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53歳で占い師デビューした元会社員が「2代目・新宿の母」として人々を占い続ける理由
53歳で占い師デビュー
新宿の百貨店・伊勢丹の前に50年以上立ち続け、300万人以上を占ってきた伝説の占い師「新宿の母」こと、栗原すみ子さん(2019年逝去)。現在その看板を引き継ぎ、「2代目・新宿の母」として人々の人生相談にのっているのが、実の息子の栗原達也さんです。
達也さんは21歳のときに一度は占い師を志したものの、その後別の道へ。さまざまな職業を経て、50歳になったときに改めて母・すみ子さんに弟子入りし、占い師の道を本格的に歩み始めました。現在は伊勢丹の改装工事の都合上、街頭鑑定ができなくなり、新宿にあるビルの一室で鑑定を行っています。
なぜ、達也さんは50歳という年齢で、一度は離れた占い師の道に再び戻ってきたのでしょうか。そして、伝説的占い師の看板を背負う覚悟はどのように生まれたのでしょうか。
「2代目・新宿の母」が誕生するまでの人生の紆余曲折と、今なお占い師を続ける理由を伺いました。
12歳の時、母が「新宿の母」だと知る
「物心ついたときから、母は死んだと聞かされていたんです」
そう切り出した達也さん。母・すみ子さんは祖母から勘当されていたそうです。生きていると知ったのは12歳の時。再会した母は、新宿で長蛇の列ができるほどの人気占い師「新宿の母」でした。
「長い間、母に放っておかれたという気持ちがあり、当時は再会を素直には喜べませんでした。しかし、母が占っている様子を見ていると、みんなすっきりとした明るい顔で帰っていく。『新宿の母』って、すごい存在なんだなと思いました」
達也さんはすみ子さんから「あなたは占い師に向いている」と何度も勧められていたそうです。「口が達者だったからかな」と達也さんは話しますが、すみ子さんは達也さんの才能を早くから感じ取っていたのかもしれません。
占い師の道に進むも挫折。いくつもの職業を転々とする生活へ
そして、21歳になった時、九星気学や手相などを学び、占い師としての修行をスタート。しかし……。
「自分には人にアドバイスできるほどの人生経験がない。誰かを占うなんて無理だと感じました。母のように、人々が何に悩んでいるのかをパッと見極め、ズバッと答えることなんて到底できません。自分が同じ占い師になったことで、改めて母の偉大さを感じました。
それに、手相を見るときって手に触れるでしょう。当時は女性の手に触れるのすら緊張していましたね。まだ純情な年ごろだったんです」
自分の限界を感じた達也さんは占いの道を離れ、寿司店やパチンコ店などを渡り歩くアルバイト生活へ。しばらくしてからは、知り合いに紹介された喫茶店を引き継いで経営するようになりました。喫茶店は繁盛していましたが物足りなさを感じて、喫茶店を手放すことに。その後は知り合いに誘われて、新宿で複数の駐車場を経営する会社に入社したそうです。
「その会社の社長は私にいろいろな仕事を教えてくれました。どんどん仕事を任せてくれるので仕事がおもしろくなり、次第にやりがいを感じるようになりました。最終的に200人近い部下を持つ副所長の立場にまでなりましたね。
新宿という土地柄、駐車場を利用する方はさまざまです。お金持ちの人もいれば、もめ事を起こす人もいる。さまざまな人生があることを垣間見ることができました。ときにはケンカの仲裁に入ることもあったね」
喫茶店経営や駐車場の会社での勤務などを経て、お客さまの対応の仕方や、部下をどうやって育てるかといった「ビジネスのいろは」を身につけた達也さん。
この間に、2回の離婚と3回の結婚を経験。最初の奥さんはすみ子さんから「相性が悪い」と言われたそうですが、結婚後しばらくして徐々に関係がうまくいかなくなってしまい、最終的に離婚。残念ながら、すみ子さんの占いが示す結果になってしまいました。
30年の社会経験が、占い師になる自信を与えてくれた
波瀾万丈ではあるものの、充実した人生を送っていた達也さん。自身の気持ちに変化が起きたのは、50歳を過ぎてからでした。
「さまざまな仕事での経験、結婚・離婚の経験。時にはうまくいかないこともありましたが、30年の間、たくさんの人生経験をしてきました。自分に母のような天性の占いの才能がないことはわかっていましたが、50代となった今なら、一人の占い師として悩んでいる人の相談にのれるかもしれないと思ったんです。さまざまな経験を積んでいることが、自分の強みになるんじゃないか、と」
