灘→東大→ハーバード卒の26歳が「絶対やめとけ」と言われた芦屋市長選に挑んだ理由

2025年8月28日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、様々なコンテンツをお届けしています。

今回お話を聞いたのは、26歳で兵庫県芦屋市長に就任し、当時の史上最年少市長として大きな反響を呼んだ髙島崚輔さん。全国トップクラスの進学校、灘中学・灘高校から東大へ進学。入学後、半年でアメリカに渡り、ハーバード大学を卒業しました。

エリートすぎる経歴を持つ髙島市長ですが、キャリアの選択軸について伺うと、「好き」や「面白そう」という想いに正直に歩んできた、一人の青年の姿が見えてきました。

大きな期待を背負い、市長に就任して2年。現在、どんな想いで仕事に向き合っているのか──。仕事や人生の選択の背景について、関西弁を交えながら気さくに話してくれました。

幼少期は引っ込み思案。挑戦者になるきっかけは、マジックショー

──次々と大きな挑戦を重ねてこられた髙島市長。小さいころから「興味があることは、臆せず挑戦したい!」という気持ちが強いタイプだったのでしょうか?

母によると、昔は体が弱くて引っ込み思案だったそうです。幼稚園でも一人で自分の席に座って、家族の写真をずっと眺めているような子どもだったと聞いています。

そんな私が変わるきっかけになったのが、幼稚園時代に見たマジックショーでした。マジシャンの方が「誰か一緒にやってくれませんか?」と声をかけたとき、周りの子たちが次々に手を挙げるのを見て、思わず自分も手を挙げたんです。すると、「そこの子、前に来て」と呼ばれて。

でも、当時の私は友だちともうまく遊べないほどの引っ込み思案だったので、「いいです、いいです」と断ってしまったんです。

そんな出来事のあと、母に言われた言葉が、「チャンスの神様には前髪しかないよ。後ろ髪はないから、チャンスがきたらすぐに前髪を掴まなければ逃してしまうよ。」でした。やりたいと思ったときに手を伸ばさないと、後からではつかめないんだよ、と。その言葉がきっかけで、消極的な自分を変えたいと思うようになりました。

──幼少期の髙島市長は、現在のイメージとは180度違いますね。そこから自分を変えるためにどんな努力をされてきたのでしょうか?

小さな成功体験を一つひとつ積み重ねていきました。例えば、小学1年生のとき、同級生と秘密基地づくりを始めました。そのとき、仲間を集めたいと家でWordでチラシを作ってみたところ、担任の先生に「配っていいよ」と言ってもらったことはよく覚えています。恐れずにチャレンジできたのは、結果ではなくプロセスを褒め認めてくれた両親のおかげで、成功や失敗だけで一喜一憂しなくなったからです。少しずつ「やってみたい」と思ったことに挑戦できるようになりました。

──灘中学の受験やハーバード大学への進学も大きな挑戦ですよね?

そうですね。どちらも自分で挑戦してみようと決めました。小学4年生の終わりごろ、友だちが中学受験をすると聞いて、自分も「新しい世界へ行ってみたい」とチャレンジすることにしたんです。私は喘息(ぜんそく)の持病を持っていたこともあり、家族会議で「一度でも発作が出たら、受験を止める」と両親に約束して、受験勉強をスタートさせました。

ハーバード大学に挑戦したのは、4年後が想像できなかったから。卒業後は官僚や弁護士になるのかなあと漠然と思っていた東大進学と比べて、アメリカの大学卒業後のキャリアは本当に未知数で。先が見えないからこそ、ハーバード大学に進学する道を選びました。

「絶対にやめておけ」と言われ続ける中で出馬した市長選。“やりたかったら、やったらいいんちゃう”

──ハーバード大学を卒業後、すぐに市長を目指した理由を教えて下さい。

世の中を一番良くできるのは、市長だと思ったんです。ハーバード大学在籍中に学業の傍ら、グローバルな学びのコミュニティ「留学フェローシップ」というNPO法人の理事長を7年間務めていました。NPOは、ミッションに心から共感する仲間とともに、社会を少しずつ良くできることがとても面白かった。一方で、NPOである以上、時には現場の声を反映すること以上に、資金繰りや社会的な意義について常に考え続ける必要がありました。

そこで次はもっと現場に近いところで仕事をしたいと思ったときに、NPOで関わりのあった地方自治体のことが頭に浮かびました。教育委員会や全国の公立の学校と一緒に仕事をする過程で、「学校が元気であれば地域も元気。逆も然り。そうであれば、学校を良くすることに注力すれば世の中をより良くする一歩につながるのではないか」と考えたからです。

また、公的機関にはライバルはいませんよね。自分たちの時間もお金も全部を目の前の市民のために使える。その点にも惹かれました。

さらに、市は現場との距離がとても近い。国や都道府県よりも、手触り感をもって人と接することができます。市民と対話をしながら、市民を巻き込みながら社会を良くできると思いました。市であれば、公立の小・中学校も所管しているし、「教育を変えるなら市長の仕事やな」と思った理由はここにあります。

──市長に立候補するのは、並々ならぬ決意だったと思います。当時、どんな勝ち筋を描いていたのでしょうか?

