受注激減。そのとき水着メーカーは…累計60万枚大ヒットマスクの舞台裏

2021年3月5日

「創業から75年、私自身は40年ほど勤めてきましたが、これほどの危機は未だかつて経験したことがありませんでした」──激動だった2020年をこう振り返るのは、水着・介護用品のメーカーであるフットマーク社代表取締役社長・三瓶 芳さんです。

同社は、とくに水泳帽などで高いシェア率を誇る老舗で、実は1980年に「介助」と「看護」という言葉から「介護」という造語を生み出した会社でもあります。現在では、水泳用品から介護用品、健康用品などを幅広く扱っています。

しかし、コロナ禍によって水泳の授業が中止になったことで受注は激減。

そもそも社に暗雲が立ち込めたのは、2020年1月のこと。中国・武漢で発生したウイルスが、上海、広州、青島などにあるフットマークの協力工場を襲いました。

中国で協力工場が次々ストップ……「いやな予感がした」

「工場は閉鎖になり、現地でマスクが不足しているとの知らせが入ったのです。そこで、社員総出で日本国内のマスクをかきあつめ、5000枚ほど中国に送りました。

このとき、イヤな予感がしたのを覚えています。もしこのウイルスが日本に入りでもしたら、日本でもマスク切れが起きるんじゃないか、と……」(三瓶さん)

予感は的中。コロナが日本で猛威を振るいはじめ、2月中旬には、ドラッグストアやコンビニの棚からマスクが消えつつありました。そんなある日、三瓶さんは営業の社員が製造部に「お客さまがマスクを必要とされているんだけど、うちで作れると思う?」と尋ねているのを耳にします。

「もう、ピーンときてしまって。『それ、やろうよ!』と、一瞬でマスク作りを決めたんです」(三瓶さん)

このとき、「三瓶社長と目があっちゃった」ことでマスクづくりを引き受けたのが、製造部にいた石川 稔介さん。いまから思えば、この瞬間、石川さんが踏み出した小さな一歩が、のちに社の命運を左右する大きな一歩へとつながっていくのです。

はじめてのマスクづくりに挑む

石川さんは1988年にフットマーク社に入社しました。当時は企画から製造、営業までを一人の社員が行うのが通例だったそうです。

「自分で何かを企画し、形にして売るという作業には慣れていました。とはいうものの、これほど時間に追われた緊急発進は初めてでしたね」(石川さん)

まったく経験のないマスク作り。石川さんはまずマスクを買い、分解し、構造を調べます。一方で、感染のもととなる飛沫をカットできる生地を選ばねばなりません。しかし、そのための測定器を持っている検査会社はすでにコロナの影響で大混雑。「結果が出るまで半年以上かかります」との回答。

ならば、と測定器メーカーを探し出し、自社の生地を10種類以上持って駆けこみました。

「今から思えば厚かましいお願いでしたが、メーカーさんは非常事態であることを理解して、すべてをその場で測ってくれました」(石川さん)

試作室にあったマスクの型紙

その後、フットマーク社はこの測定器を購入。石川さんは、会社が持っている水着素材から防水生地までを片っぱしから検査してデータをとる日々。生地メーカーからも布を取り寄せて、気がつけば調べた生地は200点以上にのぼっていました。

こうして布を厳選し、続いてとりかかったのは試作です。はじめは単純なガーゼマスクを想定していたものの、あれこれと触っているうちに、ふとアイデアが降りてきます。

「水着の生地って、サラサラしていて肌ざわりがいいんですよね。しかも、うちはスポーツ用品のメーカー。だったら、スポーツマスクのように顔にピッタリとフィットするものが作りたい。完成までのスピードもガーゼマスクとそう変わらないはず。そこで、立体的な形をめざして試作を重ねていきました」(石川さん)

「水着素材マスク」の発売までに試作したマスクは50種類以上。「最初のものはどれも稚拙で…」とはにかむ石川さん。ひとつ作るたびに少しずつ進化したんだとか。

何度も洗える“水着マスク”、誕生!

手探りの中、石川さんはサイズや素材、価格帯の違う10種類以上のマスクを完成させ、量産体制に入りました。

「水着素材マスク」を中心とした製品がそろったのは、3月下旬のこと。ちょうど緊急事態宣言と時を同じくして、スポーツクラブや介護施設といった取引先に向けて発売を開始しました。

「10種類も出した理由は、どんな需要があるか分からなかったから。そもそも水着屋がマスクを作るなど前例のない話です。はたして受け入れてもらえるかどうか……。とにかくたくさん出して、好きなものを選んでもらおうと思いました」(石川さん)

次の生産に向けて、生地メーカーはすでに大量の生地を確保して待機中です。しかし、売れなければすべてが水泡に帰してしまう──。

しかもこの時、取引先のスポーツクラブはぞくぞくと休止を発表。本来ならもうすぐプール開きがあるはずの学校も、多くが休校を決めていました。水着屋としての本業がいよいよ絶望的になる中、一同は固唾をのんで成り行きを見守っていました。

反響は、想像以上。個人向けにネットショップで販売をスタートした瞬間、Twitterで「水着素材マスク」のバズが起きたのです。


購入者たちから、毎日感謝の声が届く日々。「作ってよかった」と喜びを噛み締めた石川さんでしたが、気がかりなのは夏のこと。暑い中でマスクをつければ、熱がこもって苦しいはず。だったら、つけることで体温を下げられるような冷感マスクはできないものか……。

