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振付師akaneさんに聞いた、好きなことを仕事にしたい人が“ただ1つ”やめてはいけないこと
2017年9月、YouTubeに公開され、国内外で大きな話題となった「バブリーダンス」。荻野目洋子さんのヒット曲『ダンシングヒーロー』に合わせて踊る大阪府立登美丘高校ダンス部メンバーのダンスはもちろん、昭和レトロな世界観の映像演出、衣装は圧巻。公開から4年が経とうとしている今でも再生回数は伸び続け、今や1億回に迫る勢いとなっています(2021年4月時点)。
そんな「バブリーダンス 」を生み出したのが、登美丘高校ダンス部のOGでもあり、ダンスカンパニー「アカネキカク」を主宰する振付師のakaneさん。
独創的な作品をつくり、指導者としてチームを成功に導くことに徹する。そんな美学を貫き通してきた彼女の言葉には、キャリアを考えるうえで学ぶべきヒントが溢れています。
高校ダンス部のコーチからスタートし、振付師として世界に名を知らしめたakaneさんの若手時代に迫ります。
3歳からスタートした振付師人生。踊ることが大好きだった幼少期の記憶
「小さいころからダンスが好きで、ひたすらそれを続けてきただけ。『キャリアプラン』なんてなくて、好きなことを続けた結果、幸運にも仕事にすることができただけなんです」
akaneさんは振付師として歩んできた道のりをそう振り返ります。
「モーニング娘。」に憧れて、小学校ではパラパラを友人と踊るような普通の子ども。漠然と踊りを仕事にしたいとは思っていたものの、アイドルのように華やかなステージに立つ姿ではなくダンス教室の先生になることを夢見ていたといいます。それは幼少期より通っていたジャズダンスのスタジの先生に憧れてのことでした。
akaneさんがダンススタジオに通い始めたのは3歳のとき。保育園のお遊戯の時間に楽しそうに踊る姿を見て、お母さんがダンススタジオに連れていったのだそうです。そして、幼少期よりダンスを学びはじめたakaneさんが初めて「振り付け」をすることになったのも、ほぼ同時期のことでした。
「保育園の演劇で、ダンスパートの振り付けを保育士さんらとともに担当することになったんです。自分で考えたダンスなので、本当は自分でも踊りたかったんですけど、私自身はほかの役をすることになってしまったんです。そのときからステージに立つ側ではない、裏方の振付師としての人生がスタートしていたのかもしれません(笑)」
ダンス大会の常連校、登美丘高校のダンス部を創設
小学生のころからジャズダンスに加えてバレエも習い始めたakaneさんは、成長と共にどんどんダンススキルを身に付けていきました。そんなakaneさんの転機となったのは、登美丘高校ダンス部時代のこと。
今でこそ、全国大会上位の常連校としてその名を轟かす登美丘高校ダンス部ですが、その歴史は10年と長くありません。実は、その名門ダンス部を創設したのがakaneさんだったのです。
「私が高校に入った当時はまだ『ダンス同好会』だったんです。部活動ほどしっかり練習するわけでもなく、学校の先生たちから今ほど、評価は高くなかったかもしれません。
同好会は気楽で楽しかったけれど、私は本気でダンスをやりたかったので、一時期辞めようと考えていたんです。でも、同級生に引き止められてしまって。そこで『全力でやらせてくれるなら』と話をしたら、みんなも本気になってくれたんです」
そこから同好会の活動は一変、ダンス部として学校に認められることを目標に活動が本格化していきます。それまで先輩がつくる振り付けをなぞるだけだったところから、振り付けはもちろん、音楽、衣装、照明を含めて一から自分たちでステージをつくりあげ、大会に出場するまでになりました。
akaneさん以外にダンス経験者はいなかったものの、元々はダンスが好きで集まったメンバー。目標が定まってからは、自然とのめり込んでいきます。akaneさんの在籍時に全国大会に出場することは叶わなかったものの、彼女が築いたダンス部の基盤はその後の代にも受け継がれていくことになります。
