「会社員は楽しかったですか?」博報堂を辞めて漫画家になったうえはらさんに聞いてみた
『ゾワワの神様』という漫画をご存じでしょうか?新人コピーライターの苦悩や葛藤、仕事の素晴らしさを描いた同作は2021年にSNS上で発表されるやいなや、若い読者を中心に多くの共感を集めました。
同作の作者が、漫画家のうえはらけいたさんです。「漫画家になりたい」という夢を先延ばしにして、大手広告代理店に入社。一念発起して退職し美術大学に再度進学するも、なかなか漫画を描くことができず、転職を繰り返してきたうえはらさん。本格的に漫画を描き始めたのは29歳の時でした。
そんなうえはらさんに「青春時代だった」と語る会社員時代を振り返ってもらい、「仕事」をテーマに作品を発表し続ける理由を伺いました。
夢を先延ばしにする「口だけ漫画家志望」のコピーライター
──主人公のコピーライターが葛藤する姿を描いた『ゾワワの神様』はSNSで話題となりました。この漫画はうえはらさん自身がモデルになっているのでしょうか?
自分の経験がベースにありますが、半分以上は創作ですね。ぼくが博報堂でコピーライターとしてはたらいた4年半は、喜んだり、へこんだり、人生の中で一番いろんな感情に晒されていた時期なんです。心が成長していった時期を、忘れないうちに書き留めておきたいと思い描いた作品です。
──博報堂でのコピーライターを経て、現在は漫画家として活躍されています。漫画家になりたいという思いはいつから持っていたのでしょうか?
「なりたい」という憧れは小学校のころからずーっと持っていました。でも、なりたいと言いながら漫画を描くわけでもなく、口だけの『漫画家志望』でしたね。そんな状態でなんとなく中高生時代を過ごし、大学に入って、みんながやっているからという理由で就活を始めて。テレビの制作、広告、新聞記者、編集者など、安定していて、ものづくりに携わることができる職業を手当たり次第受けていたんです。それで唯一内定が出た博報堂に入社しました。
社会人になってからも漫画家になりたい気持ちは頭の片隅にあったのですが、「就職しちゃったしなー」と言い訳をして先延ばしにしていました。
──会社員時代はどんな日々を過ごしていたのでしょうか?
コピーライターの仕事は目隠しされたまま雲を掴むような心地でした。今振り返ると、新人時代は自分が何をやっているのかすら分かっていなかったと思います。
博報堂では入社後3年間は「トレーナー」と呼ばれる上司の元ではたらきます。新人に求められるのは「数」です。いきなり良いコピーが書けるわけではないので、まずはたくさんアイデアの量を出す中でコピーの「勘所」を掴んでいくんですよ。
最初は一つのコピーを書くために、50案、時には100案を出すこともありました。でも、数に気を取られていると、深く考えもせずにずっと浅いところをさまようことになるんですよね。なんとか良いものを書こうと毎晩のようにオフィスに残ってアイデアをひねり出していました。
──『ゾワワの神様』には、とても素敵な会社の先輩が登場しますよね。あたたかく厳しい指導のもと、新人コピーライターの主人公が育っていく姿がとても印象的でした。
博報堂の先輩方はみんな面白くて、人が良くて、何より仕事に真摯な人ばかりでした。めちゃくちゃ刺激的な環境で、ぼくが今漫画家として活動できているのは、そんな環境でものづくりに必要な姿勢を学べたからです。反面、周りの人が凄すぎて劣等感を感じることも少なくなかったですね。
先輩はもちろんのこと、コピーライターの同期2人も優秀だったんです。最先端のアートやカルチャーにも詳しくて、一緒に映画を観にいってもぼくがまったく気付かなかった細かい感情表現を読み取っていて。ものを見る解像度が違うなと、入社すぐのころから感じていました。
同期のデザイナーたちにも嫉妬しましたね。学生時代からコピーを書いている人って基本的にいないんですよ。なのでコピーライターはゼロからのスタートなんですが、美大卒のデザイナーはデザインを学んでいますし、学生時代から仕事をしている人もいる。中でも広告代理店のデザイナーは厳しい門をくぐり抜けてきた精鋭ばかりで、1年目からトレーナーの手を離れる人もいるんです。担当した仕事を見せてもらったら「もうプロじゃん!」って。ぼくなんか徹夜して書いたコピーを全部ボツにされているのに、ですよ。
ぼくは広告が好きではあったのですが、好きなだけで、平凡な人間なんだなと痛感させられましたね。
初めての漫画は6ヵ月で10ページしか書けなかった
──博報堂を退職後、美大に進学されたんですよね。大企業を辞めるのは一大決心だったのではないですか?
