「離れて暮らす」ことを選んだ夫婦。東京と奈良で二拠点生活を続ける理由とは
「二拠点生活(デュアルライフ)」というワードを耳にしたことはありませんか?これは、都心と地方など二つの地域に拠点を持ち、行き来して生活するという新たなライフスタイル。テレワークの普及により、今注目を集めています。
そんな二拠点生活を、東京都と奈良県で4年続けているのが、奥村政哉さんです。
政哉さんは現在、出身地の奈良県橿原(かしはら)市に事務所を構え、メディア事業とコンサルティング事業を行う会社を経営しています。しかし、住民票は東京都。東京でキャリアを積む妻の沙織さんとの暮らしもあります。
1カ月のほとんどを奈良で過ごし、2週間に一度東京に帰る政哉さん。費用も時間もかかる二拠点生活を、なぜ続けているのでしょうか?政哉さんの軌跡、そして夫婦の選択とは――。現在別々に暮らしながらも仲睦まじいお二人に、お話を伺いました。
転機は、外国人からの一言 「奈良って、どこ?」
1990年に奈良県橿原市で生まれた政哉さん。子どものころから好奇心旺盛な性格で、畑や田んぼでは、自分の知らないものを見つけるのが大好きでした。
「自然に囲まれていることは当たり前で、みんなもそうだと思っていたし、特別だと思っていませんでしたね」
政哉さんは小学校から高校までを地元で過ごします。その後、勉強が得意だった政哉さんは、京都大学を受験。高校が理系に力を入れていた学校だったため、先生からは理学部を勧められたそうですが、「文系、理系、両方からの視点を学びたい」と思った政哉さんは、入学後、その想いが叶う総合人間学部を選択。見事に現役合格を勝ち取りました。
大学3年生になった時、政哉さんは「社会人になる前に海外に行っておこう」と思い立ちます。そして、「何回かに分けて各国を巡るより、一回で世界を巡った方がコスパがいい」と考え、世界一周旅行を計画。その実現のために、1年間休学することを決意します。
決めたら即行動するタイプの政哉さん。世界一周旅行も“なんとかなる”の精神で、すぐに行動に移しました。
まずは東南アジアに、そしてインドに渡り、次はヨーロッパから南米へ……。世界を転々と回っている中で、政哉さんはあるショックを受けます。
旅先で出会う屋台のおじさんや宿のおばさんに、「どこから来たの?」と声をかけられるたびに自信をもって「日本の奈良から来ました!」と返答するのですが、ほとんどの人が不思議そうな顔で言うのです。
「それって、どこ?」
出会う外国人は、誰一人として奈良を知りませんでした。
「奈良って、海外でももっと知名度があると思っていたんです。奈良といったら東大寺や法隆寺など、歴史的建造物がある観光名所ですし、実際、外国人の観光客も多い。世界の誰もが知っているだろうと思っていました。でも、海外の人が知っているのは、東京、大阪、よく知っている人でも長崎や広島だけ。ショックでしたね」
どの国へ行っても「奈良を知らない」という状況が続き、政哉さんは、旅の後半からは、「大阪の隣にあるところです」と答えるように。「それが、とても悔しかった」と言います。
その悔しさがきっかけとなり、政哉さんは「奈良をもっと世界の人に知ってもらいたい」と思うようになりました。
日本に帰国し、大学に戻ったあともその思いは強まる一方。卒業論文では、「奈良県橿原市における定住促進型観光政策の実現に向けて」というテーマで取り組み、将来は「奈良を知ってもらう活動をしていこう」と目標を定めます。
イースター島で出会った、沙織さんの存在
そんな政哉さんが世界を巡る途中、モアイで有名なイースター島で出会ったのが6歳年上の沙織さんです。沙織さんは、友人と3カ月間の南米旅行をしている途中でした。
イースター島に日本人が経営する宿があり、二人はそこで顔を合わせます。その宿にはほかにも数組の日本人観光客が宿泊しており、自然に皆打ち解けました。そこで、「日本人メンバーで車を借りて、イースター島を観光しよう」と話が盛り上がり、一緒に観光することになったのです。
沙織さんは、当時の政哉さんをこう振り返ります。
「イースター島はとっても暑くて、いくつかの観光名所を見たら車に戻ってしまう人もいたのですが、彼は違いました。『あの森の茂みに行きたい!』ってどんどん歩いて行ってしまって。『みんな疲れているのに、我が道をゆく人だなぁ』って最初は思いましたけど、なんだか面白くて、彼についていきましたね」
その後、二人はそれぞれ別の国に移動しますが、政哉さんと沙織さんは互いに惹かれ合っており、旅行中も連絡を取り続けていました。
結婚しても別々に暮らす!?
