30歳で4度転職。田舎娘がサウンドクリエイターを目指した後、思わぬ天職に辿り着いた話。

2024年10月30日

スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、夢を打ち砕かれた経験を経て、思わぬ天職を見出した女性をご紹介します。

ゲーム業界への憧れから始まった髙橋怜奈さんのキャリアは、予想外の展開を経て、現在のキャリアアドバイザーとしての活躍へとつながっていきます。彼女が挫折を乗り越え、自分らしい生き方を見出していく過程をご紹介します。

※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~」から抜粋したものです。

田舎で「浮いた家族」が育んでくれた、型にはまらない価値観

福島県いわき市の山奥。田んぼに囲まれたのどかな場所。

髙橋怜奈さんの故郷は、“翌日には町中に噂が広まってしまうような”町だったといいます。そんな中、髙橋さんは周囲とは一線を画す“浮いた家族”の長女として育ちました。

東京の大学を卒業して田舎に戻ってきた父、証券会社出身の美人な母、新しい電化製品が大好きな祖父、海外旅行とフラダンスが趣味の祖母。個性的な家族を持つ髙橋さんは、町でも目立つ存在だったそうです。

ただ、町では浮いているけれど、家族はそんなことを誰も気にしていません。ひとりひとりが自我を持ち人生を楽しんでいました。
そんな中で育ったので、自分の生き方と他人の生き方が違うことは当たり前で、むしろなぜマイノリティが目立たなければならないのか不思議でした。

田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~より

この環境が、後の髙橋さんのキャリア選択に影響を与えることになります。

ゲーム好きを仕事に!中学2年生からの夢を追いかけて東京へ

小学生のころ、髙橋さんはゲーム音楽にハマります。ゲーム好きの家族と電子ピアノの存在が、彼女の音楽の世界を広げるきっかけとなりました。

そして中学2年生の夏、髙橋さんは突然将来の夢を閃きます。

「自分の好きなゲーム会社の、サウンドクリエイターになろう」と。

ゲーム会社に行くなら東京に行こう。
会社に入るなら大学を出よう。
大学に行くなら進学校に行こう。

田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~より

この瞬間に、自分の歩む道が鮮明になり、未来に希望が持てたという髙橋さん。個性を重視する家族の価値観も、彼女の決断を後押ししたのかもしれません。さらに高校2年生のとき、先生から進学を勧められた大学の卒業生の就職先の中に、憧れのゲーム会社の名前を見つけます。

「もうここしか行くところはない。」

そう確信した髙橋さんは、迷いなく進学を決意し、無事合格。東京での生活が始まりました。

個性豊かな同級生たちと過ごす大学生活は、髙橋さんにとって刺激的なものだったそうです。しかし、同時に大きな挫折も経験します。周囲のスキルの高さや音楽知識の豊富さに圧倒され、自分の音楽に対する考えの甘さを痛感したのです。

挫折感を味わいながらも、髙橋さんは自分なりの道を模索します。大学卒業後はOBが立ち上げたボーカルスクールではたらき、その後は塾の講師として勤務。

そこで彼女は、自分の適性に気付いたのです。

生徒の将来を考えた志望校選択をすることや、思春期で迷いも多い生徒の支えになれることに、とてもやりがいを感じました。
それを、親御さんや講師の先生たちと一緒に考えていく。自分の得意なコミュニケーションを使って、誰かの役に立てている実感がありました。

田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~より

「これが”天職”」。

彼女はそう強く感じました。ところが、天職だと感じていた仕事に対しても次第に疑問が生まれ始めます。

何度も訪れる“モヤモヤ”の先で見つけた本当のやりがい

「関わるすべての人をハッピーにすることは無理なのかもしれない」。組織の中ではたらくことに疲れを感じた髙橋さんは、人と関わる仕事から完全に離れ、経理のアシスタントとしてはたらくことを決断します。

しかし、そこでも戸惑いは消えません。すると、元同僚からの思いがけない誘いが。それは、ゲーム業界に特化した人材紹介会社ではたらかないか、というものでした。

まさか、こんな風に巡り巡ってゲームの仕事ができるとは思いませんでした。

田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~より

髙橋さんの目に、かつての情熱が蘇ります。これこそが自分の歩むべき道なのではないか。
そんな予感が胸に広がったのです。

髙橋さんにとって、人材紹介業界での仕事は初めての経験でした。1年目は成果を上げられず、「ダメな奴」のレッテルを貼られたこともあります。しかし、彼女を支える環境が、状況を変えていきました。

優れた先輩や上司の指導、そして何より、かつて自身が憧れたゲームクリエイターに顧客として向き合う日々が成長へとつながり、入社4年目には年間MVPを獲得するまでになったのです。

成果を上げるにつれ、髙橋さんの視野は広がります。単なる仲介役ではなく、業界全体の発展に貢献したいという想いが芽生えたのです。

部内改革の必要性を感じながらも、避けられない利益の追求。純粋な気持ちで頑張っているクリエイターを全力でサポートしたいのに、会社の方針や制約に縛られ、理想とする支援ができないもどかしさ。髙橋さんの心は、理想と現実の狭間で揺れ動いていました。

そんな中、現在の仕事との運命的な出会いが訪れます。転職についてモヤモヤと悩んでいたとき、髙橋さんが問い合わせた先。キャリアアドバイザーという仕事です。

個人の力を最大限に発揮し、本当の意味でお客さまをサポートできる。そんな環境ではたらくことへの期待が彼女の心を躍らせました。

髙橋さんは、そんなこれまでの自身の歩みを振り返りながら、今の想いをこう語ります。

私は、私のできる範囲で、人生の動き方で困っている人たちを、一人でも多く支援していきたいと思っています。
私は本気でサウンドクリエイターになりたいと思っていました。そのおかげで、上京できました。
その後夢は叶いませんでしたが、結果として現在自分の能力が活かせるキャリアアドバイザーとして仕事ができ、とても幸せです。

田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~より

髙橋さんの歩みは、夢への挫折を経験しながらも、自分の想いに正直に、つねに新たな可能性を求めてもがきつづけることの大切さを教えてくれます。一見遠回りに見える人生の道のりも、実は自分らしい天職に出会うための、かけがえのない経験になるのかもしれません。

「人生何があるかわからない。そして私は、これまでの人生で思いがけないタイミングで多くの人に助けられてきた。だからこそ、今度は私が誰かの力になれたら。」そんな思いで、髙橋さんは今、キャリアの岐路に立つ一人ひとりと向き合っています。

<ご紹介した記事>
田舎娘がクリエイターを目指した末、キャリアアドバイザーになるまで。~ミライフれなの自己紹介~

【プロフィール】
髙橋怜奈
歌とゲームが大好きなキャリアアドバイザーです。ミライフ←シリコンスタジオで業界6年目。以前はやる気スイッチを押すなどしていました。福島県出身、日芸音楽学科情報音楽コース卒。合唱団所属中。表現と創造を大切にしております。

(文:間宮まさかず)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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