そして、すみ子さんに「占い師の修業をさせてほしい」と頭を下げ、弟子入りしました。
デビューしたのは53歳のときの4月6日。すみ子さんは主に夜の時間に街頭へ立ち占っていたので、達也さんは同じ場所で、日中の時間帯に占うことに。しかし、偉大な占い師を母に持ったがゆえに、最初のころは「本当に『新宿の母』の息子なの?」とか、「ちゃんと占うことできるの?」といったひやかしも多かったそうです。
「『本当の息子だけど能力はそんなにないですよ』って、正直に言いました」
達也さんが「2代目・新宿の母」として活動するにあたり、決めていたことが1つありました。それは、自分を大きく見せようとしないこと。「母のようになろうと背伸びをして、嘘をついて自分をよく見せることは絶対にやっちゃいけない、と思っていました。自分を過大評価することに、何の意味もありません」と達也さん。ありのままの自分で勝負する、と決めたのです。
占い師の一言は重い。言った言葉に責任を持たなければいけない
すみ子さんと同様に九星気学や手相をベースに占いますが、達也さんの場合、占いよりもどちらかというと人生相談がメイン。「占い2割、人生相談8割くらい」の割合だといいます。新宿の鑑定室には、コロナ禍でも毎日5〜6人が相談に訪れていたそうです。
占いの結果に加え、達也さんは自身の社会経験や結婚経験などを踏まえたアドバイスをしていきます。「占いで大事なのは当たり外れじゃありません。その人の悩みに対して、どういうふうに前向きに導いてあげるかなんです」と達也さん。
「お客さんの中には遠方から来てくれる人もいます。それだけに、今月の運勢が知りたいといった気軽な内容ではなく、深刻な状況な人やものすごく悩んでいる人も相談にきます。家族関係の問題、男に騙された、借金がある、仕事がうまくいかない……。中には部屋に入ってきた瞬間から目がうつろな人もいます。一歩間違えば、最悪の選択を選びかねない。だから、占い師の一言はとても重いんです」
強いメッセージを伝えるには、強い覚悟が必要です。悩みを抱えている人は視野が狭くなっていることが多いもの。まずは悩んでいることを吐き出してもらい、それに対して1人の「人生のベテラン」としてアドバイスしていく。相談者が求めていた答えかどうかはさほど重要ではなく、選択肢が見えなくなってしまっている人に、いくつかの道を示してあげることが、達也さんの役目なのかもしれません。
悩んでいることを瞬時に見抜き、ズバズバと切り込んでいく達也さんのトーク。ときに毒舌も含まれますが、定期的に訪れるリピーターとなっているお客さんも多いそうです。
「占い師の発言がコロコロ変わったら、お客さんに信用してもらえません。また、私自身が少しでも虚栄をはったら見抜かれてしまいます。だから、ありのままで勝負する。占い師の仕事のいいところは年齢を重ねるにつれて切れ味が増して、説得力が出てくるところだね」
母と同じく、体が動くうちは占い師を続けていく
現在68歳。今では「占い師の仕事は天職だと思える」と話す栗原さん。母のすみ子さんがそうだったように、達也さん自身も、体が元気なうちは占い師を続けていきたいといいます。そこまで人生を捧げる、占い師という仕事の醍醐味とはなんなのでしょうか。
「やっぱり、悩みを抱えているお客さんが笑顔で帰っていくことだね。そして、何よりも『言うとおりの選択をしたら、うまくいった』という話を後日聞けたりすると、もうね、すごく嬉しいです。
たとえば、会社に残るか転職するかで悩んでいる人が来て、『今の仕事は向いていないから、新しい場所へ行ったほうがいいよ』と伝える。そしたら、転職した先の会社でやりたいことが実現できて成功した、とかね。背中を押すことができた、というのは占い師としての一番のやりがいだよね」
人間関係が希薄になりがちな今の時代。誰かに悩みを聞いてもらいたい人たちが訪ねる「2代目・新宿の母」の鑑定室では、波瀾万丈な人生経験に裏付けされた温かい言葉が今日も紡がれています。
栗原達也さんの鑑定サイト「人生交差点の占い師」
http://tatsuya.pocke.bz/
(文:村上佳代 写真:小池大介)
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