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やりたいことがなくても大丈夫。20代の「遠回り」が「自分らしさ」になった話
スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、自分にとっての「はたらき方」について語る「#私らしいはたらき方」投稿コンテストでパーソル賞を受賞した記事をご紹介します。
執筆者は、広告プランナーのばしゃうま亭 残務さん。就活がうまくいかず、社会人になってからも複数の仕事を転々として「遠回り」した経験があります。当時を振り返り、悩み迷っていた20代の自分へのメッセージをnoteに投稿しました。
やりたいことが見つからず、憂鬱な土日を過ごす日々
地元の九州に住み、就活では新聞社やテレビ局などのマスコミを受けるも、入りたかった企業への入社は叶わなかったばしゃうま亭 残務さん。その後、広島の広告会社と九州の通販会社からなんとか内定を獲得し、年収が高かった前者の広告会社に入社しました。
しかし、その会社の就労環境は……
25歳くらいまで残業100時間以下の生活を本当に知らなかった。毎週2回、睡眠4時間ほどで往復500kmの県外営業に車で行かされる。何度か高速で事故りかけて、さすがに身の危険を感じた。
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
鬱憤が溜まって限界を迎え、上司と揉めた末に25歳で退職します。
次に頭に浮かんだことは「日本以外の生活を経験してみたい」。
海外に行くことで“必死に道を模索してる感”も出るかもしれないという打算もあり、カナダのトロントへと飛び立って、そこで1年ほど暮らすことになりました。
トロントでは、やりたいことを探しながら現地の留学カウンセラーとしてはたらいたものの、なかなかやりたいことは見つかりません。やがて帰国の時がやってきます。
ビジョンも金もないまま帰国した僕は、とりあえず九州の実家に引っ込んで家電量販店でプリンターの販売員をしながら過ごした。
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
残業もなく、家に帰れば親が作ってくれたごはんがある―――。
以前広告会社ではたらいていた日々に比べたらはるかに楽な生活でしたが、ばしゃうま亭 残務さんは「徐々に自分が、炒めた玉ねぎみたくフニャっていく」感覚に陥り、焦りを感じます。
今、やりたいことがあるわけではない。自分には何ができるのか……?そんな自問自答の末、「広告営業の経験を活かして広告業界に再度飛び込もう」と腹をくくり、就職活動をスタートします。その結果、東京の会社で契約社員として採用され、27歳で上京することになりました。
しかし、上京直後に再び挫折を味わいます。
今までの経験がまったく通用しなかった上に、ビジネスマナーや業界知識すら足りずに呆れられる日々。周囲からの風当たりはどんどん強くなり、すっかり自信をなくして追い詰められていきます。
人混みの電車に乗りたくない。駅のホームで同僚に会いたくない。会社から二つ先の駅まで歩いてから、電車に乗って帰った。
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
土日に全く気が休まらず、傷はどこも癒えないまま月曜が来る。心の負債は雪だるま式に増えていく。
このままじゃダメだ、と思った。立て直さないといけない。潰れる。
気を抜けば思考停止してしまいそうな半鬱状態の中で、必死に次の道を模索した。
こうしてギリギリの精神状態になったばしゃうま亭 残務さんは、悩んだ末、開き直りの考えを持つようになります。
「営業は向いてない」とあきらめてから見えた新しい道
その考えとは「俺には営業は向いてない」というもの。
一度は逃げ出した広告営業の道にもう一度舞い戻り、汗水たらしてきたばしゃうま亭 残務さんにとって「営業は向いていない」と認めるのは勇気がいることだったかもしれません。それでも前に進むために、思い切って見切りをつけることにしたのでしょう。
優柔不断だし、繊細すぎるし、何より対人能力があまり高くない。ズバッといえば「コミュ障」人間。逆に今までよくやってこられたな。
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
そう思って広告営業をあきらめる一方で、「広告」まで捨てる気にはなれませんでした。なぜなら広告そのものに強い興味を持っていたからです。
広告のアイデアが生まれて形になっていく過程には、どんどん興味を持ち始めていた。
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もともと文学部で、本を読んだり、ゲーム好きだったりと「コンテンツ人間」だった。営業ではなく、もっとコンテンツを考え出すところに近い側になれないか。
「もともと何が好きだったか」という自分の原点に立ち返って考えた結果、出てきたのが広告プランナーという仕事です。
転職活動をして希望に近い条件の仕事を見つけたばしゃうま亭 残務さんは、契約社員ではなく正社員として採用されました。「逃げる」コマンドを選んだ先で、ずっと見つからなかった「やりたいこと」の一歩目を踏み出せたのです。
現在は広告プランナーになって2年が経ち、少しずつ自分に合ったやり方が掴めるようになり、周囲からは「引き出しの多い人間」だと思われるそうです。
それは最短距離でストレートに広告プランナーになったのではなく、もがき苦しみながら広告営業、留学カウンセラー、プリンターの販売員といった仕事をして、遠回りをしてきたからでしょう。
もちろん新卒から「この道一筋」という人たちには、全然敵わない。
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
でも「彷徨って遠回りして、いろんな世界を見てきた広告プランナー」というキャラクターに、興味を持ってくれる人がいる。それに自分自身が、この経歴の活かし方を少しずつ掴んできた気がする。
ばしゃうま亭 残務さんがそう思えるようになったきっかけは、知人から言われた宝物のような言葉でした。
「迷って、もがいた経験があるから、
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
いろんな人の立場とか、
弱いところとかを理解できる。
それが、
誰かからめちゃくちゃ感謝される時が
きっと、いつかくる」
実際、それまで経験してきた仕事は「やりたいこと」ではなかったものの「意味がなかった」とは思っていません。
今に満足していようが、していまいが、通ってきた道、集めてきた材料でしか未来は作られないし、割とそれでちゃんとした「自分らしさ」になっていくような気がする。
20代の自分へ。その「遠回り」が ”自分の色” だと思えるときが、ちゃんと来ますよ。より
そう感じたばしゃうま亭 残務さんは「この遠回りも、いつかちゃんと味になる」と考えています。
悩み苦しんだ時、真面目な人ほど目の前の壁を必死で乗り越えようとするものです。もちろんそれは素晴らしいことですが、必ずしも正面から立ち向かうことだけが正解ではありません。
ばしゃうま亭 残務さんのように、これまでの経験にとらわれずに自分の興味関心に目を向けてみれば、はたらく原動力となる気持ちが見つかる可能性があります。そこに新しい突破口があるかもしれません。
今までとは全然違う道で「これまでの経験が無駄になってしまうかも」「自分じゃ通用しないかも」と不安になることもあるでしょう。
でも、どんな遠回りも無駄にはならず、あらゆる経験が自分らしい強みになるはず。
そう思えば、新しい道へと進む一歩目が踏み出せるのではないでしょうか。
ばしゃうま亭 残務(広告プランナー) ショートショート(掌編小説)中心、生後約400ヶ月、しがない広告プランナー。『パーソル×note 私らしいはたらき方コンテスト』パーソル賞、『カクカタチ#2000字のドラマ』入賞。 |
パーソルグループ×note 「#私らしいはたらき方」投稿コンテスト
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