通行人から警察官まで。26年間端役を演じたエキストラ俳優が仕事を続ける理由

2023年4月21日

通行人や警察官、マスコミのカメラマンから工事現場の作業員――テレビドラマや映画において、主要な登場人物を引き立てながら、場に対し違和感のない演技が求められるエキストラの仕事。永田秀敏さんは1997年から26年間、エキストラ俳優としてさまざまな撮影現場に立ち会ってきた「エキストラのプロフェッショナル」です。永田さんはなぜエキストラ俳優としての道を歩み始めたのでしょうか。現在に至るまでのキャリアエピソードを取材しました。

アクションスターになりたかった少年時代

永田さんが演技に興味を持ち始めたきっかけは、子どものころに観たテレビ番組や映画。アクション映画が好きな少年だった永田さんにとって、憧れの存在は香港のアクションスターであるジャッキー・チェンでした。

子どものころから『アクション俳優になりたい』という夢を抱き、1997年に地方から上京。当時23歳だった永田さんは、東京でスタントマン専門の事務所に所属します。しかし、現実は思い通りにいきませんでした。

「自分の未熟さもあったのでしょうね。ちょっとしたアクションならなんとかなったのですが、結局のところはうまくいきませんでした。スタントマンになる夢は諦め、事務所は1年足らずで辞めてしまったんです」

その後、劇団のオーディションもいくつか受けたものの、鳴かず飛ばずだった永田さん。職を探している最中に、偶然アルバイト雑誌でエキストラ募集の求人を見かけます。

「セリフを覚えたり、人前で声を出したりすることが得意ではありませんでした。何よりレッスンに通うことも苦手だったんです。でもテレビに出る夢は捨てたくない。『エキストラなら、自分でもできるのでは』と思いました。そこで求人雑誌を頼りに、エキストラの事務所へ応募したんです」

永田さんがエキストラとして最初にデビューした時に与えられた役は「ライブ会場のお客さん」。コンサートホールでミュージシャンに対し声援を送る一瞬の姿を、カメラが捉えました。

「事務所にプロフィールを登録してから1〜2カ月ほど経ったころだと思います。依頼がきて、初めてカメラの前に立ちました。セリフらしいセリフもありませんし、別にぼく自身にはスポットライトも当たりません。でも『楽しいな』と感じたんですよね。

99年くらいまではアルバイトと両立する都合上、月に1〜2回程度の稼働だったんです。でも、次第にエキストラ業に費やす時間が増えていきました」

通行人から警察官、町人まで――身についた「エキストラの立ち回り」

アルバイトと掛け持ちをしながらも、2000年に差し掛かるころには月に10本〜20本のドラマや映画に出演するようになったという永田さん。どのように現場の本数を増やしていったのでしょうか。

「ぼくから『○日に空いているのですが、現場はありますか?』と積極的に事務所へ電話をかけることが多かったです。事務所を介し、時間があればとにかく現場に入るようにしていました。そのうち『この現場に入ってもらえませんか?』と事務所から個別でオファーを受けることも増えました」

さまざまな現場を経験するなかでも特に印象に残っているのは、今も根強いファンの多い、あのテレビドラマの収録でした。

「1998年に放送されたドラマ『GTO』では、いろんな役回りを担当しました。ラーメン屋のお客さんから、最終回で主人公たちが学校に立てこもるシーンに登場する警察官まで。ほかにもいくつかの役を担当しています。同じドラマの中で、たくさんのキャラクターを演じられたのが面白かったです」

『GTO』に限らず、工事現場の作業員から機動隊、通行人など、実に多くの役を経験してきた永田さん。城下町の町人として時代劇に出ることもあれば、警察庁の鑑識係として現場検証のシーンに立ち合うこともありました。

機動隊は人員輸送車からどう降りるか。鑑識はどうやって手を動かすのか。ボクシングの試合後に選手を囲むマスコミは、どのようにマイクを握っているか――。永田さんは多くの現場を通し、細かな「エキストラとしての立ち回り」を覚えるようになった、と振り返ります。

「応募の際に『今回は警官役を募集します』と配役が分かっていることが多いです。ただ、当日にスタッフさんから現場で『君、今回は警官をやって』と急に役を振られることも多々あります。

鑑識や警察官の役を初めて担当した時は、どう動けば良いかが分からず戸惑いました。でも本番前の演技指導を通し、だんだんと知識がついていきましたね。今ではその場で配役が決まった時に『どう動けば良いか』がなんとなく分かるようになりました。

ちなみに、ぼくが得意なのは工事現場の作業員や配達員の役です。というのも、アルバイトや派遣でそういった仕事を経験しているんですよね。ネコ車(砂利などを運ぶ手押し車)の持ち方や、重いダンボールの運搬方法など、知識が有利に作用する瞬間はあります。何より素の自分で演じられるので、気が楽なんです」

