YouTubeチャンネル『岡田を追え!!』で話題の芸人・岡田康太の謙虚な姿勢

2022年1月25日

ここ数年、数多くの芸人がYouTubeへと活躍の場を広げています。セレブの街として知られる港区で家賃3万7,000円暮らし、イメージする港区男子とはかけ離れた動画を配信し、話題沸騰中の岡田康太さんもそのうちの一人。かつては19歳で全国放送のコント番組に抜擢され注目を集めていましたが、わずか1年で番組が終了。表舞台から忽然と姿を消していました。

しかし、2019年に「岡田を追え!!」というYouTubeチャンネルをスタートすると、登録者数は右肩上がりに増加。憎めないキャラクター性とシュールなお笑いの中毒性で、現在の登録者数は約18万人と、人気YouTuberの仲間入りをはたしました。

そんな岡田さんの復活のストーリー。話を聞いていくうちに、いつ、なん時でもお笑いと真摯に向き合っていた姿が見えてきました。

天才・グッチ裕三が、お笑いのいろはを教えてくれた

1990年、奈良県で生まれた岡田さん。彼がお笑いに目覚めたのはNHKの『ハッチポッチステーション』だったそう。当時小学4年生だった岡田さんは、番組の替え歌コーナーでグッチ裕三が披露した替え歌の面白さに衝撃を受けました。

「一部だけしか変わってないのがおもろいんや。フリが効いてるから、オチで笑うんや」

なぜ面白いと感じたのかを自分なりに分析し、自分でも実践をする。そうして、学校で一番の人気者になっていきます。中学時代は『エンタの神様』や『笑いの金メダル』など、お笑いブーム真っ只中。担任の先生やクラス全員から「岡ちゃんは、絶対お笑い芸人になるべき」と、言われ芸人を志すようになっていきました。

高校生になると「M-1甲子園」に出場。高校生お笑いコンビNo.1を決める大会ですが、1年生ながら県予選で見事に優勝します。しかし、各地方大会の出演者すべてから、上位10組が選抜される決勝大会には惜しくも出場できませんでした。

「どうして決勝に行けなかったんだろうって思って、確かめるために決勝を見に行ってみたら比べ物にならないくらい面白かった。でも、俺らだってまだやれるんちゃう?って思った」

決勝大会の舞台は、笑いの殿堂「なんばグランド花月」。同じ高校生なのに、堂々と漫才をしているライバルたちを見て衝撃を受けました。調べてみると、彼らの多くは大人に混じりインディーズのライブに出て、お客さんを前にしてネタをしていることがわかりました。それから、岡田さんたちも高校在学中からライブに出演するようになり、芸人としての骨格を作り上げていきます。

着実に芸人としての力を鍛えてきた岡田さん。高校3年生の時、先輩が主催していた同世代のメンバーが集まるお笑いライブに出演。そこにたまたま足を運んでいた、フジテレビの関係者との出会いが、大きな転機になります。

「ライブの後やったと思うんですけど『オーディションに来て欲しい』って言われて。それが新たに始まるコント番組のものやったんです」

見事オーディションに合格した岡田さんは、『はねるのとびら』など、人気番組が生まれ、関東ローカルの深夜番組放送枠『登龍門』第1部の番組として放送された『ふくらむスクラム!!』のメインキャストとして起用されます。

今や有名な、かまいたちやニッチェといった芸人たちや元AKB48の前田敦子さんらが共演者でした。この時、岡田さんは高校を卒業してすぐの19歳。まさに彗星の如く芸能界に現れ、脚光を浴びていた岡田さんでしたが、番組はわずか1年で終了してしまいます。

「よし、これで売れるんや!って、番組が始まって半年のタイミングで、奈良から当時組んでいたコンビの相方と一緒に上京したんです。そしたら『2週間後に番組が終わります』って言われて。なんでやねん!って」

予告通り、番組は終了。TVでの露出も徐々に少なくなっていきました。それからは、事務所のお笑いライブに出て、芸人としてまた返り咲くことを目標にして、努力していきました。

解散、そして1年間の活動禁止。暗黒時代への突入

しかし、芸能界は厳しい世界。TVの出演も増えず、M-1グランプリの結果も振るわず。岡田さんは、ついに当時の相方から解散を告げられてしまいました。事務所も辞めることになり、つらい地下芸人時代の始まりでした。

「まだまだ実力が足りてなかった。この1年間は今までやってこれなかったことをやろう」

ピンチはチャンス。前向きに、次のブレイクを目指して動き続けました。暗中模索の中、岡田さんは自分の面白いと思うものを見つけるために、今まで触れてこなかったものに触れていきます。

岡田さんが座っている椅子は、フワちゃんが無理やり岡田さんに押し付けたもの。最初はいらないと言って追い返そうとしたが、20万という値段を聞き、貰うことに。

何度かコンビを結成するものの、結局は泣かず飛ばず。当時から親交のあるフワちゃんのブレイクを見て、もしかすると自分が面白いと思うものを表現するならYouTubeかもしれない!と、思っていたある日、1人の青年と出会います。

