ローソンの“指差しシート”はどのように生まれたのか。きっかけは耳の不自由な社員の声
耳の不自由な方に向けた「指差しシート」が、絶大な支持を得ています。発案したのは、大手コンビニチェーンのローソンです。
耳の聞こえる人が忘れがちな現実。それは、耳の不自由な方たちがこれまで、相手の「口の動き」を見て話の内容を理解し、ジェスチャーなどでコミュニケーションを取ってきたことです。
パンデミック以降、マスクの着用があたり前になり、コンビニのレジには感染予防対策のビニールカーテンが設置されました。耳の不自由な方たちは店員の「レジ袋は要りますか?」「お弁当温めますか?」などと話しかけられていることにすら気付けなくなりました。
仙台で会計業務を担当する、聴覚障害があるローソン社員、佐々木啓子さんもその一人でした。佐々木さんはコンビニで買い物をする際、「レジ袋は不要」という意思を伝えようと店員にエコバッグを見せたこともあります。しかし店員は、佐々木さんのジェスチャーを「レジ袋がほしい」という意味だと勘違いしたのか、商品をレジ袋に詰めてしまいました。
「どうしたらうまく伝わるんだろうと思い、私と同じように聴覚障害のある友人に何気なく話したところ、友人も同じことで困っていると知ったんです。友人が『事前に用意したメモで店員さんと意思疎通をとっている』と教えてくれ、同時に、メモ代わりになるイラストやシートがその場にあれば便利だよね、という話になりました」(筆談で取材)
佐々木さんが、同じく聴覚障害のある同僚にこの話をすると、同僚も「それはあったら便利だね!」と共感。佐々木さんは、自分と同じ境遇にいる人たちも皆困っていることを知り、「コンビニ業界にいる自分にできることがあるのなら、社内や部署内でアクションを起こしたい」という思いが強くなりました。
「でも……誰に伝えたらいいんだろう?」、佐々木さんは迷いました。そんな時偶然にも、部署内で、役員と意見交換をする機会があったのです。「どんな話や質問でもいい。なんでも聞くよ!」という役員の言葉に後押しされ、佐々木さんは一連のことを伝えました。
すると役員たちは、佐々木さんの話を真摯に聞き、東京本社へ課題として投げてくれたのです。これが、指差しシートのプロジェクトの始まりでした。
「そうだ、縦長のデザインにしよう」
2022年3月、東京本社でこの話を受けたのが、SDGs推進室 アシスタントマネジャーの合田(ごうだ)早紀さんでした。合田さんはこれまで、病気で入院中の子どもたちが学ぶ「院内学級」向けの特別授業を企画したり、さまざまな企画や商品パッケージに障害のある方のアートを採用したりと、SDGsに関する企画を積極的に発案してきました。
合田さんはまず、佐々木さんにWeb会議やチャットで話を聞きました。具体的にどう困っているのか。どのようなイラストやシートなら役に立ちそうか。合田さんは佐々木さんとの話をもとに情報収集を開始。そしてヒントを得たのが、各地の自治体が推奨する「コミュニケーション支援ボード」でした。
コミュニケーション支援ボードは、言語になんらかの不自由がある方が意思疎通をとるためのシートです。デザインや内容は自治体によって異なりますが、「トイレ」や「痛い」など、10数種類の言葉やイラストが書かれた“下敷きタイプ”が多いようです。
2022年4月、社内で3カ月に一度開かれるSDGs委員会で、合田さんはプロジェクトの進捗や、指差しシートを検討していることを伝えました。すると、同席していた竹増社長から、「全店で展開しましょう!」とゴーサインが出たのです。
一方で下敷きタイプは、いざ必要な時にさっと取り出せるだろうか。レジ周りに貼るにしても、ファストフードや中華まんの什器で十分な広さがない中、うまくスペースを確保できるだろうか……。合田さんは佐々木さんに、直接会って相談することにしました。合田さんは当時の状況をこう振り返ります。
「佐々木さんにお会いする10分ほど前に、そうだ、縦長のデザインにすればいいんだ!と閃いたんです。急いでノートにラフ画を描いて佐々木さんに見せると、『これなら使えそうです』と言っていただいて」
決めた項目は3つ。合田さんは、「佐々木さんとお話しする中で優先順位が見えてきた」と話し、佐々木さんもこう明かしてくれました。