目立ちすぎない範囲で演技に工夫を凝らす

画面にほんの一瞬しか映らないエキストラの仕事。とはいえ、少しでも変な動きをしてしまうと、メインキャラクターの動きを邪魔してしまいます。

永田さん曰く、一番難しいのは「ただ歩くだけ」「ただ立っているだけ」といったシンプルな動き。エキストラを始めた直後は、「もう少し小走りにして」「もっと大げさにやって」とスタッフさんからの指導が入ることも多々ありました。

「役者さんの近くを通行する時、スタッフさんの『こっちに向かって歩いてきて』という指示を間違え、ワンテンポ早く動いてしまったり(笑)。経験を積んでいく中で、細かなミスは減っていきました」

芸歴25年となった今では、シンプルな動きの中にも永田さんらしい工夫をこらせるようにもなりました。変化のきっかけは「役者よりも目立ちすぎない範囲内で、画面に変化を生み出すことを意識するようになった時」だった、と永田さんは語ります。

「以前は通行人役を担当する際、特に何かを意識することなく適当に歩いていたんです。でもあるときエキストラ関係の知人から『通行人はまっすぐ前を見て、普通に歩いてはダメ』というアドバイスをもらったんですよね。

確かに街中でも、全員がまっすぐ前を向いて歩いているわけではありません。だから建物を見ながら進んだり、ちょっとだけ横道に逸れながら歩いたり……と、少しほかの人とは違うアクションをするようになりました。

もちろんやりすぎは良くないです。3年ほど前、通行人の役をする時に『自由にやってよい』と言われたので走ってみたら『さすがに走っちゃダメ!』と怒られたことがありました(笑)」

ほかのエキストラ俳優の演技から学ぶこともあるという永田さん。何気なくテレビドラマを観ている時、主役ではなくエキストラの演技に目がいくことも。

「基本的に『エキストラの研究をしよう』という視点からテレビを観ることはありません。でも、ストーリーとは関係ないところにいるエキストラの所作を、ついチェックしてしまうことがあります。

たとえばぼくたちエキストラがレストランのお客さん役を演じるとき、基本的には口パクなんです。役者さんが会話している後ろの席にいるエキストラさんたちがどのように『楽しく会話している感』を表現しているか、演技を参考にすることは多いかもしれません」

セリフも言えず、アクションができなくてもテレビに立てる

1997年のデビューから今年2023年でエキストラ歴26年目となる永田さん。実は、一度だけエキストラ業から離れてしまったこともありました。

「2000年代にアルバイトが忙しくなり、心身ともに疲れてしまったんですよね。『生活が楽になるなら』と、ドラマや映画の舞台とも無縁の生活を送っていた時期がありました。

でも何気なくテレビドラマを観ていて、ふと『通行人でも良いからもう一回やりたいな』と思ってしまったんです。現場から離れてしまったことに、どこか寂しさを感じたというか。そして現場に戻ってみると、やっぱり楽しいんです。

自分の出番が終わった瞬間にこそ、かけがえのない達成感があります。何より『テレビに出たい』という気持ちは未だに強くて。辞めたいと思うことも、今ではなくなりました」

その一方、現在はピーク時に比べて出演数も減少していると語ります。

「時代とともにネット上でエキストラが募集しやすくなり、応募人数も増えているようです。エキストラを扱う事務所の数も増え、倍率が上がったように思います。

それに、報酬が少ないんですよね。エキストラの出演料の相場は、拘束時間が6時間程度の現場一本につき3,700円程度。日給6,000円の現場もあります。正直、エキストラ業だけでは生活できません。

だから、今でも派遣の土木作業員の仕事と掛け持ちはしています。エキストラの仕事は事務所から依頼を受け、スケジュールが合えば受ける程度。生活がかかっているからこそ、一時期に比べると現場に立つ機会も少なくなりました」

では、現場に費やせる時間が減りつつある中でも、永田さんがエキストラ俳優を続けるモチベーションとは?

「この生活に慣れてしまったから続けている、という部分もありますが……やっぱり先ほども言った通り、テレビに出るのが好きなんでしょうね。

エキストラ俳優の魅力は、いろんな作品に出演できること。テレビドラマの主役になってしまうとその時期はほかのドラマに出演できませんが、エキストラ俳優なら関係なく、局を横断してさまざまなキャラクターになれます。

そして、エキストラ俳優という仕事は、セリフを言うのが苦手で、スタントマンも体力的に厳しい自分が、テレビの舞台に立てる唯一の手段だと思っています。

これからは今まで挑戦しなかった役にもなってみたいな、と思います。医者などはやったことがないかもしれません。あとは、いずれジャッキー・チェンと同じ現場にも立ってみたいですね」

(文:高木 望 写真:鈴木 渉)

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ライター高木 望
1992年、群馬県出身。広告代理店勤務を経て、2018年よりフリーライターとしての活動を開始。音楽や映画、経済、科学など幅広いテーマにおけるインタビュー企画に携わる。主な執筆媒体は雑誌『BRUTUS』『ケトル』、Webメディア『タイムアウト東京』『Qetic』『DIGLE』など。岩壁音楽祭主催メンバー。
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