ひきこもりを経てテレビの人気者に…… 家電メーカーの広報マンを支えた“どん底の時間”
家電量販店が立ち並ぶ、東京・秋葉原で、電気メーカー「サンコー」が快進撃を続けています。
弁当箱のままお米が炊ける「超高速弁当箱炊飯器」や、家庭で気軽に焼き鳥を味わえる「無煙自動回転焼き鳥メーカー」などユニークな“おもしろ家電”が続々とヒット。首にかけるクーラー「ネッククーラー」シリーズは累計販売 100万台を超えるスーパーブレイク商品となり、コロナ禍においてなんと売上44億円、前年比 250%アップを達成したのです。
家電業界で飛ぶ鳥を落とす勢いのサンコーには、会社を大きく成長させた立役者がいます。それが名物広報キャラクター「ekky(エッキー)」。オレンジ色のシャツに蝶ネクタイ、ぶかぶかのオーバーオールに独特な「ekky(エッキー)ポーズ」。一度見たら忘れられない愛らしさ。メディアに年間およそ60回も登場し、笑顔を振りまいています。
そんなekkyの正体は、同社の広報部部長、﨏(えき)晋介さん(44)。話題となった﨏さんですが、かつては「不登校」「ひきこもり」の時期がありました。
ekkyこと﨏さんにこれまでの生き方を振り返っていただき、「広報の仕事には、何が大切なのか」を伺いました。
過去には「不登校」の時期があった
――ほのぼのとしたキャラクターのekkyをテレビ番組などでよく目にするようになりました。それに伴い、売り上げも比例して大幅にアップしているそうですね。
もちろん私だけの力ではありません。ただ、メディアに取り上げていただいたことでサンコーを知り、そこからリピーターになってくれたお客さんはずいぶんといるようですね。
――ほがらかで人懐っこいイメージの﨏さんですが、十代のころには「不登校」や「ひきこもり」の時期もあったとTwitterで知りました。とても意外だったのですが、本当ですか。
本当です。小学校4年生から少しずつ学校へ行かなくなり、中学生になるとさらに不登校になりました。「学校へ行きたくない」「勉強がいやだ」「めんどくさい」という気持ちがとても強く、朝になると身体が動かなくなるんです。
別にいじめられていたわけではないのですが、人付き合いは苦手で、クラスメイトから距離を置かれているのは感じていました。きっと、「暗いやつだ」と思われていたんじゃないかな。それでも中学はなんとか卒業しました。
――「暗いやつ」というイメージは、現在はまったくないですね。中学を卒業したあとは、どうされたのですか。
アニメを観るのが好きだったので、義務教育修了以上なら入学できる代々木アニメーション学院へ進学しました。自分にとっては一念発起。「自分を変えるチャンスだ」と思っていました。
でも……ここも続かなかったです。周りの人ほど情熱がない自分に気付き、半年で辞めてしまいました。
部屋にこもって「チャット」にのめりこんだ
――「ひきこもり」の時期は、そこからですか。
そうですね。代々木アニメーション学院を辞めた翌年に普通科の高校を受験したのですが、不合格となり、ひきこもるようになりました。部屋にこもって、ずっとパソコンをやっていましたね。当時のパソコンは通信をする際、電話回線でつないでいましたから、家には月に5万円を超える電話料金の請求が来ていたようです。
――パソコンでなにをしていたのですか。
パソコン通信(※)です。深夜になるとチャットが盛り上がるんですよ。チャットで、さまざまな世代の人たちと文字で会話するようになり、その時間がとても楽しかった。リアルで人と話をするのは苦手でしたが、パソコンだと気軽に交流できる。いろんな人たちの生き方や考え方に触れ、刺激を受けていました。
(※)パソコン通信……インターネットの登場以前、1980年代後半から1990年代に盛んに使われたデータ通信サービス。「パソ通」の略称で知られる。
2年遅れの高校生活。自分を変えたかった
――ひきこもり生活から抜け出せたきっかけは、なんだったのでしょう。
だんだん焦ってきたんです。「このままでは、自分の力では一円も稼げない人生になってしまうな」と。兄が優等生で、学校へも真面目に通う人だったので、よけいにいたたまれなくなりましてね。
そして、毎晩チャットをするうちにタイピングが速くなっていたので、「この技術を活かせないかな」と考えるようになりました。
――ひきこもりの時期があったからこそ、技術を習得できたのですね。
そうなんです。パソコンの知識や技術を活かせるよう、埼玉県にあった商業系の専門学校へ進学しました。専門学校なのですが、通信制高校のカリキュラムも導入されていて、卒業と同時に高校卒業の資格が取得できるシステムだったんです。
――ブランクを経て高校に進学したのですね。
2年遅れの高校生です。私が住む千葉の新松戸から埼玉の西浦和まで通いました。通学は片道1時間半以上。朝は5時起きでしたし、帰宅するころには、すっかり夜になっていました。
――昼夜逆転生活から、さらに大逆転ですね。
そうですね。この高校生活は私にとって大きなターニングポイントとなりました。住んでいる街とはまったく違うエリアへ通学し、知人は誰もいない環境。さらに周りが2歳も年下です。
