食品メーカー時代25歳でラッパー挑戦後、フォロワー104万人の料理研究家になった話。ヒカルの親戚。

2024年12月19日

食費や手間を最小限に抑えた「仕事や家事で忙しく働く人の為の簡単時短レシピ」をInstagramで発信し、幅広い年齢層から支持を集める料理研究家、もあいかすみさん。「#働楽ごはん」というハッシュタグがつけられた投稿はどれも色鮮やかで、食欲をそそるものばかりです。

テレビドラマ『西園寺さんは家事をしない』(TBSテレビ系)に登場したレシピの監修を担当し、大手食品メーカーや各種Webメディアでも日々さまざまなレシピを提供。2024年8月には待望の第一子を出産し、公私ともに変化を止めることなく邁進されています。

そんなもあいさんは、もともとは食品メーカーの営業職としてはたらいていましたが、とあるきっかけで「平坦な人生を変えたい」と決意を固め、数々の挑戦を重ねてきたといいます。実はYouTuberヒカルさんの親戚でもある彼女。平凡なOLからフォロワー104万人の人気料理研究家に転身するために、もあいさんが大切にしてきたことを、挑戦の軌跡から紐解きます。

美味しい料理が大好きな人生。食に携わる仕事を目指して、食品メーカーに入社

──お手頃・お手軽な美味しいレシピを発信し、たくさんの方々から支持を集めているもあいさん。幼いころから料理がお好きだったのでしょうか?

どちらかというと、料理をするよりも、美味しいものを食べるのが大好きな幼少期でしたね。物心ついたころから食いしん坊で、台所に立つ母のお手伝いをしながら、美味しい料理ができる過程を楽しんでいました。母が栄養士だったので、幼少期から食育に力を入れていた家庭だったのかもしれません。

大好きな食をもっと極めるために、大学では栄養学科に進学しました。料理に対する関心が高い学生が集まっている環境の中でも、私は群を抜いていたように思います。今でも食への執念は変わらずで、美味しいものを口にした途端分かりやすいほど上機嫌になるし、出産のための里帰りでも、母の料理に横からアドバイスして煙たがられるくらいです(笑)。

──食への愛がひしひしと伝わってきます。大学卒業後に食品メーカーを進路に定めたのも、好きが高じた結果でしょうか?

そうですね。大学3年の就活の時期になり、自己分析をしてみても、自分にとって絶対ブレない軸だと確信できたのはやっぱり食でした。自分が考えたレシピでたくさんの人に美味しいものを食べてもらいたいという想いから、調味料を製造している食品メーカーの業務用営業としてはたらき始めたんです。

──業務用営業とは、どのようなお仕事なのでしょう?

簡単にいうと、レストランや居酒屋など、飲食店の開発部へ自社の商品を売り込みに行く仕事です。「自社商品の調味料を使ったらこんなお料理ができますよ」と一緒にメニュー提案もするので、自分の考えたレシピを人に食べてもらうという理想がかなうファーストキャリアだったと思います。

やりたい仕事ができているのに、退屈な日々。背中を押したのは、同期のM-1出場

──そこからキャリアチェンジを考え始めたのはいつごろでしょうか?

モヤモヤを感じ始めたのは、業務用営業職としてはたらき始めて3年が経ったころでした。入社1〜2年目までは覚えることもたくさんあって、毎日刺激的な社会人生活を送ることができていたと思います。でも飽きっぽい性格なのもあって、3年目には「今後も同じことを繰り返していくのか?」と違和感を覚えるようになっていたんです。

午前中はレシピを考えたり試作をしたりして、午後にはお客さまにサンプル品を試食してもらいながら商談をして……。大学時代から思い描いていた仕事ができているし、9〜18時ではたらいて定時で帰るホワイトなはたらき方をしていました。

それでも物足りなさを感じたのは、自分の将来設計を考えた時にギャップを覚えたからだと思います。もっと自分の実力を試せる環境に身を置いてみたい。そんなふうに感じるようになりました。

──ホワイトな仕事環境からキャリアチェンジをするには、それなりの覚悟が必要だったと思います。もあいさんは昔から挑戦志向な性格だったのでしょうか?

