【本人取材】アンゴラ村長。早稲田の新卒からお笑い芸人で大ブレイクも葛藤した20代

2024年6月21日

お笑いコンビ「にゃんこスター」アンゴラ村長のデジタル写真集『151センチ、48キロ』が異例の売り上げで注目を集めています。アンゴラ村長のありのままの標準体型を収めた写真集は、ほかの写真集とは違った魅力があります。


アンゴラ村長は早稲田大学を卒業後、芸人と会社員のパラレルキャリアをスタート。『キングオブコント2017』で準優勝し、縄跳びネタで一世を風靡して会社を休職した期間もありましたが、その時からずっと籍を置いたままにしてくれて、今は必要なときに稼働する持ちつ持たれつな関係で働いているそうです。

結成してから7年を迎えた2024年に写真集制作と初の単独ライブに挑戦したアンゴラ村長に、芸人と会社員のパラレルキャリア、結成わずか半年で売れたからこその苦労、大ヒット写真集制作の裏側などを伺い、どのように今の場所までたどり着いたかを教えてもらいました。

気付けば芸人に。早稲田大学を卒業し、副業可の会社へ就職

―芸人を目指したきっかけは?

早稲田大学のお笑いサークルに入り活動をしていたのですが、大学1年生のときワタナベエンターテインメント主催の大学生向けお笑い大会で決勝まで進出しました。その時の副賞でワタナベエンターテイメントの養成所に格安で入学できたので「知らない世界に飛び込むには安すぎる!」と入学しました。実際に通ってみるとお笑いに人生を賭けている人がたくさんいて「本気でやらなきゃ!」って感化されて、大学3年生で事務所に所属することができました。

―大学に通いながら養成所にも通っていたんですね。

週末の養成所に向けて毎週1本新ネタを作らなきゃいけなかったので、大学と両立するのは大変でした。当時は漫才をしていたのですが、大学を卒業する前に解散することになってしまって。

―それから就活をしたんでしょうか?

大学を卒業しても芸人を続けようと思っていたので、副業できる会社を探しました。ただ、当時は今ほど副業OKの会社がなくて苦労しましたね。私、嘘をつけない性格なんですよ。最終面接で「学生時代に頑張ったことはなんですか?」「お笑いです!大会で賞も取りました」「だったら芸人になりたいんじゃないですか?」「はい、芸人になります!副業で続けたいです!」と正直に答えたらお祈りメールが届いて。友人たちがどんどん内定を取るなか、私だけ苦戦していました。

―だったら会社員一本にしようとは思いませんでしたか?

思わなかったです。アルバイトが苦手で、一般企業ではたらいてもうまくいかないだろうなって思っていたんですよ。大学時代に個人経営のカフェでアルバイトしていたんですけど、お笑いイベントで遅刻してしまった時に「これからも遅刻する?」と聞かれて、絶対にしないってことはないなと思って「はい、します!」って答えてクビになっちゃって。
芸人はそういう不器用さや変な方向でもそのまっすぐさを受け入れてくれるので助かっています。芸人をやりながら副業で会社員が出来たら、母数も少ないし新しくていいなと思っていたんです。

―それでどんな会社に入ったんですか?

「どヘンタイ募集」と謳っていたベンチャー企業です。「どヘンタイ募集」と言っているくらいだから副業はOKだろうと思って「芸人をしながらはたらきたいです」と言ったら「いいね!」と認めてくれて、ようやく内定をもらえました。
それからずっとフレックスの時給制ではたいています。入社してから半年間は週5日1日8時間ではたらいていましたが、ブレイクして忙しくなってからは2~3年休職させてもらいました。今は月数回の勤務で、SNS運用をしたり「これからキッズ」というお子さん向けのプログラミング教室に関わったりしています。

ブレイクしたものの、技術不足を実感する日々。救ってくれたアイドルの言葉

―入社直後にスーパー3助さんとコンビ結成し、わずか半年で『キングオブコント2017』で準優勝し、生活が一気に変わったのでは?

本当に、異世界転生みたいでした。昨日と同じ世界を生きているはずなのに、街を歩いているだけで指を指されるようになって、まったく違う世界に来た感覚で。
すぐに売れたのはありがたかったですけど、手放しでは喜べなかったですね。ほかのネタのストックがないし、まだ技術もないから、終わりが見えている気がしました。経験も知識もないと、何が良くてウケているのか分からないんですよ。スーパー3助さんの大声がいいのか、歌に合わせて踊るのがいいのか、縄跳びがいいのか分からないまま、自分たちが消費されていく状態でした。実力のなさは実感しつつも、どう頑張ったらいいのか分からない状態でした。

―ブレイクの波が落ち着いてからも、芸人を続けられた理由は?

落ち込んでいた時に、元乃木坂46の堀未央奈さんの言葉を目にしたんです。堀未央奈さんは2期生でいきなりセンターに抜擢されたんですけど、そのあとアンダーという表題曲を歌わないメンバーにもなりました。でも、ブログで「ここが自分の本当のスタートだと思っています。成長させていただける機会をいただきました」と書いていて、勇気をもらいました。「私も今は努力する時間なんだ」と思って、たくさんネタを書きましたね。

―芸能活動の取り組み方に変化はありましたか?

