脱サラ6ヶ月で月商600万の酒場オーナーに。「おひとりさま」狙いで行列店になれた理由。40歳で車の営業マンから転身。

2025年6月3日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、40歳で大衆酒場「こいさご」を開業し、わずか半年で月商600万円を達成。開店前から行列ができるほどの大人気店へと育て上げ、開業から2年後には2店舗目となる「とね川」をオープンさせた綿貫さんです。

もともと営業職として約20年キャリアを積んできた綿貫さんが、なぜ飲食業界に飛び込んだのか。異業種からの挑戦を支えた営業職時代の経験、そして「何歳からでも自分らしくはたらく」ための秘訣について語っていただきました。

20代は何者にもなれない。だから目の前の「はたらく」に一生懸命

──綿貫さんは40歳ではじめての飲食業界に足を踏み入れられました。なぜ飲食業、中でも大衆酒場での起業を選択されたのでしょうか?

ぼくにとっては昔から飲食業が身近な存在で、特に大衆酒場が「安らげる居場所」だったからですね。高校卒業から大学卒業まで焼肉屋でアルバイトをしていた経験から、飲食業に惹かれていったのは自然なことだったんだと思います。

そして何より、個人的にもともとお酒や食が大好きで。きっちりしたレストランで飲むのも楽しいけれど、特に金銭的にも日常的に通いやすい大衆酒場が良かったんです。大衆酒場では昼間からお酒を飲んでいる人を見て、「この人スーツだけど大丈夫かな」とか「このおじいちゃんは退職して、気ままに過ごしているのかな」とか、周りの人を見て勝手に想像を膨らませながら飲む時間が好きでした。一つの空間でいろいろな人と時間を共有しているような感覚も心地良かったんですよね。

──飲食業界や大衆酒場が好きな気持ちはあったものの、最初の就職先で営業職を選ばれたんですね。

実は飲食業界に就職するという発想はなかったんです。大変そうだし、もしやるなら自分でやる時だなと考えていました。
ただ、20歳くらいから「いつかは自分で何か事業を興したい」と漠然とした夢は持っていたものの、自分がやりたいことも、何ができるかも分からなかった。だからまずは社会に出て、目の前の仕事を一生懸命やってみようと思ったんです。

営業職を選らんだのは、もともと活発な性格だったので、自ら動いて結果を出せるから。商材に車を選んだのは、ただ単に車が好きだったからですね。

──実際に入社されてからは、営業職としてどんな日々を送っていたのでしょうか?

20〜30代は、とにかくがむしゃらにはたらきました。営業の仕事では、日々いろいろなお客さんと出会います。同じ商品を売っていても、すごく喜んでくれる人もいれば、まったく響かない人もいる。「この人はどういうポイントにくすぐられるのか」を常に考えながらお客さんと接していました。おかげで、自然と人間観察力や人を喜ばせる力が鍛えられましたね。

40歳、順調な営業職キャリアから未経験で飲食業界での起業

──40歳で心機一転、お店を開業されたとのことですが、営業職として定年まではたらき続けようとは思いませんでしたか?

はたらき続けるほうが楽だとは思うものの、ずっと環境を変えたくて悶々としていたんです。ある程度仕事にも慣れてきて、当時のぼくの中にはある種、飽きのようなものが生まれていました。

お客さんには事業を経営されている方も多かったので、「自分で事業をしている人ってかっこいいな」「ぼくも何かかたちにしたい」と、起業に対するあこがれが日に日に強くなっていって。やるなら大好きな飲食店がいいと思っていました。でも、実際に行動を起こすタイミングがなく、どうすべきか悩んでいましたね。

──そんな中、大衆酒場「こいさご」開業へ踏み切れたきっかけはなんだったのでしょうか?

一番のきっかけは、コロナです。当時、多くの飲食店は国からの補助金でなんとか毎日持ちこたえているような状況で、徐々に補助金が打ち切られ始めてからは空き店舗が増えていったんです。ちょうど勤務先のお客さんには不動産関係の方もいたので、そこで自然と物件情報が耳に入ってきて。自分でもネットでいろいろ情報を眺めているうちに、「お店をやるなら今がタイミングかも」と考えるようになりました。

飲食業はこれからも絶対になくならないし、いずれはまた需要が戻る。景気が回復した時にスムーズに営業をスタートできるよう、今店を立ち上げておこうと思ったんです。

──とはいえ、確信が持てないのに行動をすることに不安はなかったですか?