正直なところ、よく分かっていなかったから立候補できたのかもしれません(笑)。経験者や政治関係の方々からは「絶対にやめておけ」と言われていました。そもそも当選できっこないし、当選したところで何もできない、と。

でも、私は「自分が心からやりたいことなら、チャレンジしたほうがいいんちゃうかな」と思っていました。政治を外から見ていてずっと、「政治家が何を考えているか、何をしているかよく分からん」と思っていました。それなのに、突然4年に一回選挙があって、「投票せよ」と言われる。よく分からんから、選挙に行かない人がいるのも無理はないと感じていたんです。

選挙に行かないのは、政治に関心がない人が多いからだと言われがちです。でも本当は、関心を持ちたい人はたくさんいるけれど、関心の持ちようがないのではないか。そんな仮説を立てました。だからこそ、今の市の状況や自分の考えを伝えて、「どう思いますか」と市民と対話を重ねるスタイルを徹底すれば、きっと私と同じような感覚を持っている人に届くと思ったんです。選挙が始まる前には、対話集会(タウンミーティング)を20回ほど開き、政策提案や質疑応答を含めた36ページの冊子も全戸に配布しました。

未来はデスクではなく、街の声にある

──市長の仕事には、どんなことがあるのでしょう?就任前のイメージと比べて、仕事内容にギャップはありましたか?

ありましたね。就任するまでは、市長は会議や決裁など市役所の“経営者”としての側面が強いと思っていました。しかし、実際には“市の顔”としてイベントで来賓挨拶や来日された方とのコミュニケーションなど、特に週末は外に出る仕事も数多くあります。割合で言えば、経営者6:市の顔4くらいではたらいていますね。

──週末もはたらかれていて、疲れたから休みたいとか、趣味に時間を使いたいと思うことはありませんか?

実は、これまでも土日休みの人生を送ったことがなくて。大学時代も週末には部活などがあったので、今も「そういうもん」という感覚で過ごしています(笑)。

よく「休みがなくて、大変ですね」と言ってくださる人がいらっしゃるんですが、「めっちゃ好きなことをやっているんで、いいんですよ」という気持ちです。市長という立場だから、すごいことをやっているように見えているだけで、自分にとっては、ただ純粋に好きなことに夢中になっているだけなんです。

週末に行う“市の顔”としての仕事は、本当に楽しいんですよ。“経営者”としての意思決定の材料になる街の声を聴く場であり、意思決定した結果を聞きに行く場でもあると思っています。イベントの前後でその場にいる人たちと雑談して、直接施策に対してフィードバックをいただけるので、とても貴重なんです。「わざわざ電話までしては言わないけれど、市長がいるならちょっと言っておこうか」という声をいかに拾えるかが大切だと感じています。

──芦屋市長に就任して2年が経ちました。就任前に提案した政策は、どれほど実現されているのですか?

進んでいるものもあれば、時間がかかっているものもあります。でも、全体として社会をより良くしようと前向きに動いてくださる方が増えてきたことが何よりも意味があると感じています。

阪神淡路大震災が起きた当時、中心となって復旧復興に尽力してくださったのは、当時40~50代の市民の皆さまです。それから30年が経った今、その世代は70~80代。徐々に世代交代が必要な時期に差し掛かっています。

そんな中で、最近ではまちづくりに参加してくださる40~50代の市民の皆さまが少しずつ増えているように感じます。変化を身近に感じられて、心の底からうれしいですね。たとえば、地域のお店と住民が一緒になって地域のビジョンをつくったり、学校の校則を中学生同士で話し合って変えたり、市民がどんどん街を良くする取り組みを始めてくださっています。就任当初はここまでの広がりは想像できていませんでしたね。

──すばらしいですね。一方で、現在課題に思っておられることはありますか?