向いてない仕事は「出来ません」とちゃんと断れるようになりました。ブレイクした時は右も左もわからない23歳で、仕事をいただけるだけでありがたいと思って受けて、その結果、言いたくないプライベートな話も答えて自業自得ながら勝手に傷付くこともありました。
自分の心に従って仕事に向き合えるようになったのは、週に1回文章を投稿するアプリで文字を書いてきたおかげでもあります。文章を書いていると、自分の気持ちが整理されるんですよね。だから「自分がどうなりたいか」から逆算して仕事に向き合うようにしています。

アイドルじゃない普通の芸人だから『151センチ、48キロ』の写真集に

―芸人でありながらアイドル的な写真集を出すことについて、どう思いましたか?

講談社さんから写真集の企画を提案されて、素直に「おもしろそう!」と思いました。これまでも雑誌取材で綺麗に撮影してもらえるのはうれしかったですが、写真集のタイトル『151センチ、48キロ』のとおり「標準体型のナチュラルな私を見せる写真集なら、自分なりの良さが出せそう」と思えたのも大きかったですね。
芸人としてはネタができれば問題ないので、無理やりかわいい自分をつくり上げるのは変だけど、自然体の自分を見せる分にはいいと思っています。だから撮影直前までビールを飲んでいました(笑)

―撮影前のダイエットはしなかったんですね。

写真集はお金を払っていただくことなので「綺麗にならなくては!」と思い姿勢を良くするためピラティスや整体など行きました。ただ、お話が来た時点で平均的な体重だったので、ここから痩せてアイドルの方と同じ体重になる必要があるのかなと思って。私にはアイドルのような偶像的な美しさを求められていない気がしたので、自分らしく撮ることに決めました。

―写真集の制作でこだわったことは?

写真選びを慎重にやったことです。自分があまり盛れてないなと思った写真は結構な枚数でもお願いして取り下げていただいたり、信頼している人にも写真をチェックしてもらったりしました。

―異例の売れ行きになり、どう思いましたか?

印税が楽しみで、欲しいものをお気に入り登録しています(笑)写真集を買うのはほとんど男性かと思っていたんですが、標準体型に共感してくれた女性も買ってくれて「私と一緒だ!」「痩せなくてもかわいくなれるんだ」といったコメントをもらえてうれしかったです。男性の方も「ナチュラルさがいい」と言ってくれて、このままの私を認めてもらえた気がしました。私の良さをみなさんに教えてもらった素敵な機会になりました。
私も「もっと二重幅があったら目が大きく見えるのに」とか「頬骨が引っ込めば小顔に見えるのに」とか容姿に対するコンプレックスがあったんですが「このままでいいんだ、好きなものを食べてもいいんだ」って思えましたね。

初の単独ライブが、大ブレイクよりも自信になった

―写真集発売直後に初単独ライブも開催しましたね。やろうと思ったきっかけは?

にゃんこスターって私とスーパー3助さんの破局報道が大きすぎて、そのまま解散したと思っている人もいるんですよ。結成してからの7年間ずっと新ネタをやってきたけど知らない人もいると思うので、ここらへんで単独ライブをやって「今のにゃんこスター」を知ってもらいたいと思ったんです。ライブのチケットが写真集より売れないってニュースになりましたけど、ちゃんと250席売れて安心しました。

―単独ライブを終えて、心境の変化はありましたか。

やってみて「私って自己肯定感が低すぎたのかも」って思ったんですよね。7年前、いきなり縄跳びネタでテレビに出て「こんなの芸人じゃない」って叩かれたので、当時は街ですれ違う人を「この人もツイッターで私の悪口を言っているんじゃないか」って疑っちゃって、人の目が見ることができないくらい心がどんよりしていたんですよ。単独ライブをやると決めてからも「7年前に売れた芸人の単独ライブを見たいと思う人はいるのかな?今のにゃんこスターを応援しているなんてカッコ悪いって思われるんじゃないかな?」と不安でした。

でも、単独ライブで舞台に出たら信じられないくらいワッと歓声が上がって、2時間ずっと会場全体が盛り上がっていて、にゃんこスターってこんなに愛されていたんだなって思って。ワイヤーアクションで6メートルの高さから会場を見渡した時に、お客さんが少ないライブでも気にせず来てくれたファンの方、テレビから知ってファンになってくれた方、ツーマンライブから知ってくれたファンの方、これまでの7年間で少しずつ積み上げてきたお客さんが今ここにいて、にゃんこスターを応援してくれているんだと実感しました。30歳にして自己肯定感が上がった気がします。

―前向きな気持ちになったんですね。

一方で「やっぱり自己肯定感が低いんだな」と改めて再確認した部分もあるんですよ。単独ライブが成功しても「もっとこうしたらよかったな」という負の感情が大きかったことにビックリしました。
昔は、今より自分に自信がなかったので決断力も弱かったと思います。それでも7年前に世に出させていただいてから、エッセイで自分の言葉を綴ったり、出来ない仕事はちゃんと断るという向き合い方をしたり、単独ライブをやるって決めて実行したり、1つ1つ積み重ねてきました。そして、分かりやすくて大きな成果よりも「自分の意志でやったこと」の小さな累計の方が自信になると気付きました。まだ何も成していない私が言うのも憚られるのですが、大きくて無謀に見えることでも、出来るサイズに小さく分解してやってみて自信をつけることが大事なのかもしれません。

―今後はどんな活動をしたいですか?

縄跳びのネタに感謝しつつも、新しいネタもたくさん届けたいです。理想は東京03さんみたいに全国の大きなキャパの会館でただただ楽しいネタの興行をして食べていけたら最高です。でも80歳になって縄跳びを飛んでいるのもおもしろいと思うので、縄跳びのネタも大切にしつつ、新しいネタと共に未来に進んでいきたいです。

(文:秋カヲリ、写真:永田太郎)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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