こども万博」を創設し、9.5万人を動員した元看護師の話。

2026年1月27日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

手塚麻里さんは、「中3から2年間ホームレス生活を送る」という壮絶な過去を経験しました。その後、看護師として10年間キャリアを積んでいましたが、はたらき方や住環境を変えたことで、人生が大きく動き出します。

2022年に、手塚さんは子どもの夢を応援するイベント「こども万博」を創設。2025年10月には大阪・関西万博でも開催され、想定の4倍以上となる約2.4万人が来場しました。

看護師から「こども万博」の創設者となった手塚さんが、“自分らしいはたらき方”にたどり着くまでの道のりを伺いました。

中3のときに夜逃げ。中高一貫校を退学寸前に

──中学3年生で夜逃げを経験したそうですが、当時の状況を教えていただけますか。

もともと横浜の教育熱心な地域で育ち、子ども時代は毎日何かしら習い事があるような生活でした。ただ、両親は「子どもらしく思いっきり遊んでほしい」とも思っていたようで、小学2〜3年生のころ北海道の自然体験留学に参加させてもらった思い出があります。

私立の中高一貫校に進んで、部活はダンス部に入っていました。でも中3の9月、テスト中に先生に呼び出されて「このまま親戚の家へ行きなさい」と言われたんです。「親が交通事故にあったかな……?」と不安になりました。

親戚の家には母がいてホッとしましたが、「今日、夜中に一度だけ家に帰る。この箱に、絶対手放せないものだけを詰めて」と箱を渡されて、「もう二度と家には戻れないよ」と。経営者だった父が、仕事でトラブルに巻き込まれたんです。

夜中、懐中電灯を口にくわえ、暑い時期でしたが光が漏れないように窓を閉め切って、箱にゴソゴソと荷物を詰めて家を出ました。

──平和な生活から一転、衝撃的な一夜だったと思います。

ただ、「涙ながらに」というわけではなくミッション的なわくわく感を感じていましたね。その先に何が待っているのか、想像もつかなかった。

でも「学校を辞めなければならない」と知って急に現実味が湧いて。

翌日、担任の先生と理事長に事情を話しに行くと、「ここは幸い高校まである。卒業まで無償で通っていい」と言われたんです。

でも条件が1つあり、「自分の力でお金を稼げるようになったとき、次世代の子どもたちにできることをしてあげてください」と。

大阪・関西万博の一角で開催された「こども万博」でスピーチをする手塚さん

──それは、手塚さんが優秀な生徒だったからなのでしょうか。

いえ、私は勉強は全然できないし、部活命で生きているような普通の生徒でした。

理事長も、この一件ではじめて私を認識したようですし、担任の先生も「えっ」と驚いていたのを覚えています。

──夜逃げ後はホームレス生活を送ったそうですが、どんな経緯だったのでしょうか。

父とは離れて暮らすことになり、母子で都内の親戚に受け入れてもらったものの、二家族が生活するのは物理的に難しく、親戚の負担をすぐに感じ取りました。

明るかった母も、人が変わったように「ごめんね」としか言わなくなって。私の記憶だけで4回くらい、母と兄と「今日が最後。命を絶とう」と話したことがありますが、そのたびに声をかけられたり、人の出会いがあったりして、命や未来がつながりました。

母は朝から晩まではたらき、兄は奨学金を取るために必死で勉強。兄は勉強もできたので、母の良き相談相手でした。でも私の存在はマイナスでしかない。そう思って、「春と秋は気候がいいし、外で過ごそう」と、高1の春ごろから、学校へ通いながら公園や駅の近くで寝泊まりするようになったんです。

私のことを家出少女だと思ったホームレスの方が食べ物を分けてくれたり、ベッドのつくり方を教えてくれたり。

部室でシャワーを浴びていたら、先生が制服を洗濯してくれたこともありました。夏場と冬場は、小学生のころ自然体験留学で友達になった上級生のお兄さん・お姉さんが大学生になり、東京で一人暮らしをしていたので、1カ月泊めてもらったりして……本当に、周囲に助けられて生きていた時期でしたね。