退職後は半年間予備校に通って、多摩美術大学のグラフィックデザイン科に編入しました。このままやりたいことをやらずにいたら後悔するなって思ったんですよ。もったいないと周囲の人には言われましたが、1社しか知らないからどれだけ恵まれた環境であるか分からなかったんです(笑)。なので、辞めるか辞めないかは自分の気持ちだけの問題でした。
博報堂を辞めた時点では広告の現場の経験を活かしてデザイナーかイラストレーターになろうと思っていたんです。漫画家は無理でも、せめて絵を描く仕事はしたいなと思って。その時点では漫画家は「いつかなれたらいいな」ぐらい。また先伸ばしです(笑)。
──美大では漫画は描かなかったのですか?
入学後はずっとデザインの勉強ばかりをしていましたね。漫画をやっと描き始めたのは卒業制作のタイミングです。卒業制作は自由に作りたいものを作らせてもらえたんですが、その時に思い出したんですよ。自分は漫画が描きたかったんだって。
それで描き始めたものの、半年かかって10ページの話を描き切るのがやっとで。よくこれで卒業させてくれたなと思うぐらい、つたない作品でした。
──それぐらいデザインと漫画は違うものだったんですね。
まったく別モノでしたね。卒業制作に向き合いながら、大学に入ってすぐに漫画を描いていれば良かったと何度も思いましたよ。
石橋を叩いていた人生から一転、見切り発車で漫画家に
──卒業後は、いよいよ漫画家への道を歩み始めるのでしょうか?
いえ、まだです(笑)。美大を卒業して一旦デザイナーとして就職したんですよ。石橋を壊れる寸前まで叩くような性格なので、安全な道を進もうとしていたんですよね。そこで結局内定出たのが博報堂で。
──また、同じ会社に。
今度はデザイナーとして入社しました。ただ、仕事の合間に漫画を描こうと思っていたのですが、忙しくてとてもじゃないけどそんな時間がなかったんです。なので半年ほどで辞めちゃいました。それで30歳を目前にして自分の軸が定まらないのは良くないだろうと、別の会社に転職して、副業として描き始めたんです。
自分の知り合いから仕事をいただいたり、SNSから依頼が舞い込んだりして徐々に仕事が増え始めたので、一年半ほどはたらいて独立を決心しました。「漫画家」と名乗るようになったのはそのころからですね。
──一年半で漫画一本でやっていけるだけのお仕事が得られたのでしょうか?
いえ、稼ぎで言ったら全然食べていけないぐらいでした。でも、漫画を本格的に書き始めたら仕事をしている時間がもったいないなと。それで見切り発車で辞めることにしたんです。
──これまでは石橋を叩いてきたのに……。
本当ですよね(笑)。辞める前に、矢島光さんという漫画家の先輩に相談をしていたんです。彼女も会社員から漫画家になったキャリアの方なのですが、「持てる時間をすべて漫画に費やした方が未来は絶対に明るいと思った」とご自身の経験を話してくれて。その言葉に背中を押されましたね。
会社員時代より憂鬱ではない。だけど、寂しい
──会社員から漫画家になって、1番の違いは?