そんな日々を送りつつ、「人生を一からやり直している」と実感していました。そして年下の同級生に対して、「自分はお手本にならなければならない」という自覚が芽生えたんです。
――休み癖がぶり返すことはなかったですか。
なかったです。3年間、無遅刻無欠席を貫きました。絶対に「学校は休まない」「遅刻しない」「しっかり勉強して優秀な成績をおさめる」「クラスメイトと明るく接する」、そう心に誓ったんです。
1年生では学級委員に、3年生では生徒会長も務めました。とにかく、変わりたかった。自分を変えたかった。
――本当に人が変わったように向上心が出てきたのですね。
ワープロ1 級、パソコンの表計算ソフト1級、簿記も2級を取得しました。大学進学のために放課後は残って原稿用紙に向かい、ひたすら論文を書いていましたし、兄が購入した経営の本を借りて、通学時の電車内でもずっと読んでいました。
スポーツ選手でいう「ゾーンに入る」のような感じかな。勉強がもう楽しくて、楽しくて。ハイになっていて、1日の睡眠時間が3時間なんてザラでした。
――経営やビジネスに関心があったのですね。
兄が明治大学で経営学を学んでいた影響が大きいです。倒産した会社の会計資料を手に入れて、「なぜ倒産したのか」を分析するなど、経営の勉強に没頭していました。
自転車に乗って自動車を売る奇抜なセールスマン時代
――大学でも経営を学ばれたそうですが、どのように過ごしましたか。
派遣の仕事をよくやっていました。パソコンのスキルがあったので、さまざまな企業のデータ入力などを経験したんです。会社の内部が見えて楽しかった。
ただ、あきらかに私よりも成果が低い人たちがいい給料をもらっている。そこに疑問をいだきましてね。「仕事の成果がちゃんと数字で表れて、正当に給料がもらえる仕事がやりたい」と思い、卒業後は自動車の営業マンになりました。
――初めは広報ではなく営業マンだったのですね。
そうなんです。実は車にはまったく関心がなくて(苦笑)。それよりも、「いかにものを売るか」に興味がありました。
セールスマンとして目立つように、わざわざ自転車で営業にまわったんです。『自動車のセールスマンが自転車でやってきたぞ』とおもしろがられ、営業成績は新人の中でトップになりました。
――自転車で自動車の営業をするとは!その後はどうされたのですか。
「ものを買っていただくって、おもしろいな」と思い、次は家電に挑戦してみたくなりました。それでスチームクリーナーなどの家電を輸入して卸す会社に転職したんです。
その会社は外資系で、「結果を出さないと即クビ」というとてもシビアな環境でしたが、だからこそやり甲斐がありました。
――輸入家電の会社では、どのようなお仕事をしていたのですか。
営業で入社しましたが、広報にも携わり、カタログ通販やTVショッピングを担当していました。そのため、テレビに出演する機会が何度かあったんです。
自社の商品がテレビに登場し、自分も出る。そうするとやはり売り上げに変化が表れるんです。さらに友人から「テレビで観たぞ。すごいな」と言われる。反響の大きさ、メディアに採りあげられる影響を肌で感じていました。
そういった経験もあって、「広報の仕事もおもしろいな。もっと勉強したい」と思うようになっていきました。
新天地で感じた「広報という仕事」の必要性
――その後、現在の「サンコー」に移られるのですよね?
そうなんです。輸入家電の会社には4年半いましたが、倒産してしまいまして。それで2015年1月に、当時は「自撮り棒」などスマートフォン関連、USBに挿すパソコン関連商品を主に扱っていたサンコーに入社しました。はじめは広報ではなく営業職です。
――﨏さんが入社した当時のサンコーは、どれくらいの規模だったのですか。
私が入社した当時は売り上げ9億円。前々年は7億か8億、それくらいでした。社員数は20名くらいの小企業でしたね。オフィスも現在よりはるかに狭かったです。
家電を扱うようになったのは2015年の末から。はじめは輸入家電で、少しずつ自社製品を開発するようになりました。
――ここ数年で本当に急激に成長したのですね。営業から広報に異動になったきっかけはなんだったのでしょうか。
サンコーに入社した当時、「この会社は広報が弱いな」「メディアさんへのアプローチが少ないな」と感じたんです。弱いというか、広報部自体がなかったんですよ。
前職で広報の重要性をひしひしと感じていたので、入社して3か月で社長に「プレスリリースを私に書かせてもらえないか」と直談判しました。そうして営業をしながらプレス対応など広報もしはじめたんです。
2016年の6月には完全に営業から広報へと移り、広報部を設立しました。広報部と言っても、私一人しかいませんでしたが。
――異動ではなく、広報の部署を自ら起ち上げたんですか!そんな﨏さんが名物広報キャラクター「ekky」に変身したいきさつを教えてください。
「エッキー」はもともと私のニックネームでした。「だったらエッキーというキャラクターにしてしまおう」と考えたんです。「ekky」とローマ字にしたのも、よりいっそうキャラクター性を押し出したかったからでした。
当時は社長から、「“ekky”は読みづらい。初めて見た人がわからない。ひらがなかカタカナにしてくれ」と何度も言われました。