どうなんでしょう、母が安定志向なタイプだったので、その影響を受けて学生時代からはたらき始めるまでは安定的な生活を好んでいたかもしれませんね。

今の環境でもそこそこ居心地はいいし、不満はないけれど、成長実感は得られない。だからといって、新しいことに挑戦する勇気はない。モヤモヤしているものの、動き出すのは怖くてくすぶっている……そんな状態でしたね。

学生時代って、将来の夢もどんどん浮かんでくるじゃないですか。大人になったらなりたい自分になれるものだし、我慢せずに自分の意志でいろいろなことができるようになるって、根拠もないのに確信できていて。

でも、社会人3年目にして、「このままなんとなくすごしていても、なりたい自分になれない」って気付いてしまったんだと思います。

──キャリアチェンジに向けて動き出すのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

転機になったのは、仲の良い会社の同期2人が『M-1グランプリ』に出場したことです。予選当日、仕事を終えた後にさっと打ち合わせして、漫才の練習もほとんどせずにその足で予選会場に向かってネタ見せをしたので、第一回戦で敗退してしまったんですけど(笑)。予選会場で私はマネージャー的なポジションで、その姿を見守っていました。

プロの中に1組ド素人が紛れ込んだ状態だったので、きっとスベりまくるだろうし、どうやって励まそうかと思っていたんです。でも実際は、その素人感がむしろおもしろさを誘うという逆転現象が起きて、結構ウケていたんですよ。審査員の方からもイジられていて、ある意味きちんと爪痕を残していました。そして、予選後に打ち上げにやってきた2人はものすごくキラキラして見えたんです。

当時の私は転職活動をしてはいましたが、結局は冒険することなく、もとのスキルを活かしやすい食品メーカーに絞っていました。心のどこかで、「このまま転職してもこのモヤモヤは解消されない」と分かってはいたんですが、かといって新しいことに挑戦する勇気もなかった。でも、彼らの姿を見て、「なんでもいいから今まで勇気がなくてできなかったことに挑戦してみよう」と背中を押されたんです。

人生を変えたフリースタイルラップ。本当にやりたいことは何か、向き合い始める

──同期の姿に背中を押され、まずもあいさんが挑戦されたこととは?

最初に挑戦したのは、フリースタイルラップでした。もともとMCバトルを観るのが好きで、いつか自分もやってみたいと思っていたんです。キャリアには何も関係ありませんでしたが、平坦だった人生や変化を恐れる自分を変えるための一歩として挑戦しました。

2017年から、現役会社員としてMCバトルに出場

どんなことでもある程度の実力がないと挑戦するべきではないという風潮があると思っていて、私自身も前まではそう考えていたんです。でも即席でコンビを組んで、練習3時間で舞台に立って爪痕を残してきた同期の姿に、どんな自分でも挑戦するのは自由だと思えたんですよね。

──ラッパーの道を志していたのではなく、現状を変えるための挑戦だったのですね。反響はいかがでしたか?

アンダーグラウンドな雰囲気のMCバトルに、普通の女性会社員が登場すること自体が珍しかったので、反響は大きかったです。つまらなかった人生に楽しみが増えたようなワクワク感がありましたね。

それに、ものすごく緊張しながらも最後までやり切ることができたのが、私にとっては大きな収穫でした。あれほどまで緊張したのは初めてだったので、それ以降は、何か新しいことに挑戦する時も「ラップするより楽勝だわ!」って、ひょいっとハードルを超えられるようになりました(笑)。

──ラップへの挑戦が、その後のもあいさんの背中を押してくれたのですね。

会社員としてはたらくことにモヤモヤしているのに何も変えようとしない。ラップは、そんな自分を打ち破るためのきっかけになったと思います。

ラップに挑戦してからは、転職ではなく独立してキャリアを切り開きたい、と将来の道を模索するようになりました。

偶然の出会いからようやく見つけた天職。大切なのは、目標と継続力

──フリースタイルラップに挑戦された後は、どのような経緯で料理研究家という目標を見つけたのですか?

