アクションシーンの裏に、スタントマンあり。恐怖に打ち勝つ秘訣とは
映画やドラマを盛り上げる、アクションシーン。誰しも、迫力のあるカーチェイスや爆破シーンに心を躍らせた経験があるのではないでしょうか。
そのような撮影の危険なシーンの撮影では、俳優ではなく「スタントマン」が演じることがほとんど。でも、スタントマンとはどんな仕事なのか、なかなか知られていません。 そこで、スタントマン歴32年、『仮面ライダー』や『西部警察SPECIAL』、『SP 野望編』など有名作品でのスタントも担当し、現在も活躍されている河村章夫さんに、現場での様子やスタントマンの現状について聞きました。
――どんなお仕事をされているのですか?
スタントマンにもいろいろと種類があるのですが、私は、車両、つまり自動車やバイクの撮影に関するお仕事であればほぼ何でもこなす「カースタント」という仕事をしています。
映画やドラマはもちろん、自動車メーカーのCMや、交通安全教育ビデオなどの運転動画といった仕事もあります。講習時の映像で、もしかしたら私を目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)。
――ドラマや映画だと、どんなシーンでスタントを?
本当にいろいろですよ。自動車のカーチェイスや事故シーン、ときにはバイクでガードレールに突っ込んだり……。バイクから吹き飛ばされるシーンなどは、ワイヤーやロープで吊って撮影することもあります。
路面状況や傾斜、スピードなど、その時々で条件がまったく違います。どんな状況でも、迫力あるシーンを安全に撮影することがスタントマンの使命です。
――カースタントといえば、特に激しい衝突シーンの印象が強いです。
そうですね。でも、車両を何かに衝突させる仕事よりも、ギリギリで急停車させるシーンを撮ることの方が割合としては多いです。
個人的には、「ぶつけてください」という仕事の方が、気持ちは楽です。急停車シーンの場合は、それに使う車や周辺機材が高価なことも多く「壊したらどうしよう」とドキドキするので……。2000万円以上するベンツで急停車シーンを撮るときなんて、もはや恐怖でした(笑)。
また、付け加えると、スタントマンが関わるのは、放映されるシーンだけではありません。
たとえば、自動車が猛スピードで走るシーンの撮影であれば、出演者車両に並走して撮影する「カメラカー」が必要です。その運転も、実はスタントマンが行っているんですよ。
――まさに「裏方さん」ですね……! ところで、撮影ではたくさん怪我もされてきたのでは?
青あざや擦り傷はありますけれど、僕はそれ以上の怪我をしたことはないですね。
撮影で骨折をしたことも、一度もありません。
――体を張るお仕事なのに、なんだか意外です。
誤解されがちなのですが、スタントマンは「ケガをしてもいいように」ではなく、「ケガをしないために」呼ばれています。安全な撮影を行うためには、それに応じた経験やノウハウが必要です。だからこそ、安全に運転したり、転んだりできるスタントマンが必要とされているのです。
――河村さんご自身は、フリーランスとしてスタントマンの活動をされているのですか?
はい。会社に社員として所属した経験はありません。業界的には、それほど珍しくはないはたらき方だと思います。
映画の撮影であれば、「このシーンで〇人必要」というニーズがスタントマンを手配する会社に降りてきて、そこからスタントマンに声がけがされていくというようなシステムになっています。
『仮面ライダー』に憧れた少年が夢を叶えた
――ところで、河村さんはなぜこの仕事を志したのでしょうか。
小さいころに『仮面ライダー』を観て、バイクを好きになったのが最初のきっかけです。
その後、小学生のときに観ていた『西部警察』でアクション撮影にハマっていきました。スタントマンという職業に目標を絞ったのは中学生のときで、映画『マッドマックス』のメイキング映像にスタントマンの活躍が映し出されていて、これは格好いいな、と。
――分かりやすいきっかけですね。その後は、養成所のような所に入られたのですか?
当時、カースタントマンの世界には、そのような教育機関がなかったんですよ。僕の場合、16歳のときに親に隠れてこっそりバイクの免許を取ったり、モトクロスというオートバイ競技にチャレンジしたりして、運転技術を身に付けました。
モトクロスをやっていると嫌でも転倒するので、安全な転び方も自然と習得できます。さらに、僕は中学生のとき柔道部に所属していたので、受け身の体得を通じて、転倒時の身のこなし方も覚えていきました。
――その後、スタントマンの世界にどうやって入ったのでしょうか?