高2で母と兄と3人で暮らせるようになったときは「雨風凌げる家があるって最高!」とめちゃくちゃうれしかったです。

都内の2DKマンションから、神戸の3階建て一軒家へ。引越しが大きな転機に

──その後、看護専門学校を卒業し、大学病院の救命看護師→美容クリニックの看護師→インターナショナルスクールのスクールナースとキャリアを歩まれたそうですね。

救命看護師2年目のころ、「オペで終わりじゃなく、その先も患者さんや家族のケアをしてあげたい」と思うようになったんです。

そのころ、中学時代の理事長にご挨拶へ行きました。看護師になったことを褒められるかと思いきや、理事長はもう一度「今の自分のサイズでいいから、次世代の子どもたちにできることをしてあげて」と。

その約束を果たすことが真の恩返しになるんだと、そのときはじめて理解しましたね。

次に、来院から回復まで患者さんと長く関われる、大手美容クリニックの看護師に転職。

その後結婚して2人の子どもを授かり、土日出勤のやりくりが難しくなって。2015年に、土日休みのインターナショナルスクールの「スクールナース」になりました。

でもそこでは、それまでのように常に看護対応があるわけではなく、保健だよりをつくったりしている時間がほとんど。あまりのギャップに「仕事ってこんなに暇でいいんだっけ?」と思い(笑)、「私、保育スタッフにも入りますよ!」と言って、子どもたちと遊ぶようになりました。

そのスクールでは、外国人と日本人の先生が2名体制で担任をしていたのですが、その後私は、日本人担任として2歳児クラスを任されるように。子どもたちと一緒にいる時間は、ただただ楽しかったですね。

子どもたちと過ごす手塚さん(写真は自宅での様子)

──スクールナース時代に、子どもと過ごす楽しさを実感されたんですね。それがどんなふうに「こども万博」の創設につながっていくのでしょうか?

3人目が生まれて、東京の2DKのマンションが手狭になりました。近隣のマンションに引っ越そうにも、価格的に手が出ず、かといって東京郊外は通勤に時間がかかりすぎてしまう。

「じゃあどうせなら、縁もゆかりもない場所へ行ってみよう!」そう思い、2018年、神戸の3階建ての一戸建てに家族で引っ越しました。スクールナースの仕事は、引っ越しを機に退職。何かのときには、どこに住んでも看護師の仕事はあるだろうと思い、新しい道を歩み始めたんです。娘たちは5歳、3歳、0歳でした。

でも引っ越して1週間もすると、娘たちが「どうして神戸では誰もうちに来ないの?」と寂しがるようになって。東京では、毎日のように誰かが遊びに来ていたんです。

そこで、娘の幼稚園のお友達に「いつでも遊びにおいで」と声をかけました。

最初は1〜2人遊びに来るくらいでしたが、次第に7〜8人に。週末も親御さんたちの忙しそうな姿をよく見ていたので、「みんなうちに来る?」と誘ったら、毎週末みんなうちで遊び、ご飯を食べて帰るようになりました。

──毎週末7〜8人!普通はなかなかできないことですよね。

2019年、保護者の方から「毎週子どもを預けるのは申し訳ない。いっそ仕事にしてみてはどうか?」と提案されたんです。

“仕事にする”という発想はなかったので迷いましたが、「本当に仕事になるのか、確かめてみよう」と思い、兵庫県の起業支援制度に応募しました。そうしたら、採択されたんです。

その後、あわてて個人事業主として開業し、放課後や週末に、自宅で子どもたちを預かる事業を始めました。

神戸の自宅で、子どもたちと体験学習をする手塚さん

自宅の一室で始めたことが、大阪・関西万博で開催される子ども向けイベントに

──放課後や週末に子どもを受け入れる仕事が、なぜ大阪・関西万博で開催されるまでの規模になったのですか?

