大学生で借金6,000万円。年収2,500万を捨て35歳で大工になった理由「このまま死んだら後悔すると思った」

2026年4月2日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺った中越節生さんは、大学生で6,000万円もの借金を背負う過酷な状況に置かれるも、卒業後は年収2,500万円の不動産営業として活躍し、見事に借金を完済します。しかし、その高収入と地位を捨て、35歳で見習い大工へ。現在はさらに職をガラリと変えて、野菜の生産から加工、飲食までを一貫して手がける株式会社八〇八(やおや)を経営しています。

過去の自分にケジメをつけ、それぞれの場所で仕事に全力で向き合ってきた中越さんの歩みには、「はたらく自分」を好きになるためのヒントが隠されていました。

大学生で背負った「借金6,000万円」。返済だけがはたらくモチベーションだった

──まずは、現在の中越さんの仕事について教えてください。

直売所と食堂を兼ねたカフェ『駅前直売所八〇八』を運営しています。また、神奈川県藤沢市の北部に耕作放棄地を再生した1.5ヘクタールほどの農園を持っていて、そこで世界三大健康野菜と呼ばれる菊芋をメインに栽培しています。最近は「湘南レモン」というブランド名でレモンの栽培も始めました。

菊芋はチップスやパウダー、焙煎茶、青汁などに加工し、通年でお客さんに届けています。「農業」「加工」「飲食業」の3本柱で事業を展開しているんです。

『駅前直売所八〇八』の店頭には無農薬・無化学肥料栽培の野菜が並ぶ

──中越さんは現在の事業を始めるまでにも、さまざまな業界でキャリアを積み上げられています。その背景には、大きな転機がいくつもあったと伺いました。

最初の転機は、私が大学1年生のときです。父親が立ち上げた事業がバブル崩壊の影響で倒産してしまい、家族で6,000万円の借金を背負うことになりました。

急遽学費を自分で稼がないといけない状況になり、大学1年の後半からは1日5〜6つのアルバイトを掛け持ちして、学費と生活費を稼ぐ毎日でした。授業も満足に受けられず、2年留年しています。

──大変な学生時代をすごされていたのですね。卒業後はどのような道を選ばれたのでしょうか?

不動産会社のマンション販売営業職に就きました。「何がやりたいか」よりも「どの仕事が一番お金を稼げるか」で選びました。借金を返すことが最優先事項でしたから。

電話営業や飛び込み営業が中心で、深夜まで残業するのは当たり前。今では考えられないような労働環境でしたね(笑)。それでも、借金を返さなければいけないので辞めるという選択肢はありませんでした。「これは神様がいずれ幸せになるための試練を与えてくれているんだ」と自分に言い聞かせていました。

周りがサボっているときも自分はずっと仕事をしていましたし、家に帰る時間すらもったいなくて会社に泊まり込み。そうやって必死に続けているうちに、次第に成果が出はじめ、気付けば売り上げトップの営業担当になっていました。

その後、他社からお声がけいただき転職をするというのを繰り返し、4社目では営業部長を任されるようになりました。そこで最終的には年収2,500万円ほどいただけるようになり、ようやく借金を完済しました。

年収2,500万円を捨て、「35歳・未経験」で大工見習いに

──借金を返し終えたとき、どんな気持ちでしたか?

ホッとしましたね。それまでの私は借金返済という明確な目標があったからこそ走り続けられていたので、それがなくなったとき、気持ちに少しの余裕が生まれて。はじめて「自分は何をやりたいのか」「なんのために生きているのか」と立ち止まって考えられるようになった気がします。

そのとき一番に思い浮かんだのが、私が不動産の営業担当としてマンションを販売したお客さんたちのことでした。営業担当だった当時は成果を追求するあまり、お客様一人ひとりの長期的なライフプランにまで十分な配慮が行き届かないまま、契約を進めてしまう場面もありました。その結果、返済に苦労される方もいらっしゃったんです。