そして、高校を卒業し、日本女子体育大学でダンスを学び始めたakaneさん。OGとして登美丘高校ダンス部の指導に訪れていたある日、後輩からの要望があり大学1年時にダンス部コーチに就任することになりました。そこから、登美丘高校ダンス部の躍進が始まったのです。
表現の幅を広げた大学時代の出会い
大学時代の授業では、コンテンポラリーダンス、モダンダンスなどこれまで経験したことのない分野のダンスに触れていくことになります。こんなの私のやりたいダンスじゃない!と、時に戸惑うこともあったそうです。
「最初は大学の授業がめっちゃ憂鬱だったんですよ。急に泣いてください、体だけで何か表現してくださいというような課題が出されたりして。それは私が経験したことない世界でした。でもそれが結果的に表現力を広げてくれたんですよね」
戸惑いを抱えながらも、さまざまな分野の「踊り」を吸収していったakaneさん。特に記憶に残っているのが授業を通じて触れた数多くの映像作品だといいます。100年前の舞踊や、ミュージカル映画、サイレント映画の中のダンスシーン。こんな表現方法があるのかと、次第に視野が広がっていきました。
ジャズダンスをベースにしながらも1つのジャンルに縛られない表現。特に「普通じゃないところを取り入れる」ユニークな振り付けのスタイルは、この時の経験があったからこそ形作られたとakaneさんは語ります。
広く奥深いダンスの世界に触れた大学時代の経験は、その後の登美丘高校ダンス部の作品づくりに反映されていくこととなります。
振付師としてのキャリアを切り開いた「バブリーダンス 」の大ヒット
ダンス漬けの大学生活を過ごしていたakaneさんでしたが、卒業を目前に「現実」が立ちはだかります。それが、卒業後の進路選択でした。ダンス漬けだった同級生の仲間のほとんどは、卒業後にダンスを仕事にする道を諦め、就職していきます。同時に「ダンスをやめる」という選択肢が初めてakaneさんの目の前に現れたのです。
「ダンスを仕事にする」とひと口にいっても、ダンサー、振付師、インストラクターなどさまざまな職業があります。しかし、いずれを目指すにせよ、企業に就職するのとは異なりキャリアを進める上での「道筋」がはっきりと見えない、険しい道のりを進むことになります。
しかし、そんな中、akaneさんは振付師として生きていくことを決めました。
登美丘高校ダンス部を日本一にするという目標を掲げ、大学卒業後、地元の大阪に戻ったのです。同時に振付師として活動を広げていくためダンスカンパニー「アカネキカク」を設立。作品づくりにも本格的に取り組んでいくことに。
するとakaneさんは驚くべきスピードで目標を達成してしまいます。大学卒業後すぐ、2015年度の「日本高校ダンス部選手権」で見事優勝。たちまちakaneさんには関西のダンススタジオのインストラクターとしてのオファーが舞い込み、複数の教室を掛け持ちすることに。とんとん拍子にキャリアは拓かれていったのです。
同時期にYouTubeにダンス動画の投稿をスタート。きっかけは「知り合いにも見てもらえるように」というものでした。自主制作作品に加えて、アーティストの楽曲の振り付けを独自に行う「踊ってみた」系の企画も取り組んでいきます。
公開したダンス動画は徐々に再生数が伸び、それをきっかけに仕事が舞い込む好循環が生まれ始めました。そして大きな転機となったのが、2017年9月に公開した「バブリーダンス」でした。
「バブリーダンス の動画をきっかけに、私のダンスを多くの人に観てもらえました。ダンス部はテレビ出演や海外の舞台からのオファーも頂きましたし、私自身にも仕事の依頼が舞い込みました。
正直なところ、ただ面白いものを作りたいという気持ちだけで進んできましたし、キャリアについて深く考えてはいませんでした。あの動画が話題にならなければ、こんなに早く振付師としての仕事を確立することはできなかったと思います」
人生最大の舞台で味わった悔しさ
順風満帆に聞こえるakaneさんのキャリアですが、もちろん苦い経験がなかったわけではありません。最大の挫折は登美丘高校のダンス部が初めて全国大会で優勝した翌年、2016年のこと。