自分でいろいろと調べて、プロのスタントマンに電話で弟子入りのアプローチをしました。でも、当時はスタントマンになりたい人も多く、そのような売り込みも多かったようで、最初は聞く耳を持ってもらえませんでしたね。また、映画やドラマの撮影は関東圏で行われることが多く、僕は当時神戸に住んでいたので、現場に行けませんでした。
そこで、20歳のときに、思い切って上京しちゃいました。再度そのスタントマンの方に「東京に出てきました」と言ったら驚かれ、「じゃあ一度現場来てみる?」ということで、この世界に足を踏み入れました。
――最初のお仕事は。
はじめての現場は、石原プロの『ゴリラ 警視庁捜査第8班』という作品でした。最初は弁当運びなどの雑用仕事でしたが、憧れの現場に居られるだけでもうれしかったのを覚えています。
そしてあるとき、ある刑事モノのドラマで埠頭で何台かの車が刑事を襲うシーンがあって、そのうちの一台をやらせていただきました。それがスタントマンとしての初仕事です。
――これまでのお仕事で印象に残っているものは?
やっぱり、憧れの『仮面ライダー』になれたことですね。自分から売り込んだわけではなく、偶然お仕事をいただいたんです。
――『仮面ライダー』になる夢を叶える人って、本当にいるんですね……!
いやあ、うれしかったですよ。でも、それと同時にすごく難しい仕事でもありました。
というのも、ライダーの面を被ると、視野が狭くなるせいで、どうしても運転のパフォーマンスが落ちます。100%の力で運転や演技をすると、うまくコントロールできず事故にも繋がりかねないので、うまく力を抜いたりと、そういう技も先輩から一つ一つ学びました。
――スタントマンの仕事って、危険なシーンが多いですよね。ぶっちゃけ、怖くないのですか?
びびったこともありますよ、もちろん。
ガードレールに正面から激突するシーンなんかは、最初のころは恐くて、思いっきり衝突しなきゃいけないのに、かするくらいで停車させてしまったこともありました。
――恐怖に打ち勝つために、何か意識していることはありますか?
「真剣に考えないこと」が大事ですね。
いろいろなスタントマンの先輩を見ていて、そう感じます。
――真剣に考えない?
前日から撮影シーンのことを考えていると、メンタルが持たないこともあります。もちろん事前準備は万全にしますが、撮影の直前まで、仲間うちで冗談を言い合っているという光景も珍しくないですよ。
撮影環境は、現場に行ってみないと分からないことがたくさんあります。前々から過度に考えすぎず、「自分が今できることに集中する」というのが、自分の精神を保つ秘訣のような気がします。
時代とともに変わること、変わらないこと
――ほかに、印象に残っている撮影はありますか?
ジョン・ウーさんが監督の『マンハント』という中国映画は印象的でした。広い牧草地のような土地にガラス張りの別荘を建てて、バイク5台くらいで、マシンガンでガラスを破りながら家の中に突入するというシーンです。
日本映画だとこのようなシーンの撮影は1回きりで終わらせることが多いのですが、その映画は一日5回くらい撮影して、そのたびに巨大なガラスを張り替えるんです。次の日も撮影は続き、火薬が足りなくなって“追い火薬”の調達をしたくらいでした。
ただ、このような撮影は日本ではコストの問題でなかなかできないですし、現代はCGの活用も進んでいます。
――危険なシーンの撮影も、だんだん減っているのですか?
そうですね。スタジオで撮影して、背景は後からCGで編集するというケースも増えています。
それもそのはずで、たとえば立体駐車場から車を落とすシーンなどを実際に撮影する場合、制作スタッフが「車を屋上から落としたいのですが……」って電話して撮影場所を探すところから始まるんです。場所探しも大変ですし、現代では特に安全性への配慮が厳しくなっているようで、なかなか難しいように感じます。
――CGが活用されると、河村さんのように、スタントマンに憧れる人が減るのではないでしょうか。
若手のスタントマンは減っていますね。でも、彼らは食うか食われるかの気持ちでこの世界に入ってきているので、その分やる気に満ち溢れていると感じますし、僕も見習わなければいけないことがたくさんあります。
また、年齢を重ねていくと、動体視力なども含め、身体機能の面では若い人に叶いません。それ以外のところで、価値を発揮していかねばと感じます。
――具体的には?
年を重ねるごとに知識も経験も増え、テクニックで身体面をカバーできることもあります。
たとえば、バイクを走らせるシーン一つとっても、カメラの前でギアを上げて「ブーン!」という音を出すようにしたり、急停車のシーンであれば、迫力ある止まり方をしてあげたり。
――期待されている以上のパフォーマンスを出すことで、信頼を勝ち得ているのですね。
監督さんに指示されていること以上のことをやって見せると、とても喜んでくれますし、一発OKも出してくれます(笑)。もちろん安全に配慮しながら、そしてスタッフとの信頼関係の中で、自分が最大限できることをやっていくことを心がけています。
また、「こういうふうに撮影したらどうですか?」と私からコミュニケーションをとることもあります。
時代も変わりますし、私自身も年齢を重ねていきますが、自分の提案が受け入れられたときの喜びというのは、いつの時代も変わらないなと感じますね。
(文・インタビュー:石山貴一 撮影:金恩玉)
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