「『レジ袋』『カトラリー』『あたため』の3つは、私自身がコンビニでよく使い、聴覚障害のある友人や、友人の周囲からも『店員さんの話が聞き取れない』『意思疎通ができない』という声の多かった項目です。項目が多すぎると店舗で混乱することに配慮し、できるだけシンプルに、私からは基本中の基本である上記3つをお伝えしました」
また、合田さんにはもう一つこだわりがありました。それは、“誰もが一目でパッと理解できるデザイン”にすることです。
「コンビニのレジは後ろにお客さまが並んでいることもあるため、シートを使う方が『早く会計を終えないと』と焦ることのないよう、シンプルで分かりやすいものがいいと思いました。色使いも、視覚障害のある方にも役立てていただけるよう、読みやすいフォントを使用し色覚シミュレーションを使って工夫しています」
合田さんが佐々木さんを訪ねてきた時、佐々木さんは、「本当に実現するんだという気持ちがより一層あふれ、大変驚きながらも嬉しい気持ちになった」といいます。
さらに、佐々木さんから“あればうれしい”と意見のあった「耳マーク」も、上部に付けることにしました。耳マークとは、社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会が管理する、耳が聞こえない人・聞こえにくい人への配慮を表すマークのことです。
こうして2022年7月下旬、指差しシートのデザインが完成したのです。
現場の声を聞き、徹底的に取り入れた
「ただ、いきなり全国展開をしても、そもそも(耳の不自由な方たちに)シートの存在に気づいてもらえるだろうか?という不安がありました。そのため、複数の店舗を回って、オーナーの皆さんに考えていることを伝え相談したんです」(合田さん)
オーナーたちは「すごくいい取り組み」だと賛同し、そして「やるならしっかりやらなきゃね」と、
「エントランスにも耳マークを表示しては?」
「POSレジ画面でも指差しシートの存在を知らせては?」
などのアイデアをもらい、合田さんはどちらも取り入れました。加えて、店舗やスタッフによって対応が異なることのないよう、全店舗に社長からのメッセージ動画を送り、指差しシートについて周知を徹底しました。
不安要素をすべて取り除いた、2022年8月30日。指差しシートは、全国のローソンのレジに設置されたのです。
展開直後から、SNS上で、指差しシートへの感謝の声が拡散されました。発信者は、耳が不自由だと思われるユーザーたちです。「めっちゃ便利だなこれ」「ドキドキしながらレジのおばちゃんに耳マークを指差したら、瞬時に理解してくれた」など、中には1.8万件の「いいね」がついた投稿もあります。
合田さんは「ここまで長期にわたり感謝の声をいただくのは、これまでの取り組みの中でも、一番多かったのではと思います」と表情を緩めます。シートを使った方の声は、設置から4カ月以上経った今も投稿され続けているのです。
ここで佐々木さんに、指差しシートの具体的な使い方のコツを伺うと、3つの具体例を紹介してくれました。
①レジ袋を購入したい時は、レジで自分からすぐに『レジ袋購入します』を指差して伝える
②意思が伝わりにくい場合は、耳マークを指差して、耳が不自由であることを伝える。店員さんの言っていることが分からない場合にも、同じように耳マークを指差し『もう一度お願いします』と伝える
③マチカフェ(淹れたてコーヒー)や中華まんを購入したい場合、耳マークを指差したうえで、ローソンアプリで商品写真を開き、掲示するとスムーズに購入できる
ローソンが守り続ける“人の温かみ”
近年では無人に近いサービスを導入している他社のコンビニチェーンもありますが、ローソンは多くの店舗で、従来の会計スタイルを維持しています。
一方でSNS上には、「そもそもレジで必要なコミュニケーションが多すぎるのでは?」「セルフレジを導入しては?」 という声も一部見られました。マスク着用にビニールカーテンが平常化した近年、聴覚障害の有無に関わらず、店員さんとのやり取りにジレンマを抱えている人は多いようです。
そうした現状がある中、なぜローソンは、無人店舗を全面的に導入しないのでしょうか?