振付師akaneとして横浜アリーナで開催された大会に出場。横浜アリーナでのステージは、当時のakaneさんの経験の中では最大の舞台だったものの、大規模なセットや照明の担当者に自分の考えや作品の意図を十分に伝えることができず、生徒たちの実力を十分に発揮することができなかったそうです。
ステージを構成する要素は、ダンスだけではありません。演出、衣装、音楽はもちろん、舞台装置や照明に至るまで、多くの関係者の協力があって初めて作品は完成します。舞台が大きくなればなるほど、作品に関わる要素も、関わる人数も増えていく。それをマネジメントするための経験が足りていなかったのだと、当時を振り返ります。
「結果が出なかったことではなく、会場を盛り上げられなかったことが、何より悔しかった。大きなステージをつくることがどんな大変なことなのか想像ができてなかったんです。その結果、みんなを輝かせることができなかった。もう二度とこんな思いはしない。そう心に決めました」
どうすれば大勢の関係者を巻き込んでいけるのか。観客に想いを伝えることができるのか。その悔しさを糧に、大きなステージを成功させるための研究が始まります。すると、観客席に座って会場の反応を観察していくうちに、だんだんとお客さんが求めるものが分かってきたのだそうです。
「大きな盛り上がりの前には必ずシーンと静まり返るようなタイミングがある。観客席に座ってよくよく観察してみると、そういう会場の空気が掴めるようになってくるんです。
お客さんに喜んでもらう作品づくりに没頭するうちに、私は結果を出すためではなく、お客さんを喜ばせるためにステージを作っていたんだと再確認することができました。その後は気持ちも吹っ切れて、自分の思うような表現ができるようになっていきましたね」
「つくり続けること」だけが「好き」を仕事にしてくれる
登美丘高校ダンス部のコーチを退任したakaneさんは現在、アーティストの振付のほか、テレビCMの振り付け・演出、FM大阪でのラジオ番組「アカネクラブ」のDJなど仕事の幅を広げています。若くして振付師として活躍し、一躍時の人となったakaneさん。そんな彼女のキャリアを形づくったのは「好き」を追求する姿勢でした。
「大会で思うような結果が出なくても、それを見返したいという思いでやってきました。ダンスを仕事にするかどうかなんて考えず、自分の好きなものを形にしてきただけ。仕事にするために何か特別なことをしたわけではありませんし、逆に言うと、私にはそれしかできなかったんです。
なので、私の経験から言えることは好きなことを仕事にしたいという方は、形にすることだけは絶対にやめちゃいけないということです。好きなことを続けていけば、必要としてくれている人に出会える。そうして初めて、仕事として成立するのだと思います」
学校教育にダンスが取り入れられるなど、近年は社会的にもダンスを取り巻く環境が大きく変化してきました。akaneさん自身、仕事の幅が広がるにつれて、需要の高まりを感じているそう。メディアへの出演は増えているものの、あくまでも振付師の仕事は裏方なのだと強調します。
「振付師はステージに立つことはもちろん、1人では何もできません。できるのは、準備することだけなんです。私がこうして取材の場でお話できているのも、みんなの頑張りと活躍のおかげです。そういった思いを忘れずに、これからも仕事を続けていきたいですね」
コロナ禍によって、エンターテイメント業界は大きな痛手を受け、ダンサーが立つはずだった舞台のほとんどが失われてしまいました。そんな逆境だからこそ、「みんなが輝ける踊りと、それを楽しんでもらえるステージを作っていきたい」と、彼女は取材の最後に付け加えました。
akaneさんの活躍と共に、「みんな」の母数はどんどん大きくなっていきます。日本中をダンスで明るくする彼女の仕事から、ますます目が離せません。
(文:高橋直貴 写真:小池大介)
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