けれども、そのたびに頑なに拒否したんです。「それだとキャラクターにはなりません。絶対にローマ字でやらせてください」って。読み方に戸惑うからこそ記憶に残るはずだと考えたんです。
自転車での営業の経験で、「ビジネスの世界で、相手の記憶に残ることがいかに重要か」を身をもって知っていました。インパクトは強ければ強いほどいいですから。
『タモリ倶楽部』の出演をきっかけにイメージチェンジ
――当時からオレンジのシャツやオーバーオールを着ていたのですか。
まだエプロンでした。ベージュのエプロンに白いワイシャツ姿。見た目は「単に会社員がエプロンを着用している」という感じ。エプロンの真ん中にアイロンプリントで“ekky”という文字を貼りつけただけの簡素な見た目でしたね。
――それでも、けっこうインパクトがありますね。
おかげで広報部を起ち上げた2016年に早くも数回、テレビ番組に呼ばれました。翌2017年も10本ほど出演し、それから露出が加速していったんです。
極めつけが2018年の『タモリ倶楽部』です。秋葉原にある直営店「サンコーレアモノショップ」の特集でした。テーマが「このすき間家電、要る?要らない?」で、私はクイズを出題したりプレゼンしたりする役目。そこで衣装を大きく変えたんです。
「タモリさんの横に座って喋るからには、インパクトがないといけない」。そう考えて、オレンジのYシャツを着て出演するようになりました。
――全国ネットの『タモリ倶楽部』だと、反響が大きかったのでは。
反響は大きかったですね。売り上げが上がったのはもちろん、テレビを観ていた技術者やデザイナーさんたちが「おもしろい会社があるな」と関心を示し、入社してくれたんです。
その人たちのおかげで、のちに大ヒット商品となる「ネッククーラー」が誕生しました。「広報は優秀な人材の確保にもつながるんだ」と改めてわかりましたね。
――ekkyのスタイルも、さまざまな機会を経て変わってきているんですね。
実はそうなんです。オーバーオールになったのは2021年4月、『がっちりマンデー!!』の撮影からでした。ディレクターさんから、「エプロンだとどうしても実演販売のイメージになるから、変えたほうがいい」とご提案をいただきまして。
確かにレジェンド松下さんほか、実演販売の世界にはそうそうたる先人たちがいます。そういった猛者と比べられたら私は「まだ弱いな」と。ですので、市販のオーバーオールを購入し、妻にアクリル絵の具で「ekky」と手書きしてもらったんです。これ、洗っても落ちないんですよ。
広報のためならボイストレーニングまでやる
――それにしても、一企業の社員が衣装にそこまで凝るとは。その原動力は、どこにあるのでしょうか。
“目立つ”というのもありますが、番組の目的である「視聴率を上げる」という点に対して、「自分は何ができるのか」という想いからです。
サンコーはテレビ番組に取り上げていただくとメリットがある。だったら、同じだけ番組に貢献しなければならないと思うんです。むしろ、そっちの方が大事ですよ。
我々を起用していただいたからには番組を盛り上げ、スタッフさんに喜んでもらいたい。「この会社と、もう一度仕事がしたいな」と思ってもらえるよう、努力しないといけません。そのために、ボイストレーニングにも通っています。
――ボイストレーニングまでやられているんですか!?
はい。芸人さんが養成所に通い、アナウンサーさんが日ごろから発声や発音の訓練をしている。それなのに、同じ場所に出させていただく私が何もしないなんて失礼ですから。
それに視聴者さんは、普通のサラリーマンが普通に喋っていても、きっとおもしろくないでしょう。
どん底の経験だって人生の役に立つ
――ご自身の経験を通じ、広報という仕事は、なにが大切なのでしょう。
広報とは「この会社、いいな」というイメージを持ってもらうためにがんばる仕事だと思っています。
そのためにも相手の気持ちを理解して動くのが大事。「相手が何を求めているか」「どうしたら喜んでいただけるか」を、とにかく考える。
広報だからメディアだけに対応すればいいなんて、そんなことはない。すべての人に対して心を配る。その気持ちが会社にお金をもたらしてくれる、そう考えています。
――最後に、明るいキャラクター「ekky」にとって、ひきこもりの時期はどのような意味を持つのでしょう。
自分にとっては絶対に必要な期間でした。ゲームばかりやっていましたが、ゲームの主人公が経験値を積んで、できることを増やし、どんどん成長する姿は、現在の私に大きな影響を与えています。
あのどん底の時間があったからこそ、人の気持ちもわかるようになったと言って過言ではありません。アニメを観て勇気をもらったし、チャットを通じて社交性も得た。「大人になるために、なくてはならない時間だった」、そう思いますね。
たとえ「いまの自分はだめだ」と感じても、その経験がのちに活きる場合がある。人って、気持ち一つで変われるんです。ekkyというキャラクターを通じて、落ち込んでいる人を励ましていきたい、そんな想いはありますね。
(文・写真:吉村智樹)
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