夏の“冷やしマスク”、はじめます

誰もいない通りで、ひっそりと桜が咲いた4月。社員たちがテレワークにうつり、静まり返った社内では、石川さんがもくもくと夏用マスクの試作を進めていました。

「夏用マスクでは、“濡らすことで冷える”生地を使うことにしました。実は私たちは、蒸し暑い介護現場ではたらく人に向けて、濡らして振ると冷える素材でタオルを作っています。この素材なら “接触冷感”のような一瞬のヒンヤリ感ではなく、ちゃんと冷たさを感じていただけるマスクができると思いました」(石川さん)

布を濡らして使うという仕様上、顔に張り付かないようにする必要があります。よし、ワイヤーでマスクを整形しよう。そう思ったときには、ワイヤーはすでに他社に買い占められていました。

そこで石川さんが目をつけたのが、リュックなどにつかわれている硬く編まれた「あやひも」。この「あやひも」を支柱とし、顔とマスクの間に空間を作ります。結果、ラフに洗濯してもワイヤーなどが飛び出てこない、安心構造の夏用マスク「FOOTMARK COOLISH SUMMER MASK SP(フットマーククーリッシュサマーマスクエスピー)」が完成したのでした。

5月初旬、フットマーク社は「FOOTMARK COOLISH SUMMER MASK SP」の量産に入りました。

「リモートワークに入っていた社員たちがたくさん応援に駆けつけ、マスクの仕上げや検品を担当してくれました。みんなが団結して、一人でも多くの人にマスクを届けるために専念した時期でしたね」(三瓶さん)

こうして6月上旬に発売した「FOOTMARK COOLISH SUMMER MASK SP 」は大ヒット。連日、メディアの取材が押し寄せました。2020年にフットマーク社が世に送り出したマスクは、累計60万枚にのぼります。

「どれだけ売れるか見通しがまったく立たない中で、工場や生地メーカーなど、あちこちに無理なお願いばかりしていた一年でした。まさに、皆さんのご協力が合ったからこそ成せたことです」(石川さん)

“1分の1のものづくり”を目指す

いま、石川さんは社内に新設された「健康衛生事業部」部門で、ひきつづきマスク開発に挑んでいます。巷のマスク不足が解消し、各社からさまざまなマスクがあふれていますが、石川さんのアイデアは尽きません。

「マスクをつけることがエチケットになる時期はもう少し続くはずです。そこで、状況によって性能を調節できるマスクを開発しているんです。人の多いところではフィルター機能を高め、人の少ないところでは少しゆるめてラクに呼吸ができたらいいな、と」(石川さん)

同時に、スポーツの審判に欠かせないホイッスルがクラスターの発生源になったとの報道を受けて、ホイッスル用のマスクも開発中なんだとか。もうまもなく世の中にお目見えするそうです。

このスピード感と小回りのよさ。これは社風といっていいのかもしれません。ビッグデータやマーケティングリサーチによる数字を見るより、身近な誰かのためにものを作ろう。大勢に“売れる商品”よりも、誰か一人に“必要とされる商品”を作っていこう。そうした想いは、社が掲げる「1分の1のものづくり」という理念にもあらわれています。

歴史を振り返れば、赤ちゃんのおむつカバーを作るところから出発し、素材と縫製技術を武器に、夏に必要とされる水泳帽を作りはじめて水着の分野へ。やがてご近所から大人用のおむつカバーを作ってほしいと頼まれたのをきっかけに、介護分野へと進出。

つねに身近な人が必要とする商品を開発してきた発明家の遺伝子が、今も脈々と受け継がれています。きっと、これこそがコロナで受注が激減する中でも恐れることなく新商品をぞくぞくと打ち出せた理由。

先代が水着の開発をはじめたときの実際のメモ。野球のボールの形からヒントを得たそうです。

「これからも不測の事態はきっとあるのでしょうが、どんなときでも『こんなことに困っている』『こんなものがあったら……』というお声が上がっているはず。そのかすかな声を聞き逃さないことが重要です。私たちに活路が開けるとしたら、きっとそのお声からです」(三瓶さん)

その言葉に石川さんは頷きつつ、同時に「会社がぼくに裁量を与え、自由に任せてくれたこともプラスに働いた」と分析します。

「面白いものができるかどうかは、自由度高くはたらける環境があるか否かにかかっています。ぼくの場合、社長から『他のことはしなくていいからマスクに専念してね!』と言われて、すべてを任されたんです。

その結果、毎日夢中でマスクを作っていましたが、根を詰めている感覚はなかった。純粋に作り上げていくことが楽しかったんです。新しいことにチャレンジするとき、こうした環境はきっととても大切です」(石川さん)

ありとあらゆる水泳用品を網羅し、介護用品へと枝葉を伸ばしてきたフットマーク。その社名は、新たに誕生した赤ちゃんの足型に由来するといいます。

お客さまの声とともに柔軟に形を変えながら長きを生きぬいてきた老舗が今、コロナ禍の中で、ふたたび新たな“一歩”を踏み出しました。

ニューノーマルのはたらき方のヒント

●ニーズをささやく小さな“声”をすかさずキャッチし、得意なことで応えていこう

●仲間を信じ、それぞれが自由度高くはたらける環境をつくる。そうすることで新たなアイデアが生まれてくる

(取材・文:矢口あやは 撮影:小池大介)

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ライター・編集・イラストレーター矢口あやは
大阪生まれ。雑誌・WEB・書籍を中心に、トラベル、アウトドア、サイエンス、歴史などの分野で活動。2020年に一級船舶免許を取得。

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