あらためて何をしたいのか自分と向き合った時に、やはり食への探究心は揺るがない軸として残っていました。

そして、「自分だからこそできることってなんだろう?」と考える中で、まず思いついたのが、料理教室の開講。インターネットですでに成功している方の事例を調べたのですが、どこかしっくりと来なくて。

続いて興味を抱いたのは、食品メーカー向けのパンフレット制作。営業職として提案資料を日々作成していたので、クリエイティブデザイナーとして活躍していけるのではないかと思って。当時はお見せできる実績もなかったので、お仕事獲得に役立てられたらと思って始めたのが、Instagramで料理写真とレシピを投稿することでした。

最初はアカウントが伸び悩んで、どうすればいいのか自分で調べたり、デザイナーやカメラマン、マーケターなどたくさんの方とお会いして悩みを相談したりしていました。投稿のクオリティを上げるため、料理写真のカメラ教室に通い始めたのですが、そこで偶然にも前職の先輩と再会して……その方がInstagramで料理研究家として活躍していると知ったんです。彼女の料理のアシスタントをさせてもらいながら、相談をする中で、「料理研究家なら、私にしかできない価値提供ができる!」と、ようやく進みたい道筋が決まりました。

──たくさんの紆余曲折を経て、心から叶えたい夢にたどり着いたのですね。その後、どのようにして現在のキャリアに至ったのでしょうか。

Instagramを始めたころは、「写真が良ければ勝手にフォロワーさんも増えていくはず」と楽観視していたのですが、いろいろな人に話を聞く中で、マーケティングやブランディングも重要だと知りました。まったく知見のない世界でしたが、ゼロからSNSマーケティングを学んで、私ならではの強みを深く見つめ直すようにしたんです。

その結果、当時26歳で元会社員という自分の経験を活かして、はたらきながら自炊で美味しい料理が食べられる、『OL仕事めし』というコンセプトで発信を始めました。次第に評判が広がっていき、この道でやっていけると確信して27歳のときに独立。アカウントが大きくなっていくにつれて、OL以外の方も私のレシピを使ってくださるようになったので、現在は『働く人の為の簡単時短レシピ』として発信を続けています。

──あらためて、理想のキャリアを見つけるのに大切だと思うことを教えてください。

その道で成功しているたくさんの人に会って話を聞いて、考えを壁打ちすることが大切だと思います。自分だけで考えていても、結局はなりたい自分にはなれない。うまくいく秘訣を知っている人から、自分の引き出しにはない知識や世界を教えてもらうんです。

知らない人に話を聞きにいくのは、勇気が必要なことかもしれません。でもこちらが熱量を持って話を聞いたり、すぐに行動して結果を報告したりすれば、「教えがいがある」って喜んでくださるんですよ。

「自分がどうなりたいか」さえ言語化しておけば、アイデアや知識を授けてもらえる。いきなり話を聞くのが不安であれば、まずは自分で調べてある程度のイメージを膨らませておくのもいいと思います。その道の先輩と話して視野を広げることで、今まで思いつきもしなかった新しい目標を見つけることもあるので、足踏みするよりもまずは行動してみてほしいです。

──もあいさんを突き動かすモチベーションの源泉は、なんですか?

目標に対する想いの強さじゃないでしょうか。自分にとって揺るぎない目標を持てたら、誰もがきっと大きな力を出し切れると思っていて。自分で調べたり、ロールモデルの話を聞いたりして「自分にもこんな未来が待っているんだ!」と明確なイメージを膨らませていけば、あとは行動するだけだと思える。迷いがなくなるんです。

ある日突然、スーパースターになれる人はいません。日々目標に向かって少しずつ行動を積み重ねていけば、数年単位で振り返った時に「あのころよりも前に進めているな」と、自分の変化に気付けると思うんです。

大変なのは、最初の一歩。継続すれば軌道に乗り始め、自分の掲げる目標も上がって、「もっとこの先に行きたい!」って自然と思えるようになるんですよ。

もしあの時の私のように、人生や自分自身にモヤモヤしてくすぶっている方がいたら。自分にとって「これだ!」と思える目標を見つけて、行動を積み重ねていけば、いつかきっと人生を変えられるよって、そう伝えたいです。

(文:神田佳恵 編集:おのまり 写真提供:もあいかすみ)

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フリーライター神田 佳恵
フリーランスライター 兼 一児の母。取材・インタビュー記事、エンタメコラム、ライブレポートやエッセイなど、複数媒体・分野で執筆活動中。

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