──それは胸が痛みますね。

ちょうどそのころ、不動産営業をしていたときのお客さんで、大手生命保険会社で全国トップの成績を収めているマネージャーの方から「うちの会社に来ないか」とスカウトをいただきました。その方が「うちの会社は単に保険を売るのではなく、お客さんの人生設計全体をサポートする『ファイナンシャルプランニング』という考え方を大切にしている」と教えてくれたんです。

それを聞いて、「この仕事なら、今まで家を買ってくれたお客さん一人ひとりに会いに行って、お金の相談に乗ることができる。少しでも“罪滅ぼし”ができるかもしれない」と思い、入社を決めました。

──過去のお客さんへの責任を果たすための転職だったんですね。

そうです。3年かけて、かつてご縁のあったお客さんのもとを可能な限り訪ね、あらためてライフプランの再確認や家計の相談に乗らせていただきました。一人ひとりに真摯に向き合い、過去の自分の行いに対してやっとケジメがつけられたので、次は大工になろうと決めたんです。

──保険会社の営業職から大工に!なぜ急に大工だったのでしょうか?

保険の仕事をしていると、多くのお客さんの人生の節目に関わります。その過程で、自然と「人はいつか死ぬ」ことを強く意識するようになったんです。

ちょうど結婚を考えていた時期だったこともあり、ふと「今の自分は、明日死んでも後悔しないだろうか」と。今の高い年収も地位も、借金を返すために必死で手に入れたもので、自分が本当にやりたかったことをして得たものではない。このまま死んだら後悔する、と強く思いました。

結婚するなら、自分が死んだときに家族に何か残したい。それはお金のような金融資産ではなく、家族をずっと守ってくれる「形あるもの」であってほしい。そして、どうせ残すなら自分の手で、最大限の思いを込めて作った家を残したい。そんな考えが心に湧いてきて、お客さんだった工務店の社長に頼み込み、大工の見習いをさせてもらうことにしました。

──「家を買おう」ではなく「自分で作ろう」と考えたんですね。やりたいことを始められた一方で、収入は大きく下がったのではないですか?

ガクッと減りましたね。でも、不動産営業で結果を出してきたこれまでの経験があったので、「やろうと思えばまた稼げる」という自信があったんだと思います。それよりも、家族に残せるものを早く作りたかった。

35歳で見習いになり、周りは20代の若い子ばかりでしたが、みんないい奴で楽しかったです。3年間修行して、千葉県流山市で中古物件を見つけ、それを解体して一人でリノベーションし、晴れて家を作りました。

──ちなみに、大工への転身を決めたとき、奥様からは反対されませんでしたか?

相談したら反対されるのは確実だったので、相談せずに決めました。というのも、「相談する」ということは、本当は心のどこかで止めてほしい気持ちがあるからだと思うんです。自分の中で答えが出ているのなら、もうやるしかない。妻には驚かれましたけどね(笑)。

39歳で3度目のゼロスタート。私が農家になった理由

──大工だったところから、今は『駅前直売所八〇八』を運営されています。農業へ足を踏み入れたきっかけはなんだったのですか?

流山市で購入した中古物件の内装工事を一人で進めていたときのことです。4カ月ほど家にこもりきりで作業していたので、気分転換に近くの土手にランニングをしに行ったんですよ。そこで、使われていない畑がたくさんあることに気付きました。

「なぜこれほどの数の畑が放置されているのか」と疑問に思い、図書館で農業の本を読み漁りました。調べていくうちに、日本の食料自給率の低さや、農薬・食品添加物の問題を知り、「食料自給率が低いのに、目の前にこれだけ耕作放棄地がある。自分に何かできることはないか」と考えるようになったんです。

──そこから農業への関心が芽生えたんですね。

市の窓口に就農相談にも行きましたが、当時は農地を借りるための条件が厳しく、農家の出身でない素人が参入するにはハードルが非常に高かったんです。具体的な道筋も示してもらえなかったので、直売所マップを片手に農家を一軒ずつまわって教えを請いました。そうして出会った無農薬栽培の農家さんのもとで、1年間修行させてもらえることになったんです。