ある日、子どもたちに「将来の夢って何?」と何気なく聞いたんです。

そうしたら「え〜、言いたくない」と、最終的に教えてくれたのは1〜2人だけ。「あれもこれも!」と夢が出てくると思っていたので、衝撃的でした。

「じゃあ、明日から全部未来だとしたら何がやりたい?」と聞き直したら、やりたいことはいっぱい出てきた。でも子どもたちは、それが大人の言う「夢」に値しないと思っていたんです。

その日は付箋にやりたいことを書きまくってもらい、壁に貼ったところ128個になりました。

そこで「できるかどうか分からないけど、これ全部やってみない?」とみんなに言って、実際にやり始めたんです。たとえば「お風呂サイズのゼリーをつくりたい」。本当に試したら固まらなくて失敗(笑)。

でも子どもたちは、私が失敗するとすっごく楽しそうで。私自身も、子ども同士の「失敗しても、麻里先生ほどじゃないから大丈夫だよ!」という会話を聞いたとき、「大人も一緒に失敗して成長していいんだ」と気付かされました。

──128個の夢を、一つずつ叶えていったのですね。

でも中には、「ペットショップの店員さんになりたい」など、私一人では手伝ってあげられない夢もありました。

そんなときはお店に「協力してもらえませんか?」と電話したり、突撃営業したりして、近所では少し有名な子どもの団体になっていったんです(笑)。

2022年、クラウドファンディングに挑戦し、資金を集めて、神戸市内に少人数制アフタースクール「こどもCandy」をオープン。イベントをすると、20〜30名の子どもたちが集まりました。

ただ常時通ってくれる子は数名程度。スクール運営としては苦戦していました。

でも日々活動する中で、「もともと前に出ないタイプだった子がリーダーシップを発揮する」など子どもたちにも変化があったんです。この姿を親御さんに見せてあげたいな、という思いが始まりで、同年9月、神戸ハーバーランドで第1回のイベント「こども万博」を開きました。

ここでは、地元企業にご協力いただき、小学生の夢スピーチコンテストや職業体験、ステージパフォーマンスを行いましたね。2022年は神戸と愛知の2回でしたが、2023年には4回、2024年には13回と規模が大きくなっていったんです。

2022年から約3年で、累計9.5万人を動員。夢のスピーチコンテストや職業体験、縁日などを子ども主体で行う

とはいえ、立ち上げから2年半は収益のことを考えておらず、多額の持ち出し費用がかかりました。「子どもが主役」というコンセプトを理解してもらうのにも時間がかかり、イベントを継続する難しさを実感しましたね。

でも思い切って動いたからこそ、同じ想いを持つ仲間たちとも出会えた。今では、万博や自治体と連携する、年間1億円以上が動く事業規模のイベントになりました。

こんなにも大きな金額が子どもたちに使われたと思うとうれしくなりますね。自分たちだけでは到底実現できなかったことです。

最初から情熱があったわけじゃない。“小さく動いてみた”から分かった

──「これがやりたい!」という強い思いがなくても、手塚さんのように新しい道に進めるものでしょうか?

正直に言うと、私も最初から、人に語れるような大きな夢や情熱があったわけではないんです。ただ「この子たちのためになるなら、やってみよう」と全力で応援していただけでした。

そもそも情熱は、やってみてからしか生まれないと思うんです。やってみて生まれたらそれでいいし、生まれなければ「違ったんだ」と分かる。

キャリアを考えるとき、得意なことに一点集中する方法もありますが、私自身は、人生は一回しかないのだから、やりたいことは全部やってみたらいいと思います。

たとえば、私が自宅で子どもたちに「やりたいことは何?」と聞いたときのように、紙に書き出してみるんです。次にどういう順序なら実現できるか考えてみると、突破する道筋が見つかるはずです。

──最後に、スタジオパーソルの読者である“はたらく若者”に、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするためのアドバイスをお願いします。

どんな仕事でも、どんな環境でも、面白いことをしようと思ったら誰でもすぐにできるはずです。今「面白くないな」と感じているとしたら、きっとその環境をつくっているのは自分自身。

“はたらく”を自分らしくする第一歩は、仕事を変えることじゃなく、“自分の動き方”を変えることかもしれません。

完璧を求めるより、小さくても一歩を踏み出してみてほしいですね。

(取材・文:原由希奈 写真提供:株式会社Meta Osaka)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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