「20年越しの夢叶った」。未経験42歳「おじさん」が海外エアラインでCA採用された話。
「なぜやりたいのか。その理由がすぐに見つかるものが、自分にとっての“本当にやりたいこと”ではないでしょうか?」
カナダの主要航空会社で客室乗務員(CA)としてはたらく、空飛ぶおりょう(愛称。以下、おりょう)さんは話します。
43歳のおりょうさんは、42歳でCAに採用されるまでに、ホテル職と日本語教師、ゲーム翻訳、公認移民コンサルタントを経験。CAは、大学時代に一度諦めた夢だったそうです。2024年2月、おりょうさんがXで「20年越しの夢が叶った」と伝えたポストは、14万件を超える「いいね」が付きました。
おりょうさんはなぜ、未経験でCAに挑戦しようと思ったのでしょうか?年齢や経験の壁に囚われない生き方に迫ります。
CAに憧れた大学時代
——おりょうさんは、2024年6月からCAとして飛行機に乗務されているんですよね。
はい。カナダの主要航空会社で、国内線及び国際線のCAとして勤務しています。
業務内容は主に、お客さまの安全確認と機内サービスの提供です。
CAには、クルーのリーダーかつ客室責任者の「インチャージ」のほかに、機内のキッチンに相当するギャレーと呼ばれる場所で、機内食や飲み物の準備をする役割などがあります。
約200人乗りの飛行機には3〜4人のCAが乗務しますが、インチャージは最前列、ギャレー担当者は最後列のジャンプシート(CAが離着陸時に座る席)に配置されます。これらは経験の長いCAが担当することが多いので、新人の私はまだ、機内の中間位置にいることが多いですね。
乗務するCAの中にフランス語話者が私しかいない場合、私がフランス語の機内アナウンスを担当することもあります。CAとして日本語を活用できたことは、残念ながらまだないんですよね。
——CAは、大学時代に一度諦めた夢だったそうですね。
私は岡山県の田舎町出身で、子どものころから漠然と、華やかな世界に憧れていました。
出身大学の関西外国語大にはCA志望者が多く、私も自然とCAを志すようになりました。学生の約7割が女性で、その中に、一際目立つ凛とした女性がいたんですね。私服でも首にスカーフを巻き、既にCAさながらの佇まいでした。
でも当時は20年以上前。日本の航空会社は男性のCAを積極採用していませんでしたし、外国へ行ったことがなかった私には、海外の航空会社に応募するなんて別次元の話でした。2003年4月、「今できることの中で、やりたいことをやろう」と、新卒で大手日系ホテルに就職したんです。
同期の中に偶然憧れの女性がいて「あの人だ」と思いました。最高の笑顔に常に前向きな姿勢の持ち主で、接した人に安心感を与える人柄の彼女。私も「こういう人になりたい」と思いました。2年目に大手航空会社に転職し、業界誌にモデルとして掲載されたりしている彼女の活躍ぶりを見て、CAへの憧れがより強まりました。
2024年2月にCAに応募してからも、選考が進むたびに彼女に報告して喜びを共有。彼女も一緒に喜んでくれました。
カナダで起業するも、コロナ禍で売上がゼロに
——31歳の時にカナダへ移住されたそうですが、どんな経緯だったのですか?
外国語大学を卒業したものの、留学経験がないことがコンプレックスで、24歳の時にホテルを退職し、ニュージーランドへ1年間のワーキングホリデーに行きました。到着して1カ月ほどはホームシックで辛い思いもしたのですが、ニュージーランド特有の英語のアクセントにも少しずつ慣れ、幸運なことに日本人向けのお店で仕事を見つけたため、コミュニケーションの問題はありませんでした。
帰国後に6年勤めた大阪のシティホテルは、5割以上のお客さまが外国人観光客だったので、英語力が鍛えられ、31歳の時、海外ではたらきたい気持ちが再燃。現地で職に困らないよう「日本語教育能力検定」という資格を取得してから、カナダにワーキングホリデーに来ました。
現地の語学学校で日本語教師としてはたらいていたころ、パートナーに出会い、33歳の時に定住を決めました。
だから、最初から移住を決めていたわけではないのです。
——カナダに住むことを決めてから、CAに応募するまでの道のりを教えてください。
34歳から3年間はゲーム翻訳、37歳から4年間は公認移民コンサルタントとしてはたらきました。
というのも、日本語教師の仕事だけでは正直食べていけないんですね。2000年代初頭は今より物価や家賃が安く、貯金でなんとか生活できましたが、今ならシェアハウスでも一部屋15万円以上するので無理だったでしょう。
カナダにはゲームスタジオが多くあるので、ゲーム翻訳(日本語訳のチェックをする仕事)は、移民の私でも就きやすい仕事でした。ただ、アルバイトなので、正社員として雇用される機会をずっと求めていたんですよね。
それが35歳の時、カナダの永住権を取得して仕事の幅が広がりました。
この時、友人女性のすすめもあって、CAへの応募も検討したんです。彼女のパートナーであるカナダ人男性は元CAのパイロットで、私の言語力を評価してくれたようです。でもその時は条件に合う求人がなく、公認移民コンサルタントとして起業する道を選びました。カナダへの旅行者や移民のビザ申請をサポートする仕事です。
公認移民コンサルタントになるには、半年間学校に通って英語の言語試験と国家試験に合格して資格を取得したあと、さらに私の住む州が指定するフランス語の言語資格や、フランス語による公認移民コンサルタントの試験にも合格しなければなりません。
2016年9月から勉強を始め、2017年8月に起業。すべて資格を取り終えたのは2018年3月でした。いやぁ、長かったですね(笑)。
——普通なら挫折してしまいそうな量の資格試験をクリアされ、すごいです。
資格を取ったり試験を受けたりするのは嫌いじゃないんです。答えがあるので、ゲーム感覚で進められる。反対に、CAの接客のように、白か黒かの正解がないものは難しいと感じますね。
失敗を「失敗」と思わないほうが生きやすい
——なぜ、公認移民コンサルタントを辞め、CAに応募しようと?