責任の大きさですね。広告の仕事は関わる人数が多い分、上司、営業、クライアント、全員が納得するアイデアを出さなければいけないですし、さまざまな事情でアイデアが不採用になることもあります。やっぱり会社はチームでする仕事なんですよね。そこには良さも悪さもあると思います。
漫画家は広告代理店のようにチームで動く仕事ではないですし、成功しようと失敗しようと100%自分の責任。寂しい時もありますが、ぼくには合っているなと思いますね。
──なるほど。
会社員時代は月曜日が憂鬱で日曜日の午後が辛かったんです。月曜日が嫌すぎて日曜の午後に出勤するというよくわかんないことやってましたよ。明日の嫌を減らすために休日出勤するという(笑)。今は、早く月曜になってほしいとすら思いますね。
一方で、会社の良さもひしひしと感じます。出社をすれば常にフロアに誰かがいて、行き詰まったら「ご飯でも行きましょうよ」って誘って、悩みを聞いてもらったりもできる。そういう環境があるってはたらく上では大事なんですよね。特に博報堂は悩んでたり困っていたら助けてくれる人ばかりだったし、環境には恵まれていたんだなと感じましたね。
営業はせず、身近な人に届けるための漫画を描いてきた
──漫画家としてのキャリアはどうやって広げていったのですか?
漫画家としての活動を始めたのが遅いので、出版社への持ち込みや公募のような「王道」じゃないなと考えたんです。時間もかかるし、画力のある人たちと横並びになってしまったら勝ち目がないですし。
自分にあるものといえば、会社員時代の経験。まずはその手持ちの自分の武器を使って、身近な人たちに読んでもらえるものを作ろうと思ったんです。それで、SNSを通じて作品を発表していきました。自分が回り道をしてきたことも含めて、読んでもらえたら良いんじゃないかって。
それに、学校で技術を学ぶことはできますが、作品を描いて、発表して、失敗することでしか分からないことの方がずっと多かったんですよ。多くの人に読んでもらえることで、漫画家としての実力もついていったのだと思います。
──営業をしたりはしなかったのですか?
しなかったですね。そもそも、漫画家がどうやって営業をすれば良いのかもわからなかったですし(笑)。
それに、営業を通じて得られる仕事ってメディアのタイアップのような「広告漫画」に限られてしまうんですよ。営業で得た仕事で生活はできるかもしれないけど、単行本になって広く読まれるような作品は書けないなと。ありがたいことに広告漫画のお仕事はいただいていたので、お声がけいただいたものを精一杯やりながら、自分の作品を描く時間をつくっていました。
スポーツ漫画のように「仕事」を描いていきたい
──『ゾワワの神様』、『アバウトアヒーロー』など、うえはらさんの作品はどれも「仕事」がテーマになっていますよね。
「仕事」をスポーツ漫画のように描いていきたいと思っているんです。作品を通じて仕事が嫌だったり悩んだりしている人を励ましていきたいですね。結構楽しいこともあるよ、って。
ぼくは受け身で、周りに関心を持たない閉じた人間で、社会人になるまで本当に何も考えていなかった。それを変えてくれたのが会社員の経験だったんです。博報堂という会社で面白い人に出会って初めて感受性が開いた。ぼくの思春期、成長期ですね。そのころの新鮮な気持ちがだんだんと薄れてきているので、アルバムに綴じるような気持ちで描いていきます。
──今後の目標、描いていきたいテーマはありますか?
世の中の半分は自分のような「陰キャ」だと思っているんです。隅っこに追いやられている半分の人。そういう人のための漫画を描きたいですね。
ぼくは陰キャだし、会社員時代は平凡なサラリーマンでした。でも大多数は、そういう人たちじゃないですか。ぼくの作品の読者もきっと大半がサラリーマンですし、自分のような「平凡な人」を励ます作品というのが裏テーマにあるんです。そんな人たちにとって、月曜日が憂鬱じゃなくなるような作品を描いていけたら良いですね。
(文:高橋直貴 写真:玉村敬太)
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