世界一周の旅から戻り、1ヶ月がたった2012年4月、政哉さんと沙織さんは日本で再会を果たします。
沙織さんは、地元は長野ですが、2004年に大学進学のため上京。大学卒業後は都内の企業に就職しますが、南米旅行をする前に退職し、フリーターをしていました。大学生の政哉さんは京都の大学の側で一人暮らし。再会後、お互いの住む都府を行き来しながら二人は仲を深めていき、お付き合いをはじめます。
付き合ったばかりの遠距離恋愛でしたが、行動派の二人にとって、この距離はまったく障害にならず、その生活が2年ほど続きました。
2014年、政哉さんは大学を卒業し、東京の大手鉄道系会社ではたらくため上京。二人は東京で一緒に暮らすようになります。
その後、政哉さんは、転職して総合コンサルティングファームで勤務するように。そのころからお互いに結婚を意識し始め、2016年に結婚します。
時間を共有できる喜びを噛みしめての生活がはじまります。しかし、結婚する以前から、政哉さんは「奈良での起業」の準備を着々と進めていました。
起業する会社のコンセプトは、「日本の奈良を、世界のNARAへ」。総合コンサルティングファームを退職後、2018年に政哉さんは奈良へと軸足を移し、2019年に「株式会社NaraDeWa」を設立します。事務所を奈良県橿原市に構えました。一方、沙織さんは、南米旅行後に就職した大手住宅機器メーカーで順調にキャリアを重ねていました。
二拠点生活についてさまざまな話し合いが持たれた……というわけではなく、自然な流れで決まったそう。それは、政哉さんが奈良での起業したいことを、お付き合いする当初から沙織さんに話していたからかもしれません。
沙織さんは、かつて南米旅行について周囲の人から「危ないから」と反対され、自分の想いを否定された気持ちになった経験がありました。だからこそ、「誰かのやりたいことを否定したくない」という想いがあり、二拠点生活の話が出る前から、「彼の進む道を応援しよう」と思っていたのだといいます。
そして、東京と奈良を行き来することを決めた日、政哉さんは沙織さんに、今後のライフスタイルについてこう提案しました。
「いま踏ん切って、一緒に奈良に引っ越さなくていいんじゃないか?」
沙織さんがやりがいを持って仕事をしていること、東京には友人がたくさんいることを、政哉さんは知っていました。「自分の目標に、無理に合わせる必要なんてない」と思ったのです。
政哉さんの提案について、沙織さんはこう振り返ります。
「夫なら、会社の事務所を置く地域も含め、起業のすべてに関してきちんと準備して決めたことだろうと思ったので、いつのときも反対するようなことはなかったですね。付き合い始めたころの遠距離恋愛の経験もあって耐性はついていましたし(笑)。それに、私は相手のやりたいことを実現できるようお互いにサポートすることが大切だと思っているので……」
沙織さんが提案を受け入れ、いよいよ政哉さんの奈良と東京、二拠点生活が本格的にスタートしました。
離れて暮らす期間は毎朝の挨拶をLINEでする。新しいスタンプを見つけたら送り合う。些細な出来事も話し合い、休みの日は行き来する……。
「離れて暮らしていても、一緒にいる時間を楽しもう!」
それがふたりの合言葉でした。
ちなみに、新婚旅行は二拠点生活開始後で、まさかの現地集合、現地解散だったそう。機内で一人なんて不安になってしまいそうですが、「旅先で相手が待っていると思うと、楽しみでワクワクの方が勝りました」と沙織さんは笑みを浮かべます。
二拠点生活のリアル
2018年に二拠点生活開始後、現在まで東京と奈良を行き来する生活を続けている政哉さん。経営コンサルタントとして東京の企業の業務改善に携わりながら、奈良に会社を構え、奈良の企業のコンサル業務を行ったり、橿原市の地域メディアを運営したりするなど活躍の幅を広げています。
気になるのは、コスト面。二拠点生活でかかる交通費や両方の家賃と光熱費、そして移動時間について、どのように考えているのでしょうか。
「やっぱり、かかりますよ~」と政哉さんは苦笑いを浮かべます。
「確かに、妻のお給料と僕の二拠点生活の費用を比べたら、正直どうだろう……なんて思います。でも、妻が東京でやりたいことがある限り、この生活を続けると思います」
一方、沙織さんに夫が二拠点生活をする苦労について伺うと、「夫の住民票が東京なので、こちらに届いた書類や荷物の転送作業が少し大変かもしれません。でも、それくらいかな?」と話します。
「もし家族が増えたら、お金のことはもう少し考えなきゃいけないなと思っているんですけど、今はお互いが納得しているので、このままでもいいかなと思います」
これからも夫婦でチームプレー
コストや労力の問題よりも、お互いのライフスタイルや生き方を大切にしている二人。「二拠点生活は、やりたいことを実現するための一つの手段」と、政哉さんは言います。
「地域で活動している人には2パターンあると思います。一つは『山のある暮らしが好き』とか、『奈良の歴史が好き』など、その地域の何かが好きでそこで活動することを決めた人。もう一つは、自分の生まれた場所、住んでいた場所に貢献したい人。自分は後者なので、特定の何かを推したいというわけではないんです。自分の生まれた場所を知ってほしい。それが二拠点生活を続ける一番の原動力になっています」
地元を深く愛している政哉さんにとって、海外で受けたショックは大きいものでした。「奈良を知ってもらうためには、自分も奈良に場を構える必要がある」、そう考え、今は二拠点での生活をしている政哉さんですが、今後はまだ分からないといいます。
「奈良での活動を徐々に増やしていきつつも、今の東京での仕事も継続していく予定で、拠点を完全に奈良に移すのか、東京にも残すのかは、まだ迷い中」と政哉さん。
沙織さんは、「これからもチームプレーで解決していくことを大切にしたい」と話します。型にはまらない、お互いを尊重しあう夫婦の物語は、これからも続きます。
(文・池田アユリ)
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