少しは不安もありましたよ。でも、成功しているお客さんと話すうちに、「みんなチャレンジしてきたからこそ今があるんだ」とあらためて気付いて。それに、死ぬ時に「やっておけば良かった」という後悔だけはしたくなかった。当時のぼくは40歳で、まだ店舗に立つ体力はギリギリある状態。だったらできるだけ早く挑戦したほうがいいと思い、決断後すぐに会社を辞め、2022年7月にこいさごを開業しました。

1日6,000円の売上から月商600万円へ。脱サラして半年後に人気店を築けたワケ

──開業後、最初から売上は好調だったのでしょうか?

いや、最初の売上はたしか6,000円とかだったと思います(笑)。うまくいかないのは当然だと思っていたので、焦りはなかったですね。店を知ってもらうこと、そして一人ひとりのお客さんに喜んでいただけることだけを考えていました。初めての飲食店経営でオペレーションも分からないことだらけでしたが、手伝ってくれた友人と学生時代のアルバイトでの経験を思い出しながら、体当たりで正解を見つけていきました。

──そこから綿貫さんは開業後半年で月商600万円を達成され、こいさごを開店前から行列ができるほどの人気店に育て上げられました。ここまでお客さんに愛される店づくりの秘訣はなんですか?

営業職時代から大事にしてきた「ハードとソフトの融合」でしょうか。料理やドリンクなどの商品のクオリティを保つことはもちろん、心地良さを感じていただける接客や空間づくりも大切にしています。目指すは、ディズニーランド。あの空間とサービス、アトラクション、レストランやお土産など商品のクオリティは唯一無二ですよね。そんな「ここでしか感じられない世界観」をお客さんに届けられるお店でいたいんです。

世界観、つまりブランディングに関する知見は営業時代に培われましたね。車の営業をしていたころも、高級車を売るには単にスペックを説明するだけじゃなくて、「そのブランドの車に乗る」ことでどんな世界が広がるのか、その世界観ごと提供しないといけなかった。ショールームの中では、営業としての所作や自分が身につけるもの一つをとっても「その車のブランドの世界観を演出すること」を軸に考えて動いていました。当時のお客さんが喜ぶ世界観をつくってきた経験が、こいさごの経営にも活きています。

こいさごは「一人飲みにぴったりであること」がブランドの一つの魅力です。だから、料理は一人で食べ切れるボリューム感で、単価も200〜300円代と安いメニューを多く揃えています。

席はカウンターのみで、入店も1組3名までというルールがあります。そのぶん大人数では楽しめませんが、一人で飲みたい人にとっては、静かに至高の世界観が味わえるお店になっている。これがこいさごの唯一無二の世界観です。

──綿貫さんのお話を聞いていると、何事も無駄なことはないとあらためて感じます。

そうですね。もちろん年齢を重ねるごとに、体力的な面や新しいことを学ぶ大変さは増していくかもしれません。でもそれ以上に、今まで培った経験や想いが、次なる挑戦をする際の大きな力になることを実感しています。

──スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

まずは、今ある仕事を一生懸命に楽しむこと。それが新しい出会いや学びにつながり、きっとあなたを今より遠くの場所に連れていってくれます。そして、それと同じくらい大事なのは、どんな仕事でも「目の前の人を喜ばせる」のを忘れないことです。私も営業にコミットして、とにかくお客さんを喜ばせるには何をすべきかを考えてきた経験が、今の飲食店経営につながっていることを実感しています。

毎日実直にはたらいてた先にもしもやりたいことを見つけたら、そのときは恐れずに一歩を踏み出してみてほしいです!

(「スタジオパーソル」編集部/文:朝川真帆 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:朝川真帆)

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ライター朝川真帆
フリーランス取材ライター。住宅系コミュニティマネージャーとしても活動中。2021年、新卒でコンビニの会社に入社し、数年後結婚を機に上京・退職。2023年に取材ライターとして独立した。現在はキャリアや事例導入、グルメなどのジャンルをメインに執筆中。フジロックのファンサイト、フジロッカーズオルグでもライターとして活動中。管理栄養士資格を持っている。関西出身。

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