30代後半の中越さん。農業の基礎を一から学んだ。

その後独立し、営業の経験を活かして自分で販路を開拓していきました。一般的に農家は農業協同組合(JA)に出荷することが多いのですが、それだと価格を自分では決められない。だから、マンションで野菜を直接販売したり、飲食店に卸したり、年会費制でお客さんに届ける仕組みを確立したり。当時はまだ珍しかった取り組みをどんどん試していきました。

そうした矢先に、2011年東日本大震災が起きたんです。

当時は社会全体が不安に包まれて、さまざまな情報が飛び交う状況でした。私も、報道や公的発表を注視しながら、農業に携わる一人として食の安全性にどう向き合うべきか、自問自答する日々が続いたんです。悩み抜いた末、最終的に背中を押したのは家族の存在でした。娘の出産が間近に迫っていたこともあり、子どもの将来を第一に考え、心機一転、藤沢市へ拠点を移す決断に至りました。

──それまで積み上げてきたものを手放さざるを得なかったと。

そうですね。知り合いが一人もいない土地に来て、またゼロからのスタートでした。そこで新たに、誰も手を付けず荒廃していた耕作放棄地を見つけたんです。当時は不法投棄もされているような場所でしたが、自分たちでゴミを片付け開拓するところから始めました。

そうして農地を再生させながら、前々からやってみたいと思っていた「八百屋カフェ」を、今よりも小さな店舗で開業しました。少しずつ事業が成長し、今に至ります。

──ゼロからのスタートを何度も乗り越えてこられたんですね。今後、挑戦したいことはありますか?

次は「江ノ島の塩」を作りたいんです。藤沢市は豊かな海に面しているのに、地元産の塩がない。それなら自分で作ろうと。塩ができれば、うちの湘南レモンと組み合わせて塩レモンもできるし、お土産にもなる。誰もやっていないなら、自分がやりたい。そうやって「あったらいいな」を形にしていくのが、今は楽しいんです。

今「はたらく」が楽しいのは、自分に迷いも嘘もないから

──借金、過酷な労働環境、震災と、キャリアの中で何度も困難な状況に直面されてきましたが、中越さんがそのたびに乗り越えてこられたのはなぜだと思いますか?

最後まで逃げずに向き合い続けたからだと思います。6,000万円の借金を抱えたときも、返済するまで逃げなかった。不動産会社を辞めるときも、担当していた案件をすべてやり遂げ、心残りがない状態で辞めさせてもらいました。

一度逃げると逃げ癖がつくと思うんです。次のステップに行くにしても、逃げるのではなく、目の前のことをやりきってから進む。その積み重ねが、結果的に自分を支えてくれているのかもしれません。

──今、中越さんが仕事をしていて充実感を感じるのはどんなときでしょうか?

今は、自分がやっていることに迷いがないんです。放置され、不法投棄によって環境汚染につながりかねなかった農地を再生し、農薬を使わずに環境に優しく、腸活にも良い健康野菜を作っている。それをお客さんが食べて健康になり、そのお金で自分たちの生活も成り立つ。私はこれを「健康の循環」と呼んでいます。

会社員時代は数字を優先するあまり短期的な成果を追い求めてしまう場面もありましたが、今はみんなが健康で笑顔になり、喜んでくれる循環の中にいる。自分がやっていることに疑問がないから、充実しているんだと思います。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

私自身、借金返済のために始めた不動産営業は、正直やりたい仕事ではありませんでした。でも、「次へのステップのための修行だ」と捉えてとことんやり続けた。すると、そこで出会った人が次の道を開いてくれたり、思わぬところから声がかかったりしたんです。

だから、もし今の仕事にモヤモヤしているなら、まずは目の前のことに全力で向き合ってみてほしいです。とことんやった上で「やっぱり違う」と思うなら、そのときは思い切って次に進めばいい。大事なのは、逃げるように辞めるのではなく、やりきった上で自分で決断すること。そうすれば、たとえ結果がどうなっても後悔は少ないと思います。

私自身、不動産も大工も農業も、それぞれの場所でやりきったからこそ、次の扉が開きました。だから、皆さんも焦らなくていい。今いる場所で全力を尽くしていれば、必ず道は見えてきますから。

(「スタジオパーソル」編集部/文:間宮まさかず 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:中越節生さん)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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