2019年には、公認移民コンサルタントで年300万円近い売上が上がるようになりました。
でもコロナ禍で、カナダへの旅行者や移民が激減して。2022年には売上がゼロになり、廃業せざるを得ませんでした。国の補助金のお陰で、生活面は心配しなくてよかったのですが……。
仕事を得ようと現地の職業訓練校でプログラミングスキルを習得して、「100社受けて、だめだったらその時に考えよう」と、インフラ系のエンジニア職に30社ほど応募しました。ただ、エンジニア職は世界各国からたくさんの経験者が集まる上、実務経験が問われるので、1社も受かりませんでした。
2024年2月、就職が決まらずフラストレーションが溜まっていた時、以前CAをすすめてくれた友人女性が、再び「あなたはCAに向いているわ」と。パートナーの彼と一緒に、「君なら絶対に受かるよ!」と背中を押してくれたんです。
——ご友人は、言語力以外に、おりょうさんの人柄を見て「接客に向いているな」と思われたのでしょうか。
人柄はあまり関係ないと思います。
そもそもカナダの航空会社は、接客にそこまで力を入れていないんです。CAの最重要任務は「機内の安全確保」。それができて初めて機内サービスを提供できます。日本の航空会社のホスピタリティが高いのは、日本人が、CAが厳しく言わずともルールを守れる国民性だからかもしれません。
私が考えるCAに必要なスキルは、リーダーシップや臨機応変さ、群衆コントロール力などです。緊急避難時は、200人近いお客さまの脱出や消火活動、応急手当てを指揮しなければなりませんし、障害のある方の補助や、攻撃的なお客さまへの対処も必要です。フライト中に爆弾の脅迫を受けた時の対処手順も知っていなければならず、「接客」の優先度はあまり高くありません。
友人は私の適応力の高さを見て、向いていると思ってくれたのかもしれません。
——2024年3月にカナダの主要航空会社に採用され、6月に初乗務するまではどのように進んでいきましたか?
CAとして採用されても、約2カ月間のトレーニングプログラムに合格しなければ本採用にはなりません。
3月26日から1日8時間、月曜から金曜まで座学と実務のトレーニングがありましたが、毎週試験があるので、「いつ試験に落ちてしまうんだろう」と不安でした。26人の同期がいましたが、想像以上にハードだったからか、途中で辞退する人もいました。
座学では、「明日までに読んできて」と言われるテキストが何十ページに渡ることも。航空業界の専門用語や医療用語を、英語で覚えるのも大変でした。
一度だけ、夜中の3時まで勉強をして実務試験に挑んだら、落ちてしまったことがあったんです。飛行機のドアの開閉の試験でしたが、寝不足のせいか、安全確認のためのセリフを1文忘れてしまって。落ちても再試験があるのですが、再試験にも落ちてしまうと除名(解雇)になります。
その日から、睡眠を第一に考えるようになり、試験にすべて合格。卒業時、同期は21人に減っていましたが、無事、6月に初乗務を果たしました。
——40代で未経験の職種に応募するのは、とても勇気がいると思います。なぜおりょうさんは、年齢や経験の壁に囚われずに挑戦できたのですか?
40代での転職が珍しくないカナダに12年間住んでいる、というのももちろんあります。
ただ私は、小さな失敗はたくさんしてもいいと思っているんです。私自身、側から見れば失敗のない人生ではありません。コロナ禍の失業も、一度CAの実務試験に落ちたことも、「次に進めばいいや」と「失敗」を失敗としてカウントしてきませんでした。失敗を失敗とみなさないほうが、生きやすいですから。
それに、今回のように新しいことに挑戦するのは初めてじゃありません。たとえば、37歳で挑戦した公認移民コンサルタントも、年長者の多い同業界では、若すぎるほうでした。
やらない理由は、探せばいくらでも見つかります。30代だから、40代だから向いていない……でも、向いているかどうかを決めるのは周りではなく、自分だと思うんです。私はもともと華やかな世界に憧れていたうえ、憧れの女性がCAとして活躍していたことでCAを志しました。人生って、ロールモデルとなる人に出会えたかどうかで左右されるのだと実感しています。
なぜやりたいのか。その理由を積極的に見つけられるものが、自分にとっての「本当にやりたいこと」なのではないでしょうか。
(文:原由希奈 写真提供:空飛ぶおりょうさん)
※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。
あなたにおすすめの記事
同じ特集の記事
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
人気記事
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。