ローソンの歴史は、アメリカのオハイオ州で、酪農家・J.J.ローソン氏が「ローソンの牛乳屋さん」を開いた1939年に遡ります。
ローソン氏の新鮮でおいしい牛乳はたちまち地域で評判になり、ローソンミルク社はオハイオ州を中心に、数百店舗のチェーン店を展開していくのです。牛乳だけではなく生活必需品も扱うようになり、ローソンミルク社は、現代におけるコンビニエンスストアの基盤を確立していきました。
1975年、日本で、ダイエーの100%子会社として「ローソン」1号店がオープンしました。アメリカのローソンミルク社は1985年に廃業しましたが、当時のノウハウをもとにし、日本のローソンは拡大し続けました。
日本のローソンがずっと大事にし続けたものは、「マチのほっとステーション」という馴染みのキャッチコピーがあるように、“人の温かみ”です。1995年の阪神・淡路大震災、そして2011年の東日本大震災では、現地のローソンオーナーたちが、たとえ商品棚が空っぽになっても、人々の心の灯となれるよう店を開け続け「いらっしゃいませ!」と声を掛けました。
「デジタル化はもちろん必要だけれど、コンビニに“人と人とのつながり”を求めているお客さまは必ずいるはず。今後、オフィス街など必要とされる場所には無人店舗などの導入も検討するが、店舗から“人の温かみ”を消すことはしない」
ローソンのそうしたトップ方針のもと、合田さんは、「今あるものをガラッと変えるのではなく、ちょっとしたことから思いやりや気遣いが生まれるものを目指した」のだといいます。
今回、地方支社の一社員だった佐々木さんの声が「指差しシート」となり、全国のローソン約1万5,000店舗で展開されました。
ローソン店舗の大半はフランチャイズ加盟店で、オーナー数は6,000人以上に上りますが、本部はスーパーバイザーなどを通じて、彼らと密に対話を重ねています。そのためか、「地域の役に立ちたい」という志を持つオーナーも多く、指差しシートを積極的に活用してくれています。
2022年11月、ローソンは、Web上で指差しシートの無料データを公開しました。なぜなら、合田さんのもとに、複数の自治体から問い合わせがあったのです。自治体によると、一般市民から「ローソンの指差しシートを、コンビニ以外の商店や小売店にも導入してほしい」と要望があったのだそうです。
合田さんは、データの無料配布を決めた本心をこう話してくれました。
「競合店にお客さまを取られるかどうかという心配より、『世の中が指差しシートでもっと良くなっていけばいいな』という気持ちのほうがずっと強かったので、実際に使って役立てていただけるのなら、誰にでもどこででも使っていただきたい、という想いでした。
私自身佐々木さんのお話を伺うまで、困っている方々がいるということを、お恥ずかしながら知らなかったんですね。また、耳の不自由な方にとって一番ハードルが高いのは、コミュニケーションそのものより、“聴こえないことを伝えること”なのだとも知りました」
耳が不自由な方の多くは、見た目では分かりにくい場合があります。そのため、彼らにとっての第一のハードルは、耳が聞こえにくい・聞こえないことを相手に知ってもらうことなのだといいます。ただ、伝えることで“配慮を求める”ことになるため、誰もが急ぎがちなコンビニだからこそ、従来はそれを遠慮してしまっていたのです。
「そうした点も含めて、指差しシートは『意思表示がしやすい』『大変助かっている』というお声をたくさんいただいています。これから日本は高齢化社会でシニアの方々が増えていきますし、将来の自分も含めて、皆さんが使いやすいシートになるとうれしいです」
(文:原 由希奈 写真提供:ローソン)
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北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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