ふるさと納税による市税の減収額が、今の大きな課題の一つです。私が市長に就任してから寄付額は約2倍近くまで増えているのですが、依然として流出が止まらず、結果として年間で約10億円規模の減収が続いています。

そこで私たちは寄附される方々の想いを大切にし、芦屋市や芦屋市の取り組みに関心や興味を寄せていただく方々を増やすことを目指して、ふるさと納税の寄附金を活用した事業の取り組みを発信していくことにしました。正直、今の制度はカタログショッピング化していると思います。だからこそ、制度本来の趣旨に返り、「こんな新しい取り組みをするので、応援していただけませんか」という発信をしようと考えたのです。

特に力を入れているのは、公立教育の質向上です。公立の学校の質をどのように上げるかは、いまや全国的な課題のはず。だからこそ、芦屋市が先頭に立って、学びの変革を進めたい。いただいたご寄附を活用し、生成AIなどの最新技術の導入や、教師の主体的な授業改善を応援することで、子ども一人ひとりに合った「ちょうどの学び」を実現します。

私たちは、芦屋市だけが良くなれば良いと思っているわけではありません。芦屋でうまくいったこともうまくいかなかったことも全国に共有することで、日本全体の公立の学校教育をより良くすることに貢献したいと考えています。

ぜひ、あなたのお住まいの地域の学校教育を良くするためにも、まずは芦屋市を応援していただけると嬉しいです。

好きは変わっていい。“今のところ、好き”に正直に生きていこう

──髙島市長にとって、はたらくとは?

難しい質問ですね……。メディアには、「はたらくモチベーション」や「はたらきがい」について取り上げられることがすごく多いですよね。でも、私の場合はそのどちらもなくて。

ところで、好きな食べ物ってありますか?

──イチゴが好きです。

イチゴを食べることに、何かしらのモチベーションってありませんよね。私にとって、市長の仕事もまったく同じなんです。楽しいからやっているだけで、そこにモチベーションややりがいは特にありません。そういう意味で、はたらいているという感覚がまったくないんです。

強いて言えば「生きている」という感じでしょうか。自分が「面白そう」「好き」だと思うことに正直に生きています。

──ちなみに、市長になって「良かった」と思う瞬間は、どんなときですか?

この2年間、日々幸せを感じていますが、中でも市民の方々が自ら世の中を良くするために動きだしている話を聞くと「めっちゃいいな」と思います。たとえば、対話集会で出会った人同士が新たな活動を始めたり、職員が自分たちで考えて行動を起こしたり。私が直接手がけた施策が成果を出したときよりも、市民の主体的な動きに出会えたときがうれしいです。

市民一人ひとりが、世の中を良くしていこうと動き出す。そんな文化が根付けば、街はずっと良くなり続ける。だからこそ、そういう環境をこれからどのようにつくり続けていくかが、市長の大切な仕事だと確信しています。

──髙島市長は、本当にお好きなことを仕事にされているんですね。最後にスタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

まずは、「今のところ、自分が本当に好きなこと」を見つけてみてはどうでしょうか。
就活の前に、突然自己分析することってありますよね。私も大学受験前にしていたのでよくわかります(笑)。でも、それは就活のための自己分析なので、本当に好きなことを見つけようとしているわけではないと思うんです。どうしても「その企業への就職につなげなきゃいけない」という発想があるので、見える範囲が限定されてしまう。

好きを見つけるには、数を打つしかないと思います。就活などの枠に囚われず、好きだと思ったことに向き合い、動いてみる。数をとにかく打って、「ちゃうなあ」とか「これはちょっといいかも」とか、試行錯誤をしながら見つけていく。私も、たくさん「チャンスの神様の前髪」を掴みながら、好きを見つけてきました。

ただ、そうして一度見つけた好きなことや将来の夢も、いずれは変わっていくものです。社会がこんなにも変わっているのに、自分の興味や関心、好きなものだけが変わらないなんてわけないですから。就職にしても同じではないでしょうか。もしかすると「この会社で一生はたらくんやな」という雰囲気がまだ世の中にはあるかもしれません。

でも、30年後の社会なんて、誰も分からない。今から30年前は1995年。Windows 95が発売されたころです。そこから今のChatGPTの時代を誰が想像できたでしょうか。だから、好きなことは変わる前提で、「今のところ、これ」を見つけるぐらいでいい。その上で、いま好きなことに一生懸命向き合うことが大事なんじゃないかな、と。

その上で、本当に自分がやりたいと思うことに対しては、周りからどう思われても「やりたいんだから、しゃあないやん」と割り切って進んだらいいと思っています。未来がはっきりとは見えなくても、本当に「好きなこと」に正直に向き合い続けると、楽しくはたらく道が見えてくるのではないでしょうか。あなたらしい道が拓けることを、私も心から応援しています。

(「スタジオパーソル」編集部/文:平谷愛 編集:おのまり・いしかわゆき 写真提供:芦屋市役所)

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ライター / 編集者平谷愛
2021年から取材ライター・ライフコーチとして活動。5年間のシンガポール駐在妻経験を経て独立。経営者インタビューやBtoB向けの記事を中心に執筆。コーチングのスキルを活かした深い傾聴とフィードバックを強みに、読者の共感を呼ぶストーリーを紡ぐのが得意。

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