「自宅でトークライブをやっていたことがあって、その時のお客さんのうちの1人が今の『岡田を追え!!』の撮影と編集担当なんです」

住所を公開し、自宅にお客さんを招いてトークライブを行っていた岡田さん。そこに来ていた1人の青年が、現在YouTubeの撮影、動画の編集を担当している佐野さんでした。佐野さんは放送作家を目指していて、ライブ終わりに岡田さんに「放送作家になりたい!」と、相談。岡田さんに友人の放送作家を紹介してもらいましたが、自分には向いていないと感じたそうです。丁度そのタイミングで、YouTubeをやりたいと考えていた岡田さん。そのことをを伝えると佐野さんは快諾し、岡田さんに密着するYouTubeチャンネル「岡田を追え!!」の幕開けとなりました。

「岡田を追え!!」では、彼の日常が垣間見える。

100点じゃなくて、70点でいい。だから無理なく続けられる。

いざ、YouTubeを始めるとなったものの、自分の面白いと思うものを表現するにはどうすればいいのか……。そんなことを考えていたころ、ある出来事を思い出します。

「ハワイに行って、ホノルルマラソンに出たんですが、前日に行ったピザ屋にゼッケンを忘れてもうて。ゼッケン無しで完走したんです。ゼッケンにはGPSがついてて、現在地がわかるようになっていたんですけど、僕だけずっとピザ屋にいることになっていた。お前、何しに行ってんねん!って、周りの友人にめっちゃうけて」

コンビとしての漫才やコント。シュッとしたボケやハードなリアクション。いろんな笑いに挑戦しもがいてきた岡田さんですが、この出来事がきっかけで頑張ったのに報われない感じの笑いへの反響に衝撃を受けます。それと同時にそういう笑いが自分にはフィットするんだなと気が付きます。そうして生まれたスタイルが現在の『岡田を追え‼︎』には色濃く反映されています。

冷蔵庫には、以前出演したYouTubeチャンネル『ニートTOKYO』のステッカーが。

YouTubeの主流となっているのは、大きい買い物をしたり、高級料理を食べたり、秘境に行ってみたりと、視聴者の目を引く派手な企画です。ですが、岡田さんのチャンネルは料理をしたり、散歩をしたり……と、日常が主体。そんな日常の中でうまくいかなかったり、ちょっとだけ無理して格好をつけたり。誰もが突っ込みたくなるような動画が人気を博しています。いくら、日常の延長といえど、毎日投稿はかなり大変な作業です。続けるコツはあるのかお聞きすると、岡田さんは語りました。

「100点じゃなくて、70点がええのかも」

グッチ裕三さんやタモリさんに影響を強く受けて、この考えになったと語る岡田さん。毎日100点満点の動画を作り続けるには、無理をしないいけない。それだと自分が疲れてしまうし、観ている人たちも胃がもたれてしまう。けれども70点くらいの動画なら、自分らしく面白いことをやり続けられる。

「ファンは基本的に僕のこのユルい感じを求めていて。尺は5分程度、特に凝った編集や台本もない。だから、視聴者も肩肘を張ることなく、観てくれるのかも」

そうして、ファンが次第に集まっていき岡田さんのチャンネルは、みるみる知名度を上げ、現在では約18万人もの登録者数にまで成長していきました。

これ以上って欲はない。今が十分やから。

岡田さんの動画ではお馴染みの食材・リーキ。先日のイベントでファンの方から貰ったそう。

一躍、人気YouTuberの仲間入りを果たした岡田さん。今後どうやって活動の幅を広げていくのか聞くと、思いがけない言葉が返ってきました。

「ほんとを言うともう十分です。今思うと、芸人になった時も、『天下取るぞ!』みたいな野望とかなくてTVとかじゃなくもっと小さい分野で1番を取れたらいいな、くらいだったんです」

「この部屋を取ったらなんにも残りませんから」と、人気が出た今も家賃3万7,000円。風呂なし、共同トイレという物件に暮らす岡田さん。

一度は芸人としての暗黒時代を経験しましたが、お笑いに対して謙虚に向き合い続けた結果、YouTuber・岡田康太として再ブレイク。芸人としてのTV出演やポッドキャストの冠番組がスタートするなど、YouTube以外の世界でも輝きを放ち始めています。

「あんまり自分に期待できないんです。小さいことをコツコツとするようなタイプ。だから、続けられるのかもしれないですね」

自分のお笑いを追求し、積み上げ続けてきた岡田さん。TVからYouTubeへと舞台を変えて、これからも自分のお笑いを表現していきます。

(文:関戸ナオヒロ 写真:納谷ロマン)

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編集者/ライター関戸ナオヒロ
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